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「人生あおによし⑪⑫」

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「人生あおによし⑪⑫」
 ~田中利典著述集271115

⑪自然の脅威

天変地異が続きますね。先日噴火した御嶽山は役行者が開山したと伝わっています。火山性の微動が続く東北の蔵王山も金峯山寺の蔵王権現を勧請した由縁による呼称です。蔵王権現が自然の災いを鎮める力があると信じられ、修験道が荒ぶる自然と正面から祈りを通じて対峙してきたことの証左と言えるでしょう。

東日本大震災や福島の原発事故の後、しきりに「想定外」という言葉が使われていたのが気になりました。自然はもとより想定できるものではありません。日本は四季の豊かな国ですが、自然の恩恵と脅威は常に背中合わせです。地震や津波、噴火を人間は止めることができないのです。災害は脅威ですが、だからといって自然そのものに善悪があるのではなく、自然は常に「おのずからある」ものなののです。自分たちの勝手な物差しで自然を図ろうとせず、人間は自然の前で無力だということを忘れてはならないでしょう。

金峯山寺では東日本大震災後の1年間、地震が発生した午後2時46分に毎日鐘を突いて、これ以上の猛威を振るわないよう祈りを続けました。修験道の教えの根本には常に自然への畏怖の念があります。神仏に守られているという謙虚な自覚を持ち、発展のあり方を問い直し、自然との付き合いをもう一度見直すために、いまこそ、修験道が1300年にわたって蓄えてきた知恵を活かすときを迎えているといっていいのではないでしょうか。

⑫役行者

修験道の開祖は役小角、尊称して役行者と呼びます。飛鳥時代後期に大和・葛城山麓に住んだ山林行者です。空を飛んだとか、鬼神を使役したとか超人的な伝説が残っていますが、架空の人ではありません。続日本紀にも正しく名前が残っています。

その役行者が根本道場と定めたのが大峯山であり、開いたのが修行道が大峯奥駈道です。大峯の峰中には役行者が金剛蔵王権現を祈り出した霊地山上ケ岳をはじめ、役行者由緒の場所や伝承が数多く伝わっています。

遺訓と伝わるものに「身の苦によって心乱れざれば、証果自ずから至る」(役行者本記)という言葉があります。体の苦痛に屈せずに心を磨けば、自然に成果が得られるということでしょう。その究極は自らの心の高みを得ることです。山に入って修行に明け暮れ、滝に打たれて痛みを感じる。体で体験して精神を高めてゆく。その修行のありようは、実は万人向けのものです。実体感を失いつつある現代社会に大きな問いかけを与えてくれます。

肉体の快楽を求めすぎ、心のあり方が置き去りにされがちな文明社会にあって、実践性を重視する修験道は、大いに現代的な役割を感じます。精神と肉体の正常な関係は、自らの実践と体験の中でしか取り戻し得ないと私は考えています。そこが修験道の新しい使命と可能性なのです。

ー本稿は平成27年11月9日から29日まで、朝日 新聞奈良総局の「人生あおによし」で連載されたものを加筆転載致しました。

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連載も後半に突入・・・。まだまだ続きます。

*写真は役行者さま(金峯山寺蔵)。

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コメント

御嶽の噴火、私も何度か訪れた所だけにビックリしました。
人間もそうですが、山に住んでいる雷鳥が心配になりました。
人間が出来る事は人間の為に貴重種になった雷鳥の保護ですよね。

生かされている理由なんて誰もわからないんだろうけど
自分自身が死にたくない気持ちって体を痛めつけなければ
心の奥底からは分からないと私は思います。
特に山道に迷った時とかはほんと脂汗が出ます。。。
死にたくない気持ちで生きていて、また生かされている感謝をして
生きなければいけないという事が神仏様との接し方なのかな~と
思ったりします。

心のあり方、大切にします。
自分勝手な感情で心が乱れることをやめたいです・・・

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