「日本人は無宗教ではない」
「日本人は無宗教ではない」
中外日報で連載している拙稿「随想随筆」全4回の第3回分です。
先週も、東京・群馬・吉野と連泊出張が続き、家を留守にしていて、記事をアップするのが遅くなりました。
ご覧下さい。
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「寺社フェス向源にて」
この五月、東京の増上寺や神田神社など日本橋界隈で催された寺社フェス「向源」(主催向源実行委員会)に参加した。「神道vs仏教vs修験道」というトークショーに出演したのである。
本番を終えて、控室に戻ると、何人かの知人の訪問者に混じって、見知らぬ青年が私に声を掛けてきた。
「先生がお話になった『日本人は無宗教ではない』という話に大変感激をしました。私は無宗教を標榜していますが、高野山や伊勢神宮をはじめいろんなところへ出かけて、仏教や神道に触れようとしています。ただ、どこかの宗教に入るとなるといろいろ制約を受けそうで、窮屈な感じがして腰が引けます。どうしたらいいのでしょうか?」というような質問だった。
寺社フェス向源とは、宗派や宗教を超えて、神道や仏教などを含めたさまざまな日本の伝統文化を体験できるイベントで、今年で六年目を迎えた。私の出演したトークショーだけでなく、声明公演や座禅の体験会、写仏や写経、祝詞の奏上、ワークショップ「お坊さんと話をしてみよう」などなど、多彩な企画が催行され、若い世代を中心に七日間の期間中には一万五千人余が集ったそうである。くだんの若者も、向源に魅せられて来たのだった。
さて、彼の質問に対する私の答えである。「まだ慌ててどこかの宗教に決める必要はないですよ。大いに悩み、大いにいろんな所をお尋ねなさい。
たとえて言うなら、今のあなたは富士山に登りたいと思いながら、富士山の周辺をうろうろ旋回しているようなもの。いずれ自分に相応しい登り口が見つかり、山に入りたくなります。それまで納得出来るまで探していればいい。ただし、山の周りを回っているだけでは山には登れません。山に登るにはいつかは道に入らないといけないですよ。」
とお話したのである。
前稿でも触れたが今や無仏の時代、無宗教を標榜する時代である。また今まで継承されてきた檀家制度も機能不全に陥りつつあり、呼応するが如く、Amazonの僧侶派遣業のようなものも出てきた。
時代は変わる。そして時代は求めるのである。
私はいつまでも日本人に無宗教などと言わしておきたくない。法話会やさまざまな試みを通して、少しでも悩み苦しむ現代社会の人々に寄り添うことが肝要なのだと思っている。
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