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「チベット旅行記」② ー田中利典著述集を振り返る280831

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「チベット旅行記」② ー田中利典著述集を振り返る280831

昨日から始めた、10年前に綴ったチベット旅行記の2です。
主なきポタラ宮にたたずみ、正直に感じた当時の私がよみがえります。

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「主なきポタラ宮②」

ダライ・ラマ法王のインド亡命以来、主なき城となったポタラ宮殿は、今は中国政府によって博物館とされてしまった。

実際に目の当たりにしたのは、巡礼者たちを押しのけ、物見遊山の観光客に踏みにじられる観音菩薩の聖地・ポタラ宮だった。

チベットは中華人民共和国の成立と共に、チベットの歴史と文化の二つながら、大中国に飲み込まれ、文化大革命によって、大きな大きな打撃を受け、ついにはチベット人民の独立すら奪われてしまった。そしてその精神的支柱のチベット仏教は極度に疲弊したのである。その象徴が主なきポタラ宮殿であり、博物館と化した聖庁なのだ。

私は吉野修験に属する山伏であるが、翻ってわが修験道を考えるとき、このチベット仏教が歩んだ運命にある種の親近感を覚える。

明治期、わが国は欧米化政策の一環として神仏分離を施策し、日本古来の宗教心の象徴である権現信仰の禁止と、修験道という宗教の廃止を断行する。この災禍によって権現信仰の法城であるわが吉野山・金峯山寺は、一時期廃寺とされるが、のちに復帰し、日本全土の修験寺院が廃絶される中、奇跡的にその法脈を保った。それは偏に当時の人々の信仰心に支えられた抵抗運動の賜物であった。

ポタラ宮殿の存続は博物館としての継承では意味がない。宮殿内に祀られる歴代ダライ・ラマ法王の嘆きやいかばかりであろうか…。だからこそ、チベット人民の信仰心の継続に、いずれ迎える新たなよき時代を拓く鍵がある、そんな思いを持ったのである。

宮殿内の豪華な陳列物に饗応する中国人観光客に罪はないが、その信仰なき、無節操な態度に忍びがたい不快感を覚えたのは私だけではないだろう。                     

ー仏教タイムス2006年9月掲載「チベット旅行記」より

*写真はこの時の旅行主催者である正木晃先生とのポタラ宮前ツーショット

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