
「夫婦の情景(3)」
~田中利典著述集271223
昨日、一昨日の続き・・・いよいよ最終回です。
*********************
(3)
苦行を終え、夫は総本山の仕事に駆り出されることが多くなった。
妻「金峯山寺から月に1週間でも10日でもいいからと言われるようになって。私は最初、『1週間か10日だけやで』と言っていたのに、いつの間にか半月になって、今はほとんどこっち」
夫「単身赴任13年目になりました。実はうちのお袋も奈良出身なんです。うちは奈良にはえらいご縁があって。弟は吉野山の東南院に養子に入りました。奈良の人が綾部を守り、綾部の者が吉野にいる」
昨年7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録され、金峯山寺の参拝者は数倍に増えた。夫は「修験道ルネサンス」を提唱し、秘仏とされてきた金剛蔵王権現像の特別開帳にも踏み切った(今年6月末まで)。
◆神と仏と
夫「99年末に日光の社寺が世界遺産登録されました。山岳信仰ではうちが本家やないか、日光は分家やないか、という気持ちがあったんです。吉野町の役人に聞くと、『和歌山が動いている。和歌山だけ先に認められるとうちは認められん』と。それで急いで奈良県に働きかけて、和歌山、奈良、三重の三県あげての活動に発展しました」
妻「中国の蘇州であったユネスコの会議でみんなが真剣に話し合っているのを見て、すごいなと思って」
夫「明治維新で日本人の精神文化だった神仏習合は壊されました。日本人はお宮参りをしたり、仏前でお葬式をしたり、クリスマスを祝ったりしているのに、みんな自分は無宗教と思っている。でも、そんなことはない。日本には雑多で多神教的な世界観があるんです。1300年の歴史を持つ修験道は、神と仏が融合した日本独自の信仰です。今の世界はひとつの価値観でくくろうとするから、キリスト教やイスラム教の『文明の衝突』が起きる。日本人は今こそ、その多様性を自信をもって世界に発信していけるはずです」
妻「世界遺産になったから終わりではなくて、それをこの先どう守っていくかだと思うんです。確かに観光客は増えましたが、さっきまで拝んでいた人がタバコをポイ捨てする姿も見かけました。いろんな人が来る中でどう守っていくか。それが主人の仕事かなと思います」
昨年はもうひとつおめでたいことがあった。4人目の子、宏宜くんの誕生だ。
妻「昔は綾部に帰れば家のパパさんでした。でも、パソコンや携帯ができてからは家でもパソコンの前に座ってばかり。寂しいですよお。体は家にあっても、心はパソコンによって本山に引き戻されている」
夫「……」
妻「上の子供たちが思春期になって会話がなくなっていたんです。子供がもうひとりできれば心は満たされるかなと思って。宏宜を授かり子供たちが優しくなった。家族がひとつの部屋でいることも増えました。パパさんもその場にいてほしいんですよ。
妻「主人はよく金峯山寺を何とかしよう、日本や世界を何とかしようと言います。『田中家の平和が世界の平和に通じると違うん?』と言っても、『僕はそんな小さな人間ではない』と言うし」
夫「田中家を一生懸命する人は、日本や世界のことを心配せん。日本や世界のことを心配すると、田中家のことは二の次になる」
妻「日本や世界を何とかしようと思っている人は何人もいると思いますよ。でもね、田中家を何とかするのはあんただけやねんと言うと、笑ってごまかすだけ」
夫「安心しとき。世界遺産の次、今は何もしたいと思ってないから。ま、日本を何とかしたいとは思っているけど」
~『週刊朝日』2005-06-17号(朝日新聞社)「夫婦の情景」 から
***************
*写真は11年前に登録された世界遺産吉野山の全景。
ちなみに第一回で書いた中島史子女史に馬鹿受けした文章は「「日本や世界を何とかしようと思っている人は何人もいると思いますよ。でもね、田中家を何とかするのはあんただけやねん・・・」という家内の言葉。世の女性の核心を表していると言っておられました。
なんだか読み返してみるとおのろけみたいな記事かもしれないが、思えば恒に脚光を浴びるのは私で、その裏で支えてくれている家族や妻が表に出ることはあまりない。そういう意味では10年前に、この取材を受けたのは妻への私なりの感謝の気持ちでもあった。
この時は単身赴任13年目だったが、その後、今年まで更に10年単身赴任が続くことになる。23年間の単身赴任生活であった。そしてその間ずっと家族には迷惑を掛けてきたのである。
実は今だからいえるエピソードがあるのだが、この取材のオファーがあったのは、夫婦で大げんかをして、もう別かれようかと言うくらいの勢いでもめている最中だった。そんな時だから、妻に取材の依頼があった話はなかなか言い出しにくかったが、二人で受ける取材だから、聞かないわけにはいかず、しぶしぶ聞いたら、その返事が振るっていた。
「掲載された頃に別かれていてもいいなら受けてあげる!」という返事。その旨を記者に伝えると、「ああ、いいですよ。今までも、取材した後に離婚した夫婦はありますから・・・」という返答。すごい話である。
でも取材してくれてありがとうござました。馬場さん(朝日の取材してくれた担当者です)。いい思い出になりました。
最近のコメント