「修験道廃止で17万人の山伏が消滅」~田中利典著述集280109
「修験道廃止で17万人の山伏が消滅」
~田中利典著述集280109
三輪隆裕先生(日吉神社宮司)から、ご自身が十数年前に上梓された『国家神道の成立とその背景』という論文を頂戴いたしましたが、私はその文中に驚異の数字を発見しました。
それは何かと申しますと、明治期に『神仏分離令(註:1868(明治元)年3月、成立したばかりの維新政府の神祇官により出された通達。長年続いてきた神仏習合の慣習を廃し、神道と仏教の境をはっきりさせた)』というものができ、あろうことか、明治5年には『修験道廃止令』まで布告となり修験道は禁止となりましたが、その『修験道廃止令』により職を失った修験者(山伏)の数が、なんと17万人だったそうです。これは、実はすごい数字なんです。
もちろん、これまでにも「われわれ修験者は、明治政府の修験道弾圧政策により大きなダメージを受けた」という意識はありましたが、その数が17万人であったという事実は驚異的でした。
現在の日本において、「伝統仏教諸教団および新興の仏教系の教団を含めて、僧籍を持った者(僧侶)の数は22万人」と言われています。「なんだ、(当時の修験者の総数である)17万人よりも、現在の僧侶の数のほうが多いじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、現在の日本の人口が1億2600万人なのに対し、明治初期の総人口はたった3300万人程度。
つまり、現在の約4分の1の人口の時代に、17万人もの山伏がいたかと思うと、その数が並々ならぬ数であったことが容易に想像していただけると思います。現在の人口に換算すると、60数万人も山伏がいることになりますからね。
ー大阪国際宗教同志会:平成17年5月23日、「愛・地球博」長久手会場「地球市民村」において開催/国際シンポジウム基調講演・田中利典『水・森・いのち』より
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実はこの講演で取り上げた「17万人の山伏が明治に職を失った」という話がその後、一人歩きをしはじめて、かなりいろんなところで大きく取り上げられたように思います。その後、三輪先生が示されたその数字の出典を探しに探しすのですが、ようやく盟友の正木晃先生によって、中山太郎氏の『日本巫女史』(1929年刊)が初出だとご教示いただきました。
一人歩きをし始めただけに、心配をしていたのですが、出典が見つかってほっとしました。
なお、この講演録は知友の三宅義信先生の手が入った素晴らしい出来のものと成っています。全文は ↓ ここにあります。ご参考まで・・・。
http://www.relnet.co.jp/expo/event_31riten.htm
*写真は明治に全山が一時瓦解する金峯山一山の、明治以前の様子をしめした全山古図(天理図書館蔵・・・金峯山寺にも複写本があります)。
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コメント
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時代にいろいろ影響を受けているんですねー。
修験道が生まれたのも時代なのかもしれないけど。。。
戦争の時はどのようにされてたのでしょう。。。
ただでさえ食べ物もない時代だったのになぁ。。。。
お坊さんも戦争に行ったのかな。。。
投稿: にゃおちゃん | 2016年1月11日 (月) 22時48分