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「耳順う」

いろんな意味で、今年は節目でした。

生涯の大きな仕事となった「吉野大峯」の世界遺産登録から10周年。数年がかりで関わってきた大きな慶讃行事も恙なく、終えることが出来ました。5年越しとなった弘法大師の道プロジェクトも完了し、吉野ー高野の道再興開闢修行も「さいこー」でした(^_^)v

長年お世話になった東南院の親奥さんをはじめ、たくさんのお別れを経験した年でもありました。なんだか、もういいよ、って言っていただいているような一年でした。

そして来年は私も還暦。
節目というかリセットして、新たに生き直す年のように思っています。

そういう思いを認めてみました。正月号、「蔵王清風」の早出しです。

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「耳順う」

今年で筆者は還暦を迎える。なんともあっという間の六十年だったなあ、という感である。僧侶になってからの法﨟は四十五年。いづれにしろ「少年老いやすく、学成り難し」そのままの人生といえようか。

「子曰く、吾れ十有五にして学を志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順う」(論語為政篇)というが、その「耳順う」歳を迎えることとなったのである。この「耳順う」とは少々聞き慣れない言葉かもしれない。六十歳になったら人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになる、というような意味である。

しかしながら、人の言葉というものは助言にせよ諌言にせよ、なかなか素直に聞けないもの。それは相手との人間関係であったり、自我のなさしむることであったり、いろいろと理由はあるが、人の言葉を言葉の意味のままに理解するのは存外難しいものである。論語を残した孔子でさえ六十歳になってようやく、その境地に至ったと語っているわけであるから、筆者などの凡夫ではなかなか「耳順う」などという域には達せないだろう。

早稲田実業の校是に「去華就実」という有名な言葉がある。外見の華やかさを取り去り、実際に役に立つ人間になる、というほどの意味であるが、先日テレビを見ていたら歌手で俳優の武田鉄矢氏が、この「去華就実」を「花散りて次に葉茂り実をむすぶ…」と読み替えて、年齢を重ねるほどに華はなくしていくが、そのかわり実を結ぶのが人生だ、という風に語っておられた。なるほどと思ったのであった。

還暦を迎えたからと言って、そんなに老い込むこともないが、それでも若い頃と比べると、足腰の衰えや目や耳の老化に加え、頭の回転の悪さには自分ながら愕然とする。向こう意気だけで突っ走っていたわが人生ながら、もう充分じゃないのかなあという気もするし、「耳順う」歳を思えば、そう嘆くことでもあるまいと思ったりしている。それだからこそ、武田氏の「去華就実」がなるほどと身にしみるのである。

華はこれからもどんどん失って行くに違いない。我を張って生きることを止めて、耳順って生きることも大切である。そうやって生きる中で、人生の実を結ぶことが出来れば幸いと言えよう。そんなことをつれづれに感じている平成二十七年の新年である。

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