「チベット旅行記」⑧ー田中利典著述集を振り返る280907
10年前に綴ったチベット旅行記のその8です。次回で最終回です。
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「高山病について」
もう20年近く前、富士山に登ったことがある。たしか7合目か8合目の山小屋で一泊し翌朝登頂した。朧気な記憶だが、蟻の行列のような登山者が続く中、前を行く人の背中ばかりを見て登ったが、道端には簡易の酸素ボンベで吸飲しながら、はあはあと喘いでいる多くの人がいた。高山病に苦しむ人たちである。しかし私はあのとき、さして高山での苦しみを味わったという覚えがない。
今回チベット高原に行くについて、事前に再三、高山病の怖さと注意事項を指摘されていた。人によっては死亡した例もあるという。私自身は富士山での記憶から、どこかで自信を持ちつつ、どこかではここ10数年の不摂生を顧みて、不安な気持ちを抱いた。
今回の添乗員を務めていただいた貫田宗男氏は日本では知る人ぞ知る登山家。またチベット訪問11回という正木先生はチベットの達人。二人のダブルタッグで指導願ったお陰で高山病対策は万全の旅行だった。特に貫田さん持参の血液中の酸素濃度をはかる小さなインジケーター(正式名称は動脈血中酸素飽和濃度測定計)は団員の体調管理に物凄く力を発揮していた。そのお陰もあって、幸い、ホントに幸いにして私はチベット滞在中、高山反応らしき反応もなく、ラサ1日目に少し頭がボーとした程度だった。
しかし同行者で肺水腫寸前に陥り、あの達人の貫田さんを慌てさせるという事態もおき、万全を期したにもかかわらず、波瀾万丈の十日間となった。
やはり平均高度3700㍍を侮ってはいけない。チベットは低地民族の日本人にはとても怖い国なのだ。
ー仏教タイムス2006年9月掲載「チベット旅行記」より
*写真は白居寺で、チベットのお坊さんたちと一緒に撮った記念写真。
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