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「人生あおによし③④」

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「人生あおによし③④」
 ~田中利典著述集271111

③高校時代と大学時代

高校は、父が懇意にしていただいていた金峯山修験本宗管長の五條順教猊下に薦められて滋賀県大津の延暦寺末・比叡山高校に進みました。そして夏休みには猊下の自坊・吉野山宿坊東南院で手伝いをし、修験者の方々と接する機会も増えました。そうした中で自分もこの道に進むことが少しずつ固まっていったように思います。

父は一度も跡を継げと言ったことはありませんでしたが、四柱推命の達人だったので、早くから私の行く末を見抜いていたのかもしれません。

私が高校を出るころには自宅を解体して、信者さんとともに新寺「林南院」を開きました。一代限りではなく、跡取りが出来たと思ったから自坊建立を発願したのでしょう。

高校に入ると周囲は天台宗末の檀家寺の跡取りが大半でした。在家主義の修験道を一段も二段も下に見る風潮があり、いらだちを覚えたものです。

確かに修験者の7割は専業のお坊さんというより、常は別の仕事を持っています。ですが資格を取ったら修行は終わりという檀家寺の僧侶も少なくない中で、山に入って修行を続ける修験者が宗教者として劣っていると思いません。むしろ檀家の相手ばかりで世間に目を向けない、生臭さな僧侶が多いのも事実です。

叡高を出た後は1年間、東南院で随身生活を送り、その後、京都の龍谷大学に進みました。学生時代は酒を飲んで酔っ払っては道ばたで寝たりして、高校や随身生活の不自由さから解き放たれて、あまり勉強もせず、自由奔放に過ごしました。ですが龍大は南都の僧侶のOB方が多く、その人脈は今でも様々な場面で役立っています。

④金峯山寺へ

大学卒業後に叡山学院専修科を出て、本山の金峯山寺に入寺し、機関誌担当の事務職を勤めることになりました。学生時代に、内側ばかりを向きがちな伝統仏教界のあり方に疑問を感じていましたが、同じことは金峯山寺でも言えました。

たとえば「一般公募」の修行会参加者募集は宗門の機関誌にしか載せられていませんでした。それでは信者さんしか読みません。すぐに宗教系の総合雑誌やホームページ、近鉄のチラシなどで告知をしたところ、大きな反響がありました。

金峯山寺や修験道のすばらしさを一般の人に伝えたいというのが私の思いです。どうすればよいか相談した方々に「薬師寺の高田好胤さんのような人が出ないとダメだ」と言われました。お寺の認知を弘めるのは人物が前に出て初めて周知されるのだということです。とても好胤さんのまねはできませんが、私は私なりにやれることをやっていこうとそれ以来努めています。

45歳で宗務総長の大役を仰せつかり、各地で講演する機会も増えました。私的なサイト「役行者ファン倶楽部」も早くに立ち上げ、今年は5冊目の拙著となる「修験道入門」(集英社新書)も出版しました。修験道の本当のすばらしさは体験しなければ分かりませんが、あらゆる手段で多くの人に知っていただく努力を続けていければと思っています。

  ~本稿は平成27年11月9日から29日まで、朝日新聞奈良総局の「人生あおによし」で連載されたものを一部加筆訂正して、転載して連載します。明日に続きます。

 
*1 写真は自坊林南院の全景
*2 今日から2日分づつ、掲載します。

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コメント

心が穏やかになりそうな、癒されそうな、すてきなお寺の雰囲気が伝わってきます(^^)

修験道のすばらしさは
やっぱり歩くのが好きな人から広めていくというのも?
いきなり一般人に興味を煽ってもハイキングが精一杯という人多そう。

お堂や磐座は登山人達には身近な存在だし。
山雑誌に寄稿などしていただけたらいいのになぁ。。。

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