「10月13日・・・・」
10月13日・・・ご存じのように、台風19号が日本列島を直撃した日である。幸い吉野も自坊の大きな被害はなかった。
この日、台風襲来の心配で、1日中、このことばかりに終始したが、なにか忘れているなあと思っていた。そして昨日(14日)、夕方近くになってようやく気がついた。
そうだ、母の祥月命日だった!・・・と。
それで夕方、慌てて、自宅へ戻った。夜7時半に着いて、今日は朝9時半には出なければいけないから、正味14時間の滞在だった。
母の好きだった金つばや大福餅などを途中で買って帰りお供えをして、今朝からちょっと遅くなったが、祥月命日のお勤めと、お墓参りをしてきた。
先月から妙に母や父のことが思い出されて、気になっていたが、肝心なときに、忘れてしまっている。なにごとも近頃はボケはじめているが、まさにおおボケであった。
亡くなってまる3年。薄情な自分に反省している。
聞けば嫁はちゃんと覚えていてくれて、13日には母の大好物だった「かどやさんの回転焼き」をお供えしてくれたそうだ。ありがたい。とりわけ「かどやさんの回転焼き」には母への深い思い出があるだけに、感謝である。
以前にも載せたが、知らない方もいると思うので、母を偲んで、改めて母が亡くなったときに書いた「回転焼きと母」という拙文を再掲載する。まだ読んでない方は、是非ご覧下さい。
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「回転焼きと母」
母が10月に亡くなり、今月末に満中陰を迎える。早いものである。
母は今年1月に危篤になり、医者からも余命1週間と宣告されたが、その後、治療加療のおかげで、一時期は車イスに乗って病院の食堂で食事が出来るくらいまで回復した。闘病生活9ヶ月。その間、今まで、あまり母のことに気をかけなかった息子にとって、母を病室に見舞うことで、親孝行のまねごとをさせてもらった貴重な時間だった。
少し元気になった頃、何が食べたいってきくと、「回転焼き、買ってきてんか」と言った。それから、病院に行くときは、アスパ(病院前のスーパー)の近くにあるかどやさんの回転焼きを持参した。あまりたくさんは食べられないので、毎回、1個だけを注文したが、いつ行っても、かどやさんは面倒くさがらずに、快く、1個の回転焼きを売っていただいた。母が美味しそうに食べていたことが今でも思い出される。
お葬式の朝、回転焼きのことを思い出した。棺にいれてあげようと思い、かどやさんに寄った。普段は1個しか頼まないが、その日は母が好きだった3つの味の回転焼きを3つ全部注文した。いつも1種類の1個しか頼まないので、いぶかしく思われたのか、「今日は3つなのですね?」とお店の方に声をかけられた。「はい‥、母が好きだったので、いつも買わせていただいていました。その母が亡くなり、今日はお葬式なので、いっぱい食べさせてやろうと思って‥」というと、「お金はいらんから」と言われて、暖かい3つの回転焼きを渡していただいた。優しさに、思わず涙が出た。
母のことばかりを思ってはいられないが、でも、かどやさんの前を通るたびに、美味しそうに回転焼きをほおばっていた母の顔が思い出されて、心がちくっとする。母の思い出が嬉しくなる、かどやさんの親切に今でも感謝、である。
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