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「吉野と嵐山」ー田中利典著述集2801016

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「吉野と嵐山」ー田中利典著述集2801016
ご好評いただいた、8月に書き始めた記事の、続きです・・・

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「吉野と嵐山」

吉野と嵐山のご縁についてお話をいたします。

後嵯峨上皇、この頃は「知天の君」と言いまして、天皇さんは即位してその後すぐお辞めになって、上皇になって院政が行われた時代であります。後嵯峨天皇も上皇となられて院政を行われますが、その後嵯峨天皇が吉野の桜を京都に持って行かれるのです。

「院は西郊亀山の麓に御所を立て亀山殿と名付、常にわたらせ給ふ。大井河、嵐の山に向ひて桟敷を造て、向の山には吉野山の桜を移し植えられたり。自然の風流、求めさるに眼を養ふ。まことに昔より名をえたる勝地と見たり。」と、『五代帝王記』に載っております。

あるいは、後嵯峨上皇の御製の歌にはこのように出てまいります。『新古今和歌集』ですが、「亀山の仙洞(亀山殿)に吉野山の桜をあまた移し植ゑ侍りしが花の咲けるをみて 『春ことに 思ひやられし 三吉野の 花はけふこそ 宿に咲けれ』。あるいは後嵯峨上皇の息子さんが亀山天皇さんで、亀山天皇の息子が後宇多天皇ですが、この後宇多上皇も詠んでおられます。「嵐山 これも吉野を移しこむ 桜にかかる 滝の白糸」。

知らんかったでしょ。吉野の桜を嵐山に持って行って、そこに桜の名所を作った。その時にですね、桜を持って行くとともに、実は蔵王権現も持って行かれたのです。さっき言いました、蔵王権現の御神木が吉野の山桜なんです。吉野の山桜を持って行くということは、蔵王権現も一緒に持っていかないといけないということで、蔵王権現さまも持って行かれた。その証拠に、嵐山には未だに蔵王堂が存在しています。

 ー連続講演「伝えたい世界遺産『吉野』の魅力」(第6回)平成26年11月22日/奈良まほろぼ館講座「吉野と嵐山の縁(えにし)~後嵯峨/亀山上皇と吉野と嵐山~」より

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写真は後嵯峨天皇です。

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