「インタビュー:修験道と現代日本」
« ケント・ギルバートさんと綾部 | トップページ | 「PVシリーズ番外②:エフエムあまがさき「8時だヨ!神さま仏さま」 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「ダイアローグ」(2019.04.15)
- 「電子書籍版/吉野薫風抄の表題募集結果発表」(2019.03.23)
- 「ご意見、くださいませ・・・!!」(2019.03.16)
- 「半日断食・・・」(2019.02.26)
- 「鼻血のサイン・・・」(2019.02.24)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
« ケント・ギルバートさんと綾部 | トップページ | 「PVシリーズ番外②:エフエムあまがさき「8時だヨ!神さま仏さま」 »
修験道と現代日本、おかげさまで見ることができました。素晴らしい内容でした。
特にも、共生は共死である、との最後部分は感銘を受けました。山の神仏達と私たちは一体であって、その関係は切れることがないのだということは、我々の一挙手一投足が山の神仏の行為となることでもある。その重さを改めて感じさせてもらいました。
投稿: 渡辺清文 | 2016年2月13日 (土) 15時54分
ありがとうございました。今日で公開がされなくなるのはとても残念なことです。。
投稿: 吉野山人 | 2016年2月13日 (土) 17時17分
ほんと。残念ですね。で、観れなくなる前に、最後の部分、メモさせてもらいました。
「自然が壊れるとお前が思うことはおこがましいことだ。なぜなら、自然というのは常に人々とともにあるし、人々が壊して自然が壊れるなら、ともに死んでやる。よく共生ということがいわれますが、共生は共死をともなう。ともに生きるということはともに死ぬことなんだ。我々が思わなければならないのは この地球、周りの自然、これは人間が生まれて以来常にそのなかで生かされてきて、しかも壊し続けたことによって環境問題は出てきているんですが、人間存在というのはたぶんそれは永遠の宿題みたいに背負っているものなので、我々が生きてきたということは自然とともに生きてきたし、自然が死ぬということは我々も死ぬことなんだ、それが実は我々と自然の関係の普遍性なのかな。」
人と共生共死する自然。いつでも潔く死ぬ覚悟が定まっているとき、愛情も惜しむことなくそそぐことができるのでしょう。自然とは人間の厳父であり慈母であるのですね。
投稿: 渡辺清文 | 2016年2月13日 (土) 22時21分
おはようございます。今朝ままだインタビューが観れました。ありがたいことです。
投稿: 渡辺清文 | 2016年2月14日 (日) 07時48分