「懺悔して身心を正常にする」
「懺悔して身心を正常にする」
~田中利典著述集271216
入峰修行では、修行者は声を合わせて山坂に来るたびに「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら足を進めます。
体の芯から声を出していきます。声を出して歩いていくことで、次第に余計なことが消えていき、なにも考えられなくなります。頭も空っぽになっていくのです。
「懺悔」は「さんげ」と仏教では読みます。キリスト教の「懺悔」とは、同じ字句ですが、仏典には「ただ懺悔の力のみ、よく積罪を滅す」と示されています。
「あらたむるにおそきことなし」です。生きていくとは、二度と履み行うまいと、仏の前に頭を垂れなければならないことのいかに多いことか、そのことに気づかされます。山を歩いていると、まことに懺悔懺悔の連続なのです。このように、身をもって懺悔し、自己を見つめていくことが、すなわち身心を清浄にしていくことになるのです。
私は、そもそも懺悔こそが宗教心の基本ではないかと思います。罪悪深重のおのれに目覚めることこそが、慈悲の心をつちかい、広く人々の幸せを願う生き方になるのだと思います。それを身体から実感させていただく入峰修行は、まことにありがたいと感じます。
ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より
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*写真は大峯奥駈修行の峯中を行ずるくたくたの筆者と行者たち。
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コメント
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本当に、神様に罪を告白するだけでは駄目ですね。もう二度としませんというぐらい心から懺悔しなければいけませんね。
それにしても、私には懺悔しなければいけないことがたくさんあります…。
投稿: 豆しば | 2015年12月17日 (木) 02時51分
豆しばさん・・・私も同様です。(^^;)
投稿: 吉野山人 | 2015年12月17日 (木) 08時54分