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「日本という国ーその2」

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「日本という国ーその2」
 ~田中利典著述を振り返る280122

なぜこんな話をするかと言いますと、役行者が生きられた時代はどんな時代であったのかということを考えたいのです。

仏教が日本に伝わるのは五三八年、あるいは五五二年とも言われます。それから約百年後に役行者はお生まれになった。

聖徳太子が「和をもって貴しとせよ」「篤く三宝を敬え」と、十七条の憲法を立て、仏教の思想で国づくりを始められるのは六〇四年。この頃もまだ「倭」という国でした。日出づる国の天子、という言葉もありますが、まだ日本という国名は使われていません。

そして役行者がお生まれになって十数年後に大化改新があり、中臣鎌足(後の藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)がそれまでの蘇我氏の専制政治を破って、新しい国づくりを始めます。

そして天智天皇のあとを継いだ天武天皇が、天智天皇の息子の大友皇子と戦争して勝利するのが六七一年の壬申ノ乱…天武さんは吉野において挙兵するわけですけれども…このように役行者の時代というのは、戦乱の時代でもあり、また新たな国づくりを行った時代でもあったのです。

それは正に天皇を中心とする中央集権国家が出来ようとした時代でした。そして日本という国が始まったそういう時代が、役行者の生きられた時代でなのであります。

しかもその新しい日本によって、役行者は反体制側の反逆者として流されるわけでありますが、日本という国が始まった時から、常に日本の体制側の反対側で一つの大きな活動・修行・文化・歴史を営んでくるのが、役行者に象徴とされる山林修行者たちの信仰であったということです。そのことも、ぜひとも見ておいていただきたいと思います。 

混迷を極める今、現代社会というのは、ほんとにどうなるのか誰もわからないようになってしまいつつあります。これは戦後の日本がたくさんのものを棄ててきて、どんどんどんどん棄ててきて、ふっと振り返ると、日本人って何やろな、日本人ってどこへ行くんやろな。大人も子供もみんなわからんようになりつつある…そんなふうなのではないかと私は思っています。

そんな時に、日本という国が産声をあげた時から常に続いてきたものの中に、何か一つの、二十一世紀の日本、これから千年先の日本を考えるのに大切なものがあるのではないか、ということを私は思うのです。

~浅草寺文化講座平成12年版:田中利典講演録「役行者という人」より

*写真は講演中の私です。

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