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「金峯山寺と修験道⑦」ー田中利典著述集2801027

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「金峯山寺と修験道⑦」ー田中利典著述集2801027

昨年10月に開催された三井記念美術館での展覧会図録に執筆した原稿からの転載、その7です。そして最終回となりました・・・!

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「金峯山寺と蔵王権現(2)」

吉野には蔵王権現、熊野には熊野権現、英彦山には英彦山権現、白山には白山権現、石鎚山には石鎚山権現、羽黒山には羽黒山権現、そして富士山には浅間大菩薩が祀られたのでした。同様に、かつては日本中の霊山にはたくさんの権現がまつられていました。権現信仰こそ、神仏習合を旨とする修験信仰の核心なのです。

また蔵王権現といえば通常一体で祀られ、「三世一体金剛蔵王権現」と称号されますが、役行者感得の地である金峯山寺ではその縁起から、三世三体の蔵王権現を御本尊として祭祀しています。三尊像といえば、釈迦三尊、阿弥陀三尊など、いづれも中央に本尊、左右に脇侍仏を祀るのが基本ですが、金峯山寺では開山の初めから、常に同じ姿の蔵王権現三尊を祀ってきました。そこに蔵王権現出現の根本道場たる自負の歴史を感じずにはいられません。

権現像の像容は右手に三鈷杵を握って肩をいからせ、左手に刀印を結んで腰を押さえ眼は怒りに燃え、左足はどっかと盤石を踏まえ、右足は大地を高くけり上げています。頭髪は逆立ち乱れ、背後には火炎が燃え盛り、口の両端から牙が刃のように出ていて、全身ことごとく悪魔降伏の姿を現わしますが、その青黒の肌の色は衆生済度を願う仏の大慈悲を表徴しています。大自然の中に分け入り、勇猛果敢に修行する修験道に相応しい御本尊の姿といえるでしょう。

蔵王権現信仰は修験道の発展と共に、広く全国に伝播し、山形の蔵王をはじめとして、秋田の金峰山、東京青梅市の金峰山、長野・山梨の両県にまたがる金峰山、熊本の金峰山や、今回の特別展「蔵王権現と修験の秘宝」でご一緒している鳥取の三徳山三仏寺など、各所の霊山に勧請されましたが、明治期の修験道廃止によってその多くの権現堂社は廃止され、あるいは神社となってしまいました。

しかしながら金峯山寺では、今日も往時の姿のまま、蔵王権現をお守りする修験道根本の法城としてその法脈を継承させているのです。 (了)

ー三井記念美術館「特別展・蔵王権現と修験の秘宝」図録所収、田中利典著「金峯山寺と修験道」より

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  写真は旧安禅寺蔵の金剛蔵王大権現像です。明治の法難を乗り越えて、今は金峯山寺蔵王堂に脇佛として奉安されています。

展覧会開催に関わったのはH11年の役行者1300年大遠忌の「役行者特別展」、H16年の紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録記念「祈りの道展」、H26年の紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録10周年記念「山の神仏展」、そしてH27年の「蔵王権現と修験の秘宝展」の4度ですが、そのうち、役行者特別展以外は、図録の執筆も担当しました。

私ごときが大変おこがましい次第ですが、開催に深く関わってきただけに、とてもありがたいお仕事でした。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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