「神仏分離以前の生き方・・・」
「神仏分離以前の生き方・・・」
ー田中利典著述を振り返る271030
霊性を培うものは人間を超えた聖なるものとの出会いを常に意識することであるし、日本人は聖と俗を行き来する中で生きてきた。その聖と俗を行き来する場として常に自然との関わりがあった。森があったり山があったり・・・。
そういうことを全部取り上げられてキリスト教社会がもってきた物と金の豊かさだけでやってきた。アメリカだって病んでいますが、とはいえ、ある種キリスト教社会の価値観で制御されているものがある。
ですけど、日本の場合、日本人を制御してきた霊性に訴えるような聖と俗を行き来する多神教的な中で培われた日本人の精神文化が壊れてくることによって、アメリカ以上にどうしようもなくなってきたと感じます。アメリカでさえああなっているわけですから…。
決してアメリカの真似をしても幸せになれないのに、もっと深いところで壊してきて、それに代わるものを用意してこなかった。いまもコミュニティを壊し、家制度を壊し、とことん壊してきて、それに代わるものを与えられてこなかったから、文化の伝承が途切れるし、伝承の中で営まれてきた人間の当然のことが損なわれる。自然からも隔絶され、神仏からも隔絶され、文化の伝承からも隔絶され、日本人はどこへ行こうとしているのか。いまどこにいるのかさえわからない。
で、最近、戦前の教育勅語のような、徴兵制度のようなものを取り戻せば日本はまた甦るとよく言われますが、教育勅語も前近代的なものを否定した上に出てきたもので、本当に頼るべきものは、近代以前の日本人の姿にこそあり、そういうものを見ていくことが大事だ。そういう意味で少なくとも近代以前、神仏分離以前の神仏習合を真面目にやってきたのは修験道だけです。
神仏分離以前のもの見ていく一つの観点に深い自然との関わりがある。キリスト教社会というは自然との関わりが下手な宗教で、日本人は自然との関わりの中で多神教的なものを育んできたわけですから。多神教のような多様なものを認めていって、そして共存していく、その智慧を再び取り戻すべきなのです。
ー仏教タイムス2005年3月掲載「対談:田中利典vs正木晃」より
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10年前の対談ですが、いまもおなじことをいろんなところでお話ししています。いや、いまこそ、ポスト近代としての、明治以前の価値観、いや、江戸期の日本人が細やかに生きてきた生き様を取り戻すときでしょう。
生活水準を江戸期に戻すことは出来なくても、生き方を学び直すことこそが、大事なのだと思います。
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コメント
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修験道…興味が湧いてきますね…
私は不整脈がありますから、もう、修験道の修行体験はできないでしょうが(TT)、せめて、また本を読みたいです。五條順教さんの本は、読んだことがあります。りてんさんの本、近々読ませて頂きます。
投稿: 豆しば | 2015年10月30日 (金) 13時30分