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「地域限定情報:カツヤマサヒコShowに出演」

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「地域限定情報:カツヤマサヒコShowに出演」

おはようございます。

いよいよ、今日1月30日の午後11時半~12時半まで、私がゲスト出演しているサンテレビ「カツヤマサヒコShow」が放映されます。第118回のゲスト出演です。是非、視聴可能な方はご覧下さい。

→ http://sun-tv.co.jp/katuya/

収録は昨年12月でしたが、ようやくの放映で私も楽しみです。収録以来、アシスタントの榎木アナとはなんどかメールでやりとりをしていて、過去の収録の中でも、勝谷さんがノリノリだったと聞いていますので、トークの内容にはご期待下さい。

ただ阪神地区しか、視聴出来ないので、地域限定情報となります。なぜかテレビ熊本でも放送されますが、日時が不明です。。。

実は私もリアルに視聴は出来ません(>_<)・・・見た方、是非印象を教えてくださいね。

たた、大方が回がYouTubeでフォローされているので、アップされれば、また、お知らせします。

*写真は今週、榎木アナから送っていただきました収録時のものです。

中田英寿が絶賛した<混迷の日本を生き抜く修行とは?!

「PVシリーズ番外:中田英寿が絶賛した<混迷の日本を生き抜く修行とは?!>」
 
PVシリーズの番外編として、PVではなく、ラジオの音源を紹介します・・・。
 
これは私の友人で、公式サイトの管理もお願いしているぴよこさんが運営している「月夜のぴよこラジオ」の取材で出演させていただいた音源です。もうだいぶ前になりますが・・・・確か、スカイプ上だったか、電話だったか、ともかく受話器に向かってお話しながらの録音でした。そのわりにはすんなりとお話できたのは、お相手のクロキさんの会話術のお蔭かなあとも思います。
 
この収録の前に、あのサッカーの中田英寿さんが吉野においでになり、取材を受けた直後だったので、かなり刺激的な表題がついています。
 
これも少々長いですが、よろしければお聞き下さい。素朴に修験について質問していただいていて、一般の方にはわかりやすい話だと思います。
 
「中田英寿が絶賛した<混迷の日本を生き抜く修行とは?!>」(インターネットラジオ:月夜のぴよこ)より
→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm12275395
 
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よろしればご感想も一言、お願いします。

「PVシリーズ③:田中利典VS村上保壽VSトレイルランナー横山峰弘」

「PVシリーズ③:田中利典VS村上保壽VSトレイルランナー横山峰弘」

PVシリーズの第3弾は 奈良県「弘法大師 吉野・高野の道」シンポジウムです。

高野山開創1200年祭を前に青年期の弘法大師が歩いた吉野山から高野山をつなぐ道を、地域資源として発展させるプロ­ジェクトのシンポジウムが2013年2/26開催されました。出演は高野山大学名誉教授の村上保壽さん、金峯山修験本宗宗務総長(当時)の田中利典、そしてトレイルランナーの横山峰弘さん。

トレランと修験道と高野山がコラボした、シンポジュウム記録です。少々長いですが、トレランや弘法大師に興味のある方はよろしければご覧下さい。

田中利典VS村上保壽VSトレイルランナー横山峰弘(奈良県「弘法大師 吉野・高野の道」シンポジウム)
→ https://www.youtube.com/watch?v=hE7yUr1_Ik0

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よろしればご感想も一言、お願いします。

「PVシリーズ②:田中利典VSトレイルランナー鏑木毅氏」

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「PVシリーズ②:田中利典VSトレイルランナー鏑木毅氏」

昨日から始めたPVシリーズの第2弾は「吉野・高野の道 田中利典VS鏑木毅」です。

現代に「空海の道」を蘇らせるべく、2010年9月24日「弘法大師 吉野・高野の道プロジェクト」実行委員会が発足。高野山開創1200年(平成27年)に向けて、ルートの選定に向けて踏破調査を重ね、2013年にはその道が再興されました。

このプロジェクトには奈良・和歌山両県が参加、委員長は村上保壽・高野山大学名誉教授、副委員長は田中利典・金峯山修験本宗宗務総長(当時)が務めました。

吉野と高野山という、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の2大霊場が空海の歩いた道により結ばれ、新たな巡礼道となることを目指したのでした。

そしてその吉野・高野の道プロジェクトを多くの人々に知らしめる目的で、KOUBOUトレランプロジェクトも併行して企画され、その広報活動として、日本のトレイルランナーの第一人者鏑木毅さんと私が対談させていただきました。

修験道と日本的トレランの世界がコラボした、なかなかよく出来た対談です。少々長いですけど・・・興味のある方、お暇な方はよろしければご覧下さい。

対談内容:
-己の進むべき道を模索しながら、深山幽谷を彷徨った若き日の空海。
 彼が修行の場として選んだ「山」とは一体何なのか。
 その「山」の在り方に迫るべく、
  山岳信仰を礎とした「修験道」総本山の山伏と、
  「トレイルランニング」のトップランナーとのスペシャル対談が実現!
  1200年前の空海の姿に想いを馳せ、
  21世紀の山と向き合う男たちが語るそれぞれの「山」とは・・・

「田中利典VS鏑木毅」(NARA弘法大師の道プロジェクト公式サイト)
 → http://www.pref.nara.jp/nanbu/kobodaishi/taidan_top.html

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よろしれば是非ご感想を一言、お願いします。

「PVシリーズ①:田中利典 with河瀨直美監督」

「PVシリーズ①:田中利典 with河瀨直美監督」

ここ1年くらい自著プチ集として、過去の著述から文章を抜き書きしてきました。実はまだまだ続けるつもりです。在庫は豊富にありますから(笑)

ただ、有り難いことに私の出ている映像のプロモーションビデオもいくつかあります。今日からその映像シリーズをアップします。私の講演会を聞いた方は何度もご覧になっているかも知れませんが・・・。

興味のある方、お暇な方はよろしければご覧下さい。

第1弾は「美しき日本 金峯山寺編」です。

この企画は奈良県の南部振興担当のH氏によるもので、本編を通じて、初めて河瀨直美監督と知己を得ました。奈良県が誇るカンヌ映画祭グランプリ監督です。河瀨監督の近年の活躍ぶりはみなさんもご承知のとおりですが、この仕事でご縁を得て以来、ずっと親しくさせていただいています。

本編の撮影は約45分間、カメラの前で河瀨監督からいろんな質問に受け、聞かれるままにお話をさせていただきました。ま、使われたのは約8秒ほどですが・・・(^_^;) でも、とても美しい映像と私の大きな顔が印象的で、「美しき日本」シリーズの中でも、大変評価の高い作品となっています。

YouTubeでアップされています。約5分ほどの映像です。

「美しき日本<吉野山金峯山寺編>」
→ https://www.youtube.com/watch?v=CoaVkn-HK5c

「カツヤマサヒコShow 出演!」

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「カツヤマサヒコShow 出演!」

おはようございます。大寒波の日本列島ですね。

さて、今週末の1月30日(午後11時半~12時半まで) のサンテレビ「カツヤマサヒコShow」に出演します。第118回のゲスト出演です。その番組の公式サイトに告知されました。

→ http://sun-tv.co.jp/katuya/

収録は昨年12月でしたが、ようやく今週末に放送です。この番組、神戸、大阪近郊でしか放送されませんが、ユーチューブにほとんどの回がアップされるので、ネット上ではフォローできます。

収録は簡単な打ち合わせのみで、ぶっつけ本番でしたが、初対面ながら、勝谷さんとのトークは上々の出来で、あっという間に40分をしゃべりまくったのでした。 是非、ご期待ください。

*YouTubeにアップされれば、また、お知らせします。

「日本という国ーその2」

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「日本という国ーその2」
 ~田中利典著述を振り返る280122

なぜこんな話をするかと言いますと、役行者が生きられた時代はどんな時代であったのかということを考えたいのです。

仏教が日本に伝わるのは五三八年、あるいは五五二年とも言われます。それから約百年後に役行者はお生まれになった。

聖徳太子が「和をもって貴しとせよ」「篤く三宝を敬え」と、十七条の憲法を立て、仏教の思想で国づくりを始められるのは六〇四年。この頃もまだ「倭」という国でした。日出づる国の天子、という言葉もありますが、まだ日本という国名は使われていません。

そして役行者がお生まれになって十数年後に大化改新があり、中臣鎌足(後の藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)がそれまでの蘇我氏の専制政治を破って、新しい国づくりを始めます。

そして天智天皇のあとを継いだ天武天皇が、天智天皇の息子の大友皇子と戦争して勝利するのが六七一年の壬申ノ乱…天武さんは吉野において挙兵するわけですけれども…このように役行者の時代というのは、戦乱の時代でもあり、また新たな国づくりを行った時代でもあったのです。

それは正に天皇を中心とする中央集権国家が出来ようとした時代でした。そして日本という国が始まったそういう時代が、役行者の生きられた時代でなのであります。

しかもその新しい日本によって、役行者は反体制側の反逆者として流されるわけでありますが、日本という国が始まった時から、常に日本の体制側の反対側で一つの大きな活動・修行・文化・歴史を営んでくるのが、役行者に象徴とされる山林修行者たちの信仰であったということです。そのことも、ぜひとも見ておいていただきたいと思います。 

混迷を極める今、現代社会というのは、ほんとにどうなるのか誰もわからないようになってしまいつつあります。これは戦後の日本がたくさんのものを棄ててきて、どんどんどんどん棄ててきて、ふっと振り返ると、日本人って何やろな、日本人ってどこへ行くんやろな。大人も子供もみんなわからんようになりつつある…そんなふうなのではないかと私は思っています。

そんな時に、日本という国が産声をあげた時から常に続いてきたものの中に、何か一つの、二十一世紀の日本、これから千年先の日本を考えるのに大切なものがあるのではないか、ということを私は思うのです。

~浅草寺文化講座平成12年版:田中利典講演録「役行者という人」より

*写真は講演中の私です。

「日本という国」

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「日本という国」
 ~田中利典著述を振り返る280121

このところ、芸能記者並みのSMAP騒動に首を突っ込んだ書き込みなどをしましたが(笑)、私なんぞがいくら騒いでも、芸能界や日本の硬直化した日本社会の老害に是正されるとは思えないので、本来の書き込みにもとります。

...

これはもう10数年前になりますが、浅草寺文化講座に招かれてお話をしたときに講演録からの、跋文です。

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「日本という国」

ここで、皆さんにちょっとお考えいただきたいことがあります。話が少し横にそれますが、「日本」という国…正式名称「にっぽん」ですが、この日本という国名は、いつから日本になったかご存じですか?

よく「日本人の常識は外国人の非常識」、と言われますが、おおよそ外国人は自分の国の国名がいつから定まったか、だいたい知ってるんですよね。

たとえばアメリカ合衆国は、アメリカ人に聞くと、13州が独立宣言をした1776年からと、大概知ってはりますわ。あるいは韓国の方に大韓民国という国はいつからありましたかと言うと、1948年からですと、ご存じだと思うのですが、はて日本人はというとに、いつからこの国名がついたか、大部分の方が考えたことないでしょう。教わったこともないでしょう。多分知らんと思うんですよ。

私も最近まで知りませんでした。実は近年だいたいはっきりしてきたようで、養老律令というのがあるんですが、これは689九年に制定されます。この頃だそうです。所謂、天武天皇、持統天皇の頃に「日本」を国の名前として定めたのではないかと、言われています。それまでは「倭(やまと)」と呼んでいた。倭という国から日本という国名を使ってきたのが7世紀後半のこの頃である。天皇という称号を使い出すのと、ほぼ同じころだと言われています。それまでは「大君(おおきみ)」と言っておったのが、天皇という称号を使うようになって、日本という国名も使うようになったようです。

~浅草寺文化講座平成12年版:田中利典講演録「役行者という人」より

*写真はイメージです。

「林南院節分会大祭のご案内」

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「林南院節分会大祭のご案内」

私の自坊林南院。山紫水明の地綾部にあります。山紫水明といえば、聞こえはよいですが、日本を代表するような田舎です。

その自坊林南院の「節分会大祭」は毎年2月の第1日曜日に開催しています。今年は2月7日になります。「節分」とは立春の前日である2月3日と決まったものですが、本山の節分会に出仕するので、15年前から日時がズレました。

是非、おいでいただければと思います。ただし、不便で、遠いですよ。

*出来れば当日の受付は混雑致しますので(ホントはそんなには混雑するほどの人はおいでにならないのですが・・・)、ご希望の方は、事前にメールいただくか,林南院までお申し込み下さい。当日参拝ができない方も、申込み書にて申し込み下されば、それぞれご祈願申し受けます。

■開催日  2月7日午前10時半より厳修

■日程
・午前10時半頃 日数心経(今年一年間の開運を祈り,全員でお唱えします)
・午前11時半頃 住職講話(今年の運勢のお話)
         福豆まき(景品も当たります)
・正 午     昼 食(粗飯弁当を用意しております)
・午後1時    星供採灯護摩供
         (護摩中に、参拝者全員の聖杖加持、水晶加持あり)
・午後2時半   古札撥遣・お焚き上げ
                  終わって、甘酒接待
         住職 謝辞

■林南院公式サイト http://homepage3.nifty.com/enno-f/rinnan-in/

「世界にひとつだけの花」

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「世界にひとつだけの花」

赤坂にある花屋の花は全部が「世界にひとつだけの花」だけど、一番えらいのは花屋です!・・・っていう、夢のない悲しい会見でしたね。

「SMAP騒動・・・引くも地獄、進むも地獄」

「SMAP騒動・・・引くも地獄、進むも地獄」

国民的アイドルスターグループというSMAP。ここしばらくは彼らの「解散。キムタクをのぞく4人の退社?」という話題が日本を席巻しましたね。

どうやら今夜の番組でメンバーが生出演をして、ことの経緯か、今後のことか、ともかく自分たち自身で話をするという。・・・たぶん、もとのさやにおさまるという筋書きらしいですけど。

最近下落していた、スマスマは高視聴率を稼ぐことになるのでしょうね。

マネージャーvs副社長とか中居vs木村とか、いろいろいわれてきましたが、一度、マネージャーの辞職に伴う四人の退社という話があっただけに、ジャニーズ事務所に残るとしても、やはり地獄。もちろん、マネージャーが退社して、引退した状況で、4人の退社は更なる地獄だから、こういう形でももとのさやに戻るしか、ないのでしょうね。

クーデターを失敗したマネージャーがわるいのか、そこまで追い込んで、なお会社として功労あるマネージャーやメンバーを窮地に追い込んだジャニーズの一族支配の体制がわるいのか、専門家でもない私らにはわからないけど、どっちにしても、著しく、スマップの価値、会社の価値、中居も木村も自分たちの価値をさげたのは間違いないでしょうね。

スポーツ新聞の報道は常にジャニーズよりだったのが、ことの真相を垣間見せますけど。

5人で退社独立できなかったのだから、その時点で、あっさり解散を決めて、それぞれの道を歩み出した方が、のちのち、スマップというグループを伝説にしたし、メンバーの潔さがジャーニーズの一族支配の弊害を世に問うことになったでしょうねえ。惜しいことをなさったように思います。

もう5人は充分に功をなし、努力と犠牲を払って得てきた名声もなしたのですから・・・。といって、これからわかいときのようなポテンシャルを維持発揮できるということはありえないし、メンバー内の越えがたい溝も垣間見えたでしょうから。

もう誰もまともな独立劇は起こらないことになりますから、芸能界にとってはめでたしめでたし・・なのでしょうかねえ。

ま、芸能界に限らず、どこの世界も似たり寄ったり。どこにでもある話ですが、スマップというでかいグループだっただけに、「引くも地獄、進むも地獄・・・」というお粗末な結末はちょー残念です。

時代は急速に動いています。今回は老醜をぶちこわす、とても大きな転機になったと思えたのですがね。

ありえないでしょうが、今夜のスマスマで、「やってられないから、解散して、辞めてやる!」って、中居くんがいったらちょーカッチョいいのにねえ。所詮人ごとだから言えることですが。

はずかしいほど、暇で、ミーハーな書き込みでした。

「普遍という嘘に気づこう!」~田中利典著述集280115

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「普遍という嘘に気づこう!」
 ~田中利典著述集280115

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明治以降、私たちはなにか騙されてきたのではないでしょうか。

近代というものがヨーロッパ社会で生まれて以降、世界はユニバーサル、あるいはグローバルという美名のもとに、一つの価値観で画一化することを目指してきました。ユニバーサルもグローバルも普遍性を持っているという理解なのです。

そして現にいまもグローバリゼーションという嵐によって、その土地の文化、その土地の風土が世界中で破壊され続けています。

しかしその風土、その土地で生まれたものを大事にすることのほうが、人類や地球にとっては普遍的なことなのではないでしょうか。

数学者の藤原正彦さんが『国家の品格』(2005年、新潮新書)という名著の中で書いているように、いくらチューリップが美しいからといって、世界中の花をチューリップだけにしてしまってはたまったものではありません。サクラが似合う国、ブーゲンビリアが似合う国、ユリが似合う国、サボテンの花が似合う国──それぞれの国柄に合わせたいろいろな花があっていいのです。

カルチャーとは「耕す」ということが原義であり、まさにそれぞれの風土が生んだ言語、宗教、経済行為など、それぞれの多様性の中にこそ人類の普遍的価値があると考えるべきだと思っています。

明治以降、近代化の名のもとに欧米的な価値観を植え付けられてしまった私たちですが、いままさに、あらためて自分たちの風土を見つめ直して、その文化を耕していくことが求められていると言っていいでしょう。

 ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より
http://www.amazon.co.jp/%E4%BD%93%E3%82%92%E4%BD%BF%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%BF%83%E3%82%92%E3%81%8A%E3%81%95%E3%82%81%E3%82%8B-%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E5%85%A5%E9%96%80-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%88%A9%E5%85%B8/dp/4087207382/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1400665951&sr=8-1&keywords=%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E5%85%A5%E9%96%80

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*写真はイメージです。

必見!!「インタビュー:修験道と現代日本 ~by UBrainTV」

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必見!!「インタビュー:修験道と現代日本 ~by UBrainTV」

一昨年秋にUBrainTV Japan(イギリスのUBrainTVというネット配信会社の日本支社)という会社からの取材で、修験道と自然環境問題についてのインタビューを受け、それがようやく映像になり、今日から公式サイトのアップされました。

日本文化を紹介するという番組です。
以下です。是非ご覧下さい。

http://www.ubraintv-jp.com/watch.php?id=447

日本独特の宗教である修験道を紹介した映像ですが、とりわけ自然環境との問題に視点をあてて、質問されました。

インタビューの説明では

「日本は近代以降、グローバル化が推し進められ経済的に豊かになる一方で「何か」を失いつつあると人々は感じ、近年、ローカルな日本を見直そうとする動きが生まれています。 精霊、神、仏を分け隔てなく敬う日本人の宗教観に裏打ちされた、グローバルとローカルを融合させうる「和」の精神は、世界的にも注目される思想です。 飛鳥時代に発祥し、神仏習合の形態を今に残す日本独自の宗教、修験道から見た現代日本とはどんな姿なのか、修験本山金峯山寺の田中長臈に話を伺いました。」

とあります。

実は、リハなし、原稿なしのぶっつけ本番でのインタビューで、冷や汗たらたらで応答したのですが、そのわりにはちゃんとお話が出来ていて、我ながらなかなかの出来だと思っています・・・相変わらず、ちょっと顔が怖いですが(笑)。

真剣に考えて話すとどうしても、こわ顔になってしまいます。その分真剣に話をしているということで、ご寛恕ください。これからの私自身が進むべき活動を示唆したインタビューだったと思います。

ちなみにUBrainTV Japanとは「世界中の叡智を結び、地球規模で展開するClub Networkを構築することを目指し、ロンドンで開局したUBrainTV.comのミッションを受け継ぎ、より具体的で実効的なコンテンツビジネスを推進しているグループ」ということです。

詳しくはUBrainTV株式会社代表取締役田邊直人氏の挨拶文をご参照下さい。
→ http://www.ubraintvjapan.com/about.html

「ウィキペディアの私」

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「ウィキペディアの私」

ご存知のように、ウィキペディアというネット上の辞書がある。このウイキに私の名前が掲載されたのは実はすごく早い時期だった。大したことをなにも成していないのに(今もそうだけど・・・)、なんと17年前の平成10年ころから、私の名前は掲載されている。

最初は、「龍谷大学出身の人物一覧」の「宗教」の項目に名前が挙がり、そのリンク先としてカテゴリー「日本の僧」にも出た。

だれにお願いしたわけでもないし、突然出たので、その頃はとても驚いた。まだ40過ぎで金峯山寺の教学部長になったばかりの頃だった。

あとで聞いたが、ウイキは結構誰でも書き込むことが出来るそうで、かなり早い時期からインターネットメデアでいろんな活動をしてきていたので、誰がおもしろがって載せてくれたのかも知れない。未だに誰が載せてくれたかは知らないが・・・。

ウイキには名前が出ると、最初、その事項は赤字で出る。そしてその人物の詳細が書かれると赤字が青字に変わる。私は早い時期に名前が掲載されたが、その後、長らく、赤字のままだった。「日本の僧」のところも、「た」行の僧侶で出たのだが、周りが次々と赤字から青字に変わっていくのにずーっと私だけ赤字のままだった。なんだか場違いでとても恥ずかしかった思いがする。

だいたい「龍谷大学の人物一覧」にしても私の名前が出ること自体がおこがましいことで、まして「日本の僧」となれば本当に、良寛さんや一休さんというような、そうそうたる方の名前ばかりで、恥ずかしい限りである。「た」行というと、ダライ・ラマ法王とか、高田好胤さんとか、それはもうきら星のような方々の中で、赤字の私が載っているのは厚かましいにもほどがあるであろう。

とはいえ、折角載ったのに、いつまでも赤字ではと困っていたら、書き込みをしてくれる方があり、平成14年頃にようやく青字になったのである。

ご存知のように、昨年春に金峯山寺の宗務総長職を辞して、関連する役職も随分減ったので、この春、内容のリニューアルをしていただいた。

よろしければご覧下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%88%A9%E5%85%B8

*写真はまるで私そっくりの「山伏くん」リアル人形。非売品です。

「一神教に勝つために・・・」~田中利典著述集280110

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「一神教に勝つために・・・」~田中利典著述集280110

帰属する価値観をなくした民族は、滅亡へ道を歩みを始めている。今、日本人が滅亡しかかっているのは、帰属する立ち位置が自分たちでもわからなくなってしまっているから。DNAに埋め込まれている先祖からの知恵を、ちょっと思い出しましょうよ。そこにいったん帰属してから一神教の人たちのことを考えましょうよと。

一神教に勝つためには、一神教に近い原理を持たないとたぶん駄目だと思う。その原理は日本にはあると思う。日本の多神教は一神教の人たちが考える多神教ではないんだから。どの例を上げるのが適当かわからないけど、大日如来や天照大神にを集約させる基盤がここにはあることに気づいてほしい。

ヨーロッパでは、二〇〇一年の同時多発テロ以来、グローバリゼーションに対する息苦しさがあって、一九世紀以前に戻ろうという大きな流れが生まれているという。

平和の作り方は、みんながどこもかしこもチューリップ畑にしたきれいな世界を作るのではなくて、ブーゲンビリアもユリも桜も咲く、その土地の人たちがそこに根づいたきれいな花々を自慢して、認めあって共存することが、ほんとの意味での平和のあり方なんだ。熊野には凌駕されていないものが、まだ残っているということに気づくべきだと思う。

ー『熊野 神と仏』出版社: 原書房 (2009/9/24)より 

http://www.amazon.co.jp/%E7%86%8A%E9%87%8E-%E7%A5%9E%E3%81%A8%E4%BB%8F-%E6%A4%8D%E5%B3%B6%E5%95%93%E5%8F%B8-%E4%B9%9D%E9%AC%BC%E5%AE%B6%E9%9A%86-%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%88%A9%E5%85%B8/dp/4562045132/ref=la_B004LURGJ8_1_3?ie=UTF8&qid=1370821341&sr=1-3

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本稿は6年前に出した盟友植島啓司先生(宗教人類学者)と熊野本宮大社九鬼家隆宮司との、共著からの一文です。掲載時に少し校正され、文言が変わったところはありますが・・・。

この本も一応3刷になっています。

「修験道廃止で17万人の山伏が消滅」~田中利典著述集280109

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「修験道廃止で17万人の山伏が消滅」
  ~田中利典著述集280109

三輪隆裕先生(日吉神社宮司)から、ご自身が十数年前に上梓された『国家神道の成立とその背景』という論文を頂戴いたしましたが、私はその文中に驚異の数字を発見しました。

それは何かと申しますと、明治期に『神仏分離令(註:1868(明治元)年3月、成立したばかりの維新政府の神祇官により出された通達。長年続いてきた神仏習合の慣習を廃し、神道と仏教の境をはっきりさせた)』というものができ、あろうことか、明治5年には『修験道廃止令』まで布告となり修験道は禁止となりましたが、その『修験道廃止令』により職を失った修験者(山伏)の数が、なんと17万人だったそうです。これは、実はすごい数字なんです。

もちろん、これまでにも「われわれ修験者は、明治政府の修験道弾圧政策により大きなダメージを受けた」という意識はありましたが、その数が17万人であったという事実は驚異的でした。

現在の日本において、「伝統仏教諸教団および新興の仏教系の教団を含めて、僧籍を持った者(僧侶)の数は22万人」と言われています。「なんだ、(当時の修験者の総数である)17万人よりも、現在の僧侶の数のほうが多いじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、現在の日本の人口が1億2600万人なのに対し、明治初期の総人口はたった3300万人程度。

つまり、現在の約4分の1の人口の時代に、17万人もの山伏がいたかと思うと、その数が並々ならぬ数であったことが容易に想像していただけると思います。現在の人口に換算すると、60数万人も山伏がいることになりますからね。

ー大阪国際宗教同志会:平成17年5月23日、「愛・地球博」長久手会場「地球市民村」において開催/国際シンポジウム基調講演・田中利典『水・森・いのち』より

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実はこの講演で取り上げた「17万人の山伏が明治に職を失った」という話がその後、一人歩きをしはじめて、かなりいろんなところで大きく取り上げられたように思います。その後、三輪先生が示されたその数字の出典を探しに探しすのですが、ようやく盟友の正木晃先生によって、中山太郎氏の『日本巫女史』(1929年刊)が初出だとご教示いただきました。

一人歩きをし始めただけに、心配をしていたのですが、出典が見つかってほっとしました。

なお、この講演録は知友の三宅義信先生の手が入った素晴らしい出来のものと成っています。全文は ↓ ここにあります。ご参考まで・・・。

http://www.relnet.co.jp/expo/event_31riten.htm

*写真は明治に全山が一時瓦解する金峯山一山の、明治以前の様子をしめした全山古図(天理図書館蔵・・・金峯山寺にも複写本があります)。

「宇宙とどうつきあっていくか」ー宇宙飛行士と山伏⑤

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「宇宙とどうつきあっていくか」ー宇宙飛行士と山伏⑤
 ~田中利典著述を振り返る280107

小林:先生が最初、ことを起こすという点で4つの点を挙げられました。無私である、理念を作る、人とのつながり、時代とマッチする。今の宇宙開発というのは、実はこの無私というところを忘れてしまって、国家の利益という視点から、例えば国威発揚なり、世界に比べて技術は圧倒的だぞというのを見せ付ける宇宙開発という側面もございます。

田中:宇宙開発は基本的に国と国との戦略的な意味の方が多かったのでしょう。大陸間弾道弾とかスターウォーズ計画とか。あの延長線ですよね。それははっきりとロシアやアメリカにはあったでしょうが、日本には他国を侵略するという考え方・手段が存在しない。大東亜戦争に負けて、永久に戦争の放棄をしているわけですから。そういう意味で、宇宙開発に出て行く他国のような意味が基本的にないことになる。…まあ、本当はどこかにあるのかもしれないのでしょうけど。

小林:それは、ポリティカルなパワーバランスの中で、日本が位置づけられるポジションというのがあります。

田中:だからこそ、宇宙に出て行く意味を問い直さなければいけませんね。

小林:理念、日本の宇宙開発の理念を誰が語れるか。なかなか、先生、難しいですね。

田中:でも、たちまち問い直さなければいけないところに来ているのではないですか。これからは今までと違って、お金がない時代に入っていくでしょうから、どこに何のために使うかっていうのが問われてくる。今までのようにジャブジャブとは使えないので、より問われますよね。

小林:今の科学技術政策の中で、宇宙開発分野というのは、真ん中以下に位置していますね。8つの分野があったとしたら、5番目くらいだと。今の位置づけでは。それが必然性、必要性、価値、いろんな面から今の時代に生きる人間の目から見て、宇宙開発ってこんなもんだなという評価が全てに成らざるを得ない、というつらい側面もございます。

こういった観点から、無私で、理念があって、人とのつながりに非常に重要な役割を果たせて、いわゆる人間の精神を考える場として活かせるというのが、今存在する宇宙開発の施設とすれば、宇宙ステーションしかない。ただ、あそこに残念ながら中国は入っておりません。これからどうくるかは、ポリティカルな面があってよくわからないのですが、今の話を伺いまして、今軌道上にあって、この3月・4月で日本の施設が取り付けられる。これが最後の質問になるのですが、国際宇宙ステーション計画、そして今度日本の暮らせる施設が軌同上にある、存在する、これに対して、先生ご自身、どのような意味なり、価値があるとお考えですか。

田中:専門的なことはわからないですけど、私の言えることがあるとすると、先ほどから述べてきたスタンスの問題で、宇宙とどうつきあっていくか、自然とどう向き合っていくかということ。これが人類の、これからの最大の課題かもしれません。どう付き合っていくか、どう向き合うかを宇宙ステーションという地球外に出て、問い直すという視点を誰かが持たないといけないという気がします。

実験もよろしいし、医療の開発も結構ですし、最先端の技術をさらに宇宙の真空の中でやるということは素晴らしいことですが、私が思うのは、地球環境問題にしろ、宇宙全体の問題にしろ、それとどう人間が向き合っていくのか、付き合っていくのかが大切だということ。先の講演の最後に申し上げた人間の霊性というか宗教観というか、そういう問題にも関わる視野も入れて、ですね。それを問うということにおいて、あの宇宙ステーションというシチュエーションは面白いところだと思います。

小林:そうですね。地球の外に出て、人間が宇宙とどう付き合っていくのか。先生のお話の中の宇宙というのは、自然の1つという点でございますね。わかりました。

田中:あまり役に立たない話ばかりでしたね。

小林:今日のインタビューは、昔、立花隆さんが宇宙飛行士にインタビューされた著作物があるのですが、全く違った視点から、田中先生の今なさっている仕事に立脚して、JAXA、そして国際宇宙ステーションはこうあるべきだという話を初めて広く皆に伝えることができる話を伺えたと思います。先生、本当にお時間をとっていただいてありがとうございました。

~JAXA(宇航空研究開発機構)宇宙ことづくりプログラムインタビュー(2008年2月)より(インタビュワー:JAXA小林智之)

****************

7年前のインタビューですが、自分ながらなかなかいいお話だったと思います。あいかわらずの、自画自賛・我田引水ですが・・・(^_^;)

実は、昨日も少し書きましたが、JAXAの私の講演は関係者に馬鹿受けして、その中の加納さんという理事は、三日三晩かかって「田中利典を宇宙に飛ばしてなにを感じるか、体験させよう」というレポートを書き、理事長に提出されたそうです。もちろん理事長さまの神判断で「一宗教団体の役員を国のお金で宇宙飛行士には出来ない」と却下されたという後日談までありました。笑い話ですが、加納さんはマジだったそうです。

いま、日本の宇宙開発は活発に進展していますが、JAXAにもいろんな方がいて、頼もしいですね。

私にとってもとても思い出深い講演と、取材インタビューでした。JAXAの公式ページからいつの間にか削除されたのが残念です。

長い記事を最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

「脳だけが肥大している」ー宇宙飛行士と山伏④

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「脳だけが肥大している」ー宇宙飛行士と山伏④
 ~田中利典著述を振り返る280105

JAXA(宇宙航空研究開発機構)での講演会発議に続く公式サイトでのインタビュー記事の連載中ですが、その4回目。「宇宙飛行士と山伏」という一見ミスマッチな内容ですが、その核心の部分です。JAXA理事の小林智之さんと、話が盛り上がっています。

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小林:自然との共生、ともに生きる、という世界観。次の質問につながるのですが、宇宙開発、名前そのものが開発、ある意味征服していくプロセスなのですよね。今、日本の宇宙開発というのは、昭和44年、1969年に政府が宇宙開発事業団という組織を創りました。

そのきっかけは、実は日本も地球の静止軌道上に日本の衛星を打上げたい。そのために、アメリカに学んで、いずれ、日本人固有のアイデアなりで宇宙開発を進めていこう。実は、これは日本国有鉄道の、新幹線を作った、島秀雄初代理事長の発言です。ロシア、欧州、米国に日本は追いつけ、追い越せでやってきた。やっと肩を並べたかとどうか、まだ何ともいえません。

ただ、国際宇宙ステーションというのは、協力してできるところまではきました。その先。どう進めていくべきか。これで私は、この前田中先生の話を伺って、日本の宇宙開発というものの在りようなり、考え方というのは、例えば、自然との共生という視点から言ったときに、我々宇宙開発をやっている人間は、それをどう受け止めたらいいのか。

このあたり、なかなか考えが思い浮かばないというところがありまして、今のお話の流れの中で、田中利典先生が、例えば宇宙開発を進めるひとつのきっかけを見出すとすれば、どのような視点からお考えになるかということを伺えさせていただければと思います。

田中:それは大変難しい設問で、そう簡単には答えられないことだと思います。まして具体的なことはわかりませんが、我々の場合で言うと、私たちは山を征服するために修行しているわけではない。どうやって山を歩いているのかというと、歩くのではなく、歩かせていただくというスタンスがある。

その体でいくと、宇宙に出て行って、宇宙を活用するのではなくて、私たちがともに生きる場所として宇宙を考えていく、そういうものでないといけないのではないでしょうか。もっと言うと、宇宙開発の根源的な部分をもう1回問い直さなければいけない、ということでしょう。このインタビューの設問にあるのですけど、この間の大阪での講演をして何をお感じになりましたか?と聞かれています。あれは私にとって、私の話した内容が参加者の方々にものすごく受けたことが大変驚くべきことでした。

まあ、講演中はそれほど受けているようには思えなかったのですが、後の懇親会で多くの先生方が大変気に入ってくださったようで、いろんなお話で盛り上がりました。だって、ある先生からは、私をして、宇宙に行かされそうになったほどですから。(笑)

小林:宇宙飛行士にも関わる話で、人間の限界、精神を鍛える限界というのは、今の修験道ではいろいろなコース、プログラムがあると思いますが、そういったものの限界というのはどのようにお考えでしょうか。

田中:私は、肉体の限界と精神の限界というのは関連していると思っています。近代合理主義の悪いところは、精神論のみ、なのですよね。肉体を持っていないのです。

ところが、実際は人間は肉体を持って生きている。ですから、肉体を鍛えることが精神を鍛えることにもなる。精神だけを鍛えるとなると、これはなかなか難しい。スポーツでも何でも結構精神主義なところがありますが、精神と肉体と両方鍛えていない本当の力が出ない。逆に言うと、精神を鍛えるのも、肉体を持って存在しているという部分を蔑ろにして精神だけは鍛えられない。

だから、山の修行にしても、ある程度のところまでは、誰でもいけるのですが、それ以上のことになると、それに伴うような肉体を持っていないといけない。単なる精神論だけでは済まないと思いますね。

小林:脳は五感を持って、嗅覚、聴覚、視覚、触覚、味覚、というセンサーで、これ唯脳論の典型かもしれませんが、世界を知る。自然を知るときも、その人間の皮膚感覚など全てを用いて受け止めるわけですが、その感覚の何かが健全にバランスが欠けている。

田中:脳だけが肥大しているわけです・・・。

~JAXA(宇航空研究開発機構)宇宙ことづくりプログラムインタビュー(2008年2月)より(インタビュワー:JAXA小林智之)

「時代性、社会性の大事」

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「時代性、社会性の大事」ー宇宙飛行士と山伏③
 ~田中利典著述を振り返る280104

小林:確かに、内向きというのは、JAXAもそういう内向きになることがよくあります。今、先生がお話されたものと合うかわかりませんが、元々、宇宙開発の計画を立てた、そのときはその時代を考えて、恐らくこれがあればこうなるだろうという想定の元に作った。それが、計画が5年、10年と経っていく中でその計画自身が硬直化してしまった。

田中:時代の方が早く動いていますからね。コンピュータがこんなに便利になるとは誰も思わなかったわけでしょう。「宇宙大作戦」のエンタープライズ号に出てくる話よりもはるかに個別のコンピュータのありようは上回っていますからね。

でも、やっぱり国がやる仕事とか、組織がやる仕事というのは、非常にレスポンスが悪いので、作った計画を後生大事にしてしまうところがあって、…これは何が問題かというと、時代性と社会性を著しく欠いてしまうことになる。

だから、常にものを成していくためには、外を見ていないといけないところがありますよ。これはJAXAだけではなく、お寺でもそうですよ。いや、寺なんてその最たるものなのかもしれません。役所と寺は同じくらい、内向きでレスポンスが悪いってこと。だって、伝統教団といいますけど、明治以降は、新興宗教、新宗教と言われる勢力の方がはるかに画期的なことをやってきたわけでしょう。

伝統教団、…いわゆる700年前、あるいは1000年前にできた教団とかお寺のことですが、そういう組織は長い年月の中で硬直化していて、時代性や社会性を持つのが非常に苦手なのです。だからある種、時代性にはそぐわないことになる。ただお寺の役割はお役所や企業などとはちょっと違うところもあるので、一概には言えないところもあります。

たとえば伝統行事を続けるというのは、時代性とか社会性だけを見ると続けていけなくなってしまうところもあるので、時代性を欠くこともそれはある程度仕方が無いことなのですが、それでも、人間が関わる組織の中というのは、常に新しく社会に対しての視点を持っていないといけないと思います。それはお寺も同様だと私は思っています。

私がこのお寺に入った頃に可笑しいと思ったのは、修験道の修行は結構一般の人が一緒に参加できるようになっていて、伝統教団の中では他があまりそういうことをしないだけに、その点ではすごく優れているのですけれどね。たとえば毎年7月8日に蓮華入峯修行という、吉野から大峯山山頂まで24kmの山道を歩いていく修行があるのですが、この行に一般の人の参加を募集しているのです。

ところが、以前からちゃんと募集していると寺では澄まして言っているのですが、これが可笑しいのです。私が入山したころの募集方法は、うちの機関紙に書いてあるだけです。うちの機関紙を一般の人は読まないでしょ。これは一般募集とは言わないじゃないかと(笑)。

しかし、彼らはそれが一般募集だとずっと言ってきている。あ、お寺ってそういうところなんだ、内側しか見ていないんだということを気づくのです。それで、私は、インターネットで募集したり、大法輪という宗教雑誌に広告を載せたり、ホームページや近鉄の広報と協力してチラシを作ったりしたのです。そうすることで一般の人の参加は激増したのですよ。一般の人というのは、本当に一般の人ですからね。うちの機関誌は一般の人は読まない。組織って長くやっているとそういう普通のことにさえ気づかなくなってしまうのでしょう。

~JAXA(宇航空研究開発機構)宇宙ことづくりプログラムインタビュー(2008年2月)より(インタビュワー:JAXA小林智之)

**************:

年末、ちょうどお釈迦様の成道会の日に、Amazonの僧侶派遣業の応募が世間の話題となったが、その後、仏教界の内外でさまざまな意見が出た。私もいくつか意見を述べたが、いづれにしろ、今の仏教界を支えてきた檀家制度自体がもう時代性を失っているのは間違いない。

もともと江戸時代2000万人から2500万人の日本社会で作られた制度だから現在のように12600万人を越える人口には合っていない。制度組織というのは3,4割の増加ならなんとか対応出来るが、3倍、4倍を超えて一億人も増加したら、制度自体を見直さないとどうにもならないのだ。そういうところを創価学会や数多の新宗教が補填してきたが、もう持たなくなって久しい。そこを仏教界はおざなりにしてきたから、これから更にその崩壊度は急になるだろう。

もちろん、それが果たして日本社会にいいものをもたらすどうかは、別の問題なのだが・・・。

一部のお寺や、僧侶の中では、そういう危機感をずいぶん前から持って、様々な活動がされてきたが、宗門にしろ全仏にしろ、肝心の仏教界自体は、さほどの危機感なく、今日まで唯々諾々と来たのが事実だろう・・・。さてさて。

それは別として、本稿のインタビューはあと2回続きます。写真はJAXAの記事なのでフリーのイメージ画像を使用しています。

「ことを起こす4つのキーワード」

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「ことを起こす4つのキーワード」ー宇宙飛行士と山伏②
 ~田中利典著述を振り返る280103

小林:今先生がお話になった気づきというのは、気が付くこと。 

田中先生が広く21世紀の問題、社会問題に対し、今回の修験道を通じたお考えを伝える。これは人と人との気づきが重要である。その持つ言葉の意味を、受ける側がどう受けるかということが問題になってきますが、先生はたとえばどういう例えで、人と人との気づきを訴えようということになりますか。

田中:人間の話は会話によって成り立つわけですが、言葉というのはしゃべった瞬間に自分の言っていることと相手の受け取ることに違いが生まれ、必ず一致しているわけではないですね。私がしゃべったことが「きっかけ」となって、勝手に何かが生まれることもあるわけです。それに気づかせるために私はしゃべっているというのはおこがましいことですし、まして何人もおいでになったら余計それは難しいことですからね。

きっかけとしての何かの講演であったり、執筆であったりしますが、それを受け取った側は、どう受け取るかということですよね。もしかしたら、私がしゃべった内容以上の気づきを勝手にお持ちになる場合もあるかもしれない。これは私についてもそうで、いろいろな話を聞いて、その人がしゃべっていること以上のことに気づくこともありますから。それだから面白いんですよね。

小林:言葉というのは誤解もありますし、100倍に受け止めて広げていく人もいる。そのときに、田中先生が事業を、世界遺産を1つ「こと」として起こされた。その後に続く新しいこと、というか事業を作るきっかけというのが、気づきをベースにおやりになろうとされると私は受け取ったのですが、そのときに、例えば、ことを起こすときにものすごく重要だなという要素なり、そういったものというのはどういうものをお考えですか。

田中:いくつかありますが…。1つは、私が無いこと。「無私」であること。自分の欲とかが前に出ると「こと」は成りにくいですよね。もちろん、私だって欲はありますよ…、ありますけど、やはりものごとを「私」しないというのが、人と一緒に仕事をする上で、ものが成る1つの大事な要素だと思います。もし、私のこれまでの活動も、世界遺産登録をして何か金儲けをしようとか、地位を上げようとか、そういう私的な目的がどこかにあったら、協力してくれる人がすごく減っていたと思うんですね。

そういう意味では、ものを成す上では、なるべく「私」が少ない方がいい、ということを常に思っています。当然、人間には「私」がありますが、出来るだけ無いほうがものは成りやすいでしょう。

次に、理念が大事だと思います。理念というか、目的というか、そういうのをきちんと持っていて、それを全て皆に披瀝するかしないかは別にして、きちんと最初に理念というかコンセプトというか、そういうものを自分の中に持っていないと、途中でわけわからなくなってしましますから。

それが確立していると、臨機応変にいろいろな発想や可能性を皆が生んでくれる。「私」がないことと、理念をきちんとして、コンセプトを持っておくというは大事なものを作っていく要素だと私は思いますね。

それと、人とのつながりですね。そういう意味では、「私」の無いことが1つの人との大きなつながりを広げていくのです。やはり人間がやる仕事ですから、いかに多くの人との繋りを持つかというのは大変大事だろうと思います。

もう1つ大事なことは、時代性というか社会性というか、そういうものにマッチしなければいけない。独りよがりではいけない。うまくいかなかった例を見ると、やはり内向きだけでものをやっている場合が多い。内向きでものを進めると、時代性とか社会性とかが著しく乏しくなるのです。

~JAXA(宇航空研究開発機構)宇宙ことづくりプログラムインタビュー(2008年2月)より(インタビュワー:JAXA小林智之)

「気づきを共有しあうこと」

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「気づきを共有しあうこと」ー宇宙飛行士と山伏①
 ~田中利典著述を振り返る280101

明けましておめでとうございます。
今年最初の著述を振り返るは、私にとって記念すべきJAXA(宇宙航空研究開発機構)での講演会発議に続く公式サイトでのインタビュー記事からの抜粋です。もう8年前の記事ですが、自画自賛ながらなかなか読ませます。

今回はその第1回。もうJAXAの公式サイトでの削除されているようで探せませんから、それなりに貴重ですよ。

*****************

小林:田中利典先生が現在取り組んでいらっしゃる大きな仕事なりを教えていただけますでしょうか。

田中:現在の(当時:著者注)普段の私の仕事は寺と、宗門の、いわば統括管理職です。それが主たる仕事で、後は実家が祈願寺なので自坊の住職もしていますが、もう10数年に及ぶ単身赴任中でして、自坊はいわば開店休業中というひどい状態です(笑)。

主たる仕事が寺内の管理なので、事務ワークもしています。ただ宗務総長というと宗外、寺外に向けての広報というか渉外活動も担っていて、これもやってます。

この渉外活動という辺りが今の私にとっては重要な活動と位置づけていて、外に向けての活動を行うことで、色んな人々や運動と繋がって行ったように思います。結果、自虐的にいうと、お坊さんをしてんのか、吉野の宣伝マンをしてんのか、自分でもよく解らないようなことになっていますが…(笑)。

寺の歴代の総長…私と同じお役になった人たちが、みんな同じようにやっていたかと言うと、全くそうでは無くて、やはり今の時代性とか、私を応援してくれる人達との関わりとかで、そういった広報的な活動の場がたくさん与えられたのだと思っています。それは誰でも与えられるわけではない分だけ、大変有り難い事だと自覚して積極的にやっています。

今回のJAXAさんからの講演依頼にしても、普通では考えられないようなお話だけに、厚かましくも出向させていただいたわけでして、不思議なご縁ですよね。

私の話は、基本的には私の所属する吉野修験の紹介というか、外の方々に向けてのご案内といった事ですが、ただ、単に吉野とか金峯山寺を紹介するだけではなくて、その活動を通じて修験道全体の価値観のような、そういった物の位置付けが段々と広がって行けばという思いがあります。

先のJAXAの大阪講演の際にも申し上げましたように、現代社会が持っている色々な問題というか、歪みというか、そういう物を解く鍵が、修験の修行の中にあると私は思っているので、現代の歪とか現代の行き詰まりを、修験を語る中で見て行く事が出来ればと願っているのです。

具体的には吉野大峯のユネスコ世界遺産の登録活動とか、修験道の中での各教団との連帯協議とか、そういった事がここ数年で実績として出来てきたのですが、今の私はもうちょっと先も望んでいます。

それは今までの活動というのは結果的には、ちょっと大げさな言い方なのですが、近代主義との戦いなのだと気づいたのです。近代との戦いを始めている…。こういうと格好よろしいな(笑)。

ところで、私達はもうすでに近代社会のたくさんの物を享受してきたじゃないですか。明治に新政府が発足して以降、日本でも近代が生まれました。やっぱりあの当時の日本としてはなんとしても近代を迎えざるを得なかった訳ですね。あの時に近代を迎えていなければ、東南アジアや中国同様に欧米諸外国の植民地というような、もっと酷い歴史にこの国もなっていたのかも知れないので、近代を迎えた事は大変意味があったわけで、決して全部悪い訳では無いのですが、でも近代を迎えて、それが全部良かったかというと、実はそういう訳でも無いという事が、近頃ヨーロッパ社会でもボツボツ出てきていて、19世紀以前に戻ろうという運動も有るようだと聞いています。

ですから、近代がもたらした良いところと悪いところをきちんと見ていなければいけない。今まではややもすると、近代が全部善だというような幻想があったように思いますが、そういう価値観を見直す必要があって、ではその近代の悪いところをどう近代以降、次のポスト近代で見ていくかというのが、今世紀の課題であり、人類の将来に対する課題だと私は思っているのです。地球環境問題もしかり、です。

産業革命以降、近代社会が発達すればするほど、物質文明が発展して、その結果、地球環境を破壊していったというのはもう間違いないわけですから…。それをどう解決つけるか、そのツケが20世紀以降、回ってきている。

そうすると、今言いました近代の幻想…近代がもたらしたものが全部優等であるというのではなくて、近代もよいところがあったけれども、悪いこともある。それをふまえるのが現代社会の課題だと思うのですよね。その答えはまだ誰も用意できていない。

そういうところで、修験という前近代的なものが抱え続いてきているものの中に答えのヒントが残されている、というのが、私が対外的な活動をする現在の帰着点なのです。そこをどう活かすかを模索しつつ、たくさんの人に知っていただく機会を作っていきたいと思っております。

吉野大峯のユネスコ世界遺産登録のときは、世界遺産登録を通じてそういう、修験の持っている価値観を訴えてきました。その後、世界遺産も一段落して、次のステップとして、事業というか、今どんな取り組みをしているのかといえば、実は具体的にはまだないのです…。

ただ、幸い、たとえば明日も奈良県下の某高校と大学の公開講座で呼ばれているんですよね、1日2つも。そういう依頼が続いている限りは、世間に対して申し上げる場所があるので、私なりにお話をしながら、今後も皆と共有できるものを目指していきたいと思っています。

でも最終的に世の中を変えたり、世の中を支えていくのは、人と人との気づき合いですね。何も気づかないで生きているほうが楽なことがたくさんありますが、それですと何も生まないし、何も生まれない。気づきを共有しあうこと、自分の気づいたものは人に伝え、人に伝える中で、また自分自身新しい気づきを与えていただける。そういうことを目指して、活動というか今の取り組みを行ってます。

~JAXA(宇航空研究開発機構)宇宙ことづくりプログラムインタビュー(2008年2月)より(インタビュワー:JAXA小林智之)

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