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「修験道とは神仏混交の宗教」

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「修験道とは神仏混交の宗教」
  ・・・田中利典著述集280729

修験道は神仏混合の多神教的宗教です。神と仏を分け隔てなく尊ぶのが修験道です。今から約1400年前、仏教が正式に日本に伝わってきました。ご存知のように最初、仏教を受け入れる崇仏派の蘇我氏と、それまで神様を大事にしていた廃仏派の物部氏との争いがありましたが、それ以後1300年間、神様と仏様は仲良くしてきました。実は、仏教が入ってきたときから、日本人は神様と仏様を分けていなかったのです。

最初、日本人は仏教の仏様を新しい国からやってきた新しい神様として扱いました。日本書紀には「蕃神(あたらしくにの神」と書かれていますが、仏さまを、新しい神さまとして扱っているのです。仏教の仏様と神様は本当はまったく違うものですが、日本人にとっては神様も仏様も同じ、もともとあった神様と余所から来た新しい神様ということで、分けずに考え、仲良くしてきたのです。

仏教は、もともとこの国にあった神信仰と最初から融合しています。その証拠に、飛鳥時代に作られる仏像の多くが楠(くすのき)なのです。楠は霊木信仰です。韓国も中国もそういう事例はないのです。仏教は入ってきたときから、もともとこの地にあった神信仰と融合していたのです。

また当時は神道には神道という概念すらあったかどうかわからないのです。仏教の教義に触発されて、神道という概念ができるのです。更に神道では仏教の影響を受けて、御神像までできてしまうのです。

このように当初から、神様と仏様は融合して伝わってきているのです。修験道というのは、その神様と仏様を分け隔てなく尊んできたのです。八百万の神も八万四千の法門から生ずる仏も分け隔てなく尊んできたのが修験です。ついには、神様と仏様を融合させて、その時代、その土地に合わせて神の姿になった尊像を生み出します。これを権現といいます。蔵王権現はまさにその権現を代表する権現の元なのです。

神様と仏様を融合させた信仰を生んだのが修験道です。簡単にいうと、いわば仏教を父に、神道を母に、仲のよかった夫婦の子どものような存在が修験道といっていいでしょう。

ー「平成26年11月/祈りと救いの学会」基調講演より転載

「21世紀の宗教の要諦」・・・田中利典著述集280728

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「21世紀の宗教の要諦」
  ・・・田中利典著述集280728

司会:…われわれひとりひとりが家の宗教から個の宗教ということで、ひとりひとりは自分はどの宗派だと言っていいわけです。これが自分がこれだと思う宗教との出会う。それを旨として生きるというところに尽きるのではないかと思います。これが「こころを修める」ということにまとめてもいいのかなと思いました。

田中:私の盟友で、正木晃さんという宗教学者がいらっしゃいますが、その正木さんが恩師の山折哲雄さんと一緒にお考えになった『修験道と21世紀の宗教の要諦』というのがあります。

21世紀に生き残っていく宗教、つまり21世紀に救いを得る宗教は何かということで、1つは身体性をもっていること、そして実践性をもっている。2つ目は自然との関係性をもっていること。そして、3つ目として、心と身体に有意義であること、4つ目は参加型であるということです。お坊さんが修行している後ろで信者が単にお参りするのではなくて、一緒に念仏を唱えるとか、山を歩くとか、そういう参加型であることが大事だと言われています。

5つ目は総合的であるということ、つまり排他的でないということです。イスラム教にせよ、浄土真宗にせよ、ちょっと排他的ですね。排他的な宗教というのはこれからは持続できないと思います。そして最後の6つ目は正木さんが付け足した新しい項目なのですが、女性にやさしいということです。

この6つのことを行なっている、この6つをみんなが共有している、そういう宗教がこれからはいろいろな人の救いに寄与すると思いますし、そのことによって発展する宗教にもなりうるというのが、今日、私の用意してきた答えです。

ー「平成26年11月/祈りと救いの学会」質疑応答より転載

「りてんさんの知人友人探訪280727ー今週は正木晃先生」

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「りてんさんの知人友人探訪280727ー今週は正木晃先生」

地元のローカルコミュニティラジオ「FMいかる」の生放送番組「情報キャッチ!とれたてワイド763」で毎週水曜日にコメンテーターをつとめているが、その番組の中で、私のためのコーナーをつくっていただいた。

「りてんさんの知人友人探訪」である。...

吉野時代にお世話になった方や、繋がったご縁をフルに活用させていただいて、大寺の貫首さんや管長さまをはじめ、各界を代表するようなみなさんに、ボランティアで出ていただいている。いわゆる、ノーギャラ出演。厚かましいお願いであるが、みなさんには快く??受けていただいている。

過去出ていただいた皆様は・・・

4/13 村上保壽高野山大学名誉教授
5/11 倉田宇山空援隊専務理事
5/24 宮城泰年聖護院門主猊下…宮城猊下は聖護院門跡での収録
6/8  狭川普文東大寺別当猊下…狭川猊下は自坊林南院での収録
7/13 森谷英俊興福寺副貫首猊下…森谷猊下は奈良ドットFMでの収録

みなさん、きら星のような方々ばかり・・・。ほんとに感謝にたえない。

そして今日27日は私の盟友である宗教学者正木晃先生にお出ましいただく。先生とは電話での収録であったが、なれない初めての電話取材ながら、相変わらず話が弾んだ。お楽しみにしていただきたい。予定では午後1時から放送

「情報キャッチ!とれたてワイド763」は正午から2時半までの生放送です。サイマルラジオで全世界で聞けますhttp://www.jcbasimul.com/?radio=fmikaru 

・・・ちなみに今後の予定として、8月には奈良ドットFMでの収録となるが、やはり盟友である元春日大社権宮司岡本彰夫奈良県立大学客員教授に出演いただくことが決まっている。FMいかるでの、放送日は未定。

ただし奈良ドットFMでは8月12日午後1時から、生放送で流れます。奈良の方は是非お聞きください。

*写真は祈念すべき第1回の村上先生の収録風景です。

「山の行より里の行」④ー「りてんさんといく拝観講座」

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「山の行より里の行」④ー「りてんさんといく拝観講座」
・・・田中利典著述集280726
                 

先週から掲載している田中利典著述集の4回目。最終稿である。中外連載の原稿の、長いバージョン版=元原稿を掲載しています。

よろしければご覧ください。

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「りてんさんといく拝観講座」

本山宗務の第一線から退いて、総長時代とは違う比較的自由な立場でいろんなことに関わっているが、この春、「りてんさんといく金峯山寺拝観講座」を企画した。Facebookやブログなど、SNSでの告知を中心に、二十名限定で募集して、有り難いことに最終二十一名の参加者を得た。

内容は吉野山の宿坊(東南院さん・・・)に宿泊して、修験道講座、宿坊夕座勤行、食事作法付き食事、蔵王堂夜間拝観、夜の交歓親睦会、そして翌日の朝からは蔵王堂勤行、朝食、蔵王堂秘仏拝観案内、本地堂法話会、お別れ昼食会と、午後三時から翌日のお昼過ぎまでびっちりと予定を組んで、ご一緒した。普通の講演会なら、四回分に当たるくらいしゃべったかもしれない。

おおよその参加者の意見は、来て良かったというものであった。「次はいつやりますか?」と催促も受けた。

そんな研修会を主催して感じたのは、自分たちが思う以上に僧侶の世界、お寺の世界に対して一般の方々が興味を持っているのだということだった。「こんなに身近にお坊さんと会うことはないです」と何度も言われたりしたし、「一杯、接したことが嬉しい」と参加者たちに口を揃えて言われたのだった。

逆に言えば、私たち僧侶が思う以上に普段は一般の人々から僧侶が遠ざかってしまっているということだろう。そのこと自体を私たちは深く自覚しなくてはいけない。

四回にわたり本稿で紹介した、地元綾部でのコミュニティラジオの出演も、Amazonの僧侶派遣業の問題も、寺社フェス向源のことも、更には「りてんさんといく拝観研修」も、私にとっては同根から来ている。

宗教から遠ざかった人々に少しでも僧侶自身が寄り添う試みが大切なんだという思いである。

幸い私の周りには「たなかりてんを若い人に近づけようプロジェクト」というような少々堅さをくだいた動きをしてくれる人々もいて、この五月、六月だけでも、地元綾部での講演会や奈良町での法話会を含め、八つほどの催しが企画されている。

初詣に行き、お盆には墓参りをし、神社や教会で結婚式を挙げ、クリスマスも祝い、人生の終焉には大方が僧侶を呼んで葬儀をする…そういう日本人が無宗教であるはずがない。

宗教者側が、もっと積極的に世間に対しいろんなアクセスをする必要があると私は思っているが、思っているだけではだめなので、たくさんの方の力を借りて、まず出来ることから始めることとしたのである。

宗教を取り巻く状況は決してよいとはいえない。政教分離の問題もあるし、オウム真理教事件以降はここ二十年、宗教といえば禁忌される風潮さえ漂ったままである。スキャンダラスに取り上げられる宗教事例ばかりが氾濫して、宗教の持つ良さや尊厳性にあまり目が向けられない現状もある。そこを打破する努力がこれからは一層、問われていくのだと私は思っている。

まさに修験の教えで言う「山の行より里の行」を自分なりに体現しなければならないと思うばかりである。

さてさて、本稿も約束の誌面が尽きた。私に何が出来るのか、もちろんたかがしれてはいるが、最後に、私なりに更なるこの道を進ていくことをお誓いして、筆を置くこととする。徒然なる文章に最後までお付き合いいただき感謝申し上げたい。(了)

ー中外日報の「随想随筆4」(平成28年6月3日掲載)で連載させていだいた文章の元原稿を掲載しました。

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金峯山寺を下山以来、あまり以前ほど原稿依頼もなくなり、FBなどの投稿を除くと、真剣に原稿を書くと言うことがなくなっていたので、今回の連載は久しぶりに、頑張って書いた。

もう少し文章が上手だったらといつもながら自己嫌悪の執筆だったが、まあ、なんとか4回を書き上げたのである。尻すぼみにはなっているのはいつもの癖だということでご寛恕いただきたい。

冒頭に書いたように1行12字の依頼を、1行17字で書き上げたため、最終原稿は元原稿から、約3割を削除した。なんか残念だなあと思っていたので、全文を載せられて、正直、嬉しい・・・。最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

ご意見ご感想をお待ちしています。

「山の行より里の行」③ー寺社フェス向源にて

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「山の行より里の行」③ー寺社フェス向源にて
  ・・・田中利典著述集280725
                 

先週から掲載している田中利典著述集の3回目。今年5月に中外日報社で連載させていただいた原稿の元原稿です。1行12字での執筆依頼を1行17字で書いてしまったので、急遽短くして掲載しました。いささか不本意なところもありましたので、元原稿を紹介させていただいています。

よろしければご覧ください。

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「寺社フェス向源にて」

この五月、東京の増上寺や神田神社、そして日本橋界隈で催された寺社フェス「向源」(主催向源実行委員会)に参加した。神田神社権宮司の清水祥彦さんと、本願寺派僧侶の釈徹宗さんと三人で「神道vs仏教vs修験道」というトークショーに出演したのである。

本番を終えて、控え室に戻ると、何人かの知人の訪問者に混じって、見知らぬ青年が私に声を掛けてきた。

「先生がお話になった『日本人は無宗教ではない』という話に大変感激をしました。私は無宗教を標榜していますが、今回の向源だけではなく、高野山や伊勢神宮をはじめいろんなところへ出かけて、仏教や神道に触れようとしています。ただ、どこかの宗教に入るとなるといろいろ制約を受けそうで、窮屈な感じがして腰が引けます。どうしたらいいのでしょうか?」というような質問だった。

寺社フェス向源とは、宗派や宗教を超えて、神道や仏教などを含めたさまざまな日本の伝統文化を体験できるイベントのこと。今に伝わる多様な文化の根底にある本質に触れてもらうことを目的として開催されていて、今年で六年目を迎えた。私の出演したトークショーだけでなく、声明公演や座禅の体験会、般若心経講座、写仏や写経、祝詞の奏上、ワークショップ「お坊さんと話をしてみよう」などなど、多彩な企画が催行され、若い世代を中心に七日間の期間中には一万五千人余が集ったそうである。

くだんの若者も、その多彩な向源のイベントのひとつとして行われたトークショーに来てくれたのだった。

さて、彼の質問に対する私の答えである。

「まだ慌ててどこかの宗教に決める必要はないですよ。大いに悩み、大いにいろんなところをお尋ねなさい。

たとえて言うなら、今のあなたは富士山に登りたいと思いながら、富士山の周辺をうろうろ旋回しているようなもの。いずれ自分に相応しい登り口が見つかり、山に入りたくなります。それまでは納得出来るまで探していればいい。ただし、山の周りを回っているだけではいつまでも山には登れません。山に登るためにはいつかは道に入らないといけないですよ。」
とお話したのである。

前稿でも触れたが今や無仏の時代、無宗教を標榜する時代である。また今まで長らく継承されていた檀家制度が機能不全に陥りつつあり、それに呼応するが如く、Amazonの僧侶派遣業のようなものも出てきた。

時代は変わる。そして時代は求めるのである。

私はいつまでも日本人に無宗教などと言わしておきたくない。向源を始めたのは天台僧の友光雅臣くんであるが、第一回の開催時、彼はまだ二十代後半だった。そして彼も又、神道や仏教などさまざまな日本独自の伝統文化、宗教文化をたくさんの人に知ってもらい体験してもらうことで、無宗教ではない日本人を取り戻してもらいたいと思っている。彼らのような、現状を見据えた取り組みこそが時代の要請なのだろう。

私のもとに質問に来た若者がその後どうしているのか、私は知らないが、講演会や法話会、あるいはさまざまなイベントを通して、少しでも悩み苦しむ現代社会の人々に寄り添うことが出来ればと願う次第である。

ー中外日報の「随想随筆3」(平成28年5月27日掲載)で連載させていだいた文章の元原稿を転載しました。

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写真は寺社フェスでの鼎談風景。約120名ほどの会場は熱気ムンムンでした。

ご意見ご感想をお待ちしています。

「壇蜜vs田中利典!」ー8月22日in東京ビックサイト

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「壇蜜vs田中利典!」ー8月22日in東京ビックサイト

8月22日はビックサイトに行きます。あの壇蜜さんと対談します。
よろしければお出かけください。事前申し込みはいりません。

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【告知】エンディング産業展 8月22日(月)13時
〜身近な出来事で考える「祈り」と「弔い」〜

トークショーを開催します。テーマは「祈り」と「弔い」  
進行役として今からいろんな意味で緊張しております…^^;

大震災を境に、広く世間に浸透した「祈り」。
人々にとって「祈り」とは何なのか、そして何故「祈る」のか。

また、葬送儀礼が急速に簡素化する昨今、これからの「弔い」はどうなっていくのか。

修験道の第一線で幅広く活躍される田中利典師と、葬儀学校へ通った経験があり、仏教用語を芸名とされた壇蜜さんに、身近な出来事を基に「祈り」と「弔い」を語っていただきます。

トークショーの最後に質問タイムを設定しております。
事前の募集のみとなりますが、「祈り」や「弔い」について何かご質問等ございましたら船田まで。

以下、トークショー概要です。

日時:8月22日(月・友引)13時〜14時
会場:東京ビッグサイト エンディング産業展内イベントスペース
ゲスト:
金峯山修験本宗 総本山 金峯山寺 長臈 田中 利典 師
タレント 壇蜜 氏
進行:船田 幸男
主催:こころの道プロジェクト 企画:アームズ・ソリューション
協力:エンディング産業展事務局

参考)エンディング産業展2016
http://www.ifcx.jp/

「山の行より里の行」②ー僧侶派遣業

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「山の行より里の行」②ー仏教者として思うこと
・・・田中利典著述集280724
                 

しばらく休んでいました回顧著述集です。今回は今年5月に中外日報社で連載させていただいた原稿の元原稿の第2稿。昨年話題となったアマゾンの僧侶派遣業務について、私なりの立場で、少し述べています。

よろしければご覧ください。

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「僧侶派遣業について」

昨年の十二月、お釈迦様成道会の日にAmazonが僧侶派遣業務を開始して、仏教界内外で物議を醸し出した。宗教行為を商品化するとは何事かと仏教界からは大反発があったが、一部の僧侶の中には歓迎するむきもある。

もうずいぶん前の話になるが、あるお寿司屋さんで、そこの大将が語った言葉に感心した。

「回る寿司屋がどんどん出来て、私達が困ると思っている人がいるが、違うんだよ。子どもの頃からああしてお寿司を食べる習慣をつけてくれるのは嬉しいねえ。いつかは大人になってこっちに来てくれるようになるのだから…」というような話であった。

ものは考えようという単純な話ではない。何事も現実に起こることはその時代の要請、ある意味必然なのだから、あらがいようがない。Amazonの僧侶派遣も善し悪しの問題ではなく、現実に社会の要請があって、物事は起こっているのである。Amazonの前にはイオングループの葬祭業参入という事例がすでにあって、そのときも全日本仏教会が遺憾の意を述べて、葬儀費用の明示化を一時、イオンに取り下げさせたことがあった。

私は昨春、田舎の自坊に帰ったが、私の寺は檀家がない。檀家寺ではなく、いわゆる信者寺、祈祷寺である。といって、葬祭法儀をしないわけでも、出来ないわけでもない。ただ檀徒がないからオファーがないし、ことさら参入しようとは思わない。長年の信者さんで、檀家寺との縁がない方だけをお受けしているようなことである。だからAmazonの問題もどこか無責任に、評論家的な立ち位置で、もの言いが出来る。

いま、先祖代々のお寺と檀家との関係が壊れつつあるのは明白であろう。そもそも檀家制度という日本独特の制度が出来たのは江戸時代になってからのこと。当時の日本人の人口はせいぜい二千二百万人前後だったそうで、現在の日本の人口は一億二千万六百万人を超えているから、わずか四百年ほどで約六倍の伸びを見せたわけである。

物事は二割三割の増加には内部努力で対応出来るが、五倍六倍となると、そんな程度ではなんともならない。組織自体、構造自体を作り直さないと対応など出来ようがないのである。

その点、檀家制度は明治の神仏分離や戦後の農地解放という大変革期を乗り越え、よくぞここまで持ってきたモノだと関心さえする。その時々の先輩僧侶達の血の滲むような努力と、それを支えた一般庶民の信仰力のお蔭であったという意外はないだろう。それでも、である。もうなんとも出来ない時代を迎えたと言っていいのではないだろうか。

今までのあり方が全否定されたわけではない。檀家と関わりを持てない都会人が増え、檀家制度を支えてきた地域での共同体も喪われて行く中で、日本仏教が新たな要求に晒されているということだ、と私は理解している。

今までのあり方で通用するお寺もある。一方、過疎化のあおりを受けて、廃寺となる地方寺院もたくさんある。

今まで以上に日本人の信仰心を問うような活動を仏教界が要求されていると思うことが肝要なのだ。

Amazonを通じて、葬祭をこなし、僧侶との出会いを求めた人は決して無宗教な人間ではない。寿司屋の親父の話ではないが、「大いに結構、いづれは本物の寿司を握っているウチに来るんだ」、くらいの気持ちで、あたふたせず、ドンとしていてもよいのではないだろうか。

ー中外日報の「随想随筆2」(平成28年5月20日掲載)で連載させていだいた文章の元原稿を転載しました。

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写真はイメージです。

「島原水まつり前夜祭法話会」に出演!

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「島原水まつり前夜祭法話会」

なんと、8月はなぜか、島原です・・・。

間接的なご縁があって、8月には九州の島原で法話会。
お近くの方、よろしければおでましください。

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水まつり前夜祭

島原は古くから「水の都」と呼ばれ、昭和60年には、島原湧水群が「日本名水百選」に選ばれました。各所の湧水は約200年前の島原大変による眉山の大崩壊で、島原城下町に地割れが生じ、地下水が噴出し、市内のいたるところで水が湧くようになりました。
この水が島原の観光資源でもあり、私たちの生活用水として、多大な恩恵を受けるとともに、「水に感謝するまつり」の意を込めて、“水まつりの祈願祭”ならびに“民話”、“和ろうそく法話会”を行います。

日時:8月5日(金)19:30~21:00
場所:弁天山(理性院大師堂)
第1部 水まつり祈願祭(祈願法要)※弁才天前19:30~
第2部 民話「幸庵とおすわ」 内嶋善之助語り 19:50~ ※本堂
        和ろうそく法話会 テーマ:「水に感謝」20:10~
        講師 田中利典金峯山寺長臈

「山の行より里の行」①ー仏教者として思うこと・・・田中利典著述集280720

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「山の行より里の行」①ー仏教者として思うこと
   ・・・田中利典著述集280720
                 

パソコンの不具合などのせいで休んでいましたが、久しぶりの回顧著述集です。今回は今年5月に中外日報社で連載させていただいた原稿の元原稿です。1行12字での執筆依頼を1行17字で書いてしまったので、編集者から指摘があって、急遽短くして掲載しました。いささか不本意なところもありましたので、元原稿を紹介させていただきます。...

よろしければご覧ください。

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「山の行より里の行」

昨年春、齢六十を無事迎え、長年勤めた本宗の役職を勇退し、後輩たちにあとを任せて、京都府下綾部の自坊に帰山した。

「四十、五十は洟垂れ小僧」が相場の僧侶の世界では、六十才での引退はかなり早いし、勿体ないかもしれない。

私は十五才から家を出て、天台宗と浄土真宗の学校で学び、二十六才で自坊林南院の本山である吉野の金峯山寺に入寺した。その後、教学部長、執行長、宗務総長と役職を歴任し、また家庭を設けて、一女三男も授かった。その間、自坊にはなんどか帰山しようとしたがその都度本山から呼び返されて、三十数年を経ることとなり、ここ二十三年ほどは家族だけを綾部に置いての、単身赴任生活を送っていた。

こういう生活が七十才くらいまで続くのかなと思っていたが、諸般の事情で昨年、吉野生活に終止符が打たれた。ようやく洟垂れ小僧から僧侶として一人前に扱ってもらえる年齢を迎える矢先のことなので、自分自身でも戸惑ったし、かなり心残りなところもあるにはあった。でも、よく考えると、七十才を過ぎてから故郷に帰ったのではものの役にも立たないし、新たなことなどなにも出来ないにちがいない。いまは、そんなことに思いを至している。

さて、お山の上にいては出来ないことが里に下りればたくさん出来る。もともと、私たち修験の世界では「山の行より里の行」・・・という教えがあり、山で修行した力を里の生活で活かしてこそ、その修行に意味がある、と教えている。

実は昨年からは東京で開講された「誇り塾」という私塾の塾頭を務めているが、山の修行で学んだ智慧を、一般の人々に伝えることで、世のため人のための一助になればと考えたからである。

また今年四月からは地元のFM局コニュニティラジオ(http://www.fmikaru.jp/)で毎週、コメンテーターも務めることになった(毎週水曜日正午から午後二時半までの生放送「とりたてワイド763」)。折角やるのだからと、番組の中に、「りてんさんの知人友人探訪」というインタビューコーナーも新設し、吉野生活で培ったネットワークを活かしていろんな方に登場いただいている。第一回は高野山大学名誉教授の村上保壽さん。その後、空援隊専務理事の倉田宇山さん、聖護院の宮城泰年門主、東大寺の狭川普文新別当、興福寺副貫首森谷英俊副貫首と次々に出演願っていて、さらに九鬼家隆熊野本宮大社宮司や、本宗の五條良知金峯山寺管領さまなど、いろんな宗教者にお願いして、大いに語ってもらうつもりである。

今まで数々のメディアからの取材を受けてきたが、取材する側になるのは初めてのことなので、新しい発見も多く、かなり面白い。

ところで、世は、無仏の時代というか、末法というのか、現代社会は宗教離れが著しい。一方で、仏像ブームや、パワースポット巡り、四国八十八ヶ所などの霊場巡拝、ご朱印帳ブームなど、宗教的なことに関心を抱く世代も多い。

要は今までの形とは違うアクセスのありように宗教者側がどう答えていくかが、問われていると言ってよいのかもしれない。

そういう意味では、こういったラジオの出演も、役職を持たない身となって、私自身がそこのところでなにが出来るのか、正面から向き合う、絶好の機会を与えられたのだと思っているのである。

ー中外日報の「随想随筆」(平成28年5月13日掲載)で連載させていだいた文章の元原稿を加筆して転載しました。

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実はこの連載はもともと熊本地震など天変地異についての原稿依頼だったのですが、一度書いて、どうにも納得出来ず、全くテーマを変えて、全編書き直すという、結構私の中では苦労した執筆でした。

ご意見ご感想をお待ちしています。

「つなげよう、支えよう森里川海プロジェクト」に参加して

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「つなげよう、支えよう森里川海プロジェクト」に参加して

7/9-10と高野山で開催された森里川海プロジェクト(正式名は『第2回森里川海全国志民会議IN高野山』)に招かれて、基調講演と分科会でのモデレーターをつとめてきた。

この森里川海プロジェクトの詳細は以下 

http://www.env.go.jp/nature/morisatokawaumi/project.html

さて、実際にこの大会に参加して、感じたことがあるので、備忘録程度にしたためておく。

もちろんもうすでに1年半以上、環境省などを中心に有識者や関連する各専門家、諸団体のみなさまが着手され、その英知を絞って提言書が作成されている。その提言書を元に今回の大会が開催されたわけで、ワタシがいまさらとやかくいう立場ではないのだが、せっかく修験道の立場として招かれて発言する機会を与えられたのだから、気になった2点を披露させていただいたのであった。

○その1

まず、根本的に「森里川海」という表題自体に危惧を覚えた。なぜ「山」が入ってなく、「森」なのかという点である。

大会開会式に際し来賓席に座った隣の席に、たまたま環境省の本案担当の主査の方がおいでになったので、そのことをお聞きしたら、「森という概念に山はすでに入っているのです」という答えだった。それから「人為的に環境整備をするという視点があるので、手を入れられない山は抜いてある」ということでもあった。

これにワタシは大いなる異を唱えることとなる。

「山」に森という概念は含まれるが、その逆の「森」に山は含まれない、というのがワタシの考えである。

たとえば富士山を考えて見てほしい。富士山は1合目から登ると5合目ちかくまで、草千里や木山千里が続く。つまりうっそうとした林や森が続くのであるが、5合目を超えるととたんに岩山砂山の山肌が延々と続く。つまり富士山は山であるが、その中には森や林や岩山があり、その全部を含めて富士山なのである。「山」に「森」は含まれるがその逆はない。

大峰山系でも同じである。我々の道場である大峰山系の山々は最高峰の釈迦ヶ岳でさえ、たかだか1917㍍しか高さを持たず、ほとんどの山が森や林に覆われて存在する。しかしあの山系全体を「森」とは呼んでいない。ほとんどが山林の続く山系であるが、全部が「山」なのである。つまり、何度も言うが、大峰山系においても、「山」に「森」は含まれるが、「森」の中に「山」全体と包含する概念はないのである。

言葉の問題だけではない。実はこの森里川海プロジェクトの根底には行きすぎた物質文明社会が生んだ環境破壊への危機感があるはずである。とするなら、人間中心に開発を進めたあまり、地球自身の生命さえ危うくしてきた近代主義への懐疑を持たなくてはならないだろう。「人為的な開発の対象である森里川海」という考え自体が近代主義から脱していないとも言える。人為的にやれようがやれまいが、山に降った雪や雨が、森里川海を潤わせて、日本の自然環境を整えてきたのである。

日本人に取っての「自然」とは「おのずからあるものとしての自然(じねん)」である。欧米社会(一神教)が考えた、人間に隷属させる自然=ネイチャー、支配する対象物としての自然=ネイチャーではない、という価値観の転換があってこその、森里川海プロジェクトでなくてはならないだろう。近代主義、物質文明第一主義への提言・・・そういう指摘を投げかけるのがこのプロジェクトの根幹なのではないだろうか。

日本人にとっての自然、山や川や海は征服対象ではなく、共に生き、共に苦しみ、共に死んでいく、自然の中で生かされているという風土、思考を取り戻さなければならないと、常々、山伏であるワタシは思ってきた。だからこそ、この森里川海プロジェクトに賛同するのである。

少なくとも大自然の中で歩かせていただく、修行させていただくという教えて生きて来た山伏としてはそこのところは、どうしても譲れないベースなのであった。

○その2

次にこの「山」の問題以上に、大きな疑問を感じたのは、大部の提言書の中に、自然への畏敬とか畏怖とかいう文言は何度も散見したが、「神」とか「仏」とか「ご先祖」とか、日本人の信心に関わるような言葉が見当たらなかった点である。

提言書には、自然への畏怖を取り戻し、その自然の恩恵、里山や川、海とうまく関わって生活の生業を継続させてきたあり方を見つめ直そうという趣旨の貴重な意見が縷々述べられるのであるが、実はその自然と人間との関係を成り立たせた中心には「神」がいて、「仏」がいて、「ご先祖さま」がいたからこその、世界だったのではないだろうか。ワタシはそう思っている。実はそういった意見が全く書かれていなかった。日本人の信心に関わる文言が、不思議なほど、全く顧みられていないのである。そこにワタシは違和感さえ覚えたのである。明治の神仏分離以来、自然と人間との生活のつないできた神仏を喪失させてしまった災禍を感じていた。

まさに哲学者の梅原猛氏が語った「二度の神殺し日本」の姿を垣間見た気がしたのであった。それは政教分離の壁の前には立ち尽くし続ける今の日本行政の限界とも言えるのかもしれないが、そこを抜きにして日本の環境問題に向き合っていくのが無理があろう。美しき里山、いや森里川海を守ってきたのは自然や鎮守の神様をはじめご先祖様、お天道様などへの畏怖と信心を抜きにしてはありえないことなのだと知るべきだろう。

1,2ともワタシの提言が的を得たモノなのか、それとも糞坊主の単なる戯言にしかすぎないのか、あとはワタシの話を聞いていただいた皆様や、本文を読んでいただいたみなさまの見識にお任せするしかないが、近代と戦い続けるワタシにとってはいろんな意味でまた新しい闘志をもたせていただく機会となる今回の大会参加であった。

最後に蛇足ながら、分科会でご一緒した安田喜憲先生と大いに盛り上がったのは、「このプロジェクトの正否は若い人たちがどう100年後の日本、100年後の自分たちが暮らす地域の姿を想像して、いまやるべきことに目覚めることが出来るかだ」という共通認識だった。「老兵は消え去るのみ」であるが、未来を託す若者たちに、是非、多くの言葉を伝え残して行きたい。

お世話いただいた場所文化のY氏や高野山別格本山三宝院の飛鷹師はじめ、多くのみなさまに感謝して、備忘録を置く。

興福寺副貫首森谷英俊猊下登場!

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おはようございます。

今日もお昼から地元綾部のFMいかる「とれたてワイド763」に出演します。

放送時間は正午から午後2時半までの生放送です。よろしければ、お聞きください。

今日は先日7/8に奈良ドットFM局で収録した興福寺副貫首森谷英俊猊下に「りてんさんの知人友人探訪」に出演いただきます。放送時間は午後12時半か、午後1時過ぎだと思います。

また「りてんさんの今日の1曲」は吉田拓郎の「どうしてこんなに悲しんだろう」です。こちらは午後1時半過ぎです。

放送は https://t.co/L4W7W6zSNO ←こちらでリアルタイムにに聴くことが出来ます。

○奈良ドットFMに出演のお知らせ・・

○奈良ドットFMに出演のお知らせ・・
地元綾部のコミュニティラジオ・FMいかるでコメンテーターを始めましたが、その中で「りてんさんの知人友人探訪」というコーナーを放送しています。
去る6月8日には、東大寺新別当狭川普文猊下との対談も放送しました。
そのコーナーをこのたび、FMいかると奈良ドットFMのコラボによって、奈良局での収録を行うことになりました。今日午後3時からです。
奈良ドットFMさんの3時から4時までの番組で、生出演をさせていただくことになったのです。今日が記念すべき第1回目ですが、興福寺副貫首の森谷英俊猊下をお招きして行います。
FMいかるは来週の水曜日の放送ですが、奈良ドットFMでは生放送なので、今日午後3時から4時までの放送となります・・・。
よろしければ是非お聞きください。
実は奈良局とのコラボで行うのは私も初めてなので、ぶっつけ本番となります。どきどきです。
奈良ドットFM公式サイト →  http://narafm.jp/

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