« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

林南院あやべ脳天開顕四十周年記念大祭のご案内

14570262_1208021882597132_405865774

「林南院あやべ脳天開顕四十周年記念大祭のご案内」

来る11月3日(祝)には秋の大祭を執行いたします。
今年は林南院に吉野の本山金峯山寺龍王院より脳天大神さまをお迎えし脳天堂を建立して、四十周年の慶賀の年を迎えます。

昨年より「林南院あやべ脳天大祭」として今大祭を執行させていただいておりますが、今年はその記念すべき開顕四十周年大祭として、金峯山寺より五條良知管長猊下や修験衆を迎え、盛大に執行いたします。

当日午後は、頭病平癒や痴呆除け、受験合格祈願をはじめ、天変地異災害の鎮静を祈り、例年通り、大峯秘法採灯大護摩供の修験道秘儀を行じます。

是非、大祭法縁にご来山いただき、秋の一日安穏な気持ちでお詣り下さい。

なお午前中の法要では、大祭法要と共に、報恩謝徳のお祈りも致します。早めに来山頂き、ともにお参り下さい。初めての方もお気軽においでください! 合掌

○林南院あやべ脳天開顕四十周年記念大祭要項

日 時  十一月三日(祝) 午前十時半より
厳修方  午前十時半頃  内法要・法華三昧
     午前十一時半  住職法話
     正  午    昼 食(田舎弁当を予定)
     午後一時頃    大峯秘法採燈大護摩供厳修
             引き続いて火渡り式・火生三昧修行
             古札発遣、古札焚き
     午後三時頃   お札渡し

*写真はあやべ市民新聞に掲載した今年の広告

「人の悪きことはよくよく見ゆるなり・・・」

Rennyo

「人の悪きことはよくよく見ゆるなり・・・」ー田中利典著述集281031

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。今日のは、もう20年ちかくも前の、恥さらしなお話。実はこの夏にもスピード違反で捕まったことがあり、なんだかちっとも進歩したないとあいかわらず反省をしています。

*********************

「人の悪きことはよくよく見ゆるなり・・・」

先日覆面パトカーに捕まった。まっすぐに伸びた走りやすい高速道路で、本人としては、のほほんと走っていたつもりなんだが、制限速度をオーバーしていたらしく、検挙されてしまったのである。

言ったって始まらないと知りつつも、「こんな道路でせこい速度違反を捕まえて、誰が幸せになるちゅうねん」と、思わず違反切符を前にして、警察官に悪態をついてしまった。まったく愚かなことであり、今から思えば、気の毒に、あのときの警察官こそよい面の皮であったろう。

愚かなことと言えば過日、家内と待ち合わせをして、家内が場所を勘違いした。待つ間、なんだか無性に腹が立ってきて、顔を見るやいなや罵詈雑言を雨霰のように浴びせて、人前で大泣きさせてしまったことがある。たかが僅かな時間の遅れである。ホントにホント、愚かなことであった。

九紫火星生まれの人は一見冷静沈着のように見えるけど、一端切れると抑えが効かない性分なんだそうな、などど聞かされると、そうかそうか、あれは九紫火星のせいなんだと、などと、おのれの愚かさはさておき、得心してしまう。益々愚かさに磨きが掛かってしまっている。

「人の悪きことはよくよく見ゆるなり、我が身の悪きことは覚えざるものなり」とは蓮如上人の文言であるが、正にそのとおりで、自分の愚かさに本当に目覚めていないから、繰り返し繰り返し同じような愚行をやってしまうのである。

時々でよいから、自分の愚かさと、正面から向き合ってみるのは大切なことである。人前でいくら虚勢を張ってみたって、いいふりを取り繕っていたって、所詮たかが知れているのは自分自身が一番よく知っている。愚行によって、やっと本当の自分に気づくようでは情けない話なのだが、何度繰り返しても一向に気づかない方がもっともっと情けないことになる。

「脚下照顧(きゃかしょうこ)」(あしもとをみよ)によってこそ、自らの根底からの改まりが始められるのではあるまいか。

・・・などと反省ばかりしている今日この頃である。「反省は猿でもする」と言われても仕方がないところであろう。

ー「金峯山時報370号(1997年10月号)所収、蔵王清風」より

*****************

この夏、捕まったと書いたが、このときにはさすがに悪態はついていない。そこだけ、ちょっとは大人になったかな。

*写真は蓮如聖人さま。

「豈に旧を守りて、化道を壅(ふせ)べけんや」

Photo

「豈に旧を守りて、化道を壅(ふせ)べけんや」ー田中利典著述集281030

昨日からですが,過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。今日のは、ちょうど15年前、金峯山寺の宗務総長に就任した年に書いた、とても青い文章です。青いなあ・・・。

***********************

「豈に旧を守りて、化道を壅(ふせ)べけんや」

ちょっと難しい聖句を紹介する。「豈に旧を守りて、化道を壅(ふせ)べけんや」。

中国天台の祖・天台大師智顗の言である。意味は、既成概念に固執して、社会実践の工夫をおこたってはならない、というようなことであるが、人間というものは元来が頑固で、しかも保守的・保身的気質を持っており、一度やりだしたことはなかなか変えようとしない。昨日やったことは今日も出来ると思っている。しかしそれは大間違いなのだと、千四百年も昔の天台大師の言葉が、それを教えている。

とりわけ二十一世紀が始まって、ご承知のように、テロ多発事件、アフガン戦争など、世界の情勢は大激変する中、日本社会もその渦中にあり、それら様々な変化に応じた我々の生き方もまた、緊迫感を持って問われ直す時代を迎えているのである。教化を待つ衆生の変化に対応した、教化の方法が行われなければならない。

管長猊下特命を以てこの四月に宗務の統括に当たる総長職を担当して半年になるが、なかなか沿革の時を迎えられないでいる。宗内の体制が整わないこともあるが、危機認識が欠如しているのが一番の原因ではないかと思っている。

アメリカの精神分析学者エーリッヒ・フロムは、宗教には権威主義的宗教と人間主義的宗教の二通りあるとする。前者は人間を超越した権威に対する屈伏を本質的要素とし、後者は人間を中心とし、その力を十分に展開することによって自己実現をはかる。そこでは神は、超人間的な力ではなく人間自身の力の象徴である…と説いているが、ここに筆者は仏教の可能性を見るのである。

権威主義的宗教とは正に唯一絶対の神を頂く、ユダヤ・キリスト・イスラムの一神教宗教であろう。これに対して、仏教は絶対神を立てず、人間が有する仏性を前提として修行が展開される。人間が覚って仏陀となる教えが仏教なのである。人間にとって宗教は不可欠のものと筆者は思っているが、宗教の有り様が二通りに分けられるとするフロムの説に大変興味をもつのである。

閑話休題。本論に戻そう。ついこの前まで世界は安定していると思っていた。それもつかの間、権威主義的宗教同士のぶつかり合いによって、大きく揺るぎ出している。筆者では予見の付かない大激動が必ず来るだろう。その危機感を知るところからしか、激動に対応できる生活は生まれないのである。しかしながら仏教徒にとって最も大事なことは実は別になる。世の中がどうかわろうと、自らを灯火とし、法を灯火としつつ、我が人生苦の克服を第一義とするのが、仏教徒のあるべき生き方なのである。

世界の混乱は、宗教とはなんぞや、ということを突き詰めて問いかけている。ただ手を合わせていたらよい、というようなことでは説得力を持てない時代なのだ。そういう意味合いからこそ、人間主義的宗教が必要とされていると堂々というべき認識がいると思っている。自分の仏性を磨き、人々の仏性を認め合うーそういう宗教活動によってしか、世界の平和はもたらされない。そして修験道にはそれがあると、意識するところに、激動の時代に耐えうる教化活動が生まれるのではなかろうか。そういう想いが筆者を突き動かすのである。

ー「金峯山時報平成13年11月号所収、蔵王清風」より

*****************

本文でも書いているとおり、えらい意気込みであるが、この意気込みのまま、14年の総長生活を駆け抜けたのは事実である。成果があったかどうか、「自分で言うな!」と、常から人に戒められるので、ここでは触れないでおこう。

ま、まだまだ私の人生は終わったわけではないのだし、還暦をすぎて、新たに生き直している今は、なおまだ「人生を語らず」でありたいと思う。

*写真は天台大師智顗さま。

「法華経の冥加」ー田中利典著述集281029

253550_493502354049092_220594701__2

「法華経の冥加」ー田中利典著述集281029

今回からしばらく、私が26才から金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」に書かせていただいた駄文から、折に触れて、転記します。

***********************

「毎自作是念、以何令衆生、得入無上道、速成就仏身」。・・・これは妙法蓮華経如来寿量品の最後の四句である。 日頃の勤行では何気なく唱えている読み慣れた経文であるが、昨年の本山練成会で、ちょうどこの如来寿量品を講読したとき、この一節に胸を詰まらせたことがある。

それは寿量品の解説をし終えて、みんなで偈文の書き下しを読み上げていたときであった。 「毎に自らこの念を作す、何を以てか衆生をして、無上道に入り、速やかに仏身を成就することを得せしめんと」。この一偈が誠にどうにも有り難くなってきて、自分ながら驚いてしまったのである。涙が出そうに有り難く心に響くのであった。

懸命に泣くまいと歯をくいしばってふと目を上げると、席の前列の二、三人の人が、やはり小生と同じように感無量の表情を湛えている。こんなことがあるのだろうかと、不思議なくらいの有り難さであった。

二年あまり、法華経の講読は続いているが、あんなことは後にも先にも一度きりであるが、本当に法華経の有り難さが身にしみた一時であった。それ以後、法華経講読の冒頭では必ず、この寿量品の偈文をみんなで読み上げることにしている。

法華経には五つの功徳が説かれている。受持・読・誦・解説・書写の五つである。受持とは持つことであるが、本当はただ持つのではなく、法華経の教えを堅く信じ、堅持することをいう。でも単に持つだけでもそれはそれで功徳にはなる。読とは目で見て読むこと、誦とは暗唱すること、心の中で繰り返し読むこと。解説は法華経の意味を理解し、人々に説いていくこと。書写とは写すこと、つまり法華経の写経である。これらは五種の功徳であると共に、五種法師の修行でもある。法華経を広める人のことを法師というが、その法師が行ずるべき修行が受持・読・誦・解説・書写の五つなのである。

この五種法師の修行、当初、漫然と受けとめていたが、寿量品の冥加に出会って以後、読誦の大切さに思いを致すようになった。何よりも我々は法華経を読まなければならないのである。しかも身にしみて有り難くなるような読み方をしなければならない。近頃真剣にそう思っている。 実は法華経を読み出して不思議なことがもう一つある。それは法華経を読み進めば読み進むほど、先の五種法師の修行を私に行じさせようと、法華経自体が問いかけてくるのである。強要してくるといった方が正確かも知れない。それはちょっと怖い感じさえする。

法華経とはそんな不思議な経典であるが、先に述べたように間違いなく有り難い経典でもある。その法華経が本宗の中心的経典であることはご存じのはず。是非、多くの人に法華経の縁に連なっていただきたいと思っている次第である。

ー「金峯山時報第362号(1997年3月号)所収、蔵王清風」より

*****************

法華経はほんとに不思議なお経である。もう20年以上も前に書いた文章であるが、本質をよくとらえていると、我ながら、思うところである。

このあと私は金峯山寺の年中行事に、「法華経一昼夜不断経」という修行を、青年僧の会の主催によってはじめることとなるが、法華経講話での冥加がなければ、はじまっていない修行会である。

*写真は蔵王堂御宝前での不断経開闢法要。

勝谷誠彦さんと吉野山 勝谷誠彦Showの後日

去る6月に吉野で行いました勝谷誠彦さんとのトークセッションで、吉野にお泊まりいただいた勝谷さんのコラム・・・トラベルバリュー「旅読人」勝谷誠彦氏旅コラム
「第4回 紀行家、この国の“異界”吉野を懐う」で、そのときの紀行文が公開されました。

蔵王堂の回廊で撮った勝谷さんと私とのツーショットも公開されています。
よろしければご覧ください。

◆旅読人
http://travel-value.jp/column/id=310
http://travel-value.jp/column/backnumber/

・トラベルバリュー
http://travel-value.jp/

*ちなみにこのトークショーのきっかけとなった勝谷雅彦Showに私が出た回はなぜかYouTubeから消されてしまいました。
ニコ動でみれます。合わせてどうぞ・・・。

http://www.myvi.ru/watch/160130-7-1of1_femtnhBL7Ey8r1yt1uBlbg2

「金峯山寺と修験道⑦」ー田中利典著述集2801027

14718585_1202484013150919_278755243

「金峯山寺と修験道⑦」ー田中利典著述集2801027

昨年10月に開催された三井記念美術館での展覧会図録に執筆した原稿からの転載、その7です。そして最終回となりました・・・!

**************

...

「金峯山寺と蔵王権現(2)」

吉野には蔵王権現、熊野には熊野権現、英彦山には英彦山権現、白山には白山権現、石鎚山には石鎚山権現、羽黒山には羽黒山権現、そして富士山には浅間大菩薩が祀られたのでした。同様に、かつては日本中の霊山にはたくさんの権現がまつられていました。権現信仰こそ、神仏習合を旨とする修験信仰の核心なのです。

また蔵王権現といえば通常一体で祀られ、「三世一体金剛蔵王権現」と称号されますが、役行者感得の地である金峯山寺ではその縁起から、三世三体の蔵王権現を御本尊として祭祀しています。三尊像といえば、釈迦三尊、阿弥陀三尊など、いづれも中央に本尊、左右に脇侍仏を祀るのが基本ですが、金峯山寺では開山の初めから、常に同じ姿の蔵王権現三尊を祀ってきました。そこに蔵王権現出現の根本道場たる自負の歴史を感じずにはいられません。

権現像の像容は右手に三鈷杵を握って肩をいからせ、左手に刀印を結んで腰を押さえ眼は怒りに燃え、左足はどっかと盤石を踏まえ、右足は大地を高くけり上げています。頭髪は逆立ち乱れ、背後には火炎が燃え盛り、口の両端から牙が刃のように出ていて、全身ことごとく悪魔降伏の姿を現わしますが、その青黒の肌の色は衆生済度を願う仏の大慈悲を表徴しています。大自然の中に分け入り、勇猛果敢に修行する修験道に相応しい御本尊の姿といえるでしょう。

蔵王権現信仰は修験道の発展と共に、広く全国に伝播し、山形の蔵王をはじめとして、秋田の金峰山、東京青梅市の金峰山、長野・山梨の両県にまたがる金峰山、熊本の金峰山や、今回の特別展「蔵王権現と修験の秘宝」でご一緒している鳥取の三徳山三仏寺など、各所の霊山に勧請されましたが、明治期の修験道廃止によってその多くの権現堂社は廃止され、あるいは神社となってしまいました。

しかしながら金峯山寺では、今日も往時の姿のまま、蔵王権現をお守りする修験道根本の法城としてその法脈を継承させているのです。 (了)

ー三井記念美術館「特別展・蔵王権現と修験の秘宝」図録所収、田中利典著「金峯山寺と修験道」より

**************

  写真は旧安禅寺蔵の金剛蔵王大権現像です。明治の法難を乗り越えて、今は金峯山寺蔵王堂に脇佛として奉安されています。

展覧会開催に関わったのはH11年の役行者1300年大遠忌の「役行者特別展」、H16年の紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録記念「祈りの道展」、H26年の紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録10周年記念「山の神仏展」、そしてH27年の「蔵王権現と修験の秘宝展」の4度ですが、そのうち、役行者特別展以外は、図録の執筆も担当しました。

私ごときが大変おこがましい次第ですが、開催に深く関わってきただけに、とてもありがたいお仕事でした。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

「金峯山寺と修験道⑥」ー田中利典著述集2801026

Photo

「金峯山寺と修験道⑥」ー田中利典著述集2801026

昨年10月に開催された三井記念美術館での展覧会図録に執筆した原稿からの転載、その6です・・・

**************

「金峯山寺と蔵王権現(1)」

金峯山寺の根本資料のひとつ『金峯山秘密伝』によれば、「役行者は金峯山上に於いて一千日の修行に入られ、衆生救済の道を求められて、濁れた世の中に最もふさわしいご本尊仏の出現を祈られたところ、最初に釈迦如来が出現された。行者は、世の中は乱れており、我が国の人々には釈迦如来の本当のお姿は見ることが出来ないと考えられ、祈りを続けられると、次に柔和なお姿の千手千眼観世音菩薩が出現された。

しかし行者は、末法悪世の人々にはなおふさわしくないとして、更に祈りを続けられると、今度は弥勒菩薩が出現されたのであるが、行者は、願わくば悪魔を降伏させる御姿を示して頂きたいと、なおも祈られたところ、天地がにわかに揺れ動き、ものすごい雷鳴とともに盤石を割って大地の間から、忿怒の相もすさまじい金剛蔵王権現が出現された。行者は、これこそ末世の民衆を救うために求めていた守護仏だと大いに悦び、そのお姿をお祀りされたのである」と伝えています。

釈迦如来・千手千眼観世音菩薩・弥勒菩薩の三体が蔵王権現の本地仏(もとの姿)であり、本地仏が役行者の願いに権化して、権(か)りの姿で現れたのが蔵王権現だというのであります。釈迦は過去世、観音は現在世、弥勒は未来世、過去・現在・未来の三世にわたって衆生を救済しようという役行者の誓願が、三世一体の権現仏となって出現されるところとなった、とするのです。

「権現」とは、権(かりに)現(あらわれる)という意味です。ほんとうの姿(本地)そのものが現れるのではなく、その時代、その国土、その地域の人々の心の状態に応じた「仮の姿で現れる」、それを「権現」といいます。現代風にいえばアバター(化身)でしょうか。さまざまな姿で現れるのは、衆生を救済するためです。仏が衆生のために、さまざまな神の姿となって現れた、あるいは、仏が神のかたちで現われた、それが権現です。修験道の本尊は、神とも言えるし仏とも言えるのです。

ー三井記念美術館「特別展・蔵王権現と修験の秘宝」図録所収、田中利典著「金峯山寺と修験道」より

**************

*写真は金剛蔵王権現像(金峯山寺蔵)です。

「金峯山寺と修験道⑤」ー田中利典著述集2801025

Photo

「金峯山寺と修験道⑤」ー田中利典著述集2801025

昨年10月に開催された三井記念美術館での展覧会図録に執筆した原稿からの転載、その5です・・・

**************

「修験道廃止、そして復興」

明治初年、明治維新によって発足した新政府は、近代化を進める一方で、わが国固有の精神文化のよりどころである神仏習合を解体するために神仏分離令を施行し、更に明治五年(一八七二)には権現信仰の禁止、修験道廃止令を発令し、神仏習合を旨とする修験道を全面的に禁止することに至ります。

その流れの中、金峯山寺一山も全山を挙げて抵抗しますが、その功なく、明治七年(一八七四)六月には廃寺とされ、諸社塔頭を入れて数十ヶ寺で維持されていた一山体制が瓦解し、多くの僧侶が還俗させられると共に、一山の要であった山上本堂は地主神金峯神社の奥の宮、山下本堂は口の宮として、十三年間にわたり復飾神勤を強いられることになります。

しかしながら廃寺後も、仏寺復興への粘り強い運動は続けられ、明治十二年(一八七九)には山内塔頭寺院の東南院がまず最初に天台宗末の仏寺に復し、同十三年(一八八〇)には桜本坊、竹林院があいついで復興し、国の施策の変更も手伝って、同十九年(一八八六)には金峯山寺も天台宗末としてその寺号を取り戻すこととなりました。但しこの時以来、山上本堂は旧金峯山寺とは別個のものとなり(現在は大峯山寺)、山下本堂の吉野山蔵王堂のみが金峯山寺の寺号に復したのでした。

第二次世界大戦敗戦後、信仰の自由が保障されると、昭和二十三年(一九四八)四月、山下の吉野山蔵王堂(国宝)を総本山に、現代的な修験教団の設立を目指して天台宗から離脱し、金峯山寺は一宗を立て、金峯山修験本宗という修験道本来の教団としての姿を開創します。

また平成十六年(二〇〇四)に金峯山寺及び大峯山寺を含む吉野大峯と大峯奥駈道は「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界文化遺産に登録され、明治の修験道廃止以来、苦難の道を強いられ続けた修験道の新たな門出を果たすことになりました。

ー三井記念美術館「特別展・蔵王権現と修験の秘宝」図録所収、田中利典著「金峯山寺と修験道」より

**************

*写真は神仏分離・金峯山寺廃寺以前の金峯山一山全図(金峯山寺蔵)

「金峯山寺と修験道③」ー田中利典著述集2801023

Img5

「金峯山寺と修験道③」ー田中利典著述集2801023

昨年10月に開催された三井記念美術館での展覧会図録に執筆した原稿からの転載、その3です・・・

**************

...

「金峯山寺の歩み」

爾来、役行者の蔵王権現感得という由緒によって、金峯山寺は修験道と山岳信仰の根本道場として名を高めます。吉野・大峯の地には神祇、道教、仏教などの宗教者が数多く修行に入り、奈良時代から平安期には空海や相応、聖宝など高名な修行者も集めました。特に醍醐寺の開基で、当山派修験の派祖である聖宝(理源大師)は役行者以来途絶えていた大峯修行を再興し、金峯山の堂社を修復して、仏像を造り、柳の渡しを設けたともいわれ、このころから金峯山は隆盛期を迎えることになります。

平安期には宇多上皇や藤原道長・師通に代表される皇族や貴族たちがこぞってこの地に参詣する金峯山詣(御嶽詣)が流行し、御嶽精進といわれる厳格な精進潔斎ののち、登拝修行が行われました。

当時の詳しい様子は遠く中国まで聞こえたようで、中国に於いて成立した『義楚六帖』(九五四年)にも「本国都城ノ南五百余里ニ金峯山有リ。頂上ニ金剛蔵王菩薩有リ。第一ノ霊異ナリ。山ニ松桧名花軟草有リ。大小ノ寺数百、節行高道ノ者コレニ居ス。曽テ女人有リテ上ルコトヲ得ズ。今ニ至リテ男子上ント欲スレバ、三月酒肉欲色ヲ断ツ」と記しています。

寛弘四年(一〇〇七)、御嶽詣を果たした藤原道長は自ら写経した法華経や弥勒経などを入れた金銅製の経筒を金峯山に埋納しました。この金銅経筒は江戸時代に出土し、日本一の経塚「金峯山経塚」の埋経品として現在に伝わっています。

また昭和五十九年(一九八四)に山上ヶ岳より二体の純金仏などが発掘され世間の耳目を集めましたが、一説には宇多上皇が埋納したものとされており、往時の様子をうかがい知る貴重な発掘となりました。

平安期末から中世期かけて一山形式が整い、天台系(寺僧方)と真言系(満堂方)の僧侶を中心に、子守・勝手宮などの吉野八社明神等の社僧・神主などによって神仏習合の一山が営まれ、壮大な荘園も要し、寺域には百数十の寺社塔頭を持つ一大宗教聖地として栄えます。当時は奈良の興福寺配下にあり、興福寺の僧が金峯山検校職に補され、金峯山では別当がその実務を掌握しました。

またこの一山の寺勢を頼りに南北朝時代には後醍醐天皇が吉野朝廷(南朝)を営むに及んだのでした。

建武新政が短期間に破れた後醍醐天皇は、建武三年(延元元年・一三三六)に吉野山金峯山寺に潜行されます。ここに半世紀に及ぶ南北朝時代が始まりました。南朝の御所は、現在の南朝妙法殿が建っているところ、元金峯山寺の本坊・実城寺とされました。正平三年(一三四八)、吉野行宮は足利方高師直の大攻撃を受け、ときの後村上天皇は吉野を落ち延びられます。このとき金峯山寺一山は大破し、一時衰微しますが、徐々に寺盛を取り戻すところとなりました。

江戸期に入ると幕藩体制の下、全国の修験勢力がその統治下に置かれ、金峯山寺も天台僧天海僧正が初代の管領となってその支配を受け、以来、日光輪王寺宮及び比叡山延暦寺と深い繋がりを持つこととなります。天海を初代とする金峯山寺管領職はその後も継承し、現在で三十一世を数えています。

江戸幕府から認められた金峯山一山の朱印地は千十三石二斗のみでしたが、庶民信仰の流行とともに、講を結んで、大峯山上へ参詣する人々が増大し、また本山派修験、当山派修験という修験両派もこぞって金峯山への入峰修行を行い、院坊は修行者・参詣者の宿坊として大いに栄えました。

ー三井記念美術館「特別展・蔵王権現と修験の秘宝」図録所収、田中利典著「金峯山寺と修験道」より

**************

*写真は道長が金峯山に奉納した「国宝・経筒」

「金峯山寺と修験道②」ー田中利典著述集2801022

「金峯山寺と修験道②」ー田中利典著述集2801022

昨年10月に開催された三井記念美術館での展覧会図録に執筆した原稿からの転載、その2です・・・

**************

Photo

「金峯山寺の開創」

古都奈良から更に南に進むと奥大和の大自然が連なる吉野国が始まります。その吉野の中心的位置づけにあるのが吉野山。その吉野山から大峯連峰・山上ケ岳にかけての一帯は金峯山(きんぷせん)と称し、古事記や万葉集にも記される古代より広く世に知られた聖域でありました。

金峯山寺の寺伝に曰く、白鳳年間(七世紀後半)、この金峯山の地に、後に修験道の開祖と尊崇される役行者(えんのぎょうじゃ)が入り、一千日の修行によって金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)を感得され、そのお姿を山桜の木に刻んで、金峯山山上ヶ岳(山上本堂)と山麓の吉野山(山下本堂)に祭祀された、これが金峯山修験の濫觴であり、金峯山寺の開創であると伝えています。また蔵王権現という修験道独特のご本尊の感得こそ、修験信仰自体の発祥であると金峯山修験では捉えてるのです。

ここにいう山上ヶ岳は今は一般的に大峯山と呼ばれますが、正確には大峯山という固有の名称を持った山は吉野・大峯地域には存在しません。狭い意味では未だに女人禁制を堅持することで知られる山上ヶ岳一帯を指して俗に大峯山と呼びますが、本来は北端の吉野山から南端の熊野本宮に至るまで、山上ヶ岳、弥山、八経ヶ岳、釈迦ヶ岳、大日岳、行仙岳、笠捨山、地蔵岳、大黒岳など仏縁に繋がる山名を冠した、一五〇〇メートル級の重畳たる山々が続く大峰山脈全体を信仰的に総称して大峯山と呼んだのでした。

山岳修行者である山伏達は役行者以来この大峯連山に峰入りして菩提に達することを修行の理想としたので、大峯山は「証菩提山」とか「大菩提山」とも呼ばれました。そこには美しい山容や森林、渓谷が存在し、現在は、吉野熊野国立公園に指定されています。

因みに金峯山という固有名称の山も大峯にはありません。大峯山のうち、吉野山から山上ヶ岳までの山々の総称を金峯山と呼び、山上ヶ岳とは金峯山の山上にあたるところからその名を得たのです。金峯山寺とはこの金峯山一帯に寺域を有する寺だったのです。

ー三井記念美術館「特別展・蔵王権現と修験の秘宝」図録所収、田中利典著「金峯山寺と修験道」より

*************

写真は山上ヶ岳の蔵王堂(現・大峯山寺本堂)

「吉田拓郎 LIVE 2016 in東京国際フォーラム」

201607070001_b


「ブルボンpresents 吉田拓郎 LIVE 2016」
 
もう一昨日になるが10月19日、東京国際フォーラムで行われた「ブルボンpresents 吉田拓郎 LIVE 2016」に行ってきた。その感想です。
 
実は、年甲斐もなく、始まる前から興奮したのか、心臓がばくばくで、狭心症で倒れやしないかと、思うほどの状態だった。「救心」をホテルの机に置いてきたのをずっと後悔していた。
 
そういう不安な状態で始まったコンサートだったが、連れの友人がはじめからのりのりで、私も彼につられて、ノリノリのコンサートとなった。もちろん、心臓はバクバクだったのだが・・・終わる頃にはそれも忘れていた。
 
知人に用意してもらった席は、2ブロック目の最前列で、とても見やすかったのも、ノリのよかった条件となった。22列10番。・・・コンサート開幕直前にはアルフィーの坂崎くんや高見沢くんなどが目の前を通っていった。会場は盛り上がっていましたね。
 
間違っているかも知れないが、セットリストをあげておきます。
 
1 春だったね
2 やせっぽちのブルース
3 マークⅡ
4 落陽
 
MC
 
5 アゲイン
6 朝陽がサン
 
MC
 
7 消えていくもの
8 唇をかみしめて
 
MC
 
9 ジャスト・ア・RONIN
10 いつでも
 
MC
11 Blowin' in the Wind (風に吹かれて)
12 君のスピードで
13 白夜
14 旅の宿
 
MC
 
15 全部だきしめて~メンバー紹介~
16 いくつになっても happy birthday
17 海を泳ぐ男
18 僕達はそうやって生きてきた
19 流星
 
アンコール
 
20 ある雨の日の情景
21 Woo Baby
22 悲しいのは
23 人生を語らず
 
全23曲・・・ちがっていたらごめんなさい。
 
ボブディランのノーベル文学賞受賞については、直接のMCはなかったけど、ボブディランに影響されて鳥取・島根へと放浪?の旅に、かあちゃんに小遣いをもらって行った・・・という有名はエピソードを語ったあと、「風に吹かれて」をギター1本でフルコーラス歌ってくれた。感動であった。
 
前回と前々回の復活コンサートのときは、なんとなく、会場のみんなが「ともかく帰って来てくれてありがとう。あまり頑張らなくていいから、身体を大事にしてね」というような、なんともいえない拓郎の身体や声を気遣う雰囲気が充満していたような気がしたが、今回は、少し違っていたように思う。確かに病気と年齢を重ねてきたせいで、若い頃のパワーとは比べようもないかもしれないが、とてもとても、よかったと、私は素直に感動していた。
 
ほぼ半分は立って、拓郎と一緒に大声で唄を歌っていた。私にとっては初めてのことだった。
 
今回の一番の曲は私的には、やはり「風に吹かれて」と「流星」。「流星」はちょっと泣きそうだった。
 
前回は終演時に、これが見納めかなあと、内心思わないこともなかったのだが、きっと次回もあると確信して、会場をあとにし、夜遅くまで友人と拓郎を語り合い、そしてカラオケで歌った。
 
「誘ってくれてありがとう」とめったに礼なんか言ったことのない友人が何度も何度も、つぶやいていた。

「金峯山寺と修験道①」ー田中利典著述集281021

14713728_1195934990472488_457510199

「金峯山寺と修験道①」ー田中利典著述集281021

昨年10月に開催された三井記念美術館での展覧会図録に執筆した原稿からの転載です・・・

***********************

「金峯山寺とは?」

奈良・大和路には日本を代表する古社寺が数多くあります。東大寺、春日大社、興福寺、唐招提寺、薬師寺、法隆寺、石上神宮・・・。枚挙に暇がありませんが、奥大和・吉野山にある金峯山寺もそれら名刹古社寺の一つであります。

私は金峯山寺を紹介するときに、いつもこういう言い方をしています。

「日本最古の寺、斑鳩にある法隆寺さん(創建六〇七年)よりも新しいお寺ですが、大仏さまが祀られる奈良の東大寺さん(創建七四五年)より、ちょっと古い寺です」と。

寺伝によれば、修験道の開祖役行者(六三四~七〇一)によって金峯山寺は創建されたと伝えています。であるからして、聖徳太子(五七四~六二二)の創建による法隆寺よりも新しく、聖武天皇(七〇一~七五六)勅願により創建された東大寺よりは古い、ということになるのです。

ところで、金峯山寺はそういった奈良の古社寺を代表する寺院という顔より、更に大きな意味合いを持つ寺であります。

それは 日本独特の宗教・修験道発祥の寺といっても過言ではない位置づけを持っていることであります。

修験道とは、日本古来の山岳信仰に、神道や外来の仏教、道教、陰陽道などが習合して成立した我が国固有の民俗宗教と解説されますが、その修験道の中で、もっとも大きな由緒を持つ寺なのです。

ー三井記念美術館「特別展・蔵王権現と修験の秘宝」図録所収、田中利典著「金峯山寺と修験道」より

*****************

写真は世界遺産・金峯山寺蔵王堂です。

「吉野と嵐山」ー田中利典著述集2801016

250pxemperor_gosaga

「吉野と嵐山」ー田中利典著述集2801016
ご好評いただいた、8月に書き始めた記事の、続きです・・・

***********************

...

「吉野と嵐山」

吉野と嵐山のご縁についてお話をいたします。

後嵯峨上皇、この頃は「知天の君」と言いまして、天皇さんは即位してその後すぐお辞めになって、上皇になって院政が行われた時代であります。後嵯峨天皇も上皇となられて院政を行われますが、その後嵯峨天皇が吉野の桜を京都に持って行かれるのです。

「院は西郊亀山の麓に御所を立て亀山殿と名付、常にわたらせ給ふ。大井河、嵐の山に向ひて桟敷を造て、向の山には吉野山の桜を移し植えられたり。自然の風流、求めさるに眼を養ふ。まことに昔より名をえたる勝地と見たり。」と、『五代帝王記』に載っております。

あるいは、後嵯峨上皇の御製の歌にはこのように出てまいります。『新古今和歌集』ですが、「亀山の仙洞(亀山殿)に吉野山の桜をあまた移し植ゑ侍りしが花の咲けるをみて 『春ことに 思ひやられし 三吉野の 花はけふこそ 宿に咲けれ』。あるいは後嵯峨上皇の息子さんが亀山天皇さんで、亀山天皇の息子が後宇多天皇ですが、この後宇多上皇も詠んでおられます。「嵐山 これも吉野を移しこむ 桜にかかる 滝の白糸」。

知らんかったでしょ。吉野の桜を嵐山に持って行って、そこに桜の名所を作った。その時にですね、桜を持って行くとともに、実は蔵王権現も持って行かれたのです。さっき言いました、蔵王権現の御神木が吉野の山桜なんです。吉野の山桜を持って行くということは、蔵王権現も一緒に持っていかないといけないということで、蔵王権現さまも持って行かれた。その証拠に、嵐山には未だに蔵王堂が存在しています。

 ー連続講演「伝えたい世界遺産『吉野』の魅力」(第6回)平成26年11月22日/奈良まほろぼ館講座「吉野と嵐山の縁(えにし)~後嵯峨/亀山上皇と吉野と嵐山~」より

*****************

写真は後嵯峨天皇です。

「ならどっとFM」に第4回目、出演のお知らせ

14199284_1152213984844589_198125836

○「ならどっとFM」に第4回目、出演のお知らせ

今回は奈良の葛城市にある二上山の麓を舞台に映画「かぞくわり」の制作を進める映画監督の塩崎祥平さんと、塩崎さんと私とをつないでいただいた奈良県共同募金会常務理事の田中敏彦さんとお迎えしてお送りします。

今から向かいます。

ご存じのように地元綾部のコミュニティラジオ・FMいかるでコメンテーターを始めましたが、その中で「りてんさんの知人友人探訪」というコーナーを放送しています。

...

そのコーナーをこの7月から、FMいかると、ならどっとFMさんとのコラボによって、奈良局での収録を行うことになり、過去には興福寺副貫首の森谷英俊先生、岡本彰夫先生、薬師寺新管主村上太胤猊下にお出ましをいただきました。

その第4回目が今日、午後3時から放送されます。生放送です。

是非、お聞きくださいく。

奈良の方はFM(78.4MHz)で聞けますが、サイマルラジオで全国どこでも聞けます。

奈良ドットFM公式サイト →  http://narafm.jp/
サイマルラジオここ    → http://www.jcbasimul.com/?radio=narafm    

FMいかるでは来週の水曜日の放送ですが、奈良ドットFMでは生放送なので、今日午後3時から4時までの放送となります・・・。

よろしければ是非お聞きください。

*写真は前回の村上猊下の回の収録時のものです。

「今夜の一言特集・7月8月9月編」

「今夜の一言特集・7月8月9月編」

実はもうずいぶん前からツイッターやフェイスブックで書き綴ってきた「今夜の一言」。これってその日、その夜、つれづれに自分の心に浮かんが言葉を吐露したほとんどがオリジナル言葉(迷言かなあ…)です。まあ、大した意味のない言葉ばかりですがね。

最近、それをとりまとめています。今日は7月8月9月編をどうぞ・・・。

********************

●2807~
今夜の一言「勝つも負けるも時の運。でも本当は、勝つも負けるも必然の所産かもね」

今夜の一言「毎日ご苦労様と仏さまが言っている。毎日ありがとうとご先祖さまが言っている。そう思って生きてみましょう」

今夜の一言「夏の花火に夜の風。淡く哀しくいとおしく、頬を優しく時が行く」

今夜の一言「世の中にはどうしても許せないことがある。でも許したい。私もまた誰かに許されて生かされている存在なのだから 」

今夜の一言「過去に答えを探しても見つかりません。常に答えは未来にしか用意されていないものなのです」 ~頭ではわかってんにゃけどなあ~

今夜の一言「人生の節目は悲しみによって作られる」~負けないでね

●2808-
今夜の一言「人はみんな自分の都合で生きている。そう思って、諦めましょう」

今夜の一言「私の健康法があるとすれば、常にまだまだだと自分を叱咤激励し続けることです」 

今夜の一言「過去に答えはない。しかし人はついつい過去に答えを求めようとする。答えは未来しか用意されていないのに・・・。」

今夜の一言「言葉とは難しいものだ。いくら相手につたえようと言を労しても、誤解は誤解を生み、時として徒労に終わることばかり。言葉にこだわらず、以心伝心、誠心誠意でないと伝えきれないものなのかもしれない。ただ、それも互いが理解しあおうということがなければ成り立たないのだが・・・。」 ~SMAPだけの問題ではない、みんな、同じですよね。

今夜の一言「みんなはわかっているのに、本人だけがわかっていないことが世間にはままあるものです」

今夜の一言「自分のために生きることが下手な人間がいる。自分のことだけに生きるのが上手い人間がいる。でも、私は自分のためだけに生きることに生き甲斐を見いだせない」
..
今夜の一言「なんでこんなこともできひんのやと思うことが多いけれど、自分もまた人からそう思われているであろうことを忘れてはいけません」

今夜の一言「人はこちらが思うほど恩など感じていないものだ。自分を振り返ってごらん、わかるはずだよ」

今夜の一言「報われるのは運がいいから。でも報われないのは運の貯金です。」

今夜の一言「誠意ある生き方は目立ちにくいが、そこにしか人間性の善し悪しを計る基準
はないのだと信じている」

今夜の一言「人生に大切なものなど、そう多くはない。ふつうに生きて、わずかに残った思い出に勝るものなどないのかもしれない」

今夜の一言「誰もが幸せになりたいと思っているけど、幸せはなるものではなくて、感じるもの。いまの自分を肯定して、感謝するものだと私は思う」

今夜の一言「お誕生日は父母(ちちはは)に『生んでいただいて、ありがとう』と伝える日。父母の生きているうちに言いたいね」

今夜の一言「人生とは糾える縄の如しというけれど、縄にもいろいろあって、必ずしも幸不幸が順逆に来るとは限らない」

今夜の一言「知らぬが仏と言うけれど、仏さまは全部見てござるのよ」

●2809-
今夜の一言「理不尽ばかりの人生。受け止めて乗り越えることが生きる意味と思いましょう❗・・」

今夜の一言「犬や猫に聞いてごらん。人間だからこそ、祈る喜びを知ることが出来るんだ!」

今夜の一言「嘘つきは泥棒の始まり。泥棒は亡国の始まり、と思って正直の美徳を守りたいです。でも、それでは他の国に攻めとられるのだろうなあ」

今夜の一言「人が一番悲しいのは、人から忘れ去られること」

今夜の一言「悔やむな自分!負けるな自分!がんばれ自分!と、くじけたときには、自分で自分を励ましてやりましょう」

今夜の一言「断捨離断捨離、過去の自分も、いろんな思いも、今はともかく断捨離しよう。答えは先にある。答えを知れば、過去の意味も知る時が来るに違いないから

今夜の一言「仏の教える善とは、迷いの世界から脱することをいう」

今夜の一言「捨てる神あれば拾う神あり。人生万事塞翁が馬なり~で生きましょう」 ・・・ホントは人間万事塞翁が馬、なのですが、人生の方がすっきりきます。

今夜の一言「よい種まきをしましょう。まいた種通りにみな生えます。刈り取るのは自分。まかぬ種が生えません。大根なら大根、人参なら人参・・・」 ~今は亡き、吉野の法主猊下の教えから。そのとおりですね。

今夜の一言「人は自分のことばかりをしゃべりたがる。・・・そうやって人を見ていると、ほんとにその通りだ」

今夜の一言「凡人なので、すぐに感謝を忘れる。感謝、感謝、感謝と三返つぶやいて、寝る」

今夜の一言「幸せな人生があるとするなら、多くを望まないこと、ささやかに生きること、人や神仏に感謝すること、その三つに尽きるのかも知れない」

今夜の一言 「裏切り者!と怒るなかれ。彼もまた自分の都合があるのだから。そう自分がある時、そうであったようにね」

今夜の一言「人生は常に台風一過のようなもの。嵐もあれば平穏もあり、嵐に遭うから平穏のありがたみを知る」

今夜の一言「人は過去を乗り越えることで未来を開く」

今夜の一言「でたらめ、あきらめ、いいかげんに生きるが仏の教え」 by 今日のひろさちや

今夜の一言「人はそれぞれ自分の都合が優先する。親兄弟や友人と言えども、そこはなかなか越えがたい」

今夜の一言「自分だけが正しい!と振る舞うほどに、アホ面を世の中にさらしているときはない」 ~ややもすれば、他人に厳しく自分に甘い人間はこういう気持ちに陥りやすいものである。

今夜の一言「人の命はひとつではない。たとへ寿命がつきようとも、人の記憶の中にもうひとつの命は行き続けるのである」

今夜の一言「笑う門には福来る、怒る門には悪来る」 ~人を幸せにする笑いは、自分のためにも大事です。

****************

こんな駄作ばかりですが、みなさんで、お気に入りの言葉があればありがたいです。

ちなみに私は

「過去に答えを探しても見つかりません。常に答えは未来にしか用意されていないものなのです」とか、

「人生の節目は悲しみによって作られる」~負けないでね

・・・・がお気に入りです。

この秋11月の講演会、フォーラム、イベント

Photo

この秋11月の講演会、フォーラム、イベントのご案内です。

①11月19日:綾部講演会

あやべ限定情報・・・11月19日午後2時~3時あやべ松壽苑にて講演会をさせていただきます。よろしければ、おいでください。入場は無料。講演後には、握手会+著書サイン会も行います。

②11月21日:大阪紀伊山地三霊場会議フォーラム

紀伊山地三霊場フォーラム「日本の宗教と自然環境」
 …講師に仏教学者山折哲雄先生と金剛峯寺前座主の松長有慶猊下などをお招きし、
   日本の宗教文化と自然環境保全についてお話を伺います。

日時:11月21日(月)14:30〜17:00(開場14:00)
会場:あべのハルカス25F「大会議室」
入場料:1,000円 

基調講演1
「吉野の自然と土倉庄三郎・岸田日出雄」
講師:池田淳氏(吉野歴史資料館館長)

基調講演2
「役行者・空海・一遍と紀伊山地の自然〜環境保全と日本の宗教」
講師:山折哲雄氏
(宗教学者/一般社団法人自然環境文化推進機構代表理事)

対談「紀伊山地の宗教文化と環境保全」
山折哲雄氏、松長有慶前金剛峯寺座主(紀伊山地三霊場会議顧問)
〔司会〕田中利典金峯山寺長臈(紀伊山地三霊場会議顧問)

応募方法及び詳細は以下の歴史街道連絡協議会サイトを参照ください。

http://www.rekishikaido.gr.jp/2016sanreijo/

**ただし、もうほとんどソウルドアウト状態だと聞いています。

③地域限定情報:綾部発
「りてんさんと行く吉野・高野・熊野/世界遺産紀伊山地の旅」

・・・という綾部出発の旅行企画です。
6月に京あやべホテルで企画していただいた私の帰郷講演会の、いわば第2弾。前回と同じく元綾部市長四方八洲男さんがお仲間を中心に企画立案していただきました。

吉野では実弟でもある五條良知金峯山寺管領猊下。高野山では元金剛峯寺座主松長有慶猊下、そして熊野本宮大社では九鬼家隆宮司にそれぞれご挨拶・ご法話をいただくという特別な参拝団です。松長猊下も九鬼宮司も、10年来の懇意にしていただいている親しいみなさんです。

日時は11月28(月)~30日(水)
28日は特別ご開帳中の「金峯山寺蔵王堂秘仏蔵王権現」さまに参拝。
金峯山寺では五條猊下と私の法話会があります。
その夜は高野山の宿坊普賢院に宿泊。夜に松長猊下の法話会があります。
29日は高野山の金剛峯寺、霊宝館、奥の院などを参観し、熊野本宮大社へ。
本宮大社では正式参拝や九鬼宮司のご挨拶を受け、夜は大社近くの川湯温泉泊。
30日は鳥羽に元綾部藩主九鬼家の墓所菩提寺常安を訪ねて、夕方綾部に帰山。

旅費は一人45,000円
定員30名

*誰でも参加出来ますが、出発が28日、綾部駅を朝7時30分ですので、ご注意ください。
*詳しくはチラシをご参照ください。
*こちらはまだまだ募集中です!!

外国人向けの修験道概論

先月から公開していますわたくしめの公式「tanakaritennットコム」ですが、外国人向けの修験道概論的な英訳と、その原文をアップしています

よろしければご参照ください。

以下です。↓

...

http://www.tanakariten.com/

なお、私は英語がからきしなので、英語による私への直接のメールは受け取れませんのでよろしく。

トイレの神さま

14469535_1173507072715280_109358741




7月からはじめた自坊のトイレ工事は先月ようやく終了し、先月末には、トイレの神さま「烏枢沙摩明王」をお祀りしている。

烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう、Ucchuṣma)とは、密教における明王の一尊である。「烏芻沙摩」「烏瑟娑摩」「烏枢沙摩」とも表記される。特に有名な功徳としては便所の清めがある。便所は古くから「怨霊や悪魔の出入口」と考える思想があったことから、現実的に不潔な場所であり怨霊の侵入箇所でもあった便所を、烏枢沙摩明王の炎の功徳によって清浄な場所に変えるという信仰が広まり今に伝わっている。  ~Wikipedia引用

写真の札は金峯山寺がお授けしている烏枢沙摩明王であるが、この明王のお札はぞんがい世の中には出回っていなくて、発行しているお寺や神社も極めて少ないことを最近知った。誇り塾で学んだ岡本塾頭の「トイレの神さま」の講座である。

金峯山寺では昔から授けていたので、なんとも思わなかったのであるが、調べてみると極めて希なお札であることがわかった。

「うすさまネット」によると主な寺院は以下
 高岡山瑞龍寺(富山県)
 秋葉総本殿・可睡斎(静岡県)
 金龍山・明徳寺(静岡県)
 曹洞宗・海雲寺(東京都)
 天台宗泰叡山・瀧泉寺(東京都)
 金峯山修験本宗総本山・金峯山寺(奈良県)
 我拝師山求聞持院・出釈迦寺(香川県)

トイレの神さまをみなさん、大事にしましょう・・・。

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

本・著作

最近のトラックバック

Twitter

  • Follow me
  • Twitter
    TwitterPowered by 119
2022年4月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ