「書が日本を救う①」~田中利典著述集280301
「書が日本を救う①」
~田中利典著述集280301
本稿は知友の刀鍛冶河内國平氏から依頼を受けた原稿。なんと書道ジャーナルという雑誌のリレー随筆に寄稿せよという、命令で11年前に書いたものです。「お坊さんだから書けるやろ」という河内さんの思い込みの産物?です。
悪筆を以て自他共に認める私にはかなりハードルの高い原稿でした。ご笑覧あれ。
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「書が日本を救う①」
僧侶は筆字が下手だとなにかと肩身が狭い。「お坊さんは字が上手だ」というのが世間の相場らしいからである。
実際、昔から僧侶は筆が立った。また今でもふつうの人より、はるかに僧侶の方が、塔婆だとか祈願札とか筆を使う機会は多いし、筆達者な僧侶もたくさんいる。しかし、下手な字の自分を弁護するわけではないが、最近は筆の立たない僧侶が増えているのも事実である。
あるお檀家が檀那寺の若住職に「命日の塔婆を書いてください」とお願いにいったところ、「今日は塔婆書きのパソコンソフトが壊れているから、出来ません」といって断られたという、こんな嘘のような本当の話があるくらいだから、今時の僧侶がいかに筆字が書けなくなっているか、状態が知れよう。かくいう私も人様にとやかく言えない悪筆であるが、その私の目から見ても「よくまあ、こんな字で塔婆を書くなぁ」とヘンな感心をしてしまう方も、僧侶の中にはいらっしゃるのである。
無論、字の上手下手で僧侶の値打ちが決まるわけではない。が、そのことを含めていま、僧侶の資質の低下ということが指摘されている。伝統仏教教団ではこれを切実な問題と受け止め、いろんな取り組みを始めている。当寺の縁故宗派である延暦寺では数年前から「天台宗書道連盟」という新たな団体を発足させて、僧侶や寺族の書道研鑽に努めている。
金峯山寺でも何人かの学僧を預かっているが、彼らに教える教科の中で、声明や漢文学、仏教学などと並んで、梵習字や書道は必須科目である。しかし、入山してくる学僧達の筆字の下手さ加減は特筆もので(当寺だけではないと思うが)一年や二年では上達してくれそうにない。つくづく小さい頃からの教育がいかに大切かと思わずにいられないのである。
これは今、日本で起こっているゆゆしき事態と無関係ではない、と私は思っている。明治の近代化以降、わが国は日本古来の伝統的なものを捨て続けてきた。さらに第二次世界大戦以後はその傾向に拍車がかかり、アメリカ文化の模倣が進み、日本人の伝統文化の伝承は壊され続けてきたのである。必然的に伝統文化の継承力は著しく低下し、もはや危険水域に達したかの観がある。
その端的な表れのひとつが僧侶の筆字の実力低下である、と思うのである。
ー田中利典述「書のいまを問う」(『書道ジャーナル』/平成17年5月号)より
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まあ悪筆で有名な私が偉そうに書ける話ではないので、悪戦苦闘の文章です。明日に続きます・・・。
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