「蔵王権現と中央構造線・・・蔵王権現のお力を願う毎日」
熊本の地震が収まりません。心が痛み続けます。地震の一報以来、心臓がばくばくして、久しぶりに救心を飲みました。ほんとうに心配です。被災地のみなさんのご無事を心からお祈りしております。しばらくは終息しないような様相だけにますます心配が募ります。身の安全を第一になんとか地震の終息まで乗りきって下さい。
つくづく思ったのは、私達が今できることは、祈りしかないということです。国の軸がぶれないよう、これ以上の大地の揺らぎが押さえられますよう、災害を重ねないよう、国の軸がしっかりしないといけないとつくづく感じました。
金峯山寺は古来より国軸山といいます。日本の国の軸の山なのです。で、はるか千年の昔よりその軸を守っておられるのが蔵王権現です。そんなことを思いながら、以前の記述を思い出しました。再度紹介します。
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「全国各地に吉野大峯、蔵王、金峯……」 ~田中利典著述集280418
たとえば、チャイナタウンというのは、世界各地にありますね。あるいは、ロサンゼルスにあるリトルトーキョーなども、その一画に日本の食文化や職場、娯楽施設などが再現された街です。適切なたとえであるかはわかりませんが、いわばそれらの聖地バージョンが、修験道の吉野・蔵王権現信仰といえると思います。吉野大峯修験の蔵王堂を本家本元として聖地を再現した修験道文化が日本全国に点在しています。
かつて人々のあこがれの聖地だった吉野大峯。そして修験道の霊山・金峯山。修験文化が定着した山地や連峰には、蔵王、大峯山、金峯(峰)山、吉野山などの名前が散見されます。また、もともとは金峯山のことを指していた「御嶽」」が、のちに各地の霊山の総称となっていき、さらに修験道の本尊である蔵王権現をまつる堂舎は、明治の神仏分離令のときに、御嶽神社、金峯(峰)神社、蔵王神社などと改称されました。
東京都青梅市にある武蔵御嶽神社も、権現信仰で栄えた歴史のある神社です。私も訪れましたが、地形的にも雰囲気が吉野山によく似ていると実感しました。武蔵野の地の吉野、そんな想いで霊山とされた歴史的背景を感じます。
ほかにも第二章で紹介したように、「金峰山」にしても、秋田、および山梨と長野の境、山口、熊本と、全国にいくつもあるのをはじめ、修験道隆盛の時代の名残りが各地の地名に現れています。
ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より
写真は蔵王堂に祀られる蔵王権現像。
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この文章を読み直してみて、あることに気づきました。
今回の熊本地震の報道でなんども中央構造線が画面に映し出されました。その線をみてぎょっとして、気づいたことがあります。
紀伊半島を横に走るその構造線はほぼ吉野川の流れの上にあります。つまり蔵王権現の法城・吉野がその中央に位置し、そこから西に線を辿ると四国石鎚山、そして今回の熊本、鹿児島へと繋がります。石鎚権現は蔵王権現のこと、熊本には金峯山があり、蔵王権現が古い昔に勧請されています。鹿児島にも金峯町の名前が残る蔵王権現が示現された地があり、更に、今度は吉野から東へ辿ると、山梨長野の金峯山(=もちろん蔵王権現が明治までは祀られた山)、そして東京にその線は延びて、青梅市の御岳神社の上を走ります。
つまり、単に全国に蔵王信仰が伝播したのではなく、この構造線の線上に蔵王権現は昔からその場所その場所をおさめる力として、祀られて来たのではないかと、気づいたのです。
権現様の左足は、大地の鳴動を鎮め治める力の象徴です。なんとかそのお力におすがりしてでも、この大地の揺るぎを沈静化させていただきたいものと念じます。
私には顔を真っ赤にして、今まさに大地の鳴動をこれ以上動かないよう、ぎゅっと押さえ込まれ続けてておられる権現様のお顔が浮かんで見えています。
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