「つなげよう、支えよう森里川海プロジェクト」に参加して
7/9-10と高野山で開催された森里川海プロジェクト(正式名は『第2回森里川海全国志民会議IN高野山』)に招かれて、基調講演と分科会でのモデレーターをつとめてきた。
この森里川海プロジェクトの詳細は以下
↓
http://www.env.go.jp/nature/morisatokawaumi/project.html)
さて、実際にこの大会に参加して、感じたことがあるので、備忘録程度にしたためておく。
もちろんもうすでに1年半以上、環境省などを中心に有識者や関連する各専門家、諸団体のみなさまが着手され、その英知を絞って提言書が作成されている。その提言書を元に今回の大会が開催されたわけで、ワタシがいまさらとやかくいう立場ではないのだが、せっかく修験道の立場として招かれて発言する機会を与えられたのだから、気になった2点を披露させていただいたのであった。
○その1
まず、根本的に「森里川海」という表題自体に危惧を覚えた。なぜ「山」が入ってなく、「森」なのかという点である。
大会開会式に際し来賓席に座った隣の席に、たまたま環境省の本案担当の主査の方がおいでになったので、そのことをお聞きしたら、「森という概念に山はすでに入っているのです」という答えだった。それから「人為的に環境整備をするという視点があるので、手を入れられない山は抜いてある」ということでもあった。
これにワタシは大いなる異を唱えることとなる。
「山」に森という概念は含まれるが、その逆の「森」に山は含まれない、というのがワタシの考えである。
たとえば富士山を考えて見てほしい。富士山は1合目から登ると5合目ちかくまで、草千里や木山千里が続く。つまりうっそうとした林や森が続くのであるが、5合目を超えるととたんに岩山砂山の山肌が延々と続く。つまり富士山は山であるが、その中には森や林や岩山があり、その全部を含めて富士山なのである。「山」に「森」は含まれるがその逆はない。
大峰山系でも同じである。我々の道場である大峰山系の山々は最高峰の釈迦ヶ岳でさえ、たかだか1917㍍しか高さを持たず、ほとんどの山が森や林に覆われて存在する。しかしあの山系全体を「森」とは呼んでいない。ほとんどが山林の続く山系であるが、全部が「山」なのである。つまり、何度も言うが、大峰山系においても、「山」に「森」は含まれるが、「森」の中に「山」全体と包含する概念はないのである。
言葉の問題だけではない。実はこの森里川海プロジェクトの根底には行きすぎた物質文明社会が生んだ環境破壊への危機感があるはずである。とするなら、人間中心に開発を進めたあまり、地球自身の生命さえ危うくしてきた近代主義への懐疑を持たなくてはならないだろう。「人為的な開発の対象である森里川海」という考え自体が近代主義から脱していないとも言える。人為的にやれようがやれまいが、山に降った雪や雨が、森里川海を潤わせて、日本の自然環境を整えてきたのである。
日本人に取っての「自然」とは「おのずからあるものとしての自然(じねん)」である。欧米社会(一神教)が考えた、人間に隷属させる自然=ネイチャー、支配する対象物としての自然=ネイチャーではない、という価値観の転換があってこその、森里川海プロジェクトでなくてはならないだろう。近代主義、物質文明第一主義への提言・・・そういう指摘を投げかけるのがこのプロジェクトの根幹なのではないだろうか。
日本人にとっての自然、山や川や海は征服対象ではなく、共に生き、共に苦しみ、共に死んでいく、自然の中で生かされているという風土、思考を取り戻さなければならないと、常々、山伏であるワタシは思ってきた。だからこそ、この森里川海プロジェクトに賛同するのである。
少なくとも大自然の中で歩かせていただく、修行させていただくという教えて生きて来た山伏としてはそこのところは、どうしても譲れないベースなのであった。
○その2
次にこの「山」の問題以上に、大きな疑問を感じたのは、大部の提言書の中に、自然への畏敬とか畏怖とかいう文言は何度も散見したが、「神」とか「仏」とか「ご先祖」とか、日本人の信心に関わるような言葉が見当たらなかった点である。
提言書には、自然への畏怖を取り戻し、その自然の恩恵、里山や川、海とうまく関わって生活の生業を継続させてきたあり方を見つめ直そうという趣旨の貴重な意見が縷々述べられるのであるが、実はその自然と人間との関係を成り立たせた中心には「神」がいて、「仏」がいて、「ご先祖さま」がいたからこその、世界だったのではないだろうか。ワタシはそう思っている。実はそういった意見が全く書かれていなかった。日本人の信心に関わる文言が、不思議なほど、全く顧みられていないのである。そこにワタシは違和感さえ覚えたのである。明治の神仏分離以来、自然と人間との生活のつないできた神仏を喪失させてしまった災禍を感じていた。
まさに哲学者の梅原猛氏が語った「二度の神殺し日本」の姿を垣間見た気がしたのであった。それは政教分離の壁の前には立ち尽くし続ける今の日本行政の限界とも言えるのかもしれないが、そこを抜きにして日本の環境問題に向き合っていくのが無理があろう。美しき里山、いや森里川海を守ってきたのは自然や鎮守の神様をはじめご先祖様、お天道様などへの畏怖と信心を抜きにしてはありえないことなのだと知るべきだろう。
1,2ともワタシの提言が的を得たモノなのか、それとも糞坊主の単なる戯言にしかすぎないのか、あとはワタシの話を聞いていただいた皆様や、本文を読んでいただいたみなさまの見識にお任せするしかないが、近代と戦い続けるワタシにとってはいろんな意味でまた新しい闘志をもたせていただく機会となる今回の大会参加であった。
最後に蛇足ながら、分科会でご一緒した安田喜憲先生と大いに盛り上がったのは、「このプロジェクトの正否は若い人たちがどう100年後の日本、100年後の自分たちが暮らす地域の姿を想像して、いまやるべきことに目覚めることが出来るかだ」という共通認識だった。「老兵は消え去るのみ」であるが、未来を託す若者たちに、是非、多くの言葉を伝え残して行きたい。
お世話いただいた場所文化のY氏や高野山別格本山三宝院の飛鷹師はじめ、多くのみなさまに感謝して、備忘録を置く。
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