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◎すっかり忘れていましたが、東京での講座のお知らせ・・・
すでに告知されています。
~第4回「南朝を支えた修験の勢力」~
建武の新政の後、足利尊氏に京を追われた後醍醐天皇は、再起を目指すための拠点として吉野を選び、南朝をひらきました。後醍醐・後村上・長慶・後亀山4帝にわたる南朝57年の歴史の中で、吉野で何が起こったのか。地元の人が知る、ディープな南朝をお話しします。
【主催】吉野町文化観光交流課、奈良まほろば館
1.日 時 : 平成28年7月15日(金) 17:00~(1時間程度)
2.講 師 : 田中 利典 師 (金峯山寺 長臈)
3.会 場 : 奈良まほろば館2階
4.資料代等: 無料
5.定 員 : 70名(先着順)
6.申込方法 :
・ハガキまたはFAX
必要事項(講演名・講演日・住所・氏名(ふりがな)・電話番号・年齢)を明記いただき、奈良まほろ
ば館までお送りください。
・ホームページ
下記の「申込フォーム」からお申し込みください。
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1-6-2 奈良まほろば館2F
電話03-3516-3931 / FAX03-3516-3932
※聴講券等の発行はいたしません。定員に達し、お断りする場合のみご連絡いたします。
※申込後にキャンセルされる場合は事前にお知らせください。
今日もお昼から、地元綾部のFMいかる「とれたてワイド763」に生出演します。
今日は先日、自坊林南院にご来駕頂いた東大寺第222世別当、華厳宗管長の狭川普文大僧正さまにインタビュー録音させて頂きました「りてんさんの知人友人探訪」を放送します。
放送時間は午後1時頃の予定です。是非、お聞きください。
放送は https://t.co/L4W7W6zSNO ←こちらでリアルタイムにに聴くことが出来ます。
「中外日報の随想随筆④」
中外日報で連載している拙稿「随想随筆」全4回の最終回です。
少々甘い最終章になりましたが、まあ、とんがらないでつれづれに、いまの心象をしたためています。
...よろしければご覧下さい。
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「りてんさんといく拝観講座」
本山宗務の第一線から退いて、今までとは違う比較的自由な立場で金峯山寺にもに関わっているが、この春、「りてんさんといく金峯山寺拝観講座」を企画した。Facebookやブログなど、SNSでの告知を中心に、二十名限定で募集して、有り難いことに最終二十一名の参加者を得た。
内容は吉野山の宿坊に宿泊して、修験道講座、宿坊夕座勤行、蔵王堂夜間拝観、夜の交歓親睦会、そして翌日の蔵王堂朝座勤行、蔵王堂秘仏拝観案内、本地堂法話会、お別れ昼食会と、午後三時から翌日のお昼過ぎまでびっちりと予定を組んで、ご一緒した。普通の講演会なら、四回分くらいはしゃべったかもしれない。
そんな研修講座を主催して感じたのは、自分たちが思う以上に僧侶の世界、お寺の世界に対して一般の方々が興味を持っているということだった。「こんなに身近にお坊さんと会うことはないです」と言われたりしたし、「一杯、接したことが嬉しい」と多くの参加者に喜ばれたのだった。
逆に言えば、私たち僧侶が思う以上に一般の人々から僧侶が遠ざかってしまっているということだろう。そのことを私たちは深く自覚しなくてはいけない。
四回にわたり本稿で紹介した、地元綾部でのコミュニティラジオの出演も、Amazonの僧侶派遣業の問題も、寺社フェス向源のことも、更には「金峯山寺拝観講座」も、私にとっては同根から来ている。
宗教から遠ざかった人々に寄り添う試みが大切なんだという思いである。
初詣に行き、お盆には墓参りをし、神社や教会で結婚式を挙げ、クリスマスも祝い、人生の終焉には大方が僧侶を呼んで葬儀をする…そういう日本人が無宗教であるはずがない。
宗教者側が、もっと積極的に世間に対しいろんなアクセスをする必要がある。
宗教を取り巻く状況は決してよいとはいえない。政教分離の問題もあるし、オウム真理教事件以降はここ二十年、宗教といえば禁忌される風潮さえ漂ったままである。そこを打破する努力がこれからは更に問われていくだろう。
私自身、まさに修験の教えで言う「山の行より里の行」を自分なりに体現したいと思う。役職を離れた今の私に何が出来るのか、たかがしれてはいるが、私なりにこの道を進めていくことをお誓いして、本稿を終えることとしたい。 (了)
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全4回の完結です。実は今回の原稿執筆は大ちょんぼをしていまして、字数制限を勘違いしたまま書き上げました。
依頼されていたのは12字×79行でしたが、私が書いたのは17字×79行。なんと3割も多く書いたので、削るのに大変苦労をしました。少し舌足らずな感が残ったのはそのせいもあります。
またなにかの機会で元原稿をアップしたいと思います。
昨日は自坊林南院に第222世東大寺別当、華厳宗管長の今日狹川普文大僧正がご来駕頂きました。こんな田舎のボロ寺にとってはあり得ないような光栄でした。恐縮して、感謝の出来事でした。
で、厚かましい私は、こことばかりに、FMいかるで手掛けている「りてんさんの知人友人探訪」の収録を自坊でお願いして、お参り頂いたあと、収録をさせて頂きました。
ホントにあり得ないような厚かましいお願いでしたが、快く受けて頂いた普文先輩に心より感謝申し上げます。
管長さまのマシンガントークは、来週6/8(水)の午後1時頃の予定です。
https://t.co/L4W7W6zSNO ←こちらでリアルタイムにに聴くことが出来ます。
「日本人は無宗教ではない」
中外日報で連載している拙稿「随想随筆」全4回の第3回分です。
先週も、東京・群馬・吉野と連泊出張が続き、家を留守にしていて、記事をアップするのが遅くなりました。
ご覧下さい。
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「寺社フェス向源にて」
この五月、東京の増上寺や神田神社など日本橋界隈で催された寺社フェス「向源」(主催向源実行委員会)に参加した。「神道vs仏教vs修験道」というトークショーに出演したのである。
本番を終えて、控室に戻ると、何人かの知人の訪問者に混じって、見知らぬ青年が私に声を掛けてきた。
「先生がお話になった『日本人は無宗教ではない』という話に大変感激をしました。私は無宗教を標榜していますが、高野山や伊勢神宮をはじめいろんなところへ出かけて、仏教や神道に触れようとしています。ただ、どこかの宗教に入るとなるといろいろ制約を受けそうで、窮屈な感じがして腰が引けます。どうしたらいいのでしょうか?」というような質問だった。
寺社フェス向源とは、宗派や宗教を超えて、神道や仏教などを含めたさまざまな日本の伝統文化を体験できるイベントで、今年で六年目を迎えた。私の出演したトークショーだけでなく、声明公演や座禅の体験会、写仏や写経、祝詞の奏上、ワークショップ「お坊さんと話をしてみよう」などなど、多彩な企画が催行され、若い世代を中心に七日間の期間中には一万五千人余が集ったそうである。くだんの若者も、向源に魅せられて来たのだった。
さて、彼の質問に対する私の答えである。「まだ慌ててどこかの宗教に決める必要はないですよ。大いに悩み、大いにいろんな所をお尋ねなさい。
たとえて言うなら、今のあなたは富士山に登りたいと思いながら、富士山の周辺をうろうろ旋回しているようなもの。いずれ自分に相応しい登り口が見つかり、山に入りたくなります。それまで納得出来るまで探していればいい。ただし、山の周りを回っているだけでは山には登れません。山に登るにはいつかは道に入らないといけないですよ。」
とお話したのである。
前稿でも触れたが今や無仏の時代、無宗教を標榜する時代である。また今まで継承されてきた檀家制度も機能不全に陥りつつあり、呼応するが如く、Amazonの僧侶派遣業のようなものも出てきた。
時代は変わる。そして時代は求めるのである。
私はいつまでも日本人に無宗教などと言わしておきたくない。法話会やさまざまな試みを通して、少しでも悩み苦しむ現代社会の人々に寄り添うことが肝要なのだと思っている。
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