« 紀伊山地三霊場フォーラム「紀伊山地の霊場と参詣道で行じる(歩く)こととそこへ至る魅力」 | トップページ | 「女性と修験道」 »

「祈りの登山」

Photo

「祈りの登山」

今、世は空前絶後の登山ブームであるが、しかし、山伏の入峰修行と一般的な登山とは、根本的な違いがある。

明治以前、西洋的な近代登山を受け入れる前の日本は、須く、山は神仏や祖霊在す世界であり、畏れをもって仰ぎ見た。そしてその世界に入るということは、聖なるものに触れるという宗教意識に根ざした山登りであった。その日本人と日本文化の基層の部分に深く関ったのが修験道であり、神も仏も分け隔てをしない山伏的な宗教観なのだと筆者は思っている。

西洋の登山はキリスト教という一神教を基盤とした、神と人間との契約によって成り立ったものである。神によって創られし人間は、同じ神によってつくられた自然を、神の許しによっていかようにも切り取り、使うことが出来るとする。登山もまた、自然を人間が征服するという姿勢でしかない。

それに対して日本的な登山、修験道の山登りは自然を征服するのではなく、常に自然に対する畏敬の念を持ちつつ、山に入らせていただく、山を歩るかせていただくという意識なのである。それは冒険やスポーツ登山を生んだ西洋の山登りではなく、山の中に坐す、人間存在を越えた聖なるものに触れるという行為であり、聖なるものへの祈りの心を持った登拝行なのである。祈りの修行こそが、現代になお息づく修験信仰の真骨頂といえよう

ー『目の眼』10月号所収、田中利典述「現代修験道論私考」より

« 紀伊山地三霊場フォーラム「紀伊山地の霊場と参詣道で行じる(歩く)こととそこへ至る魅力」 | トップページ | 「女性と修験道」 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 紀伊山地三霊場フォーラム「紀伊山地の霊場と参詣道で行じる(歩く)こととそこへ至る魅力」 | トップページ | 「女性と修験道」 »

本・著作

最近のトラックバック

Twitter

  • Follow me
  • Twitter
    TwitterPowered by 119
2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ