対談「能楽と修験」
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今日行われた大淀町文化会館での「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録10周年記念トークセッション「面があれば裏がある」・・・対談「能楽と修験」に出演して、無事終えました。
「南北朝時代、金峯山寺に南朝が置かれたこと」、「明治の神仏分離で金峯山寺が廃寺になり、全国の修験道が廃絶したこと」、「子供の頃、拝み屋さんの子供と言われることが大嫌いだったこと」「病気の70%はたたりが原因だと知人の名医が言っている」などなど、話が脱線していくつかはシナリオにはないお話をしましたが、宮滝歴史資料館館長の池田淳先生とのトークセッションはたいへんいい時間を過ごせました。久しぶりに100点満点の出来だったと言えるかも。
よろしければ、今日のシナリオをご紹介します。以下。。
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はじめに
司会より田中総長と池田の紹介後、直ぐに対談のテーマ「能楽と修験」について対談であることを説明します。
① 池田から田中総長へ質問するかたちで、修験という宗教についてお尋ねします。
田中総長講話《20分》
② 総長のお話をうけて、能楽の歴史について池田が話をします。
池田《20分》
《以下対談》
③ 池田より、①のお話をうけて修験の験力についてお尋ねしますので、10分ほどでお話ください。「蛙飛び」などの事例をあわせてご紹介いただければと思います。
④ 総長のお話をうけて、『谷行』の概要を5分ほどでお話しします。ここでは役行者に仕える伎楽鬼神によって稚児が蘇生されますが、これが験力だと考えて宜しいか、総長に確認を求めますので、補足があればお願いします。
⑤ ③を受けて池田が山伏狂言の一般論を10分ほどお話をします。最後に山伏が失敗するところまではお話をしますが、一歩手前までは様々な験力を発揮していることを説明します。
⑥ 修験の験力が庶民にとって歴史的にどのような意味があったのか、また現在的な意義について約10分程度お話しください。
⑦ 修験者が験力の保持を積極的に主張したことが、『谷行』や山伏狂言を生み出したといってよいか総長にお尋ねしますので、まとめの意味で修験と能楽の関係について5分程度お話ください。・・・・修験の積極的な験力の主張が、時代をになった能楽に取り入れられてきた。能楽にとって、修験の主張が無視しえないものであり、当時の観客にとってはなくてはならない演目となっていった。こうした観客層の欲求は、修験という宗教が庶民に如何に浸透していたかを物語るものである
⑧ 結論として、芸能と宗教が相互に作用しあって、現在世界無形遺産に登録されるような日本の伝統芸能能楽が生まれて今日に至っている。
⑨ 池田から総長へのお礼と聴衆へのお礼を申し上げますので、総長からも一宜しくお願いします。
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とりわけ修験の験力について、きちんとお話が出来てよかったです。いや、池田先生との話を通じて、修験者としての生き方をもう一度、学び直せました。トークの途中で、新たな目覚めをいただいた、私にとってはとても有意義ないいセッションとなりました。
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