「奈良県の神仏習合」
ちょっとお休み気味の著述集。今日は2010年の奈良県宗教者フォーラム第7回大会からの抜粋です。
狭川さんは、このたび第222世東大寺別当に就任されることが決まった、私の龍谷大学の大先輩。私の中では、「天才」というイメージの破天荒なお坊さんです。
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狹川:最近の若い人、あるいは諸外国から来られた人達に対して、どのように言えば神仏習合のことが分かりやすいかなと思いまして、色々考えておりましたんですが、今、近鉄電車と阪神電車との相互乗り入れと言うのがピッタリくるのではないか。東京では、各鉄道会社が頻繁に相互乗り入れをやっておられますが、経営母体は絶対侵食いたしませんな。お互いに乗り入れはするけれども、きちんと経営母体、運営母体はつぶし合わない。しかし、お互いの駅に行くことができる。
ところがですね、今日も来ておりますがうちの長老、親父が近鉄奈良駅から難波に行こうとしたところ、阪神の電車が来たわけです。で、近鉄の電車と阪神の電車では長さもドアの数も違うことに気づかずに「あっ、ここや」ってなもんで難波の駅に着きまして降りたらいつもと違うホームの位置に着いとると。で、違うとこに上がってしまった。
しかしながら、本来の目的の場所に行ける。これは、本当に正木先生がおっしゃいましたように、当たり前のように、日本の人たちの中に、神仏習合の理念がしみこんでいるたとえになるのではないか。
田中:日本というのは本当に希有な場所です。まれな場所なのです。そしてここ奈良県は、その希有な日本の中でも、いよいよまれな場所なのです。私は金峯山寺という修験道のお寺にいるのですが、金峯山寺といっても多くの方はほとんどご存知ないので、金峯山寺を紹介するときに、「法隆寺さんほど古くないけれども、東大寺さんよりはちょいと古い」というのです。こんな風に言うことの出来るお寺がゴロゴロあるのが奈良県で、他にそんなところはないんですよね。そういう意味でも希有な場所であります。
ご存じのように、『古事記』『日本書紀』は奈良県で編纂されました。『古事記』『日本書紀』によって、それまでの日本の神信仰のひとつのまとめがおこなわれ、正にこの地で神信仰が神道として成立をする土台が出来ます。仏教は西暦538年、あるいは552年頃に公伝したわけですが、やはりこの奈良の地を拠点として、日本に根付いていきました。そして神道と仏教、このふたつが融合した形でできてくるのが、実は修験道という信仰で、この修験道を開いたのも、間違いなく奈良県人である葛城山麓の住人・役行者という方であります。奈良県というのは、ことほどさように、そういった場所なわけであります。
ー「奈良県宗教者フォーラム第7回大会パネルディスカッション記録」(2010年7月10日 於奈良県立新公会堂)より
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*この時の実行委員長が春日大社の岡本さん。いま、一緒に東京で「誇り塾」という私塾を立ち上げ、塾頭としてご一緒しています。
また実行委員の中、冒頭で申し上げましたように狭川先輩が東大寺の別当さまに、薬師寺の村上先輩も薬師寺の管長様にそれぞれ今年ご就任されます。豪華メンバーの大会でした。
写真はその大会の舞台です。お三人のほか、当時、森石上神宮宮司さま、古谷法隆寺執事長さまというお歴々を後ろに従えています(笑)
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