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修験道のいま①

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「蓮華奉献入峰」
 ー田中利典著述を振り返る270929

「さーんげさんげ、ろーこんしょうじょう~」と唱えながら大自然を跋渉する修験道の山修行。以前、「やりたかったんだよな、これ!」って呟いた女子大生の参加者*がいた。

ここ十年くらいの間に、修験道の山修行は何度もマスコミに取り上げられ、年々注目を浴びつつあり、一般からの参加希望者も多い。とりわけ今年七月に行った蓮華会・蓮華奉献入峰修行に参加した人の顔ぶれは、現代社会を象徴するようだった。

蓮華会は私のいる金峯山寺の伝統法会で、大和高田市奥田地区の弁天池の蓮の花を、吉野山の蔵王堂をはじめ、大峯の諸神諸仏に献花する行事。奈良県の無形民俗文化財にも指定を受けている。この行事の中で行われる「蔵王堂蛙飛び」は大きな着ぐるみの大青蛙が登場する奇祭としてつとに知られるところである。その蛙飛び行事の翌日八日に、吉野山から大峯山山上ヶ岳まで、山中に蓮華を供えつつ行ずるのが蓮華奉献入峰である。

さて今年の入峰参加者は九十七名。そのうち、宗内の教信徒以外の一般人は約半数。他宗門の僧侶のほか、さまざまな業種の方がいた。団塊の世代も多い。定年退職をして、その記念になにか自分を試したくて参加した人。妻に勧められて来たという人もいた。例の姉歯建築士の耐震偽装問題の後始末に奔走している設計士もいたし、ニート、引きこもり、統合失調症など、心に病を抱える若者も来ていた。慶応大学の現役学生、一部上場の運送会社社長、農家のおやじ、公務員、占い師、鍼灸師、経営コンサルタントなどなど、例年にも増して多彩な顔ぶれだった。

彼らは山修行に一体なにを期待して参加しているのだろうか?あるいは現代人にとって山の修行はどんな意味をもつのだろうか?

修行を終えた参加者がぽつんと呟いた。「歩いている間中、足が痛くて痛くて仕方なく、もうやめよう、もう帰ろうと何度も思いましたが、終わってみると無事に修行し終えたことが有り難くて有り難くて仕方がありません。来年は是非もう少し身体を鍛え直して、みなさんに迷惑を掛けないように参加したいです…」。また別の参加者は「さ~んげさんげ、と掛け念仏を唱えるたびに山の神仏に抱きしめられているような感動を覚えました」といった。

金峯山寺では五月から十月まで毎月一般の人に呼びかけて山修行を行っているが、その中でも七月の修行会は一日十二時間も行ずる厳しい行程である。しかし厳しい修行の方が喜びを感ずる人が多いと私は思っている。

ー田中利典著作集・読売新聞2008.8月掲載「修験道のいま①」より

 

実りの秋・・・

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「実りの秋・・・」

この秋の講演・シンポ・フォーラムの出演予定です。明後日の「誇り塾開塾」を皮切りに、昨日もアップしたとおり、この秋はいろいろな場で、お声をかけていただいています。

9/26の誇り塾では岡本彰夫元春日大社権宮司さんと、9/30は埼玉で宗教学者の正木晃先生と、ご一緒します。お二人とも私にとっては盟友であるとともに、敬愛する兄のような存在。

それから10/14はべのあハルカスで、あのカンヌグランプリ監督河瀨直美さんと、久しぶりの共演。さらには10/21は能楽の小鼓宗家大倉源次郎先生と大淀町でトークバトルを繰り広げます。さらに11/16は清風学園長の平岡宏一先生と出雲で、11/22の京都造形芸術大学の秋の収穫祭では、愛の達人で宗教人類学者でもある、敬愛する盟友の植島啓司先生と、吉野山でお話をします。。

さらにさらに、11/23には自然環境文化推進機構のフォーラムで、同会の代表幹事でもある宗教学者山折哲雄先生と京都の清水さんで、ご一緒します。私も同会の理事です。

9/26  誇り塾開塾講演 於東京 *
      △http://hokorijuku.com/register
9/30  埼玉仏教青年会総会シンポ出演 於浦和

10/14 紀伊山地三霊場会議フォーラム出演 於大阪・あべのハルカス
      △参加者募集中
        →http://www.rekishikaido.gr.jp/2015sanreijo/
10/21 大淀町主催フォーラム出演 於奈良・大淀町
        △http://www.town.oyodo.lg.jp/contents_detail.php?frmId=673
10/24 鳥取県主催フォーラム講演 於大阪・歴史博物館
        △http://www.pref.tottori.lg.jp/222725.htm
10/31 誇り塾 於東京 *
11/7  「祈りと救いの学会」講演 於東京
        △http://www.jpshm.jp/2ndmeeting/guide.html
11/16 出雲・峰寺での講演 於島根県
11/22 京都造形芸術大学秋の収穫祭での講演 於吉野山
11/23 (一社)自然環境文化推進機構設立フォーラム出演 於京都・清水寺
11/28  エコイニシアティブ学会出演 於東京・國學院大學
11/29 誇り塾 於東京 *
12/13 誇り塾 於東京 *(*誇り塾は会員限定です。)

いづれも当代随一ともいえる、各界を代表するようなきら星のようなみなさんばかり。そんな方々とご一緒出来る今年の秋は、私にとって、実りの秋になることと、わくわくしています。

全員、私の金峯山寺宗務総長時代に知己を得た方です。実力不足の私は力負けするでしょうが、学びの場とさせていただきます。

ちなみに写真は、5年前、初めて岡本先生とご一緒した、奈良県宗教者フォーラムでの写真。懐かしい~。

つれづれに・・・

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「つれづれに・・・」

実は最近、ロードショーをよく見る。ここ20年以上、一年に2,3本しか見てこなかったが、ここ2ヶ月ほどで、「あん」「アベンジャーズ」「ミッションインポッシブル」「バケモノの子」「ターミネーター5」などなど、何度も映画館に足を運んでいる。

本もよく読む。これもここ20年、一年に3,4冊しか読破しなかったのに(買うのは70冊くらいだが・・・ほとんど読みかけで終わっていた)、もう2ヶ月ほどで、「内山節著述集/哲学の冒険」「中野孝次・すらすら読める方丈記」「堀義人・吾人の任務 MBAに学び、MBAを創る」「岡本彰夫・神さまが持たせてくれた弁当箱」「佐藤優・ケンカの流儀」「池上彰・超訳 日本国憲法」「竹田恒泰・日本人はなぜ日本のことを知らないのか」「百田尚樹・夢を売る男」「百田尚樹・大放言」「又吉直樹・火花」などなど、節操のない選び方だが、随分と根を詰めて読んでいる。夜中、全然寝付けないので、どんどんと読書が進むのである。

長年勤めた金峯山寺の宗務総長職を離れ、還暦を迎え、いわゆる人生の分岐点にさしかかった感が満載ではある。これまでの生き方を変えないと、前に進めないのかもしれない。「山から里に・・・」っていうほど、山に生きてきたわけではないが、「里」での生活の節制の難しさも実感する毎日。よほどの用事がない限り、吉野には行かないので、時間はあるが、新しい生活のリズムがつかめないでいる。

映画も本も、新たな刺激と、一時の心の解放に資するところが多い。ただ、脳ばかりが刺激されて、かえって心も体もあほ!になるなあ・・・という危惧もする。

自坊では、月例の法要以外は、めったにまともな勤行が出来なかったが、このところ毎日いるので、欠かさぬようになった。まあ坊主だから当たり前なのだけれど・・・。生き方を変えるためにも、ここは大事なことであろう。

さて、この26日に、東京で、敬愛する岡本彰夫元春日大社権宮司とともに私塾を立ち上げることになった。「里の修行」の、一里塚になるかもしれない。日本人が見失いつつある「誇りの回復」に、なにかかしら役立つ仕事が出来ればと願っている。

写真は開塾記念の講話表紙画面。
  私塾「誇り塾」のサイトは以下 
   ↓
  http://hokorijuku.com/register

先々週には三井記念美術館の特別展覧会講演を終えたが、来週からは、誇り塾だけではなく、講演会やシンポのパネリスト出演もたくさんお声がけいただいている。是非、多くの方々にお会い出来ればと願うところである。

9/26  誇り塾開塾講演 於東京 *
9/30  埼玉仏教青年会総会シンポ出演 於浦和
10/14 紀伊山地三霊場会議フォーラム出演 於大阪・あべのハルカス
      △参加者募集中!! http://www.rekishikaido.gr.jp/2015sanreijo/
10/21 大淀町主催フォーラム出演 於奈良・大淀町
      △http://www.town.oyodo.lg.jp/contents_detail.php?frmId=673
10/24 鳥取県主催フォーラム講演 於大阪・歴史博物館
      △http://www.pref.tottori.lg.jp/222725.htm
10/31 誇り塾 於東京 *
11/7  「祈りと救いの学会」講演 於東京
      △http://www.jpshm.jp/2ndmeeting/guide.html
11/16 出雲・峰寺での講演 於島根県
11/22 京都造形芸術大学秋の収穫祭での講演 於吉野山
11/23 (一社)自然環境文化推進機構設立フォーラム出演 於京都・清水寺
11/28  エコイニシアティブ学会出演 於東京・國學院大學
11/29 誇り塾 於東京 *
12/13 誇り塾 於東京 *

*印ー誇り塾は会員限定です。

なお、12月が暇です。よかったらなにかの講演会にお呼びください。

「世界遺産の第一の門番」

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「世界遺産の第一の門番」
 ー田中利典著述を振り返る270923

7月(平成16年)の世界遺産登録後、しばらくして開催されたアジアユネスコ文化センター主催の国際シンポジウム「紀伊山地における文化遺産について考える」にパネリストとして招かれた私は、コーディネーター役の京都府立大学助教授で、イコモス(国際記念物遺産会議)の委員である宗田好史氏から思いがけない提言を受けた。

宗田氏曰く、「田中さんは今回の世界遺産の第一の門番(custodian)という役目を背負っておられる。 第一の門番とはイコモスの定めた『国際文化観光憲章』に唱われている言葉で、第一の門番と訳されているが、custodianはカソリックの世界でローマのバチカンの礎となった最初の法王、聖ペテロを称して、神の国のcustodianといい、天国の鍵をもっていると理解されている。西洋語圏では特別な意味があり、金峯山寺執行長として、世界遺産(神)が吉野大峯なら、まさにそういう役割を果たす立場にある」と、教示していただいたのである。ずいぶん過大な評価で少々とまどうほどであったが、これは私が今回の世界遺産登録に関して、常に観光のあり方や地域活性化に関して厳しい発言をしてきたことへの、エールであると受け止めている。

そこで原点に返って、今回の「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界文化遺産登録に掛ける私の想いとはなんであったのか。あらためてふり返ったみたい。

実は近代化とは欧米化であるとともに、言葉を換えれば、一神教的価値観への魂の売り渡しであった。それに対して、権現信仰こそ、神仏習合した多神教的価値観を象徴する日本人の精神文化の拠り所の一つだったのである。

私のこういった思いは最近私以外にもいろんな人が声を挙げていただくようになった。哲学者梅原猛氏も「反時代の密語」というコラムで「近代日本において神殺しは二度にわたって行われた。近代日本が最初にとった宗教政策、廃仏毀釈が一度目の神殺しであった…そこで殺されたのは仏ばかりではない。神もまた殺されたのである。外来の仏と土着の神を共存させたのは主として修験道であるが、この修験道が廃仏毀釈によって禁止され、何万という修験者が職を失った。この従来の日本を支配してきた神仏を完全に否定することは、近代日本をつくるために必要欠くべからざることと思われたのである…私は小泉八雲が口をきわめて礼賛した日本人の精神の美しさを取り戻すには、第一の神の殺害以前の日本人の道徳を取り戻さねばならないと思う」(朝日新聞/「神は二度死んだ」平成16年5月18日)と書いておられる。梅原氏は殺されたとおっしゃっているが、修験道は死滅しなかった。現にここで生きているのである。

今回の世界遺産登録は金峯山修験にとって、あるいは修験道全体にとっても、神仏習合のシンボルたる権現信仰発揚を以て、日本に、あるいは世界に、何らかの役割を果たす好機を与えられたと受け取るべきだと思っている。それが一度は国によって殺されかけた権現さまからの、現代社会に対する思し召しだと私には思えてならないのである。

ちょっと難しいことを言い過ぎているかも知れない。このままではしかめっ面の「第一の門番」になってしまいそうである・・・。

*写真は金峯山寺所蔵・安禅寺本尊蔵王権現。明治に安禅寺が廃寺となり、蔵王堂に祀られることになった。明治の修験道廃止の法難を逃げ延びた象徴的尊像でもある。

ー田中利典著作集・『修験道っておもしろい!』 出版社: 白馬社 (2004/10) 「世界遺産登録」草稿より

「新報道2001 2015年09月20日 - 民主党の津田弥太郎によるセクハラ暴行問題」に関して

新報道2001/ 2015年09月20日 - 「民主党の津田弥太郎によるセクハラ暴行問題」に関しての映像・・・

https://www.youtube.com/watch?v=3WGt9bKfVzk&sns=fb

この映像に、Arado Radoさんが以下のことを書いておられる。

*****************   

国民が不法操業漁船衝突船長釈放や、福島原発の責任追及を忘れていると国民を馬鹿にしているのが、彼らです。彼らは絶対に国民の声を無視し、支持者さえ集まればどんな汚い手段も平気です。自分たちの私利私欲お金さえあれば、国民なんてどうでも良いというのが彼らの政策です。チャンスはまだあります。

次の参院選で本当の審判を与えてやることです。彼らは集団でしか行動できません。そのためには汚い資金を使って、暴動や暴力を利用してまでも、正常な国会運営を邪魔をし、国民の信頼を愚弄し続けます。日本共産党、民主党、社会党の政策は単純です。自分たちの支持者を集めて私利私欲で集めた金を、限られた仲間で分け合うということだけです。国民のことなど絶対に考えてはくれません。

憲法も同様です。彼らの主張の中に、あなたを守ってくれる方策はありましたか?冷静に考えてみてください。あの混迷を極めた震災直後の混乱を。貧しいものを苦しめつづけた国会の空転を思い出してください。彼らの手の内には、人を罵倒する手段として法律を利用しているのです。

弁護士はお金さえ払えば、どんな極悪非道な犯罪者に対しても無罪を主張するでしょう。彼らの主張はまさにそれなのです。

ですから、そんじょそこらの生易しい絶滅では、他党と合流を図って生き残ります。まず大事なのは、日本共産党、社民党、民主党へ絶対に票を入れないことです。今国会で、彼らは同じ種類の人間だとわかったはずです。自民党が嫌いでも、まず彼らを絶滅に追い込むまでは我慢して自民や彼ら以外に投票しましょう。生活の党は、責任をもって東京都民が葬り去ってください。お願いします。

生活の党は民主党の残党です。

正常な国会ができるようになったら、そこで真剣に投票所で自民党か他党か考えてください。これをお知り合いの人すべてに伝えてください。今は正しい政党を探す時ではありません。正しい国会を取り戻す時なのです。本当の言論の府を国民の手に取り戻すことです。

たとえ間違った政策でも、それは総選挙で審判を必ず下すことができます。それが民主政権の崩壊でした。今はこの残党が、再び息を吹き返そうとしているのです。もう一度言います。彼らの目的は国会の妨害なのです。言論の妨害なのです。彼らがいる限り、真面目な政治家は日本に生まれません。

ですから、間違えず、迷わずただ一つの強い意志を持って投票所へ行ってください。

********************

頷けるところがあります。確かに私は自民党を支持していますが、自民党がまったく問題がないかというと、そうでもないことはみなさんもおわかりでしょ。ただ、もう民主や共産党、生活の党には政治は任せられないと感じます。実は民主党の中にも知己の人はあり、全否定をするのもどうかとは思いますし、支持をしておられる方もたくさんおられると思いますが、今回の一連の動きで、民主党に巣くうどうにもならない人たちの、その本質の正体をみたような気がします。
そういう意味で大いに賛同をします。

ネトウヨと断じられるかもしれない強烈な意見ですが、今回のレンホウ女史などの受け答えを見る限り、頷かざるを得ない気がします。辻元もかくの如しです。

国民の民意は選挙行動です。戦後の自虐史観が蔓延し、マスコミのネガティブキャンペーンで無党派層の意見が操作されている現状では、自民党が正面を切って、民意を問えない状況を割り引いたとしても、やはり、国の混乱を目指すようなアナーキーな政党を許しては危ういです。もちろん、前回の衆院選では、最悪の選択はしてこなかったのが民意なのですが。

みなさんはどうお思いでしょうか?

「大峯山・山上ヶ岳の女人禁制はどうして生まれたか?」

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著述を振り返る270922・・・
「大峯山・山上ヶ岳の女人禁制はどうして生まれたか?」

現状として、大峯山山上ヶ岳は今も女人禁制が守られている。
そこでまず最初に、山上ヶ岳の女人禁制はどうして定められたのか?を考えてみたい。

「女人禁制」の規程が公的に定められたのは、七五七年施行の『養老律令』に規定する「養老僧尼令」が最初である。これは僧坊における男女相互の立ち入り制限を目的としていた。つまり「女人禁制」と「男子禁制」は、セットのかたちで定められていたのである。

そしてそれは、男女僧尼が誤って性交渉におよぶことを未然に防ぐ「不淫戒」と称する根本戒にゆらいしていた。ちなみに本来、このような戒律は、宗団、寺院の各個の自主的な規定にまかされるべきである。ところが、当時の仏法擁護の施策の結果、僧尼の数が急激に増加し、各自の自主的な規定では思うに任せない事態になってしまった。そのために、公的な機関が取り締まる必要が生じ、このような規程が生まれることになった。こうした規則によって女性が入山禁止になった寺に、たとえば比叡山延暦寺や高野山金剛峰寺がある。いずれも戒律による禁制であることは、文書によって明らかにされている。

さて、本題の大峯山の女人禁制である。大峯山とは本来、吉野より熊野に至る連山の総称であり、現在、世間一般に大峯山と呼ばれる山は、正確には金峯山山上ヶ岳のことにほかならない。したがって、問題となる女人禁制の地域は、金峯山の山上一帯ということになる。

この金峯山を指して、『本朝神仙伝』には「…金剛蔵王守レ之 兼為二戒地一 不レ通二女人一之故也」とあり、戒律の生きている地と解されている。また金峯山は中国で書かれた『義楚六帖』(九五四年)にも「未だかって女人が登ったことのない山で、今でも登山しようとする男は三ヶ月間酒・肉・欲色(女性)を断っている」と記されている。

比叡山においても伝教大師の『山家学生式』に、同じように酒・女を断つ一条が見られる。これらはいずれも不飲酒戒・不淫戒の徹底をはかろうとする意図から出ていた。こうした事例からいうならば、古代における「禁制」は、男女ともに戒律を遵守するための用語であり、「女人禁制」という言葉は熟語として定着していなかったことがわかる。

しかし「女人禁制」は、現実には男子禁制の部分を脱落させ、ひたすら女性にのみ禁制を強要する用語として受け継がれてきた。その原因はいくつも指摘できる。主な原因としては、平安時代の初期以後、女性の出家制限が始まったこと。また律令仏教の基本であった官僧官尼体制がなくなったことにみられるように、国の仏教政策が変化を遂げて、十世紀ころには尼寺が衰退し、男子禁制があまり意味をもたなくなった事実などである。

かくして残った「女人禁制」の僧寺では、その内容が、戒律を中心とした国家主導型から、各寺院の自己規制型の女性対策へと変遷し、禁制と開放のいずれかを選ぶという事態に至ったのである。その結果、特に厳しい修行の道場としての密教寺院や、修験系の山岳仏教では女人禁制を金科玉条とするようになり、その後も民間信仰や神道思想、また法華経の五障三従の思想などと融合しながら、長く受け継がれてきたのである。

*写真は女性も参加している現在の奥駈。南奥駈、貝吹きの拝所。

ー田中利典著作集・『山伏入門―人はなぜ修験に向かうのか? (淡交ムック)』淡交社刊(2006/03)・田中利典「女性と修験道」より

「女性と修験道」

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著述を振り返るー「女性と修験道」

奈良国立博物館で講演を終えたときのことである。私に近づいて来られた一人の女性から「修験道は女人禁制なのですね?」と訊かれた。一瞬、質問の意味が理解できず、きょとんとしてしまったが、ああそうかと気が付いた。

ご存じのとおり、今なお、大峯山の山上ヶ岳一体は女人禁制が守られている。それゆえ、修験道そのものが、あらゆる面で女人禁制をたもっていると思われたのであろう。

そのときは、簡単に「違いますよ」と答えたものの、問われるまでもなく、これは修験道にとってすこぶる重要な問題である。そこで以下に、私論ながら、女人禁制の観点から女性と修験道について、一文を寄せさせていただく。

結論から先に言うと、修験道は決して女人禁制ではない。それは、大峯山に関わる修験道の伝統教団で組織された醍醐寺・聖護院・金峯山寺の修験三本山内における男性女性の教師数比率を見れば、一目瞭然である。平成十年に調査によれば、醍醐寺が男性が六十八%女性が三十二%、聖護院は男性七十三%女性二十七%、さらにわが金峯山寺は男性女性が半々であった。

金峯山寺は、もともと山上と山下に本堂があった。山上本堂は厳格な精進潔斎や女人禁制を守り、冬場は閉ざされた。それに対し、山下本堂は、老若男女が誰でもいつでも参拝できる寺として、いとなまれてきた。明治期の神仏分離・修験道禁止の法難の後は、山下本堂と山下本堂が別々に経営され、現在の金峯山寺はその山下本堂を中心に歩みを刻んできた。こういう歴史の経緯から、女性参加の数が他の二山より多いのかもしれない。いずれにしろ、修験三本山の現状をみるかぎり、修験信仰そのものが女人禁制では決してない。

実際に今は、奥駈修行や伝法潅頂、護摩加行、法螺講習などといったあらゆる金峯山修験本宗の経歴行階修行に、女性も男性とまったく同等に参加している。それは醍醐寺や聖護院においても変わらないと聞く。

それはそうであろう。修験道は、その出発点から、在家信仰のかたちをとり、男女の両性に対して開かれていたのだから。その証拠に、開祖の役行者は、役の優婆塞とも呼ばれた。優婆塞は在家の男性信仰者を意味し、女性の在家信仰者を意味する優婆夷とセットになる。このように、開祖以来、信仰の上では、分け隔てしないのが修験道の本分なのである。

ただし、山上ヶ岳の女人禁制に象徴されるとおり、修行の領域において、女性を直接的なかたちでは受け入れて来なかったのも、歴史的な事実である。代参であるとか、修行に入る男性を送り出し家庭内で共に精進潔斎をして守り支えるといった、間接的なかたちでしか、山上ヶ岳と女性との関わりはなかった。

先述したように、修験三本山は現在、あらゆる修行において男性女性を分け隔てしてはいない。もっとも現実には、山上ヶ岳の女人結界だけではなく、大護摩供修行への女性山伏の参加を容認していない修験寺院もある。女性が山伏装束を身につけるのさえ、抵抗を感じるという寺院もある。しかし、それをもって、修験道は全て女性差別と否定するのはおかしな話である。むしろ女性を間接的しか受け入れて来なかった修験道の修行の歴史が、このようなかたちで残っていると解釈したほうが的を射ている。

しかし、これも時間の問題なのかも知れない。これだけ女性があらゆる分野に直接参加を果たしている時代に、女性が修行に直接的なかたちで参加できないというのでは、将来の信仰のありようは考えにくいからである。

少なくとも修験三本山では、早くから男と女の扱いを分け隔てしないという道を開いている。その延長線上に、女性が修行に直接的なかたちで参加する日の来ることは、もはや疑いようがない。したがって、修験信仰そのものが女性の参加を拒んでいるなどというのは大変な誤解といっていいとおもう。

ー田中利典著作集・『山伏入門―人はなぜ修験に向かうのか? (淡交ムック)』淡交社刊(2006/03)・田中利典「女性と修験道」より

「祈りの登山」

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「祈りの登山」

今、世は空前絶後の登山ブームであるが、しかし、山伏の入峰修行と一般的な登山とは、根本的な違いがある。

明治以前、西洋的な近代登山を受け入れる前の日本は、須く、山は神仏や祖霊在す世界であり、畏れをもって仰ぎ見た。そしてその世界に入るということは、聖なるものに触れるという宗教意識に根ざした山登りであった。その日本人と日本文化の基層の部分に深く関ったのが修験道であり、神も仏も分け隔てをしない山伏的な宗教観なのだと筆者は思っている。

西洋の登山はキリスト教という一神教を基盤とした、神と人間との契約によって成り立ったものである。神によって創られし人間は、同じ神によってつくられた自然を、神の許しによっていかようにも切り取り、使うことが出来るとする。登山もまた、自然を人間が征服するという姿勢でしかない。

それに対して日本的な登山、修験道の山登りは自然を征服するのではなく、常に自然に対する畏敬の念を持ちつつ、山に入らせていただく、山を歩るかせていただくという意識なのである。それは冒険やスポーツ登山を生んだ西洋の山登りではなく、山の中に坐す、人間存在を越えた聖なるものに触れるという行為であり、聖なるものへの祈りの心を持った登拝行なのである。祈りの修行こそが、現代になお息づく修験信仰の真骨頂といえよう

ー『目の眼』10月号所収、田中利典述「現代修験道論私考」より

紀伊山地三霊場フォーラム「紀伊山地の霊場と参詣道で行じる(歩く)こととそこへ至る魅力」

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○紀伊山地三霊場フォーラム「紀伊山地の霊場と参詣道で行じる(歩く)こととそこへ至る魅力」

あのカンヌ映画祭グランプリ監督・河瀨直美さんと再びトークセッションをします。

私は過去、奈良国際映画祭などでのステージを含め河瀨監督とは5回ほど、トークセッションをご一緒していますが、今年もまた紀伊山地三霊場主催フォーラム(歴史街道推進協議会共催事業)・「紀伊山地の霊場と参詣道で行じる(歩く)こととそこへ至る魅力」と題して、ご一緒することになりました。

日時は平成27年10月14日(火)。場所は、あべのハルカス25F「大会議室」です。是非、たくさんの方にお出まし頂くことを念じます。

告知が遅れたので、まだ申し込み者が少ないですから・・・。

この5月には樹木希林さん主演映画「あん」の大ヒットなど、ますますいそがしくされていて、久しぶりに会う河瀨監督。どんなトークが出来るか、私自身、楽しみです。

紀伊山地三霊場会議フォーラムは数えて7回目の開催。

今までは全部、代表幹事の私が仕切ってきましたが、今回の仕切りは私ではなく、私は代表幹事を引退して、顧問としての出演。河瀨さんと上杉さんのトークセッションのパネリスト兼コーディネーターとして出させていただきます。

【フォーラム詳細】

□基調講演「伝えゆく祈りの場“紀伊山地”」
 講師:河瀨直美氏(映画作家)
□パネルディスカッション「紀伊山地三霊場を行じる、その魅力」
 パネリスト:河瀨直美氏
        上杉雄猛師(高野山真言宗金光寺住職
                           高野山開創1200年全国結縁行脚隊隊長)
 コーディネーター:田中利典師(吉野・金峯山寺長臈
                                 紀伊山地三霊場会議顧問)

日時:平成27年10月14日(火)13:30〜15:50(開場13:00)
会場:あべのハルカス25F「大会議室」(大阪市阿倍野区)
募集:220名(事前申込み、先着順)
入場料:1名2,000円(当日支払)※歴史街道倶楽部会員は無料(本人のみ)
応募方法:ハガキ・FAX・Eメール※詳細はWebサイト参照
主催:紀伊山地三霊場会議
共催:歴史街道推進協議会
協賛:近畿日本鉄道株式会社、南海電気鉄道株式会社、西日本旅客鉄道株式会社
後援(予定):奈良県、和歌山県

□お申し込み、詳細は以下
  http://www.rekishikaido.gr.jp/2015sanreijo/

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*参考

「紀伊山地の霊場と参詣道で行じる(歩く)こととそこへ至る魅力」(チラシ)
http://www.kinpusen.or.jp/_src/sc1815/8bi88c98er92n8eo97ec8fea83t83h815b838983808360838983v.pdf

紀伊山地三霊場会議
http://kiisanti.jp/

歴史街道推進協議会
http://www.rekishikaido.gr.jp/

「瓜二つ・・・??」

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「瓜二つ・・・??」

昨日の南都和唱会で、元興寺の辻村泰源和尚とご一緒した

実は私は辻村和尚さまによく間違えられる。いつぞやなどは、薬師寺のK師に出会って、隣におられた奥様に「元興寺の辻村さんです・・・」と紹介されたことがあるほどだ...

とまあ、そういう話をすると、「いやいや、私もよく間違えられますよ。いつぞやなどは、新幹線で、田中利典さんですね、と声を掛けられましたし・・・」と切り替えされた。

学識ある辻村和尚に間違えられるのは光栄なことだが、私如きと一緒にされてしまうのは、いかにも辻村和尚には気の毒をしているなあと思っている。

めったいに行かない奈良の某所で、なんどか鉢合わせもしたことがあり、ご縁があるだけに、笑い事ではない話である。

で、昨日は懇親会でご一緒したので、ついでに自撮り写真を撮ってきた。見比べると全然違うのであるが、坊主頭、丸いメガネ、強烈な笑顔などなど、パーツとしては要素が一緒なのかもしれない。やっぱり違いがわかる髭があった方がよかったかなあ。

そんな昨日の写真です。

「紀伊山地の霊場と参詣道はグローバリゼーションとローカリズムが出会った聖地」

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昨日の得度式に上山以来、今日も吉野に滞在して、久しぶりに事務所でパソコンをたたいている。9/12の三井記念美術館の基調講演の資料作りの精を出した。ようやくパワポも完成した。

なかなかこういう時間が、金峯山寺を離れてからは取れないが、一日、事務所に据わっていると、ほかのこともしたくなる。

・・・というわけで、過去の講演録から、跋文して、掲載する。

****************

「紀伊山地の霊場と参詣道はグローバリゼーションとローカリズムが出会った聖地」

紀伊山地の霊場と参詣道というのは、グローバリゼーションとローカリズムが出会った聖地です。

仏教というのは今から一千四百年ほど前、正式には西暦五三八年とか五五二年といいますが、六世紀の半ばに正式に日本に伝わってきた。もちろんそれ以前から帰化人によって民間では伝えられてきた教えではありますが、ともかく外国から正式に仏教という宗教が入ってきた。この外国から入ってきた仏教という宗教は、実はグローバルな宗教なんです。

仏教はインドで生まれましたが、インドではもうほとんど残っていなくて、インド人の一パーセントも仏教徒ではなくなっていますが、そのインドからはじまった仏教は、南に伝わり、北に伝わりしながら、中国、韓国を経て日本、あるいはスリランカ、マレーシア、タイといった東アジアを中心に世界中に広がっていったといういわばグローバルな教えなんです。

この故に、イスラム教とキリスト教と並んで仏教は、世界宗教といわれます。そのグローバルな宗教が日本にやってきて神道と融合する。これを「神仏習合」といいますが、そういうことが起り、日本の精神文化の基礎を成すものになっていった。そして神道は神道で仏教の影響を受け、仏教は仏教で神道の影響を受けながら、まあ当初、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏との戦いがあったとはいえ、少なくとも一三〇〇年ぐらいは仲良く共存をしてきた。神仏習合、本地垂迹(ほんじすいじゃく)、いろんな考え方を生みながら日本人に定着をしてきたわけです。

それで、私のいる金峯山寺というお寺は修験道の聖地にあるお寺なんですけれども、修験道というのはまさにその仏教を父に、神道を母に生まれた、メイド・イン・ジャパンのローカルな宗教なんです。

仏教というグローバリゼーションが、日本にあった元々のローカルなものと融合して、日本人の宗教観を創ってきた証のようなものなのです。

家に神棚がある、仏壇がある。お正月は除夜の鐘を突いてから、本宮大社へお参りに行く。彼岸やお盆には高野山や故郷の墓参りに行く。子供が産まれると神社に宮参りに行く。結婚式は大概、神道かキリスト教で挙げる。暮れになるとクリスマスケーキを買ってキリストさんのお祝いもする。死んだらお坊さんを呼んで葬式をする。こうしてみると日本人は生まれてから死ぬまで、正月からクリスマスまで、いろんな宗教に関わって、それでも何ともないのが日本人なのであり、そういう宗教観を生んできたのが、まさに仏教のグローバリズムと、神道を持ってきたこの日本のローカルなものが融合してできてきた文化性なのである。

そういったものを千年以上にわたって守ってきた聖地がこの紀伊山地の三霊場なのです。少なくとも明治まではどこでも行われてきたことなのですが、明治に神仏分離、神様と仏様を別けるという大事件が起きて以来は、百四十年かけて、家の中に仏壇も神棚もなくなってしまうような社会になって、でもなお、まだこの地には道でつなげられた違う聖地同士が、お互いに影響を持ちながら現代の日本人の精神を支え続けている。ここに深い、深い、この聖地の意味があるのです。

ー2014.10.開催/ 紀伊山地三霊場フォーラム「紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録十年ーあらためてその魅力を考える」・田中利典基調講演「紀伊山地の聖地性とその魅力」より

「三井記念美術館<蔵王権現と修験の秘宝>特別展覧会講演会のお知らせ」

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来る9月12日に三井記念美術館で開催されている「蔵王権現と修験の秘宝」特別展の講演会に上京致します。まだ席に余裕はあるということですので、是非おいで下さい。

「三井記念美術館<蔵王権現と修験の秘宝>特別展覧会講演会のお知らせ」

■日時
9月12日(土) 14:00~16:30  

■講師
「金峯山寺と修験道」 講師:田中 利典氏(総本山金峯山寺長臈)
「蔵王権現像の誕生と展開」 講師:清水 眞澄(三井記念美術館館長)

■申込方法

1. 直接申し込み

三井記念美術館受付チケットカウンターにて、聴講料を添えて

2. FAXでの申し込み

講座日、氏名、住所、電話番号、FAX番号をご記入のうえ、 三井記念美術館運営部(03-5255-5818)まで
※FAXを送信されてから3日過ぎても当館より連絡がなかった場合、何らかのエラーでFAXが届いていない可能性があります。
その際はハローダイヤル(03-5777-8600)に代表番号をお問い合わせの上、ご連絡ください。

申込先着順にて受付、定員になり次第締め切らせていただきます。
聴講料は講演会中止以外、返金致しかねますのでご了承ください。

当日9月12日(土)は特別講演会が16:30に終了するため、三井記念美術館の開館時間を18:00まで延長いたします。
(ご入館いただけるのは17:30までとなりますのでご注意ください。)
特別講演会終了後はどうぞ「特別展 蔵王権現と修験の秘宝」をごゆっくりご鑑賞ください。
詳しくは以下をご参照下さい。

http://www.mitsui-museum.jp/event/lecture.html

『目の眼』10月号

東京行者講の急きょの閉鎖で、毎日へこたれた時間を過ごしていますが・・・。

それでも、世の中は動いているのですね。

さて、知友のある白洲信哉さんが編集長を務める『目の眼』10月号に、「蔵王権現と修験の秘宝」特別展覧会が特集して掲載されています。私も拙文を載せていただいています。

展覧会オープニング当日には白洲編集長もお出まし頂きました。 是非、お求めください。骨董専門誌なので、なかなか書店では探せませんが、展覧会場にも置いてあります。

http://menomeonline.com/

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