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「蔵王権現② ー蔵王権現は純和製」 ~田中利典著述集280329
もうひとつ、蔵王権現の一大特長として「純日本製」ということが挙げられます。お釈迦様も、大日如来も、阿弥陀仏も、観音様もお不動様も、弁天様さえ、みな外来のもの、つまりは外国産です。しかし、蔵王権現は大峯山上の岩を割って湧出した、生粋の日本生まれ。文字どおり日本の大地から生じた純和製のご本尊です。
日本人にとって聖なるものは、和御霊(にぎみたま)と荒御霊(あらみたま)の二つの形をもちます。生命のバランスが整っている和御霊、バランスを損なうほど勢いが前面に出ているような荒御霊。
蔵王権現は、その二つの御魂を融合しています。忿怒の形相という姿かたちはまさに荒御霊ですが、肌の色は和御霊の慈悲をあらわします。和御霊と荒御霊がともに現れている点からしても、いかにも日本らしいご本尊です。そこに私は唯一無二なる力と親しみを覚えるのです。
ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より
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蔵王権現様が純和製=つまりメイドインジャパンというのは、私独自の本尊観です。思いの外、沢山の方々に支持されています。
*写真は秘仏ご開帳中に行われる蔵王堂夜間拝観。聖地吉野の聖なるひとときは来る者を圧倒し、権現様のお力を間近に感ずることが出来る無二の機会。今期も行われる。今期の施行日は4月1日(金)、4月3日(土)、16日(土)、22日(金)、23日(土)、28日(木)、29日(金)、27日(金)、28日(土)、5月3日(火)、4日(水)、7日(土)です。
「蔵王権現① 蔵王権現像があらわすもの」 ~田中利典著述集280328
悪魔、煩悩に立ち向かって、それを粉砕し、衆生の三世を救済する力があるとされている蔵王権現。しかし、「悪魔を粉砕する」といいますが、そもそも悪魔とはなんでしょうか。
ここでいう悪魔とは、「悪魔」という特定の存在ではありません。たとえば、人々の苦しみのもととなる悪病や災厄を意味します。苦しみや悩み、迷いを生じさせるはたらき、いのちの輝きを奪うはたらきを「魔」、あるいは「悪魔」と呼んでいるのです。
苦しみや悩み、迷いを生じさせるはたらきは、つねにこの世に存在します。そして、「悪魔は、どこかにいるのか?」と聞かれれば、それは自分の心の中にも存在しているのです。心の中に巣食う欲望やねたみ、憎悪なども、悪魔といえるかもしれません。仏教では、それらを「煩悩」と呼んでいます。蔵王権現は、先述のとおり、悪魔、煩悩に立ち向かって、それらを粉砕する姿を示しているのです。
また蔵王権現の姿は、魔を粉砕する強さ、忿怒だけでなく、智慧と慈悲もあらわしています。
背後の燃えさかる火炎は、仏の大智慧の象徴であるとすでに解説しました。智慧を火であらわすのは、智慧の焔【ルビ:ほのお】で煩悩の薪【ルビ:たきぎ】を焼きつくすということなのです。そして、御身の青黒色は、大慈悲をあらわしています。「青黒は慈悲をあらわす」と、仏典(『聖不動経』など)にも説かれています。見るからに恐ろしい姿は、ただ怒りに燃えているだけではありません。その根底には「恕(じょ)」の心があります。一切を恕【ルビ:ゆる】し育み、人々を導こうという慈悲の心です。
「恕」はゆるすと読みます。ゆるすには「許」という字もあります。許は、ききとどける、相手の言うことを聞いてやるという意味ですが、「恕」は、相手をゆるす、おもいやる、いつくしむ、あわれむなど、より広い心なのです。蔵王権現像の巨大さが、その広い心の現れであるような気もしてきます。私たちは、日常の暮らしの中で、恕す心が大きくなるよう心をおさめていきたいものです。
蔵王堂に安置されている蔵王権現をじかに拝すると、その巨大さとすさまじさに最初は驚くことと思います。が、しばし蔵王権現と相【ルビ:あい】対峙して座していると、やがて心が落ち着いてきて、やさしく包まれている感じがすることでしょう。おそろしい忿怒の形相の内面に、深い慈愛の御心を感じることができることでしょう。
蔵王権現は、私たちの心に湧き起こる過去への後悔、現在の執着、未来への不安や恐れの心を浄めてくださいます。
ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より
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いよいよ今期の蔵王堂本尊秘仏蔵王権現さまのご開帳が行われます。この春は4月1日から5月8日まで39日間です。開帳開始の4月初旬から中旬までは桜シーズンでごったがえしていますが、20日以降は静かに参拝出来ますよ。この時期がお薦めです。
また、多くの友人にお誘いをしていますが、4月29日には私の主宰する東京行者講が企画しています「りてんさんといく蔵王堂夜間拝観と修験講座」というスペシャルな参拝プログラムもあります。よろしければどうぞ。
詳しくは以下へ ↓
https://www.facebook.com/events/1643542502452158/
*写真は今期の秘仏蔵王権現ご開帳のポスターです
「山伏のファッション②」 ~田中利典著述集280327
昨日の続きです。
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法螺(ほら)
法螺貝を加工してつくられたホルンのような吹奏楽器。山伏独特の装備といえるでしょう。上手な山伏が吹くと、ブオー・ブオーと、びっくりするぐらい大きな音が出ます。ご本尊の法楽や、いろいろな行事の合図のときに吹くほか、山で修行中に山伏同士の合図や獣よけにも使います。
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螺緒(かいのお)
険しい道を上るときなどに、いまで言うザイルや命綱のように使いました。法螺もかつてはこの螺緒に結び付けられていましたが、山の中で動き回るうちに抜け落ちてしまう危険性があるため、今では法螺は別の網に入れるようになりました。金剛界の大日如来を表すバンという梵字のかたちに似せて編みあげてあります。
護摩を焚くときに邪悪なものの侵入を防ぐため檀線を四方に張り巡らせるのですが、螺緒は檀線同様、邪悪なものから身を守るものという意味合いもあります。
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最多角念珠(いらたかねんじゅ)
山伏が持つ、独特の数珠。一般的な数珠のように丸くなく、角がそろばん玉のようにとがっています。数珠玉の数は一〇八個。これを子珠・主珠といいます。そのほかに大きな母珠(親玉)が一個。子珠よりやや小さい、仏や四天王など聖なる存在を表す四天珠が四個。さらに衆生をあらわす緒留(おとめ)などが付いています。珠の中を通る緒は、不動明王の羂索(けんさく)ーロープをあらわしています。
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檜扇(ひおうぎ・ひせん)
その名のとおり、檜で作られた扇。開くと三角形になる形は、不動明王の火炎をかたどっています。主に、護摩を焚くときに風を送るためにあおぎ立てるものとして使われます。
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引敷(ひっしき・ひきしき)
獣の皮で作られた、坐るときにお尻にあてるものです。鹿皮が一般的ですが、さまざまな皮が使用されます。ヒモがついていて、腰の後ろ側に巻きつけて装着します。
山伏は山の中で修行するため、坐る場所もなかなかないことがありますが、引敷があれば、濡れた場所や岩の上、木の根の上でも坐れるという、便利な装備です。
・・・山伏の正装を衣から袈裟まで一式そろえると、だいたい20万円~30万円ぐらいかかります。ただし、修験道の正式な衣装は資格がないと着用できません。最初は、一般の人にも許されている山袴や山襦袢、手甲、引敷、地下足袋くらいの装備で充分です。購入は、修験道専門のお店で相談されるのがよいでしょう。
ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より
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*写真は修験の秘法「火渡り式」を行ずる山伏。
「山伏のファッション①」 ~田中利典著述集280325
歌舞伎や時代劇などにも特有の装束で登場する山伏。その装いは、いたるところに信仰の象徴(シンボル)的な意味合いが込められています。
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「頭襟(兜巾:ときん)」
山の中でとがった岩や突き出た木の枝から頭を守る、山伏専用の小さなヘルメット。独特な形は、大日如来がかぶっている宝冠を真似たもので、黒い色は煩悩と無明を表し、「聖なる仏も俗なる人も本質は同じ。悟りも煩悩も実は同じところにある」という修験道の教えが込められています。
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「鈴懸(篠懸:すずかけ)」
山伏の法衣は、俗衣の上衣に括袴【ルビ:くぐりばかま】という俗人の衣服です。風通しの良い麻で、色は「柿色」と表現される淡い黄色です。
「鈴懸」という言葉は、「鈴」=仏性を宿らせている私たちの身体、ということに由来します。仏性というのは、生きとし生けるすべての人に、悟りを得て仏になれる種(可能性)が宿るとされる仏教の考え方です。
密教の法具に金剛鈴という鈴があり、儀式では音を立てることで自分自身に眠っている良心を目覚めさせたりすることから、鈴=仏性の象徴という意味で使われています。そして、衣は、仏性を宿らせている身体に懸けるものなので「鈴懸」と呼ばれます。
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「脚袢(きゃはん)」
かつては「胎蔵黒色のはばき」と言われる黒いものを着用していましたが、今は白い脚袢で脛の部分を保護します。
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「結袈裟(ゆいげざ)」
天台宗系の山伏が身に付ける結袈裟は、細長い帯状の布製品で、丸い房(ボンボン)が付いています。丸い房を「梵天」というので、梵天袈裟とも呼ばれます。これに対して、真言宗系の山伏は、房ではなく輪宝【ルビ:りんぽう】といって平たくて丸い輪っかの飾りを付けるのが特徴です。
結袈裟の台の色は、金峯山寺の場合は、僧籍を持っている山伏は白地に金欄付き、僧籍を持っていない山伏は茶地に金欄付き。真言宗系の場合は、ほとんどが茶地に金欄付きです。梵天や輪宝は前に四つ、後ろに二つ付いています。
ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より
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*写真は熊野本宮大斎原で大護摩供を行ずる鈴懸正装の大峯行者たち。
急告!「りてんさんといく蔵王堂夜間拝観と修験講座」
・・・是非、ご参加下さい。
4月29日の金峯山寺蔵王堂・秘仏蔵王権現夜間拝観に参観し、田中利典金峯山寺長臈の修験講座や法話会を聞くツアーを募集します!20名限定ですので、ご希望の方はお急ぎ下さい。
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本講座は田中利典長臈が会長を務める東京行者講の主催行事で行われるモノで、広く一般の方々に呼びかけして、蔵王権現さまとのご縁を結んでいただこうと開催されます。
4月から開扉されている秘仏蔵王権現さまの夜間特別拝観に参加するほか、田中利典長臈の修験講座「蔵王権現入門」や本地堂特別法話会への受講、宿坊東南院での宿泊、3度の食事会と懇親会など、もりだくさんの内容で行われる。
*現地吉野山集合、現地吉野山解散。
*参加費は20000円(受講費、宿泊代・食事代3回・夜間拝観/日中拝観料、税込み)*申し込み問い合わせは
東京行者講 Tel 050-5896-1652
詳しくは直接東京行者講にお問い合わせ下さい。
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参加費2万円の中には、宿泊1泊3食+小宴費、講座受講・夜間拝観/日中拝観料などが含まれ、聖地吉野山と宿坊東南院でのひとときを、秘仏蔵王権現様とともに、そして私もご一緒し、満喫していただきます。
東京行者講 主幹:栗原観道
担当:古賀照佳
「記念講座<勝谷誠彦の山伏な日々>」のお知らせ・・・
勝谷さんの番組に出たときに、「講演会によんでくれたら行きますよ」と言ってもらったので、作りました。勝谷さんの講演と、私とのトークセッションを、「カツヤマサヒコSHOWin吉野山」と題して、サンテレビのトークの続きをやります。
是非、おいで下さい。
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吉野熊野国立公園指定80周年記念
吉野町々制60周年記念
金峯山青年僧の会発足22周年記念
記念講座「勝谷誠彦の山伏な日々」
○趣旨
コラムニスト勝谷誠彦氏を吉野山に迎え、山の文化、聖地、修験道、そして吉野の過去現在未来、更には昨今の世相などをテーマに公開講座として、大いに語っていただきます。
本企画は勝谷氏の番組であるサンテレビ放送「カツヤマサヒコSHOW」に金峯山寺長臈田中利典師が招かれて出演したことがご縁で(放送は今年1/30)、勝谷さんをお迎えすることになりました。主催は金峯山青年僧の会、吉野町、吉野ビジターズビューロー、後援として吉野青年会議所としての事業です。
吉野熊野国立公園指定80周年・6ヶ町村が合併して現在の吉野町になって60周年という記念すべき年に相応しく、山の文化、吉野地域の聖地性、修験道についてなどを中心に、吉野が我が国の歴史上果たしてきた役割や今後の発展性など、世相談義も含め、多岐にわたる視野をもって、広くこの地域が持ち得た意義の考察を深めることが出来ればと企画しました。
○日時及びスケジュール
1、開催日 6月4日(土)午後3時から
1、場 所 金峯山寺聚法殿2階大研修室
(奈良県吉野郡吉野町吉野山2430)
1、参加費 無料(先着150名:申込制)
1、日 程 午後2時半 受付開始 於 吉野山聚法殿
午後3時 開式
第1部講演「勝谷誠彦の山伏な日々」
午後4時
第2部トークセッション
「カツヤマサヒコSHOW in 吉野山」
午後5時 閉式
主催:金峯山青年僧の会
共催:吉野町・吉野ビジターズビューロー
後援:吉野青年会議所
協力:金峯山寺・環境省吉野保護官事務所
○申し込み・問い合わせ先
金峯山青年僧の会 奈良県吉野郡吉野町吉野山金峯山寺内
Tel 0746-32-8371 Fax0746-32-4563
綾部のコミニュテイラジオ「FMいかる」(http://www.fmikaru.jp/)の帯番組「情報キャッチ!とれたてワイド763」(正午から14時30分まで)の毎週水曜日に、コメンテーターとしてレギュラー出演することが決まりましたが、来月第2週の4月13日よりのデビューを前に、今日の「とれたれワイド763」にゲスト出演します。
正午から14時30分までの長丁場ですが、お試し運転として、気楽にださせていただきます。
サイマルラジオで流れますので(http://www.fmikaru.jp/)、全日本、全世界から視聴可能です。よろしければお聞き下さい。
綾部の限定情報番組なので、地域限定ですが、まあ、ローカルな時代ですから、これはこれでとても意義深いと思います。
今から楽しみです・・・。
「コミュニティラジオにレギュラー出演!」
綾部のコミニュテイラジオ「FMいかる」(http://www.fmikaru.jp/)の帯番組「情報キャッチ!とれたてワイド763」(正午から14時30分まで)の毎週水曜日に、コメンテーターとしてレギュラー出演することが決まり、来月第2週の4月13日より、登場することが決まった。
そして、そのプレ出演として、来週3月23日(水)の正午から14時30分までゲストとして、出ることになった。2時間半の長丁場である。今から、楽しみです。
もちろん、綾部の限定情報番組なので、広く世間に興味を持ってもらえる内容ではないでしょうが、でも、サイマルラジオで日本中、いや世界中で視聴が可能なので、折角出してもらうのだから、少し視野を広げたコメントが出来ればと願っている。
また15才で比叡山高校に進学以来、郷土綾部のことは全くの不案内なので、この番組を通じて、私自身が故郷のことを学ぶ機会になればとも願っています。
「グローバルからローカルへ!」というのが近年の持論でしたから、身を以てローカルの良さを学んでみたいと思っています。
さてさて・・・
還暦を昨年迎え、また長年勤めた宗の役員も卒業した身。
時間は出来たが、まだ、新たな人生の歩みを始められない
田舎に引っ込んでみると、今までの、加速度的な生活がず
今日も吉野に行く予定だが、朝からぐずぐずしている。ま
時間があるからといって、効率的に仕事が出来るかという
ちょっと前まで、それこそ、ばたばたばたばた一年中、忙
今朝、家内から「何その格好!年寄りみたい・・・」とだ
*写真は熊本玉名の友人K和尚との還暦祝いの夜。
「ハレの装置としての山修行」 ~田中利典著述集280312
日本人は古来よりハレとケを行き来して生きていました。ケとは終わらない日常のことをいいます。日常の生活をずっと続けて行くと、だんだん気が衰え弱ってくる。そして、弱ってくると病気になる。それをケガレと日本人は考えました。そこで、気を元に戻す。それを元気というのです。この、元に戻す行為をハレといいます。
つまり、ハレとは非日常であり、日常を離れて聖なるものに触れること。正月、桃の節句、端午の節句、夏や秋のお祭り……。すべて、聖なるものにふれる非日常の行事で、ケによって崩れたバランスを復元する機会なのです。お正月にお屠蘇を飲むのも、端午の節句に菖蒲湯に浸かるのも、秋に収穫祭をして大いに騒ぎ、ふだんは食べない美味しいものを食べるのも、ハレとしての装置なのです。
しかし、ものが豊かになった現代では、毎日がハレのようなぜいたくな生活になり、ハレをなかなか意識できません。ずっとハレのような生活を続けるのなら、それこそがケになります。そうしたときに、なにがハレの装置になり得るか。そこで山修行なのです。
山に入り、汗をかきかき山歩きすることは非日常であり、日本人にとって山は神仏のおわす聖なる世界にふれることです。ですから、修験道の山の修行というのは、ハレが失われた現代社会の中で、ハレの装置としての機能を果たすことができると私は思っています。しかも、きわめてすぐれた役割を果たせると思います。それに、誰にでもできます。体力の問題はありますが山を歩くというのは、たいへんハードルが低い行為です。
こんな時代だからこそ、修験道の山修行が求められる大きな意味があると言っていいでしょう。
ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より
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*写真はあるときの大峯蓮華入峰の行者たち。
「ガールズパンツァー」
今年初め、ガルパンを映画館でたまたま見てからすっかりガルパンのファンになった私は、オリジナルテレビ版を見たい見たいと念願していました。
ところが映画で爆発的に火がついたのか、人気急上昇で、レンタルにもなかなか空きがなく待ちわびたが、先週ようやく借りれるようになって、シリーズ全12回を一気に見ました。
やあ、やはりよかったなあ。
戦争物をエンターテインメントにするのは賛否があるかもしれないが、これくらい、エンタとして完成度が高いと嬉しくなりますね。
近頃のオタクアニメにはオジさん世代はもうとてもついて行けないとおもっていましたが、いやー、すっかりハマっちゃいました。
映画の続き、やらないのかなあ・・・。
オタクアニメだと馬鹿にせずに、一度ご覧下さい。きっとミポリンにハマりますから・・・。
「田中利典を若い人の傍にプロジェクト:パート2」
ここ15年ほどの間に、500回を越える講演会やシンポジュウムに出させていただいてきたが、概ね世代の高い人たちが対象として多かった。そんな中、幾人かの友人から、もっと若い世代の人に、修験道や山の宗教の値打ちを広げて欲しいと言われ続けている。そして、有り難いことに、そういう機会を作ろうという動きをしてくれる人たちがいる。
先週末に奈良市内の町屋で行った「奈良縁巡り番外編」のミニ法話会はそういう流れのひとつで、いわばパート1。
そして3月24日にはそのパート2ともいえる、「修験道に学ぶ」と題した、やはりミニ集会が大阪難波で開催される。募集人数は限られているが、よろしければご参加ください。
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ワークショップ「修験道から学ぶ」
青年期の空海(弘法大師)が歩いたとされる「吉野山」から「高野山」までを結ぶ道、「弘法大師の道」 今回は、この「弘法大師の道」に「修験道」という観点から迫る、セミナー・ワークショップを開催します。
世界遺産「大峯奥駈道」をはじめ、今も全国各地で実践されている修験道。
今、この時代に「修験道」を通じて学ぶことができること、私たちの日々の暮らしに実践できることなどの疑問についてインタビュー形式で問いかける第一部。法螺貝の吹奏体験、修験装束の試着や法具の説明、「弘法大師の道」のパネル展示など、実際にふれる・学ぶことが出来るワークショップの第二部。
セミナー&ワークショップ形式で身近に感じてもらうための二部構成のイベントを吉野・金峯山寺長臈の田中利典師を講師に迎え開催します。
■日時
3月24日午後6時半~8時
■募集 25名(参加費無料)
■会場アクセス
I-siteなんば(大阪府立大学なんばキャンパス)
アクティブラーニングスペース(南海なんば第一ビル2階)
※建物北側の大学入口からお入りください
・南海電鉄「なんば駅(中央出口)」下車、 南へ徒歩約12分
・地下鉄御堂筋線「なんば駅(5号出口)」下車、南へ徒歩約15分
・地下鉄御堂筋線・四つ橋線「大国町駅 (1番出口)」下車、東へ徒歩約7分
■お申 込 方 法
メールにて、代表者の住所・氏名・電話番号・参加希望・ 人数を明記し、上記アドレスまでお送り下さい。
■お申込み締切日 3月22日(火)までにお申し込み下さい。
※申し込み先着順で、定員に達し次第締め切らせていただきます。
■問い合わせ・お申込先
奈良県 地域振興部 移住・交流推進室
TEL0744-48-3016 FAX0744-48-3135
メール nanbu@office.pref.nara.lg.jp
「書が日本を救う②」
~田中利典著述集280302
昨日の続きデス・・・
○
本稿は書道ジャーナルという雑誌で「書のいまを問う」というテーマについて書いている。これを私流に解釈すると、書とは書道であり、そのいまを問うとは、筆書を通じて現代を語るということではないかと思う。
日本人はとかく「道」を極めたがる民族のようだ。華道、剣道、柔道、芸道などなど……ちなみに私は修験道の僧侶であるが…。
ここでいう「道」は、書なら書、茶なら茶を通してその道を究め、自分を高め、日本人的聖域を目指す、ということだろう。言葉を換えれば「道」を究めるとは「神人合一」の世界にまで、書なり茶なり剣なりを通じて至ることを目指すのであろう。
そういう意味で、名僧や高僧の書は、その字の巧拙を超えて、書道の世界で重きに置かれるところがあるのではないかと思う。揮毫した僧の境地が、その文字に如実に表れるからである。優れた境地の人の文字は、心に響くものである。弘法大師空海はいうまでもなく、江戸期の高僧慈雲尊者や昭和の山田無文老師などの書は、いつまでも見ていて飽きない。そして見るたびにほれぼれする。
僧侶の筆字が下手になったことは、日本文化の危機を表しているということを、ここまで指摘してきた。しかし、裏を返せば、日本文化の復権の手がかりも筆字にあるといえないだろうか。筆字の上達を図ることは日本文化の復権を図ることでもあるとすれば、書のいまは、きわめて重要な課題をになっているといえるのではないだろうか。
ー田中利典述「書のいまを問う」(『書道ジャーナル』/平成17年5月号)より
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えらそうなことを書いて11年。その間、考えてみるとちっとも私の悪筆は上達をしていない。いや、もう60才を越えて、いまさら飛躍的に上手になることはないだろう。若いときの研鑽は、やはり必要だったなあと反省をする次第である。
最近、うちの新管長が会う度に字がうまくなっているように思う。そういう意味では位が人を作るということなのかと思ったりしている。
わたしゃ、位ないもんなあ・・・。(T_T)
*写真は法楽寺さんのギャラリーから拝借した慈雲尊者の揮毫です。
「書が日本を救う①」
~田中利典著述集280301
本稿は知友の刀鍛冶河内國平氏から依頼を受けた原稿。なんと書道ジャーナルという雑誌のリレー随筆に寄稿せよという、命令で11年前に書いたものです。「お坊さんだから書けるやろ」という河内さんの思い込みの産物?です。
悪筆を以て自他共に認める私にはかなりハードルの高い原稿でした。ご笑覧あれ。
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「書が日本を救う①」
僧侶は筆字が下手だとなにかと肩身が狭い。「お坊さんは字が上手だ」というのが世間の相場らしいからである。
実際、昔から僧侶は筆が立った。また今でもふつうの人より、はるかに僧侶の方が、塔婆だとか祈願札とか筆を使う機会は多いし、筆達者な僧侶もたくさんいる。しかし、下手な字の自分を弁護するわけではないが、最近は筆の立たない僧侶が増えているのも事実である。
あるお檀家が檀那寺の若住職に「命日の塔婆を書いてください」とお願いにいったところ、「今日は塔婆書きのパソコンソフトが壊れているから、出来ません」といって断られたという、こんな嘘のような本当の話があるくらいだから、今時の僧侶がいかに筆字が書けなくなっているか、状態が知れよう。かくいう私も人様にとやかく言えない悪筆であるが、その私の目から見ても「よくまあ、こんな字で塔婆を書くなぁ」とヘンな感心をしてしまう方も、僧侶の中にはいらっしゃるのである。
無論、字の上手下手で僧侶の値打ちが決まるわけではない。が、そのことを含めていま、僧侶の資質の低下ということが指摘されている。伝統仏教教団ではこれを切実な問題と受け止め、いろんな取り組みを始めている。当寺の縁故宗派である延暦寺では数年前から「天台宗書道連盟」という新たな団体を発足させて、僧侶や寺族の書道研鑽に努めている。
金峯山寺でも何人かの学僧を預かっているが、彼らに教える教科の中で、声明や漢文学、仏教学などと並んで、梵習字や書道は必須科目である。しかし、入山してくる学僧達の筆字の下手さ加減は特筆もので(当寺だけではないと思うが)一年や二年では上達してくれそうにない。つくづく小さい頃からの教育がいかに大切かと思わずにいられないのである。
これは今、日本で起こっているゆゆしき事態と無関係ではない、と私は思っている。明治の近代化以降、わが国は日本古来の伝統的なものを捨て続けてきた。さらに第二次世界大戦以後はその傾向に拍車がかかり、アメリカ文化の模倣が進み、日本人の伝統文化の伝承は壊され続けてきたのである。必然的に伝統文化の継承力は著しく低下し、もはや危険水域に達したかの観がある。
その端的な表れのひとつが僧侶の筆字の実力低下である、と思うのである。
ー田中利典述「書のいまを問う」(『書道ジャーナル』/平成17年5月号)より
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まあ悪筆で有名な私が偉そうに書ける話ではないので、悪戦苦闘の文章です。明日に続きます・・・。
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