「日本人の神と仏」
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「日本人の神と仏」
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古代に成立する古事記、日本書紀というのはそれまで「倭」と呼んできたこの国が「日本」という国名のもとに中央集権的な国作りをするときに、今まであった伝承や記録などを整理して生まれた神話の歴史と物語です。そしてその神話の神様たちも長い年月、仏たちと仲良く融合して、私たち日本人の生活を支えてくれていました。
明治に神仏分離を断行し、古事記や日本書紀の神様は国家神道の神様に読み替えられ変容します。しかしせっかく神仏分離をしてまで成立した国家神道は第二次世界大戦に負けて以来、GHQの神道指令によって解体され、その姿を見失うことになりました。
そして残ったのが日本的なモノをすべて廃された、マルクス主義や強欲資本主義という欧米優先主義の近代思想だったのです。だから日本人は自分たちがもってきた日本的な神仏のことをわからず、明治以来の欧米の一神教のような価値観で自分たちのことをみるから、ややこしくなってしまったのです。
明治期にレリジョンを宗教と訳しました。
しかしレリジョンは一神教の宗教のことを指すのであって、唯一絶対の神を持たない日本人の宗教とは全く違うものだったのです。
一神教のゴッドは、八百万の神でも、八万四千の法門からいずる仏でもなく、まして権現神のような広汎な神々ではない、我々には理解しがたい人間を超越して絶対無二の神なのです。
日本人は無宗教ではありません。私たちは日本的な神と仏を抱き続けている立派な文化を国土の中に残し続けています。明治と戦後、2度の神殺しを経験した日本人ですが、今からでも遅くない。私たちの周りに寄り添い続けてきた神や仏の存在に気づけば、十分間に合います。
ー「男の隠れ家」2010年6月号(グローバルプラネット社)『日本の「聖地」を往く』記載:田中利典筆「日本人の神と仏」より
*写真は神仏習合からうまれた権現信仰の象徴・金剛蔵王権現(旧吉野山安禅寺蔵)
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