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「山伏健康法」

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「山伏健康法」ー田中利典著述集281116

10月末からはじめた金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」で書いた駄文を折に触れて転記していますが、今日はちょうど2年前に書いた比較的新しい文章。

山伏健康法と題したが、もうほぼ山修行は引退に近い毎日で、正直、書いた当時よりも更に怠惰な生活をいまは送っている。ほんと、少しは身体を動かさないといけないなあと、つくづく思う。

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「山伏健康法」

今年はどうも体調がよくない。還暦前だし、年齢的にはまあ体の変調は当たり前かも知れないが、それでもいろいろと原因を考えてみて、ふと気づいたことがある。今年は山の修行が足りないのではないかということだ。

今年も自坊で行く山上ヶ岳団体登拝には引率して行じたが、ここ三十数年続けてきた蓮華入峰には諸般の事情で行けなかった。また、数年前に大峯奥駈修行を引退して、代わりに始めた富士山修行にも今年は参加出来なかった。本格的な山歩きは、五月末の「吉野ー高野の道開闢修行」を行じたくらいで、通年と較べると極めて少ない。

そもそもが、山伏のくせに山の修行はあまり好きではない筆者である。好きではないが、修行だから、その時期が来れば行じてきた。「よくその足で行じてますねえ」と鍼灸の先生に言われることもあったし、運動不足は甚だしい身なるが故に、そうとう無理した山修行ではあったが、それでも衰えた体に鞭打って山の修行を重ねてきたのであった。

山嫌いなので正直、心の片隅で「こんな無茶な修行はきっと体には悪いなあ」と思っていたが、それがどうやら違ったようなのだ。少々、足や膝に悪くても、怠惰な生活に終始する運動不足の我が身には、一年に何度か、無理してでも、へとへとになるほど山を歩き、汗まみれになって全身で行じるのがよい。いや、それが私にとっての、ここ三十年以上続けてきた山伏健康法だったのかもしれない。

「我々の修行は大自然の中に曼荼羅世界を見て、神と仏を拝みながら歩くのであるが、山修行のよいところは、聖なるものに包まれる中で、心と体のバランスを取り戻すところにあるのではないだろうか。都会生活ではいろんな場面で心に疎外感を持たされるが、山修行に没頭すると、実感として、心と身体のバランスを取り戻し、魂と肉体の一体感を感受するのである・・・」(拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 』(集英社新書)』)などと、外に向かっては山修行の効能を喧しく伝え続けてきたが、そんな難しい意味ではなく、山伏にとっては山修行自体が「山伏健康法」なのではないかと、つくづく思い当たったのである。

みなさん、健康を保つためにも山の修行に行きましょうね。

ー「金峯山時報平成26年11月号所収、蔵王清風」より

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吉野での八千枚大護摩供修行に随喜して一昼夜の間、行者さんと一緒に毎座ごとの「蔵王権現供養法」を脇壇で行じたが、なまった体にはたった一昼夜だけの徹夜なのに、3日たった今でもまだ応えている。山伏健康法は確かに言えていると思う。

*写真は現役で大峯奥駈修行を行じていた頃の筆者。両脇は同行した私のお弟子さんたち。

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