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「今夜の一言特集・上半期編」

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「今夜の一言特集・上半期編」

実はもうずいぶん前からツイッターやフェイスブックで書き綴ってきた「今夜の一言」。これってその日、その夜、つれづれに自分の心に浮かんが言葉を吐露したほとんどがオリジナル言葉(迷言かなあ…)です。まあ、大した意味のない言葉ばかりですがね。

一時期は、きちんとメモに残していましたが、いつのまにか書き殴るだけになっていたので、このままではさかのぼるのが大変な作業となってしまいかねません。ま、消えてもいいのではありますが・・・。

でもせっかくだからもったいないという気もするので、最近の分をまとめてみました。振り返ると、昨年12月頃からぼつぼつ復活してようです。その上半期分をまとめます。正直駄作ばかりで凹みますが・・・。

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●2712~
「風邪は寝るに限る」 ~まあ、喋りながら寝るやつはいませんがね(笑)。

「人は愛した分だけ愛される。嫌った分だけ、嫌われる。人生はおおむね、トントンくらいで上出来だ」

●2801 なし

●2802~
「ぼつぼつ生きる。こまやかに生きる。大切に生きる」

「人には負けたくないと思うのは大事。でも人に負けたっていいじゃない、と思うのも大事」

●2803~
「やらされている仕事。やらせていただいている仕事。あなたの仕事はどっち?」

「お水取り  練行衆に  春一輪」

「人生、いくつになっても学びの連続です」  …しみじみと札幌の夜を過ごしています。

「自分が思うほど他人は自分のことを思っていてはくれない。しかし、またその逆も可なり」

●2804~「地位や名誉やお金ではなく、志にこそ人の本懐である」 あてにならない世の情け。改めて自分にとうてみる

「それでも自分らしさは捨てられない・・・」 ~ことあるごとに、人はいろいろ想いを巡らせますが、自分らしさが最後の砦。ま、男泣きする、馬鹿な野郎を笑ってくだせい!!(笑)

今朝の一言「懺悔と感謝。そして祈りです」 ~大地、万物への懺悔と感謝。そして祈りを、日本中に広げましょう。熊本の大地の平穏が一日も早く取り戻せますように。

「人間は決して体で生きているのではない。人間は気で生きているのである」

「何事もお天道様が見てござるのよ」 ~つくづく感謝です。

「美味しいものと友達がいれば、人生は豊かだ!」

を「愚者は常に過去を怨み、賢者は常に未来を計る」

●2805~
「不平不満でする仕事、感謝感謝でする仕事。さてさて幸せの神様はどちらに宿っているでしょう?」 ~誰もが知っているけれど、誰もがついつい忘れてる。

「30年後の誰かのために種巻く人になれたらいいね」

「自分の値打ちは自分では決められない。でも、自分の値打ちを高めるのも、貶めるのも、自分である」

「人生は糾える縄のごとし。ええときばかりではない。でも悪いときばかりでもない。」

「たとえ明日、自分の命が尽きようとも、今日、一輪の花をつける種を撒く人間でありたい!」

「人生はいつも波瀾万丈。サーファー気分で乗りきりましょう!」

「振り返れば過去は後悔の山だけど、感謝の山と思うなら、未来はたちまち明るくなる」

今朝の一言「人の世は難しい。良かれと思ってしたことで、理不尽に恨まれたりする。あまりの馬鹿馬鹿しさに、もう2度と人になど親切にするまいと思うのだけど、それでもやはり、人には親切でありたいと願う。もうそれは私の業なのだろう」

●2806~
「言葉を重ねれば重ねるほど、真理が遠ざかる」

「人生の価値は自分では決められない。でも人生の価値を作るのは自分である」

「人は時として自分を守るために詭弁を弄するものである。」

「なるようにしからならない人生。でもどうにもならないのも人生」

「賢者は他者を思い、愚者は己のみに執着する」

「人は誰でも自分の都合で生きているもんだよ」 ~私もそうだし、そういうものだと思っておいた方がいい。

「共生とは共死を伴うと知るべし」

「言葉を重ねれば重ねるほど、真理が遠ざかる」

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私も還暦を過ぎて、そろそろ人生を語ってもいいのではと思ったりして、ぼつぼつと、これからも書き進めたいと思うこの頃ですね。そのうち、名言も生まれるかも知れませんからね。

みなさんのお気に入りはありますかねえ??
ちなみに私の上半期で一番気に入っているのは「たとえ明日、自分の命が尽きようとも、今日、一輪の花をつける種を撒く人間でありたい!」でした。

みなさんはなにでしょうか?よろしければ教えてください。

**ちなみに写真は吉田拓郎の「今はまだ人生を語らず」の紙ジャケです。

なら国際映画祭、参上!!

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9月17日に春日野園地を会場に行われた「第4回なら国際映画祭」に参加し、はじめてレッドカーペットを歩かせていただいた。

一度、レッドカーペットなるものを歩きたいと思っていたが、ご招待を受けても、この時期、なかなか日程が合わなかったので、念願の思いが叶うことになった。

ずっと天気予報では雨が心配されていた。締め切りをとおに過ぎてから参加することを決めて、実行委員長の中野聖子さんに連絡したら、「りてんさんが来てくれるなら天気なるから、絶対に来てね」といわれた。なんだか、とても重い責任感を感じながらの参加だったが、さすがの河瀬監督である。雨は一滴もふらず、青空さえ見えてステージの最後には満月の姿が現れたのであった。私は晴れ男だからと大見得を切った私も、ほっとしたのだった。

...

ところで映画祭の感想というと、なんといっても河瀬監督の凄さである。

外国人監督に日本の良さを映画化させようとする、映画祭グランプリ作品監督の映画制作は、たぶん常人では理解出来ない、すごい試みなんだと、改めて実感をした。

ただあまりにすごい試みだけに、その意義を多くの人に共有する難しさも感じていた。

そして、今回の上映会、レッドカーペット以上に、私を心から感激させてくれる出来事があった。

なんとオープニングの挨拶で、河瀬監督が、東日本大震災を契機に制作された「ア・センスオブ・ホーム・フィルムズ」の世界最初の上映会を、わが金峯山寺で行った時のお話を延々と披露され、その場を演出した一人として、とても誇らしく感じたのだった。「風の命を感じる上映会」とはまさにその場にいた人の多くが共有した感激だったと思っている。

奈良市が映画祭開催の助成金を全額削減するという、今年は未曾有のピンチに陥った映画祭だったが、それでもピンチをチャンスに変えて、見事に過去最大規模での開催となったのである。

なおみ監督、中野実行委員長、そしてたくさんのスタッフのみなさん、本当におめでとうございました。22日のクロージングまで、頑張ってください。

*写真はオープニングステージの記念写真。私はうしろの席の矢印あたりにいたと思う

『はじめての修験道』,第5刷出来!!

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もう10年以上も前になるが、正木晃先生と書いた、私の中でもおすすめの名著。その『はじめての修験道』が今月、春秋社から第5刷が出ました。

・・・といってもわずか500部の増刷なので、偉そうにはいえないお話ですが。

また読んでおられない方、修験道に興味のある方、是非、ご一読をおすすめします。

・・・アマゾンでは、中古品しかないようですが(^_^;)

https://www.amazon.co.jp/dp/4393203046/ref=cm_sw_r_fa_dp_c_ICh4xbX06P1GM

「ローカルな日々…運動会の私」」

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「ローカルな日々…運動会の私」」

私は15の時、家を出た。その後、吉野で家庭を持って、家族とともに一度は家に戻ったが、すぐに単身生活に入り、結婚後もほとんど綾部での生活はしていない。つまり自治会もPTAも家内に任せっきりだった。それはいまも実は変わらないし、その生活を支えてくれた家内には感謝している。

そんな私が最近しきりに話している「グローバルからローカルへ」「これからはローカル力の時代」などというのは、なんだか怪しい話だなあと、ひさしぶりにびっちり子供の小学校と地域合同の運動会に出て、実感をした。

...

何年ぶりかで、競技にも参加した。地域対抗の綱引きの人数あわせでかり出されたのである。予選・準決勝・3位決定戦と3度の試合にフル出場である。明日あたりは腕や腰が痛いにちがいない。

ここしばらく、自分の立ち位置について、考え直している。ありがたいことに、いまも変わらずいろんなところから声もかけていただくし、ラジオの仕事をはじめ、新しいジャンルでの仕事も始まっている。

吉野勇退以来、恩知らずな仕打ちを経験させられているのも現実で、その都度、私もきっとそういう思いをいろんな人にさせてきたのだなあと、辛い思いに接するたびに、我が身の行き超してきた日々を振り返っている。

地域の人にも許されている感がある。というか、許されているのかどうかはわからないが、家内にまかせっきりという状況をみなさんに知ってもらっているようには思えた運動会。

私はもともと、さらりとした関係が持ちにくいタイプで、べったりとなるか、無関係なほどの間柄であるかの、どちらかしかない人である。地域のこともべったりとするほど参加出来るなら、そういう関係も構築できるが、いまの私の環境からはそれは少し望みにくい。それ故、無関係な関係でおつきあいをするのが精一杯である。なんだか、知らない人ばかりになった地域の運動会で、そういう思いに立ち尽くしていた。

よほど、知らない人ばかりとはいえ、昨日の河瀬監督のなら国際映画祭での居心地の方がよかったほどである。

こういう思いというのはリタイア時代に入った人が必ず経験することなのかもしれない。

とはいえ、ローカルな時代が来ていることは間違いない。ローカル人として生きていない私がいうのはやはり真実味がないが、ローカル人になってしまっては気づけないこともあるように思う。あいかわらず評論家的だなあといわれそうだが、それもいまは自分の立ち位置として、流れのままに生きてみようと思っている。

過去になんども言ってきたが、「70の田中利典」に出会ったとき、自ずから答えがでていればよいと思っている。

*写真は今日曇天の中で行われた運動会

「加持祈祷の心得」ー昨日の夏期大学講座から

「加持祈祷の心得」ー昨日の夏期大学講座から

○私の持論
「葬儀葬祭は霊魂の存在が前提であり、加持祈祷は奇跡が起きるのが前提とされなければならない」
「その奇跡は行者の力が起こすのではなく、神仏の力(如来加持力)によると知るべし」...
「その仏力の働きを学ぶのが加持祈祷作法の基本」

○修験道の本義
方便門と真実門の真義がある
方便門とは修行によって呪験力を得るは方便門
真実門とは修は修行によって悟ること、験とは本来自分自身が持つ仏性を指し、この両者を兼備することが修験であ
・・・山の行より里の行=菩薩行

○加持祈祷とは
加持の「加」は「加被」、「持」は「摂持」
・・・「仏日の影が衆生の心水に現ずるを加、
    行者の心水よく仏日を感ずるを持」
祈祷とは祈願、祈念、祈請
加持祈祷とは、自己の願望達成のためだけに仏を利用し手段化するのでなく、本尊に全身心を傾けて帰依(きえ)し、自己を空しくして三昧(さんまい)に入り、本尊と入我我入すること
「三密加持」(三密相応)の修法

○三力の大事
 三力とは「我功徳力」「如来加持力」「衆生法界力」
 加持祈祷を学ぶとは究極、この三力を働かせる世界と作ることである。

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こうして、書き出すとえらい難しい話をしたように見えますが、聞いた人は、もう少し柔らかく伝わったはずです。

ながく夏期大学の講師をつとめてきた、いまの私の集大成の講義となりました。

ながーい補修工事、終了!

ようやく約2ヶ月半にわたった自坊の補修工事が今日、終えた。

トイレの水洗化工事が丸2ヶ月。それに伴う、建物の周りの犬走りも半分ほどは張り直し、浄化槽が施設される場所にあった荒神さんの社は遷座。またトイレ自体も大幅に改築されることになった。

今月からは床下の改修工事。12畳1間と、8畳2間、そして6畳3間。8畳は畳の部屋を1間フローリングに変え、6畳のうち、1間は畳の入れ替えを行った。

敷居の入れ替えも行った箇所もあり、思いのほかの大工事となった。

今年は自坊林南院の脳天大神開顕40周年。記念事業的にもいいタイミングでの改修が出来ました!!

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 「りてんさんの知人友人探訪予告!」

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「りてんさんの知人友人探訪予告!」

明日は薬師寺の村上太胤新管長さまです!

ご存じのとおり、地元綾部のコミュニティラジオ・FMいかるでこの4月よりコメンテーターを始めましたが、その中で「りてんさんの知人友人探訪」というコーナーを放送しています。

また最近は「ならどっとFM」さんと、FMいかるとの共同で制作をしていただき、奈良のみなさんにも聞いてもらっていますが、先週の金曜日には、この度、薬師寺の新しい管主さまになられた村上太胤猊下に出演していただきました!

奈良局での収録では過去、7/8には興福寺副貫首の森谷英俊猊下、8/12には岡本彰夫元春日大社権宮司さまに出ていただいています。

過去の収録分は順次、私の新しい公式サイト→ http://www.tanakariten.com/ でアップさせていただきます。

さて明日のFMいかる「とりたてワイド763」で村上新管長さまとの対談を放送します。予定では午後1時から。奈良での放送で聞き逃した方は、是非、お聞きくださいく。

綾部方はFMいかるで聞いてください。FM763Hzです。
綾部以外の方は、サイマルラジオで全世界で聞けます→http://www.jcbasimul.com/?radio=fmikaru 

*写真は村上猊下との収録時のものです。

「グローバリズムとローカリズム」ー田中利典著述集280911

「グローバリズムとローカリズム」ー田中利典著述集280911

4年前に奈良新聞社に依頼されて書いたの記事です。
グローバルからローカルへは私のいま、一番の課題です。

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今や世は、グローバリゼーションの真っ只中にある。が、しかし、そのグローバリゼーションの綻びが、ローカリズムの時代の到来を告げつつある。

とはいえ、このグローバリズムは手強く、そう簡単にローカリズムに移るとは思われない。産業革命以後、ヨーロッパからはじまった近代は、アメリカという大国を生み、世界中を飲み込んでしまった。世界中にマクドナルドとケンタッキーフライドチキンのお店が並び、欧米主義に、まるであらゆる地域が右ならえしつつあるのが現状と言えようか。

数年前のベストセラーである数学者藤原正彦氏の名著『国家の品格』で、著者は「いくらチューリップが美しいからといって、世界中をチューリップだらけにしてはいけない。サボテンの花、ブーゲンビリアの花、桜の花、それぞれの国に相応しい花があっていいんだ」というようなことをお書きになっていた。私もそうだと思う。

グローバル社会は世界中をチューリップだらけにしてしまう価値観であるとするなら、どうすれば桜の花を守り、その国の国柄や風土を守ることが出来るのであろうか。

奈良は日本の文化の源である。精神文化の源でもある。奈良は神道を生み、仏教を土着させ、神仏習合の修験道を育んだ地である。

外来の文化を積極的に取り入れながら、我が国は独自の文化を成熟させてきたが、そこにこそ、日本のローカリズムの原点がある。

安易な欧米主義やグローバリゼーションに流されることなく、日本の国柄を守ることは近未来に懸けてのこの国の課題だと言えよう。

奈良新聞は奈良に根ざしたローカリズムの発信地だと私はかねてより思っている。私のいる吉野山の桜が、日本の花とその心映えを象徴しているように、奈良新聞が奈良の国柄を発信し続けることは、日本にとって大きな役割になるに違いないと私は大いに期待している。

 ー2013年10月/奈良新聞・新聞週間の特集記事掲載「奈良新聞に期待する」

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「奈良新聞に期待する」といういささかヨイショした、奈良新聞の依頼で書いたものだが、これはどこででも言えることだと思っている。京都なら京都、綾部なら綾部、でである。

そういう文脈で読んでいただければ、いまもなお、新しい文章として読むに耐えるのではと思う。

「チベット旅行記のおまけ」(^_^)v

「チベット旅行記のおまけ」(^_^)v

仏教タイムスに連載したチベット旅行記には文中でも書いたように種本がある。私の運営するBLOG「山人のあるがままに」で書いた「チベット紀行」である。

少々長いですが、本紀行に興味があるかたはご覧ください。

もう10年も過ぎるとすっかり当時のことは忘れてしまいますが、書いておいてよかったと久しぶりに読み返して、我ながら感心をしていました。

①http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_934b.html
②http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_d287.html
③http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_c58e.html
④http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_7fd3.html
⑤http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_d31b.html
⑥http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_8d86.html
⑦http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_aa64.html
⑧http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_c0dc.html
⑨http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_a765.html
⑩http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_6c50.html

*ちなみに⑩の最末尾に書いてある次回の旅行の「ブータン行き」は私は参加出来ませんでした。いまからおもえば、思い切って行っておくべきでしたね。「ブータン」、行きたいです。

「チベット旅行記」⑨ー田中利典著述集を振り返る280908

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「チベット旅行記」⑨ー田中利典著述集を振り返る280908

10年前に綴ったチベット旅行記のその9ー最終回です。
長かった・・・おつきあいいただき、ありがとうございました!

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「旅の終わりに…」

旅に出ると私はいつも思う。旅先で多くの人々に出会うたびに「人間はなにかをして生きているんだなあ」と漠然と思うのである。人間はなにかをして生きている…至極当然のことなのだが、日常の生活を離れて、非日常の外国旅行へ行くと、そういう思いをいつも抱くのである。今回は秘境といわれる国だけに、今まで以上により強くそう思ったのだった。

商売をしている人、畑を耕している人、食事の世話をしている人、巡礼をしている人、昼間から寝そべってる人、物乞いをしている人…千差万別に多くの人々がいた。

考えれば「あんなことを達成した、こんなことも成し遂げた」といったところで、所詮私も、家庭と仕事を行き来しながら、なにかをして生きているだけの存在である。誰もが生まれた以上は死ぬまで、なにかをして、生きるのである。その生きる過程で成し遂げたことの価値など、大いなる宇宙の営みから見たら芥子粒にも満たないものである。それでも私たちはああだこうだと右往左往しているのだ。考えてみれば愚かな話である。

仏教では「世間虚仮」という。「是真仏法」とも説く。チベットの大地を這いずり、仏教の教えのみを信じて生きているような人々にたくさん出会って、私は仏教者としてもう一度、人が生きるとはなんなのかという問いかけを続けていたのであった。柔和な仏像とおどろおどろしい曼荼羅画の狭間で、生きることの複雑さや猥雑さを感じながら…。

こうして私はチベット旅行を終えたのだった。

ー仏教タイムス2006年9月掲載「チベット旅行記」より

*1枚目の写真は筆者撮影のラサ・ポタラ宮。いまでの鮮明に記憶に残っている。でももう今はすっかり変わって、漢民族に汚染されて俗化しているでしょうね。
 2枚目の写真はチベット西蔵自治区のゴンカル空港での同行者一行。・・・あの頃がほんとに懐かしいです。


三霊場フォーラム「日本の宗教と自然環境」

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三霊場フォーラム「日本の宗教と自然環境」

紀伊山地三霊場会議という、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録寺社15ヶ所のみなさんに声をかけて発足させた団体がある。私は発足当時から代表幹事をつとめ、2期6年で昨年その役を降りたが(今は顧問のお役目を担っている)、その集大成として、この11月21日に大阪ハルカスビルにて、紀伊山地三霊場会議フォーラムを企画した。

講師に仏教学者山折哲雄先生と金剛峯寺前座主の松長有慶猊下などをお招きして、日本の宗教文化と自然環境保全について、お話を伺う。興味のある方は是非、ご参加ください。

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くわしくは添付のチラシ参照のこと。
あるいはメールでもお問い合わせください。




「チベット旅行記」⑧ー田中利典著述集を振り返る280907

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「チベット旅行記」⑧ー田中利典著述集を振り返る280907

10年前に綴ったチベット旅行記のその8です。次回で最終回です。

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「高山病について」

もう20年近く前、富士山に登ったことがある。たしか7合目か8合目の山小屋で一泊し翌朝登頂した。朧気な記憶だが、蟻の行列のような登山者が続く中、前を行く人の背中ばかりを見て登ったが、道端には簡易の酸素ボンベで吸飲しながら、はあはあと喘いでいる多くの人がいた。高山病に苦しむ人たちである。しかし私はあのとき、さして高山での苦しみを味わったという覚えがない。

今回チベット高原に行くについて、事前に再三、高山病の怖さと注意事項を指摘されていた。人によっては死亡した例もあるという。私自身は富士山での記憶から、どこかで自信を持ちつつ、どこかではここ10数年の不摂生を顧みて、不安な気持ちを抱いた。

今回の添乗員を務めていただいた貫田宗男氏は日本では知る人ぞ知る登山家。またチベット訪問11回という正木先生はチベットの達人。二人のダブルタッグで指導願ったお陰で高山病対策は万全の旅行だった。特に貫田さん持参の血液中の酸素濃度をはかる小さなインジケーター(正式名称は動脈血中酸素飽和濃度測定計)は団員の体調管理に物凄く力を発揮していた。そのお陰もあって、幸い、ホントに幸いにして私はチベット滞在中、高山反応らしき反応もなく、ラサ1日目に少し頭がボーとした程度だった。

しかし同行者で肺水腫寸前に陥り、あの達人の貫田さんを慌てさせるという事態もおき、万全を期したにもかかわらず、波瀾万丈の十日間となった。

やはり平均高度3700㍍を侮ってはいけない。チベットは低地民族の日本人にはとても怖い国なのだ。

ー仏教タイムス2006年9月掲載「チベット旅行記」より

*写真は白居寺で、チベットのお坊さんたちと一緒に撮った記念写真。

「チベット旅行記」⑥ ー田中利典著述集を振り返る280905

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「チベット旅行記」⑥ ー田中利典著述集を振り返る280905

10年前に綴ったチベット旅行記のその6です。

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「白居寺の感動」ーその2

本堂参観に続いていよいよクンブム大塔へ向かう。「チベット密教中、最も優れた壁画群」が残る期待の場所である。

ところが大塔前で、私と同行の一人が巡礼者たちに取り囲まれてしまった。「あの二人は日本のお上人さまだ」と噂が立ち、次々とお加持を求める群衆が集まってきたのである。私たちが法衣姿で参観していたことが原因であろう。そのお加持をする姿を見て、次々と他の人も列を作り出した。

うわー、えらいことになったなあと思いつつ、群衆に乞われるまま二百人以上はお加持をしただろうか。何度も何度もお加持を願う人もいる。油でこてこてに固まった髪の毛ごしにひとりひとりお数珠でさすってあげるのだが、いよいよ際限がなくなってきた。逃げようと、同行者を引っ張って、ついに這々の体で逃げ出したのであった。お上人様でもない私たちにはあれが限界だった。

なんとかクンブムに入る。ここは一階から右回りに仏画や仏像を拝みながら登るのだが、その道程は悟りへの過程になるように造られている。聞きしにまさる素晴らしい仏像、仏画群だ。上に上がるほど悟りへの過程を昇るというのは、仏教の発展過程をなぞることでもあり、最上階には待ちわびた後期密教の無上瑜伽タントラ群が待っていたのである。

この夥しいかぎりの合体仏、秘密マンダラ群を見たとき、私の思い描いたチベット密教の最奥にようやくたどり着いた気がしたのである。

素朴で真摯な巡礼者たちに取り囲まれ、そして夥しいマンダラ画や仏たちに包み込まれ、これこそチベット仏教だ、というパルコン・チューデ感激のひとときであった。

ー仏教タイムス2006年9月掲載「チベット旅行記」より

*写真はギャンツェ郊外白居寺前での筆者。このあと、書いたように、巡礼者に取り囲まれる。

「チベット旅行記」⑤ ー田中利典著述集を振り返る280904

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「チベット旅行記」⑤ ー田中利典著述集を振り返る280904

10年前に綴ったチベット旅行記のその5です。

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「白居寺の感動」ーその1

今回のチベット巡礼で一番感動したのはギャンツェの街で訪れたパルコン・チューデ(白居寺)だった。白居寺は15世紀初頭の創建で、当初はサキャ派の寺院だったが、その後、シャル派、ゲルク派が相次いで入り、各派共存の寺として存続している。この寺で有名なのがクンブム。俗に八角塔と呼ばれる白い仏塔は十三層からなり、その高さは34メートル、基壇の一辺は52メートルに及ぶチベット最大の仏塔だ。クンブムとは百万の意味で、十三層の建物の壁には百万の仏像が描かれているという。同行の正木先生から「チベット仏教最高峰の仏画群です」と説明を受けたが、本当に素晴らしい壁画群であった。

その白居寺でまずはじめに感動したのは境内一杯にあふれる巡礼者たちだった。本堂前で五体倒地をする人、五体倒地をしながら境内を巡礼している人。ラサのジュカンでもたくさんの五体倒地者を見たが、ここではその数が数倍だ。そしてチベット第一の都市ラサを上回る巡礼者の熱気なのだ。いや、ギャンツェという田舎街だからこそ、中国ナイズされる以前の純朴なチベットが、ラサより遙かにここには息づいているという印象だったのである。

本堂に参観し、巡礼者が額づく御本尊御宝前で錫杖を振りながら声明と般若心経の勤行を行う。チベット滞在中は訪問した各寺院で団員一同が一緒にお勤めをさせていただいたが、この時の勤行ほど、唱えながら感激したことはなかった。遠く日本からなにか深い導きを得て、ここギャンツェで、この勤行の瞬間を迎えているっていう、天啓のような感動を覚えたのだった。

ー仏教タイムス2006年9月掲載「チベット旅行記」より

*写真は行く先々のチベット寺院で勤行する一行。

「今日はお護摩の日」

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「今日はお護摩の日」

毎月3日は自坊の月例護摩供の日。今日も午後1時から護摩を修します。

7月からかかった水洗トイレ工事もようやく一段落。まだペンキ塗装など一部の作業が残っていますが、今日から表のトイレも使えるので、林南院開山以来、43年目で、ようやく懸念のトイレ問題が一応決着することになります。

長年にわたり、ぽっとん便所で失礼をしましたが、林南院にも近代化の波?が訪れました(笑)。浄化トイレだけに、浄財の喜捨も拒みませんから、是非、ご協力をお願いを申し上げます。

実は林南院の補修工事は今月から第2工程に入ります。7日には本堂をはじめ、各所の床の改修工事に着手。築後43年ですから、床のネダや床板などの痛みが著しく、場所によっては踏み抜けるほどの状況になっています。これもトイレ工事以上の、大工事になりそうです。

ま、長年、自坊経営や保全管理を怠っていたツケが回ってきたとも言えますが、いずれにしろ、11月の秋の大祭(あやべ脳天開山40周年を兼ねます)に向けて、境内整備事業も大詰めを迎えています。

篤信のみなさまの、お力添えは拒みませんので、よろしくお願い申し上げます。

護摩のあと、みなさまがお帰りになった後には、二期工事の地鎭式も予定をしています。

お護摩には誰でも参加出来ますので、おいでください。
九月に入り、めっきり秋めいて来ました。
今日の護摩は第一期工事の完成報告も含めて、さわやかに修法できそうです。

「チベット旅行記」④ ー田中利典著述集を振り返る280903

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「チベット旅行記」④ ー田中利典著述集を振り返る280903

10年前に綴ったチベット旅行記のその4です。

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「チベット仏教と夥しい仏」

インドで生まれた仏教は8世紀後半、母国では廃れる。そのインド仏教が行き着いた後期密教はそのままの形でチベットに流伝した。インド仏教は開祖の釈尊以来、発展と変容を生むが、中国や日本に伝わったものは中期密教までで、最後の精華というべき後期密教はほとんど伝播していない。その意味でもチベット仏教の存在意義は大きい。

加えて、仏教による政教一致がチベットほど徹底されていた国は希有であり、そこにも大きな意味を見出す。

もちろん中国侵攻以降、チベット仏教は苦難の道を余儀なくされるが、行く先々で五体倒地の巡礼を続ける多くの人々を見るにつけ、民のすみずみにまで行き渡った仏教信仰は未だ厳然として生きていることを実感した。

ただもう少し言えば、近年世界的に注目を浴びるチベット仏教は『死者の書』やタントラリズムなど、異次元的で、そして甘美な世界を印象づけている。しかし実際に私が接したチベットの高僧や民衆の信仰はというと、そういう感じは極めて希薄であった。

唯一、ギャンツェで参観した白居寺大塔に残された夥しい金剛界や無上瑜伽タントラ系のマンダラ群に、チベット密教の最奥を見たように思う。

それにしてもなんと夥しいマンダラや仏たちだろう。白居寺に限らず、訪れた全ての寺院で、夥しいとしかいいようのない膨大な数のマンダラと仏たちに遭遇した。そこにはチベット民衆の生きた証と、来世への大いなる願いが込められていた。

同じ仏教国とはいえ、気候と風土、歴史の違いが生み出した日本との相違を強く感じたのだった。

ー仏教タイムス2006年9月掲載「チベット旅行記」より

*写真はギャンツェ郊外白居寺大塔での瑜伽タントラ系曼荼羅図(筆者撮影)。

「りてんさんと行く吉野・高野・熊野/世界遺産紀伊山地の旅」

地域限定情報:綾部発
「りてんさんと行く吉野・高野・熊野/世界遺産紀伊山地の旅」

・・・という綾部出発の旅行企画です。
6月に京あやべホテルで企画していただいた私の帰郷講演会の、いわば第2弾。前回と同じく元綾部市長四方八洲男さんがお仲間を中心に企画立案していただきました。

吉野では実弟でもある五條良知金峯山寺管領猊下。高野山では元金剛峯寺座主松長有慶猊下、そして熊野本宮大社では九鬼家隆宮司にそれぞれご挨拶・ご法話をいただくという特別な参拝団です。松長猊下も九鬼宮司も、10年来の懇意にしていただいている親しいみなさんです。

日時は11月28(月)~30日(水)
28日は特別ご開帳中の「金峯山寺蔵王堂秘仏蔵王権現」さまに参拝。
金峯山寺では五條猊下と私の法話会があります。
その夜は高野山の宿坊普賢院に宿泊。夜に松長猊下の法話会があります。
29日は高野山の金剛峯寺、霊宝館、奥の院などを参観し、熊野本宮大社へ。
本宮大社では正式参拝や九鬼宮司のご挨拶を受け、夜は大社近くの川湯温泉泊。
30日は鳥羽に元綾部藩主九鬼家の墓所菩提寺常安を訪ねて、夕方綾部に帰山。

旅費は一人45,000円
定員30名

*誰でも参加出来ますが、出発が28日朝7時30分ですので、ご注意ください。
*詳しくはチラシをご参照ください。

「チベット旅行記」③ ー田中利典著述集を振り返る280902

Photo

「チベット旅行記」③ ー田中利典著述集を振り返る280902

10年前に綴ったチベット旅行記のその3です。

***************

「文化大革命とチベット国」

周知の如く、第二次大戦後、中国の侵攻によって、チベットは大中国併合される。そして漢人たちのチベット移入はあたかも大波が小舟を飲み込むが如く、怒濤のように押し寄せていった。その道程の初期には、凄まじい文化大革命の破壊活動がチベット全土を襲う。中国本土でさえ、自国のあらゆる歴史・文化と文物を否定した文革の嵐である。まして異国のものなど、一顧だにされることなく、容赦のない打ち壊しが行われた。とりわけチベット人民の精神的支柱であった多くの仏教寺院は大法難ともいえる破壊の標的とされたのである。

近年、ようやく文革の災禍を顧みて、仏教寺院の復興に手がつけられつつある。とはいえ、デブン寺やガンデン寺、シガツェのシャル寺など、訪れた寺院のほとんどが未だにその凄まじい破壊の爪痕を残していた。それは単に建物の破壊ではない。ダライ・ラマ14世をはじめ、文革の難を避け、高僧たちの多くが故国を捨て、亡命せざるを得ない状況を生み、チベット仏教は風前の灯火と化したのである。

今回の訪問では幸いセラ寺のチャンバイワンジェイ長老など今もチベット本土で中国政府の理不尽な弾圧にも負けることなく、活躍されている高僧たちとの邂逅を得て深い感銘を受けた。しかし多くの寺院で出会った覇気のない若い僧侶たちの面容には、ポタラ宮同様に、文革の大いなる爪痕を感じさせる悲哀があった。せめてもの救いは、参観中、至る所で目撃した真摯な巡礼者たちの祈りの姿だった。

中国はいよいよチベット侵攻を進めている。私はこの国とこの国の人民を憂い、しばし立ちつくしていた。

ー仏教タイムス2006年9月掲載「チベット旅行記」より

*写真はチベットでお会いしたセラ寺の住持チャンバイワンジェイ長老。
 ここ10年の混乱で長老の安否が心配である。

*このチベット旅行記にはタネとなった原文がある。私が綴った「チベット紀行」である。もし興味がある方は、私のBLOGの10年前の記事をご参照ください。
セラ寺訪問などを詳しく書いているのは「チベット紀行⑤」
 ↓
http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_d31b.html

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