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「今年一年を振り返り・・・」

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「今年一年を振り返り・・・」

年越し準備も大方すみ、年の暮れの墓参も終えて、あとは大晦日を待つばかり。もうすぐ年越しのお勤めをして、年越し蕎麦をたべて、零時からは元朝護摩となります。

今年は戦後70年の節目。昭和30年生まれの小生は還暦年でもありました。

沖縄には慰霊に2度訪れました。1度目は摩文仁の丘。2度目は白梅の塔と、ひめゆりの塔へのお参り。

また今月からは、硫黄島や南方戦線で散った英霊たちへの冷水供養も始めました。日本人として、改めて先の戦争について、思いを致さなければならない一年だったと思います。

まさに、戦後10年目に、この世に生を受けた小生(1955年8月生まれ)は、還暦を迎えました。

実は今年金峯山寺の役職を辞することは以前からわかっていたので、昨年の『修験道入門』を上梓したときに、大阪・東京・奈良・吉野で出版記念会を開催しましたが、あれは私にとって還暦祝いという趣旨がありました。役職を辞してからやるとあんなに沢山の方には(のべ350名余)来てもらえないので、現職中に、出版記念会の名目で、開催をしたのでした。たくさんの方に今までのご恩の御礼を言いたかったのです。

とはいえ、実際の還暦は今年です。幸い、家族で1回、京都・東京・博多・熊本・北海道と合計5回も知友の人々に祝っていただく会があり、赤いちゃんちゃんこも着せていただきました。

それから、なんと言っても、今年一番の私にとっての出来事は5月から50日間の蔵王供千願祈祷修行。多くの方の力添えで無事満行させていただきました。600名を越えるご縁をいただいたみなさまに心より御礼を申し上げます。

NHKの「こころの時代」への出演。私塾誇り塾開塾。東京行者講の平井道場移転。金峯山寺長臈職就任。権大僧正補任。一般社団法人自然環境文化推進機構設立など、ほかにもたくさんのことにも出会わせていただきました。

還暦を迎え、一度リセットされて、また新たな形での「修験道ルネッサンス」を推し進めていきたいと思っています。

今年一年を振り返り、感謝を込めて・・・。

*写真は還暦祝いに作っていただいたワイン。

「神仏習合」ー今年最後の、田中利典著述集を振り返る271229

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「神仏習合」
 ー今年最後の、田中利典著述集を振り返る271229

いま、ある段階から、山には、神や祖霊だけでなく、仏もいるようになったと述べた。このことについて、説明しておこう。

六世紀に初めて仏教が日本に伝えられたとき、当時の人々は、仏を異国の新しい神と考えたらしい。『日本書紀』などでは、「蕃神」と書かれている。

いつの時代でも、新しいモノに対して反対する人が必ずいる。仏教が伝えられたときも、そうだった。日本にはちゃんと昔から神さまがいるのだから、仏とかいう異国の新しい神などいらないと、いちゃもんを付けた。有名な聖徳太子の時代には、仏を祀るかどうかをめぐって、戦争になったことさえあった。

しかし、そうこうするうちに、もともと日本にいた神々と、外国から入ってきた仏たちは、ひじょうに仲良くなってしまった。奈良時代の終わりから平安時代の初め頃には、神々と仏たちはハネムーン状態になって、仲睦まじく暮らすことになった。もちろん、ときには夫婦喧嘩もあったけれど、明治維新までの一一〇〇年間は、平穏な暮らしがずっと続いてきた。

神々と仏たちのハネムーン状態が実現したのは、ある考え方のおかげだった。その考え方というのが、「神仏習合」だ。

「習合」というのは、「二つのモノがじつは同じモノ」ということを意味する。英語では、シンクレティズム syncretismという。直訳すると、「融合」だ。

したがって、「神仏習合」は、神と仏が融合しているという意味になる。日本の歴史や宗教に沿ってもう少し具体的にいうと、日本の神々はインドの仏たちが、日本の実情に合わせて、神々の姿をとってこの世に現れたものだ、という意味になる。多少むずかしくいえば、神も仏も本質は同じで、両者ともに日本列島に住む人々を救済するために働いていることになる。

だから、神々をあがめることと、仏たちをあがめることとは、同じことなのだ。

たとえば、伊勢神宮が祀る天照大神は、仏教の大日如来が日本の実情に合わせて現れたものになる。同じように、熊野の本宮は阿弥陀如来、新宮は薬師如来、那智大社は観音菩薩。奈良の三輪山の神は地蔵菩薩。京都の祇園の八坂神社に祀られている牛頭天王=素戔嗚尊は薬師如来・・・・・・・・。こういうぐあいに、日本中の神々に仏たちが配当された。

この考え方が大成功したのは、どちらか一方がもう一方を強制的に排除してしまわなかったからだ。もし、どちらかが強制的に排除されたりしたら、排除されたほうには恨みばかりが残ってしまう。

かつてキリスト教は自分たちだけが絶対に正しいと主張して、ほとんど暴力的に相手を排除してしまった。その結果、恨みつらみがどんどん積み重なっていって、ヴォルデモートみたいな、とてつもなく悪い魔法使いが生まれてしまったのだ。

私たち日本人のご先祖たちは、そんなバカなことはしなかった。神々も仏たちも、両方が楽しく暮らせる道を選んだ。それが神仏習合だった。そして、その神仏習合をになってきたのが山伏たちであり、修験道だったのだ。

 ー『はじめての修験道』(田中利典・正木晃共著/2004年春秋社刊)「第1章 修験道とはなにか」より
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*写真は金峯山寺所蔵(旧安禅寺本尊蔵王権現像)

「金峯山寺とは?」 ~田中利典著述集271226

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「金峯山寺とは?」 
 ~田中利典著述集271227

奈良・大和路には日本を代表する古社寺が数多くあります。東大寺、春日大社、興福寺、唐招提寺、薬師寺、法隆寺、西大寺、、大安寺、石上神宮、大三輪神社・・・。枚挙に暇がありませんが、奥大和・吉野山にある金峯山寺もそれら名刹古社寺の一つであります。

私は金峯山寺を紹介するときに、いつもこういう言い方をしています。

「日本最古の寺、斑鳩にある法隆寺さん(創建六〇七年)よりも新しいお寺ですが、大仏さまが祀られる奈良の東大寺さん(創建七四五年)より、ちょっと古い寺です」と。

寺伝によれば、修験道の開祖役行者(六三四~七〇一)によって金峯山寺は創建されたと伝えています。であるからして、聖徳太子(五七四~六二二)の創建による法隆寺よりも新しく、聖武天皇(七〇一~七五六)勅願により創建された東大寺よりは古い、ということになるのです。

ところで、金峯山寺はそういった奈良の古社寺を代表する寺院という顔より、更に大きな意味合いを持つ寺であります。それは 日本独特の宗教・修験道発祥の寺といっても過言ではない位置づけを持っていることであります。修験道とは、日本古来の山岳信仰に、神道や外来の仏教、道教、陰陽道などが習合して成立した我が国固有の民俗宗教と解説されますが、その修験道の中で、もっとも大きな由緒を持つ寺なのです。

 ー平成27年8月開催・ 特別展「蔵王権現と修験の秘宝」展覧会図録掲載の拙稿「金峯山寺と修験道」より

「夫婦の情景(3)」 ~田中利典著述集271223

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「夫婦の情景(3)」
 ~田中利典著述集271223

昨日、一昨日の続き・・・いよいよ最終回です。

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(3)

苦行を終え、夫は総本山の仕事に駆り出されることが多くなった。

妻「金峯山寺から月に1週間でも10日でもいいからと言われるようになって。私は最初、『1週間か10日だけやで』と言っていたのに、いつの間にか半月になって、今はほとんどこっち」

夫「単身赴任13年目になりました。実はうちのお袋も奈良出身なんです。うちは奈良にはえらいご縁があって。弟は吉野山の東南院に養子に入りました。奈良の人が綾部を守り、綾部の者が吉野にいる」

昨年7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録され、金峯山寺の参拝者は数倍に増えた。夫は「修験道ルネサンス」を提唱し、秘仏とされてきた金剛蔵王権現像の特別開帳にも踏み切った(今年6月末まで)。

◆神と仏と

夫「99年末に日光の社寺が世界遺産登録されました。山岳信仰ではうちが本家やないか、日光は分家やないか、という気持ちがあったんです。吉野町の役人に聞くと、『和歌山が動いている。和歌山だけ先に認められるとうちは認められん』と。それで急いで奈良県に働きかけて、和歌山、奈良、三重の三県あげての活動に発展しました」

妻「中国の蘇州であったユネスコの会議でみんなが真剣に話し合っているのを見て、すごいなと思って」

夫「明治維新で日本人の精神文化だった神仏習合は壊されました。日本人はお宮参りをしたり、仏前でお葬式をしたり、クリスマスを祝ったりしているのに、みんな自分は無宗教と思っている。でも、そんなことはない。日本には雑多で多神教的な世界観があるんです。1300年の歴史を持つ修験道は、神と仏が融合した日本独自の信仰です。今の世界はひとつの価値観でくくろうとするから、キリスト教やイスラム教の『文明の衝突』が起きる。日本人は今こそ、その多様性を自信をもって世界に発信していけるはずです」

妻「世界遺産になったから終わりではなくて、それをこの先どう守っていくかだと思うんです。確かに観光客は増えましたが、さっきまで拝んでいた人がタバコをポイ捨てする姿も見かけました。いろんな人が来る中でどう守っていくか。それが主人の仕事かなと思います」

昨年はもうひとつおめでたいことがあった。4人目の子、宏宜くんの誕生だ。

妻「昔は綾部に帰れば家のパパさんでした。でも、パソコンや携帯ができてからは家でもパソコンの前に座ってばかり。寂しいですよお。体は家にあっても、心はパソコンによって本山に引き戻されている」

夫「……」

妻「上の子供たちが思春期になって会話がなくなっていたんです。子供がもうひとりできれば心は満たされるかなと思って。宏宜を授かり子供たちが優しくなった。家族がひとつの部屋でいることも増えました。パパさんもその場にいてほしいんですよ。

妻「主人はよく金峯山寺を何とかしよう、日本や世界を何とかしようと言います。『田中家の平和が世界の平和に通じると違うん?』と言っても、『僕はそんな小さな人間ではない』と言うし」

夫「田中家を一生懸命する人は、日本や世界のことを心配せん。日本や世界のことを心配すると、田中家のことは二の次になる」

妻「日本や世界を何とかしようと思っている人は何人もいると思いますよ。でもね、田中家を何とかするのはあんただけやねんと言うと、笑ってごまかすだけ」

夫「安心しとき。世界遺産の次、今は何もしたいと思ってないから。ま、日本を何とかしたいとは思っているけど」

~『週刊朝日』2005-06-17号(朝日新聞社)「夫婦の情景」 から

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*写真は11年前に登録された世界遺産吉野山の全景。

ちなみに第一回で書いた中島史子女史に馬鹿受けした文章は「「日本や世界を何とかしようと思っている人は何人もいると思いますよ。でもね、田中家を何とかするのはあんただけやねん・・・」という家内の言葉。世の女性の核心を表していると言っておられました。

なんだか読み返してみるとおのろけみたいな記事かもしれないが、思えば恒に脚光を浴びるのは私で、その裏で支えてくれている家族や妻が表に出ることはあまりない。そういう意味では10年前に、この取材を受けたのは妻への私なりの感謝の気持ちでもあった。

この時は単身赴任13年目だったが、その後、今年まで更に10年単身赴任が続くことになる。23年間の単身赴任生活であった。そしてその間ずっと家族には迷惑を掛けてきたのである。

実は今だからいえるエピソードがあるのだが、この取材のオファーがあったのは、夫婦で大げんかをして、もう別かれようかと言うくらいの勢いでもめている最中だった。そんな時だから、妻に取材の依頼があった話はなかなか言い出しにくかったが、二人で受ける取材だから、聞かないわけにはいかず、しぶしぶ聞いたら、その返事が振るっていた。

「掲載された頃に別かれていてもいいなら受けてあげる!」という返事。その旨を記者に伝えると、「ああ、いいですよ。今までも、取材した後に離婚した夫婦はありますから・・・」という返答。すごい話である。

でも取材してくれてありがとうござました。馬場さん(朝日の取材してくれた担当者です)。いい思い出になりました。

「夫婦の情景(2)」

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「夫婦の情景(2)」
 ~田中利典著述集271221

昨日の続きです。

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(2)

京都・綾部に生まれた夫が奥駆修行に初めて参加したのは5歳のとき。山伏の父親に連れていかれた。

◆女人禁制
夫「在家でありながら修行するのが山伏の本分。親父は国鉄に勤めながら修行していました。綾部はもともと行者信仰が厚いところで。昔はもっと厳格で、家族のものも精進していました。親父は、着々と私がこの道を歩むようにしていったのだと思います」

妻「私も行きたいなと思いますよ。ひざも悪いし、若いうちに行きたいなという気持ちはあります。小学校の林間学校でも、大峯山に登ったのは男子だけでした。女も入らせてくださいと毎年訴えにこられる人の意見も同姓としてわかる。女人禁制を守っている人たちの意見もわかる」

夫「女人禁制によって大峯山の非日常性、聖地性が高められてきたのは間違いありません。ただし、女人禁制自体は信仰ではない。大切なのは、今の時代に禁制を堅持することが、大峯山の信仰を守っていくのに大事かどうかです。これは、信仰にかかわっている宗教者たちが問い直すべき問題だと思います。ジェンダーフリーの人たちが、人権問題として開けろと主張する問題ではありません。そんなことをしたら先人たちに申し訳ない」

妻「家でも議論したこともありますが、私が『開けたら』といって、主人が『開けるわ』という問題でもないんです」

夫は大学卒業後、金峯山寺に勤めた。吉野山にある東南院の宿坊でアルバイトしていた妻と出会ったとき、妻は高校生だった。

夫「かわいらしいなと思って……」

妻「お坊さんの格好していたら、だれも彼も同じに見えますやん。違いは、眼鏡をかけているか、いないかだけ(笑い)。部屋を準備していたときに主人に文句をつけられたことがあって。30歳を超えて結婚してはるんやないかと思ってました。私は専門学校を卒業したあと、金峯山寺の事務をするようになって」

夫「ぼくが一生懸命口説きました」

妻「最初は断ったんですよ。私は軽井沢の教会でウエディングドレスを着て、馬車に乗って結婚するのが夢でした。そしたら、『前代未聞だけど、東南院でウエディングドレスを着させてあげるから』と言われて」

夫「ウエディングドレス買いましてん(笑い)。東南院で赤い毛氈を引いたのは、私たちの結婚式が初めてでした」

ほどなく、夫妻は吉野を離れ、夫の父が建てた綾部の寺に移った。夫は93年夏、護摩堂に120日間こもって護摩を焚き続ける修行「一千座護摩供」に挑んだ。夏場は堂内温度が60度を超える。金峯山寺関係寺院では戦後初の苦行だった。

◆五穀断ち
夫「普段は坊さんかどうかわからんような生活なんで、日常を離れ、大きく期間を定めて修行したいという気持ちが時折、私のなかで生まれるんです」

妻「朝2時に起きて、1日9回護摩焚きをするんですよ。おばあちゃんと私は5時に起きて、精進料理を作りました。寝食も別で、夫婦の会話は『おはよう、こんにちは、おやすみ』くらい。主人はいつもイライラしていて、『余計なことはわずらわしいので聞かすな』『気が散るから子供も外で遊ばすな』と言って。いちばん上のお姉ちゃんはまだ幼稚園で、パパさんを怖がっていたんですよ」

夫「髭がすごく伸びていて……。家族に負担をかけました。最後は五穀(米、麦、大豆、小豆、胡麻)断ちをしたんであまり手はかからなかったと思うけど」

妻「いや、そのほうが大変ですよ。おそば屋さんにそば粉をわけてもらって、それを練ったものをお湯のなかに落として。野菜は苦いですから、主人に内緒で塩もみして、何回も水でさらって、塩気がないようにして渡しました」

夫「五穀と塩を断つと、体が浮くような気がしました。体重が79キロから64キロに落ちて、飛ぶんと違うかなと思った(笑い)。でも、実は修行で得たものはあまりないんです。むしろ修行しても何にもならないとわかったことに意味がありました」

妻「……。あんなに苦労した4カ月間なのに、何も得たものがなかったの」

夫「髭をしばらくそのままにしておこうと思ったんですが、お世話になった和尚から『行で得たものは捨てなさい』と言われ、さっぱり剃りました。そういうのを残しておくと、いつまでも『俺は行をやり遂げたんだ』と肩に力が入ってしまうんです。得たものははなかったけど、捨てたことは良かった」

~『週刊朝日』2005-06-17号(朝日新聞社)「夫婦の情景」 から

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写真はこの記事が掲載されたときの、「週刊朝日」表紙です。なぜかパフィです。若いですねえ・・・。

「夫婦の情景(全3回)」~田中利典著述集27120

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「夫婦の情景(全3回)」
 ~田中利典著述集27120

今日から3回連続で、「週刊朝日」に掲載されたシリーズ「夫婦の情景」での私達夫婦の回をご紹介します(実は3年前にも一度、BLOGで紹介しました)。これはもう10年以上前の記事で、毎週連載されていたこの「夫婦の情景」というコラムも今はすでに消滅しています。ちなみに私たちの前の週はなんとあの大鵬幸喜ご夫婦でした。巨人・大鵬・卵焼きに並んだ、田中夫婦なのでした。(笑)

知友の文筆家中島史子氏をして「この一冊の本の中で、読むべき価値が一番あったのは、当欄の奥様の最後の一言」と言わしめた掲載でした。期待して、最後までお読み下さい。

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「夫婦の情景」
 田中利典(49) ・ 田中周子(39)

(1)

幾重にも重なる山々にこだまする法螺貝の音が、山伏の季節が到来したことを告げている。紀伊半島の霊峰大峯山脈を尾根づたいに行く「大峯奥駆道」は、吉野山に始まる。山伏である夫は、この修行の道を世界文化遺産に登録させた仕掛け人だった。霊域と世俗を行き来する夫と、彼を支える妻に会いに、修験道の聖地・吉野山を訪ねた。

春くれて 人ちりぬめり 吉野山||西行法師がそう詠んだように、奈良の吉野山は観桜の季節が終わり、ひっそりと静まりかえっていた。新緑の山々に、ウグイスの鳴き声が一際大きく響く。遠くから法螺貝の音が近づき、国宝の蔵王堂を擁する修験本宗の総本山・金峯山寺の境内に、山伏の隊列が入ってきた。

妻「私は吉野で生まれ育ちました。4月は花見客で混雑しますが、それが終わると、今度は鈴の音が聞こえてくる。大峯山の山開きは5月から9月です。山伏の姿を見かけると、夏が来たなと……。まさか、自分が山伏と結婚するとは思いもしませんでした」

妻と1歳になったばかりの三男宏宜くんが見守るなかで、護摩焚きが始まった。山伏たちの読経と太鼓の音が徐々にボルテージを上げ、竜が天に昇るように白い煙がうねりながら上昇していく。護摩木の組み方に秘訣があるのか。それとも、加持祈祷が天に通じているのか。

◆奥駆病

夫「お坊さんになっていろんな儀式をしましたけれど、外でやる護摩ほどダイナミックな宗教儀礼はありません。お堂のなかでどんな立派なお経を読んでもよく見えないでしょ。護摩はみんなが四方から取り囲むなかで煙が上がる」

妻「檜葉のパチパチという音がいいですよね」

吉野山から熊野本宮大社(和歌山県本宮町)まで続く修行の道・大峯奥駆道は昨年、ユネスコ世界文化遺産に登録された。夫は登録活動の先頭に立った。毎夏、自ら山伏の衣装をまとい、紀伊半島を背骨のように貫く霊峰大峯山脈を尾根づたいに170キロにわたって七泊八日で歩く奥駆修行をしている。聖地中の聖地である大峯山山上ケ岳(標高一七一九メートル)は今なお、女人禁制が守られている。

妻「朝2時、3時から12時間以上、山道をずっと歩くんですよね。雨が降っても汗をかいても、毎日洗えるわけでもない。干しても生乾きの状態で、臭いし、汚いし、しんどいのにね」

夫「山伏は、山に入ってこそ山伏です。奥駆修行をすると、一度死んで生まれ変わると言われている。大峯山には何もありません。非日常の世界です。都会生活で自分自身を失った人たちが山でヘロヘロになって修行し、自分をリセットして蘇生して帰っていく。二度と行きたくないほど疲れるんですけど、二度と来るかと怒って帰った人ほど、またやって来る」

妻「それを主人たちは『奥駆病』と呼んでいるんですよ。女の私には全然分からない」

夫「現代社会で人々は自分を失っています。会社にも地域にも家族にもどこにも帰属していないでしょ。日本人は、神も仏も人間も自然の営みのなかにあり、自然そのものであるという信仰を持ってきました。自然のなかに入ってヘロヘロになることで、自分は自然の一部であると再認識できるんです」

妻「年末に宏宜を連れて山登りに行ったんですが、主人は『山に行くと血が騒ぐ』と言って、宏宜をだっこしているのにすぐ姿が見えなくなるんですよ。夫婦で山登りしているのに、『体が覚えている』と言ってホイホイ先に行ってしまう」

~『週刊朝日』2005-06-17号(朝日新聞社)「夫婦の情景」 から

「目を覚ます」

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「目を覚めます」

北海道からの帰りの飛行機で、青山繁晴さんの『ぼくらの祖国』(扶桑社新書)を読破した。読みながら、涙が出て仕方なかった。周囲の席に座った人に、気持ち悪がられるのではないかと心配するほど、泣きながら、読んだのである。

被災直後の東北、福島第一原発事故現場、東電の社員、吉田所長、南三陸の遠藤未希さん・三浦毅さん、沖縄本島白梅の塔のお話などなど・・・。とりわけ硫黄島の英霊たちの遺骨の件では涙があふれて仕方がなかった。青山さんも文中で書いているが、私も同様に、戦後70年を経て、硫黄島のことなどほとんど知らないまま、忘れ去って、生きて来た。いや、そのことをとても恥じる思いで一杯になった。

昨日から、朝の勤行のあと、南に向かって、冷たいお水をお供えし、硫黄島をはじめ、南方戦線で祖国のために命を亡くした英霊達に、感謝の念を捧げ、慰霊のお祈りを始めている。

『ぼくらの祖国』(扶桑社新書)は日本人なら絶対に読むべきである。いや、中学生の必読書に指定して、読ますべきとさえ思う。「祖国」という概念を教えてこなかった戦後日本の教育だからこそ、この本を通じて、目を覚ましてほしいと思う。

実は私が「祖国」に目が覚めたのは、チベットのラサの地に立ったときだった。ポタラ宮を訪れ、「祖国」を亡くした民族の悲哀をいやと言うほど味わった。自分の国を亡くした民族は、かくも悲惨な道を歩むのだと、漢族に土足で蹂躙されているダライラマ法王宮の現状に立ち尽くしたのであった。

遺骨収集の活動に、過去、それほど心が動かなかったが、それを本当に恥じている。戦後教育の災禍を身を以て、実感した『ぼくらの祖国』であった。

是非、まだ読んでない方は、手にして欲しい。

『ぼくらの祖国』

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「ともに歩む修行」

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「ともに歩む修行」
 ~田中利典著述集271217

奥駈修行のもうひとつの大きなポイントは、一人ではなく数十人で全行程を歩き抜く醍醐味だと思います。

いちばんのリーダー・大先達や、サブリーダーの奉行をはじめとする熟練者の指導のもと、一人一人が、まさに「行」として決められたとおりに岩場を登り、掛け声をかける、一団となっての経験行なのです。

誰か一人でもペースを乱すようなことがあれば、全体に影響します。しかも、命の危険と隣り合わせの状況下です。それをやり遂げることで、奥駈修行参加者は「一人では生きられないということを痛感した」「みんなのおかげでやり抜くことができた」と、心の底から実感するのです。

なんでも便利になって利己的な個人主義になってしまった現代社会で、このような心の底からの連帯感を感じる経験というのは、希少になってしまっています。だからといって、過酷な状況、たとえば災害とか事件などに巻き込まれてまであえてそれらを体験するなどということは、意味がありません。やはり、修験道だからこそ、修行だからこそいいのです。

  ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より

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*写真は大峯奥駈修行の峯中を行ずる行者たち。

「懺悔して身心を正常にする」

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「懺悔して身心を正常にする」
 ~田中利典著述集271216

入峰修行では、修行者は声を合わせて山坂に来るたびに「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら足を進めます。

体の芯から声を出していきます。声を出して歩いていくことで、次第に余計なことが消えていき、なにも考えられなくなります。頭も空っぽになっていくのです。

「懺悔」は「さんげ」と仏教では読みます。キリスト教の「懺悔」とは、同じ字句ですが、仏典には「ただ懺悔の力のみ、よく積罪を滅す」と示されています。

「あらたむるにおそきことなし」です。生きていくとは、二度と履み行うまいと、仏の前に頭を垂れなければならないことのいかに多いことか、そのことに気づかされます。山を歩いていると、まことに懺悔懺悔の連続なのです。このように、身をもって懺悔し、自己を見つめていくことが、すなわち身心を清浄にしていくことになるのです。

私は、そもそも懺悔こそが宗教心の基本ではないかと思います。罪悪深重のおのれに目覚めることこそが、慈悲の心をつちかい、広く人々の幸せを願う生き方になるのだと思います。それを身体から実感させていただく入峰修行は、まことにありがたいと感じます。

  ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より

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*写真は大峯奥駈修行の峯中を行ずるくたくたの筆者と行者たち。

「修行は口伝重視」

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「修行は口伝重視」
 ~田中利典著述集271210

奥駈の手順などはもちろん、修験道にはいろいろなしきたり、法具など、密教の流れをくむ教えがあります。それらはすべて先輩たちからの口伝によって受け継がれてきました。いまでは、最低限の心得などはテキスト化していますが、やはり口伝を重視しています。

修験道は、密教の師資相承(師から弟子に口伝えで教えていくこと)の流れをくみ、また、体験主義でもあります。教義書のようなものができる以前に、切り紙という小さな紙に、その境地に達した人へ秘法を伝えた伝統があります。そういう意味で、いまでも口伝を大事にしています。文字だけでわかるように教義書を用意するのではなく、実際に先達たちと山に入って体験的に覚えていくやり方を大切にしているのです。

私自身、いまでこそ講演もすれば、人前でいろいろ話しますが、もともとは法話のようなことはとても苦手でした。しかし大峯奥駈修行中に夜の集会(ミーティング)などで話すときは、ひじょうに話しやすいと感じたものです。それは、みんなが一日、同じ場で体験を共有しているからなのです。共有体験があるところとないところでは、同じように仏教や修験の教えについて語っても、伝わり方がちがいます。

奥駈の夜の集会で「今日も一日、仏様によって歩かせていただいた一日でしたね」と言うと、「そうか、うん、そうだ。自らの力で歩いたと思ったけれど、仏様やいろいろなものたちの力に助けられて歩いた一日だったなあ」と、聞く側もすっと腑に落ちます。それは共有体験があるからこその理解です。そういう、直接伝わっていく、心で理解していくことを修験道では重視しています。

 ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より
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*写真は大峯奥駈修行の峯中・釈迦ケ岳山頂での勤行。

カツヤマサヒコshowに出演!

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昨日は神戸のサンテレビ「カツヤマサヒコshow」という番組収録に行ってきました。

自宅を8時半に出発。9時に福知山から高速バスに乗って、三宮へ。ここで、随行してくれる神戸のお弟子さんKさんと合流して、サンテレビへ。車寄せではスタッフが待っていてくれました。

約束の10時40分にスタジオ入り。
制作局の方やデレクターさん、アシスタントの榎木麻衣さん(テレビで見るより、はるかに可愛い!)やら6名ほどのスタッフのみなさんと挨拶を交わし、ほどなく、メイク室へ。

今年4月のEテレ「こころの時代」をはじめ、今まで100回以上テレビには出ましたが、ほとんどは金峯山寺の紹介番組や吉野での撮影だったので、スタジオ撮影はNHK奈良での「ならなび」出演以来、2度目。NHKではメイクはなかったので、初メイクでした。ま、ファンデーションを塗るくらいの簡単なものでしたけど。

メイクの途中、勝谷誠彦さんが挨拶にきてくれました。
実は面識もなく初対面ですが、メイク中なので、「あ、どうも」っていう程度。

収録は11時半から。
すでにアシスタントの榎木さんもメーンキャストの勝谷さんもスタンバイ中。さっそく、ちょっとだけ記念写真と、入室の段取りだけきいて、なんと即本番。

緊張はしていないのですが、大した打ち合わせもなかったので、かなり戸惑うまま、向こうのペースに身を任せてトークを開始。

・・・・で、あっという間に、約50分の収録が終わりました。

修験道の話が中心だったのですが、途中から縄文時代の再評価だとか、神仏分離のこととか、山窩の話とか、六波羅蜜や量子力学の話とか、もうあっちこっちに話が弾んだ感じで、内心、こんなのでいいのかなあと思いつつ、やや不完全燃焼気味で終わりました。

勝谷さんとはいい感じで話は出来たとは思いますが・・・。辛口のコメントで有名な方ですが、案外、優しく接していただいて、戸惑いはあったものの、終始、楽しくお話は出来ました。

まあ、制作局の方から、大OKをもらって、あとは編集にお任せして、約2時間のサンテレビ滞在は終わりました。ちなみにトークの中身の放送は約35分くらいはあるそうです。

勝谷さんは私の本を読み込んでおられて、特に昨年出した『修験道入門ー体を使って心をおさめる』(集英社新書)がお気に入りで、出演依頼をしていただいたようでした。

そのあとは夕方まで、ヒートダウンのため、随行のKさんに飲み会を付き合ってもらって、6時のバスで帰ってきました。

なお番組の放送は来年1月30日午後11時半から0時半まで。

サンテレビのほか、なぜかテレビ熊本でも放送されています。テレビ熊本の放送日は毎週日曜の25時40分から。ただし、今回の放送はいつなのか、サンテレビの方もご存じなかったのには驚きました。それと、MXテレビでの放送はもう終わったとも聞きました。残念。

制作局の方からは、本当は放送局としては困るのです・・・と言われましたが、実は毎回、YouTubeで流れています。著作権侵害で消される前にみないと、見れなくなります(でも大体の回はいまでも見られますけど・・・)。いづれにしろ、1月30日の放送日以後にしか、アップされません。そりゃあそうだけどね。

アップされたらまたお知らせします。ご期待下さい。

「カツヤマサヒコshow」の公式サイト
  ↓
http://sun-tv.co.jp/katuya/

追伸 勝谷さんが、収録の後に、「青年会かなにかで、呼んでくれたら、もっといろいろお話しましょう」と言ってくれました。「勝谷さん、高そうだから・・・」というと、「大丈夫ですよ」というお返事だったので、今日の不完全燃焼分を、いつか、リベンジしたいですね。

「奥駈修行で即今只今を実感」

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「奥駈修行で即今只今を実感」
 ~田中利典プチ著述集271208

大峯峰中は平坦な道はほとんどありません。一歩を踏みちがえれば、滑落するような危険な場所が多く、奥駈はまさに命がけの修行です。

山伏は山中に寝起きしながら、大自然たるご本尊に抱かれて、「即今只今」を修行するのです。

「即今只今」とは、難しいことではありません。私たちは、実のところこの瞬間にしか生きていないのです。過去も未来もありません。まさにこの瞬間、そしてここ。その自分のありようを身体を通してつかんでいくのです。命がけで行じるからこそ生まれる実感なのです。

大峯山では、役行者による蔵王権現感得の聖地・山上ヶ岳(山上本堂)へ登拝修行する「山上参り」と呼ばれる修行と、吉野から熊野まで(あるいは熊野から吉野まで)の大峯山脈を修行する「大峯奥駈修行」が有名です。

この大峯の奥駈道は幸いにして、今もなお神仏まします大峯曼荼羅としての独特の風格を失ってはいません。その環境と荘厳を大切にすることは、修験道の伝統を守ることでもあります。

古来、山自体が曼荼羅として尊崇されてきた霊山に入り、山の霊気を全身に浴びて、大自然の中に心を遊ばせる。それは、身心ともに疲弊している現代の人々にとっても実に大切なことだと思います。

大峯山は、吉野川柳の渡しから熊野の音無川(本宮大社の畔)に至る連なった山脈の総称です。その峯中には、七十五の行所(礼拝所・修行場)があります。

その行所は役行者以来、「靡」と呼ばれた聖なる場所であり、修験者はここにおいて祈りを捧げながら修行をしていくのです。約九十キロの大峯山脈の稜線を駆ける道です。

第一番目の吉野川「柳の渡し」から始まり、第七十五番目の「熊野音無川」で結願となります(熊野から入る順峰では番号は逆になります)。

峰中には山上ヶ岳、大普賢岳、行者還岳、弥山、八経ヶ岳、仏生岳、孔雀岳、釈迦ヶ岳、大日岳、行仙岳、笠捨山、玉置山など一〇〇〇メートルから一九〇〇メートルまでの高い峰が連なり、仏の名を冠した山岳の曼荼羅世界を作り上げています。

諸仏諸菩薩のまします御山としての神々しい雰囲気につつまれ、高く低く連なるさまは、まさに曼荼羅界(浄土)です。この山脈は吉野熊野国立公園の中枢部にあたり、縦走では山岳美、岩石美、森林美の粋をパノラマのように見せてくれます。

 ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より
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*写真は大峯奥駈修行の峯中の山容。雲が美しい・・。

「カツヤマサヒコvs田中利典」

「カツヤマサヒコvs田中利典」

10月に、サンテレビの「カツヤマサヒコshow」という番組から、出演依頼が来た。

サンテレビは神戸の地方局で、私の住む(住んでいた?)奈良や、現住所の京都では放送がなされていない。で、どんな番組か知らなかったので、過去の放送分を送っていただいた。「鈴木宗男編」「堀江貴文編」「倉山満編」が送られてきたが、どれもものすごく面白かった。とりわけ「倉山満編」はサイコーだった。

番組60分のうち、途中で、美味しい食べ物屋さんの紹介コーナーがあるが、ほぼ全編が、お酒を飲みながらの、ゲストと勝谷さんとの居酒屋トークである。ググると、YouTubeで、ほぼ全作品はアップされていることもわかった。

過去におぼーさんも2人ほど、出演されていて、それも後から見た。

勝谷氏とは実は面識もない。なぜ私に出演オファーがきたのか、さっぱりわからないが、勝谷氏のコメンテーターとして歯に衣をきせぬ毒舌ぶりにはかねてから心地よさを感じていたし、番組も面白そうなので、出演を快諾した。

明日、サンテレビでの収録であるが、さてさて・・・。

「鈴木宗男編」↓
https://www.youtube.com/watch?v=TcEFqWG_-XA

放送日は来年1月30日(土)午後11時半からの予定だそうだ。

なおサンテレビ以外では、なぜかテレビ熊本でも放映されている(日曜日の25時40分~)。また最近はMKテレビでも放送されているらしい。

YouTubeにアップされると、いつでも見られますが・・・。

どんな話をしたのかは、明日の収録が終わってから、報告します。乞う、ご期待のほど!!

「現代人にこそ勧めたい修験道」

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「現代人にこそ勧めたい修験道」
 ~田中利典著述集271206

私がこの本を書いたのは、歴史的な断絶によって、一般的にはあまり知られなくなってしまった山伏のことや修験道について、より多くの方にご理解いただきたいという思いがあってのことです。古来の山岳信仰から続く宗教としてのあり方はさることながら、一山伏として、修験道が一般の方たちの現代の暮らしの中で、もっともっと可能性があると感じていて、それを知っていただきたいからです。

私自身、いろいろな山へ行く機会もありますが、あまりポピュラーでない山を登っても、踏みならされた細い山道はもとより、ちょっとした祠や石仏が置いてあったりして「日本の山は、本当にどこに行っても人が入っているのだなあ」と感心します。近年は、「山ガール、山ボーイ」という言葉も流行りましたが、中高年層を中心に年代層を広げながら、日本の登山人口は増加の一途をたどっているそうです。日本人にとって、それほど「山」は愛すべきところなのです。

「遊山」という日本語がありますが、登山ブームの主流も、山に親しむレジャー登山です。もちろん健康志向もあるでしょうが、ふだん電化製品に囲まれ、あらゆる便利さを享受している現代生活の中でバランスをとろうという、生物としてのひとつの本能的な欲求の表れだと私は感じます。

修験道は、山を歩くという身体的な行為による修行です。そこは、たんなるハイキングや登山とはちがいます。

しかし、山を歩いての修行ですから、とくべつ難しいことはありません。ある意味、ハイキングの延長上に、あるいは吉野観光を入口に、ちょっと気合いを入れて実践できるチャンスはあるのです。

「え、修験道や山伏に興味はあるけど、でもしょせんは宗教や修行の世界で、会社勤めの一般人などには無理でしょう?」と、思われるかもしれませんね。しかし、もともと修験道は一般人のための宗教で、実践している側にしても在家・出家は問いません。実際、「年に一度だけは!」と、一週間ぐらい会社を休んで山修行に参加される会社員の方もたくさんいらっしゃいます。海外旅行に行くときなどは一週間くらいは休みを取るのがふつうですから、それを考えると、それほどハードルは高くありません。そこまで休めない方でも、私どもが行っている一泊や二泊の体験コースや、週末だけのプチ断食コースなどなら、より参加しやすいでしょう。

山で修行をすると、とうぜんですが身体をうんと動かします。やはりいま流行りの、坐禅や冥想のように心を洗うようなことが、修験道の場合は、身体を使ってできるのです。これは、現代人にとって、とても必要なことだと思います。

 ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より
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本ってなかなか売れませんねえ。もう少し売れるかなあと思いましたが、まだ重版がかかりませんし、苦戦しています。結構、知人の間の評価は高いのですが・・・。

まだの方は是非買って下さい!!

*写真は本の表紙です。

「親友との夏」

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「親友との夏」
 ー田中利典著述を振り返る271204

夏が来る度に親友Sのことを思い出す。彼とは中学二年の時に出会った。同じクラスになって、しばらくして親友になった。確かボクから、まるで初恋の人に告白するように、「一生親友でいよう」と宣言したことを覚えている。そして宣言通り、ボク達は親友として中学時代を共に過ごした。

中学を卒業し、ボクだけが故郷を遠く離れた滋賀県の高校に進むのだが、その後もずーっと連絡を取り合い、親友でありつづけた。成人して、お互いの結婚式にも行ったし、家族ぐるみのつき合いもした。

その彼が平成四年の夏、突然に亡くなる。一生親友でいようと誓い合った二人の約束を反故にして、逝ったのである。海水浴中、一瞬の波に呑まれたのであった。三十八歳の短い人生。訃報を聞いて、涙で目の前をぐしゃぐしゃにしながら、彼のもとへと車を走らせたことを今でも昨日のように覚えている。

日蓮上人の言葉に「命は限りあることなり。すこしも驚くなかれ」(法華証明抄)とあるが、あの時の驚きと悲しみほど、胸を痛めたことはなかった。でもあの時の彼の死をもって、命に限りなることなし…という真理がボクの心にインプットされたのであった。彼はその時から、ボクの心に生き続けているともいえる。夏が来る度にそのことを思い出している。

人は誰でも、この世に生まれ出た瞬間から確実に死に向かって歩みを始めている。紛れのない真実である。といってそんなことを常に心に思って生きている人はまずいない。もし本当にそう思うのなら、この世は誠にせわしくて、とてつもなく切なくて、楽しくもなんともない世界になってしまうからだ。でも死はやはり突然に訪れるものなのである。

「覚悟はあるか」と聞かれたら、もう何十年も僧侶をしているくせに、なんとも頼りない自分を感じている。正直な気持ちである。親友Sに「あいかわらず情けないやっちゃな」と笑われているのかも知れないが、それも良しとしたい。

そんなことを思いつつ、今年も熱い夏を迎えることになるのだ。覚悟はないが、彼の忌日にまた「死に習う」ことができるのだから…。「死に習う」とはいつも死を心に置いて、一瞬一瞬を懸命に生きるということである。一生続く親友からのメッセージである。   

ー金峯山時報「蔵王清風」平成11年6月号掲載

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今日はいつものカタイ文章ではなく、つれづれに書いたものです。

これを書いてからすでに16年。親友の死からはもう23年が過ぎました。あっというの間の月日です。

この春から故郷綾部に拠点を移しましたが、彼が生きていてくれたらと、改めて思う日々です。今だからこそ、地元でお互い、一緒にやれることがあったはずだから・・・。

そして、還暦を過ぎて、私自身が自分の「死」について、素直に向き合える歳にもなりました。時季外れですが、そんなことを思い、少しセンチメンタルな気分で、彼のことに書いた文章を読み返しています。

*写真は故郷綾部の里山が広がる、自宅の近くの風景です。

「山の論理に学ぶ」

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「山の論理に学ぶ」
 ー田中利典著述集を振り返る271203

正木 都市生活をする人は、自然を実体験しがたい。そこで代わりにヨーガや瞑想などをする。或いはバーチャルリアリティに頼ろうとする。そういうふうに自然を擬似体験するというのは、どうかと質問されたことがあります。

私は、代替不能というところから出発すべきだと答えました。自然を都会にいて擬似体験できるという中途半端な発想はダメなのです。そんなことよりも、例えば東京なら高尾山へ都心から50分あれば行けるわけです。そこで滝行なりやろうと思えばできる。

そこまでしなくても山を歩くだけで得るものは多々ある。現代は交通機関が発達しているのだから、少し時間をかければ都市に住んでいても自然を体験できる。関西なら都心から1時間もかければ修験道の行場にだって行ける。都市だから自然は体験できないと言う必要はないのです。

田中 加えていうと都会の論理を自然の中に持ち込んでは自然との交わりにはなりません。都会の論理を捨てて山の論理を学ぶということでないと本当の自然との交わりにならない。都会の論理を当てはめようとするのはヨーロッパ的価値観です。

そうでなく自然の摂理の中に自分を置く、そういう関わりでないといけない。そういう関わり方の代替物はないと思う。バーチャルなもので済まそうとするのは都会の論理であり、自然の摂理は生きていない。自然との関わりでもなんでもないと私は思います。

自然というのはそこら中にある。日本の7割は山ですから。関わろうと思えばどこでも関われる。アフリカのケニアまで行かなければ関われないというのであれば一部の人しか関われないが、ちょっと行けば山はどこにでもあるわけですから。山伏が素晴らしいのは山の論理で修行をするから。都会の論理でいくら百名山を歩いても本当の自然とのかかわりは生まれない。

正木 以前、四輪駆動車で山の中を荒しまわるのが自然と関わることだと思っていた阿呆が山ほどいた。これは問題外です。今、私は関東地方のお坊さんたちにこう勧めている。関東一円の山々は里山から高い山まで修験や密教行者が歩いてきた歴史がある。名前を見れば分かります。密教、修験系の名が付いている。そこを歩く。形はハイキングでかまわない。

ただし奥駈にならって、「なびき」みたいな聖なる木や岩、川など霊性を感じさせるところに立ち止まって拝む。嫌なら深呼吸をするだけでもいい。とにかく何らかの宗教的な営みを組み込んで山を歩いたらいい。坊さん一人では無理ならば、何人かでネットワークをつくって、ぜひ実践して欲しいのです。

田中 昭和35年位までは地域社会で講が生きていた。都市部でも地域社会の先達がある程度の年になったらやっていた。連れていって体験させたものです。

正木 富士講なんか典型的ですよね。今でもけっこう残っています。

田中 講組織が高度経済成長の35年以降を境に急速に廃れてきたことによって、そういう仕掛けもなくなってきた。金峯山寺でも私が寺に入ってから提案して、蓮華入峯に一般の方の参加を募るようになったのですが、最近では山が空いている期間中は毎月、ミニ体験修行を始めている。

もともと寺が直接やることではなく、講がやっていたことで、寺はそれを迎え入れるだけだった。それが講が機能しなくなってきて、寺が直接関わっていかなければいけないようになったのです。これからは坊さんもそういうことをしていかなければいけない時代だという気がします。

それは、プロの自覚を持ってアマと共に行ずるという修験道的なあり方かも知れませんが…。(了)

ー仏教タイムス2005年3月掲載「対談:田中利典vs正木晃」

****************

盟友正木晃先生との対談は5回にわたって、仏教タイムスで連載されたものですが、その抜粋を何回かにわけて掲載しました。昨日も書きましたが、10年経ってもなお古さを感じさせないのは、ある種、悲しいかもしれません。4年前には東日本大震災が起き、原発事故をはじめ、様々な問題を抱え、ますます世の中は混迷の中にあるのでしょうね。

自然との関わりが更に問われる現代社会です。

*写真は大峯奥駈修行、峯中で勤行する行者たち。

「日本仏教の伝統の中で私たちはその余力で生きている」

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「日本仏教の伝統の中で私たちはその余力で生きている」
 ー田中利典著述集を振り返る271202

明治初期に神仏分離をして虚妄の国家神道を作り一神教化を図って近代化は成功しますね。ところが庶民レベルでは未だに多神教的風土が続いていて、ついこの間まで日本人の家庭には仏壇と神棚があったわけです。神仏習合でやってきた。

でも今はない。神棚も仏壇もない。それは伝承が途切れているから。神仏習合の文化的伝承は、国は一神教こしらえたけれど、庶民レベルでは文化伝承のなかで鎮守の森の祭りもあったし、家の中では先祖供養と土地神祭祀もやってきた。今でもそのなごりはある。が、もうぎりぎりのところまで来ている気がする。

自然と切れて、それで人間が幸せになれるのならそれはそれでいい。養殖物ばかり食べて夕日も見たことない子どもがいっぱい生まれて、それで日本がよい国で人間が幸せであるならいいが、違うでしょ。

近代化を図ってきて日本人がホントに心が豊かで人間性が豊かであるならいいけれど、目の前に壊れているとしか思えないことが次々と起こっていて、なおまだそれを是とするか、ということですよ。

戦争に負け国家神道が解体され、物と金のみを与えられ、今になって、心の時代といいますが、じゃどこに戻るのかということです。戻るべき心はとっくに取り外されている。それを支えてきた家制度、村落共同体制度が昭和35年以降高度経済成長と共にガラガラガラと壊れていった。

私は「三つ子の魂百まで」というのがこの国に暮らしてきた人達の中には累々してまだ伝承しているものがあるのだと思う。けど「三つ子の魂百まで」というその精神的な文化伝承もそろそろ怪しくなってきている。壊し切る前にきちっと戻るべきものを示す役割が政治家にないとするなら、少なくとも宗教人はもつべきだと思う。

家制度、村落共同体が壊れ、前近代的なものが壊れてきましたが、唯一残っているのが例えば檀家制度。檀家制度というコミュニティは壊れかかってはいるがまだ壊れ切ってはいない。

この檀家制度があるうち、そうしたものを取り戻す努力を今のお坊さんにはすべき役割があるのではないか。自分達の糊口を養うことに終始するのではなくて、ホントに日本仏教の伝統の中で私たちはその余力で生きているわけですが、使い果たすのではなく、もう1回使い直すことが必要。

ー仏教タイムス2005年3月掲載「対談:田中利典vs正木晃」

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私にはいくつかの持論がある。実は檀家制度というのは、江戸時代に出来たものだが、江戸時代の人口はせいぜい2000万人から2500万人。現在は1億2600万人を越えている。とするなら2500万人を対象とした制度というのは、基本持たないのではないか。組織や制度は2割3割に変動には対応出来るが、4倍5倍となると、制度自体が変革されないと無理だと思っている。

檀家制度も、いままで、創価学会や、新宗教が生まれる中で、手の届かないところを補填されながら存続してきた部分があるが、そろそろ、制度自体を根本的にリニューアルするべきときだと思っている。さてさて・・・。

*写真はイメージです。

水木さんの『幸福の七か条』

なくなった水木しげるさん。鬼太郎はよく子供の頃からみましたね。
その水木さんの『幸福の七か条』がネットで今日はよく見ます。

『幸福の七か条』は以下。

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幸福の七カ条

第一条
成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。

第二条
しないではいられないことをし続けなさい。

第三条
他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。

第四条
好きの力を信じる。

第五条
才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

第六条
怠け者になりなさい。

第七条
目に見えない世界を信じる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私はちょっと働き過ぎかなあ。
朔日のお勤めはしたし、今日は、怠け者にちょっとなります。

風邪、まだなおりません。早く直さなきゃ。

「人間も自然の一部である」

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「人間も自然の一部である」
 ー田中利典著述集を振り返る271201

田中 人間も自然の一部で自然の摂理によって生きているにも関わらず、そこから離れているかのような錯覚に陥ってしまっている。それを取り戻す必要があるのではないか。それに気づくためには何が必要か。それは修験道だけとはいいませんが、修験道の中にはたくさんある。

正木 子育てを含め自然に対する感性などは、かつては見ず知らずのうちに教育され、伝承されてきた。その伝承が切れてしまうと赤ちゃんの抱き方から始まって本来人間が本能的にできると思っていたことができなくなる。つまり人間の行為の大半は、本能ではなく、文化伝承によって成り立ってきたのではないか。だからこそ、文化伝承が途絶えるととんでもないことになってしまうと思います。

田中 文化の伝承と自然の摂理から隔絶された人間を元に戻すようなことをみんなでやっていかなくてはならない。

正木 肥満児の問題が言われて久しいですが、相変わらず高カロリーの物を食べてしまってぶくぶく太ってしまう子が激増している。不登校・ひきこもりを例にあげると、以前は不登校・ひきこもりは感性の鋭い子がなった。でも、いま問題なのは、感性が余りよくない子が閉じこもって家の中でポテトチップを食べ、コーラをがぶ飲みし、ぶくぶく太ってみっともなくなって、それで外へ出られない例が増えてきている事実です。

かつては繊細で非常にナイーブな子が不登校・ひきこもりになっていたのに、最近はどうもそうとはいいきれない。もっと始末におえない子が不登校・ひきこもりになってきているのです。

田中 いわゆる霊性の欠如です。霊性が欠如してくるから物のような人間になってしまう。

正木 悪い意味で動物的ですね。欲望だけが肥大化してしまっています。

田中 霊性を培うものは人間を超えた聖なるものとの出会いを常に意識することであるし、日本人は聖と俗を行き来する中で生きてきた。その聖と俗を行き来する場として常に自然との関わりがあった。森があったり山があったり。そういうことを全部取り上げられてキリスト教社会がもってきた物と金の豊かさだけでやってきた。

アメリカだって病んでいますが、とはいえ、ある種キリスト教社会の価値観で制御されているものがある。ですけど、日本の場合、日本人を制御してきた霊性に訴えるような聖と俗を行き来する多神教的な中で培われた日本人の精神文化が壊れてくることによって、アメリカ以上にどうしようもなくなってきたと感じます。アメリカでさえああなっているわけですから…。決してアメリカの真似をしても幸せになれないのに、もっと深いところで壊してきて、それに代わるものを用意してこなかった。

いまもコミュニティを壊し、家制度を壊し、とことん壊してきて、それに代わるものを与えられてこなかったから、文化の伝承が途切れるし、伝承の中で営まれてきた人間の当然のことが損なわれる。自然からも隔絶され、神仏からも隔絶され、文化の伝承からも隔絶され、日本人はどこへ行こうとしているのか。いまどこにいるのかさえわからない。

で、最近、戦前の教育勅語のような、あるいは徴兵制度のようなものを取り戻せば日本はまた甦るとよく言われますが、梅原猛さんがしばしば書いておられるように、教育勅語も前近代的なものを否定した上に出てきたもので、本当に頼るべきものは、近代以前の日本人の姿にこそあり、そういうものを見ていくことが大事だと。そういう意味で少なくとも近代以前、神仏分離以前の神仏習合を真面目にやってきたのは修験道だけです。

神仏分離以前のもの見ていく一つの観点に深い自然との関わりがある。キリスト教などの一神教は自然との関わりが下手な宗教ですが、日本人は自然との関わりの中で多神教的なものを育んできたわけですから。多神教のような多様なものを認めていって、そして共存していく、その智慧を再び取り戻すべきなのです。

ー仏教タイムス2005年3月掲載「対談:田中利典vs正木晃」

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あらためて読み返してみると、自他共に認め合う盟友正木晃先生との対談は10年経ってもなお古さを感じさせませんね。

*写真は大峯奥駈の最終地・熊野那智大社での飛瀧権現様御宝前勤行をする行者一行

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