「金峯山寺と修験道②」ー田中利典著述集2801022
「金峯山寺と修験道②」ー田中利典著述集2801022
昨年10月に開催された三井記念美術館での展覧会図録に執筆した原稿からの転載、その2です・・・
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「金峯山寺の開創」
古都奈良から更に南に進むと奥大和の大自然が連なる吉野国が始まります。その吉野の中心的位置づけにあるのが吉野山。その吉野山から大峯連峰・山上ケ岳にかけての一帯は金峯山(きんぷせん)と称し、古事記や万葉集にも記される古代より広く世に知られた聖域でありました。
金峯山寺の寺伝に曰く、白鳳年間(七世紀後半)、この金峯山の地に、後に修験道の開祖と尊崇される役行者(えんのぎょうじゃ)が入り、一千日の修行によって金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)を感得され、そのお姿を山桜の木に刻んで、金峯山山上ヶ岳(山上本堂)と山麓の吉野山(山下本堂)に祭祀された、これが金峯山修験の濫觴であり、金峯山寺の開創であると伝えています。また蔵王権現という修験道独特のご本尊の感得こそ、修験信仰自体の発祥であると金峯山修験では捉えてるのです。
ここにいう山上ヶ岳は今は一般的に大峯山と呼ばれますが、正確には大峯山という固有の名称を持った山は吉野・大峯地域には存在しません。狭い意味では未だに女人禁制を堅持することで知られる山上ヶ岳一帯を指して俗に大峯山と呼びますが、本来は北端の吉野山から南端の熊野本宮に至るまで、山上ヶ岳、弥山、八経ヶ岳、釈迦ヶ岳、大日岳、行仙岳、笠捨山、地蔵岳、大黒岳など仏縁に繋がる山名を冠した、一五〇〇メートル級の重畳たる山々が続く大峰山脈全体を信仰的に総称して大峯山と呼んだのでした。
山岳修行者である山伏達は役行者以来この大峯連山に峰入りして菩提に達することを修行の理想としたので、大峯山は「証菩提山」とか「大菩提山」とも呼ばれました。そこには美しい山容や森林、渓谷が存在し、現在は、吉野熊野国立公園に指定されています。
因みに金峯山という固有名称の山も大峯にはありません。大峯山のうち、吉野山から山上ヶ岳までの山々の総称を金峯山と呼び、山上ヶ岳とは金峯山の山上にあたるところからその名を得たのです。金峯山寺とはこの金峯山一帯に寺域を有する寺だったのです。
ー三井記念美術館「特別展・蔵王権現と修験の秘宝」図録所収、田中利典著「金峯山寺と修験道」より
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写真は山上ヶ岳の蔵王堂(現・大峯山寺本堂)
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