「大峯奥駈」
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「大峯奥駈」
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大峯奥駈は、吉野から熊野まで、紀伊半島の中心を背骨のように貫く尾根道、つまり「大峯奥駈道」を七泊八日かけて歩きとおす修行だ。ちなみに、大峯奥駈道は全行程で170キロメートルほどあり、奈良・和歌山・三重の三県にまたがっている。
もちろん、ただ歩きとおすだけではない。その間にある「靡(なびき)」と呼ばれる聖なる場所を、一つずつ祈りを捧げながら、歩いていく。
靡は、役行者の法力(神通力=超能力)に、草木も靡いたというところから名付けられたという。学者や研究者たちは、距離をあらわす言葉が変じて道筋をあらわすようになったと考えているが、私たちはあくまで修験道の信仰にもとづいて、「役行者の法力に草木も靡いた・・・・・」から靡なのだと信じている。
この靡は、現在では全部で75ある。平安時代の末期には、100から120くらいあったらしいが、その後すこしずつ整理されて、いまの七十五になった。
靡が聖なる場所だということは、すでに述べた。では、なぜ、聖なる場所なのか、もう少し詳しく説明すると、修験道にかかわる神や仏が出現する場所、もしくは居住している場所とみなされているために、聖なる場所なのだ。
一つ一つの靡については、これから大峯奥駈修行を解説するなかで触れていくが、全体として見た場合、とても興味深い事実がある点を、あらかじめ指摘しておこう。
実は、歩きはじめの頃の靡が、仏像であったり、お堂であったりと、人間によって作られた人工的なモノばかりだったのが、山の奥深くに歩き入っていくにつれて、人工的なモノの比率が少なくなっていく。その代わりに多くなってくるのが、自然のモノだ。岩だったり、樹木だったり、内容はさまざまあるが、最終的には自然のモノばかりになってしまう。
この、人工のモノ→自然のモノという変化こそ、修験道の本質をあらわしているといっていい。つまり、山伏たちは、大峯奥駈道を歩いていくうちに、次第に人工的なモノの世界から脱して、自然のモノの世界へと分け入っていく。それは、いいかえれば、人間界から神仏界への移入でもある。
ー『はじめての修験道』(田中利典・正木晃共著/2004年春秋社刊)「第4章 修行の世界」より
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