「紀伊山地の霊場と参詣道はグローバリゼーションとローカリズムが出会った聖地」
昨日の得度式に上山以来、今日も吉野に滞在して、久しぶりに事務所でパソコンをたたいている。9/12の三井記念美術館の基調講演の資料作りの精を出した。ようやくパワポも完成した。
なかなかこういう時間が、金峯山寺を離れてからは取れないが、一日、事務所に据わっていると、ほかのこともしたくなる。
・・・というわけで、過去の講演録から、跋文して、掲載する。
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「紀伊山地の霊場と参詣道はグローバリゼーションとローカリズムが出会った聖地」
紀伊山地の霊場と参詣道というのは、グローバリゼーションとローカリズムが出会った聖地です。
仏教というのは今から一千四百年ほど前、正式には西暦五三八年とか五五二年といいますが、六世紀の半ばに正式に日本に伝わってきた。もちろんそれ以前から帰化人によって民間では伝えられてきた教えではありますが、ともかく外国から正式に仏教という宗教が入ってきた。この外国から入ってきた仏教という宗教は、実はグローバルな宗教なんです。
仏教はインドで生まれましたが、インドではもうほとんど残っていなくて、インド人の一パーセントも仏教徒ではなくなっていますが、そのインドからはじまった仏教は、南に伝わり、北に伝わりしながら、中国、韓国を経て日本、あるいはスリランカ、マレーシア、タイといった東アジアを中心に世界中に広がっていったといういわばグローバルな教えなんです。
この故に、イスラム教とキリスト教と並んで仏教は、世界宗教といわれます。そのグローバルな宗教が日本にやってきて神道と融合する。これを「神仏習合」といいますが、そういうことが起り、日本の精神文化の基礎を成すものになっていった。そして神道は神道で仏教の影響を受け、仏教は仏教で神道の影響を受けながら、まあ当初、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏との戦いがあったとはいえ、少なくとも一三〇〇年ぐらいは仲良く共存をしてきた。神仏習合、本地垂迹(ほんじすいじゃく)、いろんな考え方を生みながら日本人に定着をしてきたわけです。
それで、私のいる金峯山寺というお寺は修験道の聖地にあるお寺なんですけれども、修験道というのはまさにその仏教を父に、神道を母に生まれた、メイド・イン・ジャパンのローカルな宗教なんです。
仏教というグローバリゼーションが、日本にあった元々のローカルなものと融合して、日本人の宗教観を創ってきた証のようなものなのです。
家に神棚がある、仏壇がある。お正月は除夜の鐘を突いてから、本宮大社へお参りに行く。彼岸やお盆には高野山や故郷の墓参りに行く。子供が産まれると神社に宮参りに行く。結婚式は大概、神道かキリスト教で挙げる。暮れになるとクリスマスケーキを買ってキリストさんのお祝いもする。死んだらお坊さんを呼んで葬式をする。こうしてみると日本人は生まれてから死ぬまで、正月からクリスマスまで、いろんな宗教に関わって、それでも何ともないのが日本人なのであり、そういう宗教観を生んできたのが、まさに仏教のグローバリズムと、神道を持ってきたこの日本のローカルなものが融合してできてきた文化性なのである。
そういったものを千年以上にわたって守ってきた聖地がこの紀伊山地の三霊場なのです。少なくとも明治まではどこでも行われてきたことなのですが、明治に神仏分離、神様と仏様を別けるという大事件が起きて以来は、百四十年かけて、家の中に仏壇も神棚もなくなってしまうような社会になって、でもなお、まだこの地には道でつなげられた違う聖地同士が、お互いに影響を持ちながら現代の日本人の精神を支え続けている。ここに深い、深い、この聖地の意味があるのです。
ー2014.10.開催/ 紀伊山地三霊場フォーラム「紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録十年ーあらためてその魅力を考える」・田中利典基調講演「紀伊山地の聖地性とその魅力」より
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