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 「私の愛する吉野の紅葉」

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「私の愛する吉野の紅葉」  ー田中利典著述集281107

いよいよ紅葉の季節を迎えている。長い夏のせいか、心配された今年の紅葉だったが、各地でそろそろ色づきかけたようで。

吉野山の紅葉もそろそろ時節を迎える頃であろう。金峯山寺八千枚大護摩供修行が11月12日からはじまるので、それに合わせて帰山するが、その頃には蔵王堂の4本桜も色づき始めていると思う。

今日は少し前ですが、淡交社から出た『奈良を愉しむー奈良 大和路の紅葉』(H26年10月刊)に寄稿させていただいた文章を転記する。よろしければご覧ください。

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 「私の愛する吉野の紅葉」      

紅葉の名所と言えば大方が楓の紅葉である。日本中に美しい楓の紅葉名所は点在する。

ところが吉野山の紅葉というと、楓ではなく、全山を覆う山桜の紅葉が主役となる。

楓と違って山桜は、毎年そんなに上手に色づくわけではなく、年ごとの気候に左右されるため風景が変則で、またその紅葉も、眩しいばかりの錦秋というより、可憐で深い色合いとなる。そこに他の名所とは異なる、吉野独特の風情を感じるのは私だけではあるまい。

吉野山にも幾ばくかの美しい楓の名木はあるし、秋には綺麗な紅葉や黄葉に彩られるが、全山を覆うのは山桜ばかりなのである。

これにはわけがある。

今から約千三百年前、我が国固有の山岳宗教・修験道の開祖と尊崇される役行者が、吉野の山深く修行に入られ、大峯山山上ヶ岳で一千日の修行をされた。その難行苦行の末、忿怒の形相も凄まじい悪魔降伏の尊・金剛蔵王権現という修験独特の御本尊を祈り出されたと、金峯山寺では伝えている。そしてそのお姿を役行者は山桜の木に刻んで、山上ヶ岳の山頂と、麓の吉野山にお祀りされたのが金峯山寺の始まりであり、以来、吉野山では山桜は蔵王権現のご神木として尊んできた。

役行者は「桜は蔵王権現の神木だから切ってはならぬ」と里人に諭されたともいわれ、吉野山では「桜は枯枝さえも焚火にすると罰があたる」といって、大切に大切に守られてきたのである。江戸時代には「桜一本首一つ、枝一本指一つ」といわれるほどに、厳しく伐採が戒められたほどであった。

また更に、当地を訪れる人たちが蔵王権現への信仰の証として、千年以上にわたって山桜を献木しつづけ、吉野山は山も谷も、ご神木の山桜に埋め尽くされることとなる。ゆえに吉野山は日本一の桜の名勝地となったのである。

桜を慕う西行が吉野の奥に三年のわび住まいをし、太閤秀吉が徳川家康、伊達政宗、前田利家といった戦国大名の勝ち残り組五千人を引き連れて日本で最初の大花見の宴を催し、芭蕉をはじめ多くの文人墨客が時間と空間をこえて、吉野の桜に魅了されたのであった。

しかしそれは桜花爛漫の春の話。

花を散らせ、深緑の季節を過ごし、秋の寒風に桜葉が色づいて、また春とは違う佇まいに姿を変えるのが初冬の吉野。その景色に、深い信仰と長い時間を刻んだ歴史を感じるのが吉野山の紅葉鑑賞の醍醐味である。

紅葉の色合いばかりに目を奪われるのではなく、その風景の背後に潜む聖なる営みに心を寄せてこそ、紅葉の吉野の、真の素晴らしさに出会えるのである。

私の愛する吉野の紅葉はうつろう人の命の営みと、蔵王権現の聖なる命の有り難さと重なりあって、今年もきっと紅い冥加に燃えることであろう。

ー『奈良を愉しむー奈良 大和路の紅葉』所収の「私の愛する吉野の紅葉」より

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*写真は『奈良を愉しむー奈良 大和路の紅葉』。吉野のほか、奈良県下の紅葉の名所が美しい写真と共に紹介されています。

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