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「人生あおによし⑦⑧」

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「人生あおによし⑦⑧」
 ~田中利典著述集271113

⑦奥駈の1日(下)

奥駈の初日は夜9時に床に就きます。2日目は朝3時起床、4時に山上本堂前で勤行をし、弥山山頂を目指し出立します。3日目には大峯山系で最も高い1915メートルの八経ケ岳を登頂、晴れた日には360度さえぎるもののない絶景に歓喜します。釈迦ケ岳からは下りが続き、脚を痛める人も多く、私もひどい目にあった経験があります。前鬼山に至って3日目を終え、前半行が満行となります。長期の休みを取れない人を考慮するためです。

峻険な登り道にかかると、先達の号令で「さーんげさんげ、ろっこんしょうじょう!」という掛け念仏の大合唱が始まります。「さんげ」とは懺悔、六根清浄は眼耳鼻舌身意の感覚器官を清らかにするという意味です。一心不乱に声を出して体を前に進めるうちに、身も心も掛け念仏に同化していくのです。

後半の南奥駈道は、1日休んでバスで上北山村浦向まで移動し、ここからは女性の行者らも合流します。5日目は林道を使い行仙の山小屋まで直登して奥駈道に復帰します。6日目は上葛川から玉置神社、そして7日目には最終地熊野本宮に至ります。健脚組は夜半に玉置を出て山中を行きますが、別動組は下山してバスで本宮に入ります。

現代的にアレンジされてはいますが、千年以上前から続く荒行であることは間違いありません。

⑧奥駈で見えるもの

国土の大半を山が占める我が国では、山は古代から神仏や祖霊がいます世界と考えられ、畏れをもって仰ぎ見てきました。修験者にとって山は神仏の顕現であり、その聖なる世界に入って行ずるのが奥駈修行なのです。我が身の罪を懺悔して、神仏にひれ伏します。汗や脂が体から流れ出て、眼耳鼻舌身意の六根が聖なる山に浄化される実感を得るのです。現代風に言い換えれば、神仏によって「癒やされる」一時と言えます。

修験道はどこまでも実践の宗教です。先達曰く「足に豆が出来てもかばうと膝を痛めます。かばわず歩き続ければやがて痛みが快感に変わりますよ」。むちゃに聞こえる先達のそんな助言が本当のことだとわかるには、実践してみるしかないのです。

修験道の教義書の多くは、「本覚」という簡単に言えば人は本来的に悟っているという立場で書かれています。ところが煩悩悪業の塵によって心身が覆われているため、迷う凡夫に身をやつしているのだというのです。命がけの入峰修行によってその塵を振り払うのが修行の肝心です。

そう考えると、現在の簡便な山上参りが本義から形を変えていることが気になります。山上参りを何回したとか、奥駈を何度行じたとか、そんなことは問題ではないのです。いかに懺悔の心を持って行に臨めたか、それのみを問わなければならないと私は思います。

ー本稿は平成27年11月9日から29日まで、朝日 新聞奈良総局の「人生あおによし」で連載されたものを転載致しました。

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*写真は大峯奥駈修行を行じる行者一行です。

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コメント

はい。さんげの心と謙虚な心で生きていけるように心がけます。

懺悔の心・・・・
「さーんげさんげ、ろっこんしょうじょう!」・・・
登って足が震える位になった時にこれが出るんですね~。
頭が真っ白になっていく感覚わかります。。。
汗が目に入って辛いんですよね。。。
汗も滝みたいな物なのかなぁ。。。。

滝汗を掻くとなるとやっぱり山ですよね。
心がきれいになるってやっぱり滝汗しかないかな~と
私も感じます。。。

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