蔵王供正行21日目 「入我我入」
「入我我入」
蔵王供正行21日目(5月21日)。晴れときどき曇り。
今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第41座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第42座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時20分、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者0名。・・・護摩が終わって一人来山。
夜に京都から知人が来山。
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「入我我入」
今日で1日の入行以来、3週間となる。
しかしながら、なかなか入我我入(ご本尊と行者とが一体になる)というような境地には届かない。ただ一身に、ご祈願を蔵王権現様にお届けするだけである。
私の周りには、お不動さんの声を聞けたり、神様と直接お話が出来たりする行者さんがいる。ちょっと頭がおかしいともいえなくもない方もなかにはいるが、ちゃんとしている人もいて、全面否定はしない。いや、それはそれでとても素晴らしいことだと思う。そういう意味では、私にはそういうようなことが起きない。
今回も、100座の蔵王供を発願して、毎日毎日、蔵王権現様の前で祈りを込めているが、うんともすんともであり、直接に声を聞けるわけではない。
でも、なにか、自分の中の仏性というか、仏心というか、そういうものに触れるような気持ちにさせてもらう日もある。ただ、ここでみなさんに披瀝できるような、深いものではないけれど。
つまり、入我我入とまではいかないが、仏さまを一心に拝む冥加みたいなものは、少しずつだが、広がっているようにも思う。
ま、本当は権現様に、まだまだや!と言われていることは間違いない。
実は私は以前から「あんたは大きな力に守られますねえ」と、何人もの人に言われている。私にはわからぬが、人生を振り返ると、確かにそういうふうにも思える。守られているし、背中を押して頂いているから、大きな仕事に関わることが出来、多くの仕事を成し遂げることが出来た。私がしたのではなく、やらされた感が強いくらいだ。だから確かに大きな力に守られているのは違いないだろう。
今回の修行も実は、権現様や行者さまの掌の中で、私が勝手にのたうち回っているだけなのかもしれない。入我我入出来るなら、ここ数年にわたる私の置かれている状況の真意について、いろいろと、直接、聞いてみたいモノである。
写真は権現様、降臨を思わせる護摩の写真。
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