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SMAP解散の真実!

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「SMAP解散の真実!」

3日遅れでスマスマの最終回の録画を見た。スマスマの最終回というより、事実上のSMAPの解散である。

以前にも書いたが、今年1月12日にスポーツ新聞が報じた「SMAP解散」に揺れたこの1年だった。ファンもファン以外の人もいろんな憶測に杞憂したことだろう。そしてこの年末にSMAPは別れも言わず、静かに解散した。つくづく「諸行は無常」だなあと感じている。SMAP解散の真実とはまさに「諸行無常」という事実しかあるまい。

「諸行無常」とはこの世の理。…この世に存在するすべてのものは、同じ状態を保つことなく移り変わっていき、永久不変なものなどないという『涅槃経』等に説かれる仏教の真理であるが、わかっていても切なくて儚いモノである。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」・・・という平家物語の一節が思わず心に浮かんでいる。

「祇園精舎の鐘の音は、世の中に不変はないと言っているように聞こえる。沙羅双樹の花の色は、盛んな者は必ず衰えることを表している」というような意味であるが、国民的グループもまたその理からは免れることがないのだ。

そういうことを学んだ1年だったと言えるのではないだろうか。

いや、ひとりのファンとしては歳衰えた醜態を見せず、解散をする美学をたたえてあげたいと思う。

それにしてもスマスマの最終回はなんともいえない後味を残して、SMAPを伝説の向こうに押しやったような気がする。

伝説と成って消え去る方が、これ以上仲間割れの醜態を見せるようにも、美しいのである。

「デクノボー」ー田中利典著述集281229

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「デクノボー」ー田中利典著述集281229

10月末からはじめた金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」で書いたた駄文を折に触れて転記していますが、今日は二年前の文章です。

このころは自分なりに苦しんでいたのが、ひしひしと伝わって来ます。ま、生きてる限り、人間は常にそれなりの苦しみを持ちながら生きるモノではありますが・・・。愚痴ではなく、常に心にしておきたいと思います。

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「デクノボー」

法華経に出る常不軽菩薩を敬愛してやまなかったのは宮沢賢治である。第二十常不軽菩薩品に書かれる常不軽菩薩。『あらめの衣身にまとひ、城より城をへめぐりつ、上慢四衆の人ごとに菩薩は禮をなしたまふ。「我は不軽ぞかれは慢こは無明なりしかもあれ。いましも展く法性と菩薩は禮をなし給ふ」われ汝らを尊敬す。敢えて軽賤なさざるは汝等作佛せん故と。菩薩は禮をなし給ふ。「ここにわれなくかれもなし、ただ一乗の法界ぞ法界をこそ拝すれと、菩薩は禮をなし給ふ」』

ちょっと難しいので意味を書き直すと、『常不軽菩薩は、僧も世俗の人もみんなことごとく礼拝して、「私は深くあなた達を敬い、あえて軽んじるようなことはしません。なぜかというと、あなた達はみんな菩薩の道を行って、まさにみ仏になることができるからです。」と言った。すると人々はその言葉に怒り出して、「この無智の坊主め、どこから来たって『私はあなた達を軽んじません。』われらがためにまさにみ仏になるでしょうと、嘘そらごとを言うのだ。お前みたいな坊主がそんなに言ったからといってどうしてありがたかろう」と罵られ、杖で追い払い、瓦や石をもって殴りかかってきた。菩薩はその場をにげては、遠くから大声で「私は深くあなた達を敬い、あえて軽んじません。あなた達はみんな仏になるでしょう」と叫んだというのである。

宮沢賢治の有名な詩「雨にも負けず」に出るデクノボーとはまさにこの常不軽菩薩のことを指す。「ミンナニデクノボートヨバレ、ホメラレモセズクニモサレズ、サウイフモノニ、ワタシハナリタイ」(「雨にも負けず手帳」より)の「デクノボー」である。

いま、自分の周りで起こっている多くのことは自分の意とは違うものばかりである。もちろんそんな思いで生きているのは自分ばかりではない。そう、わかっていても愚痴りたくなるのが人間であり、心打ち砕かれるのが凡人ゆえの弱さであろう。なかなか宮沢賢治や常不軽菩薩のようになれないが、それでも私は菩薩でありたいと思うし、デクノボーとして生きていたいと思う。         

ー「金峯山時報平成26年10月号所収、蔵王清風」より

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もう今年もあとわずか・・・。「デクノボー」として生きていける自分を作れたかどうかはいささか疑問の本年でしたが、少しずつでもそうありたいと願います。

*写真は宮沢賢治の手帳。ちなみに私は宮沢賢治と誕生日が一緒で、中学生のときにそれを知って以来、賢治は私にとってあこがれの哲人です。

大峯行者が語る修験道の世界~

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来年1月はまほろば館に参上!!いつも満員にしていただきます。お申し込みはお早めに。

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連続講演「世界遺産『吉野大峯』の信仰と修行」(全5回)~第4回 大峯行者が語る修験道の世界~

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平成29年1月20日(金)17:00~18:00

奈良県吉野山の金峯山寺をはじめとする文化遺産によって構成される世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は、修験道などの儀礼や修行が今なお生き続けていることが世界遺産として大きな価値となっています。
本連続講座では紀伊山地の霊場と参詣道の信仰世界と修行の実態をご紹介し、吉野大峯の歴史や文化を体感していただきます。

1.日  時:平成29年1月20日(金)17:00~18:00
  2.講  師:田中 利典 師(金峯山寺 長臈)
  3.会  場:奈良まほろば館2階
  4.資料代等:無料
  5.定  員:70名(先着順)
  6.申込方法:
・ハガキまたはFAX
必要事項(講演名・講演日時・住所・氏名(ふりがな)・電話番号・年齢)を明記いただき、奈良まほろば館までお送りください。
・ホームページ
下記の「申込フォーム」からお申し込みください。

お問い合わせ先
奈良まほろば館 【開館時間】10:30~19:00
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1-6-2 奈良まほろば館2F
   電話03-3516-3931 / FAX03-3516-3932

7.主 催 :世界遺産吉野大峯活性化事業実行委員会、奈良まほろば館

詳しくはここへ→ http://www.mahoroba-kan.jp/course.html

「SMAP解散と諸行無常」

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「SMAP解散と諸行無常」

今年1月12日にスポーツ新聞が報じた「SMAP解散」に揺れたこの1年だった。ファンもファン以外の人もいろんな憶測に杞憂したことだろう。そしてこの年末にSMAPは別れも言わず、静かに解散する。つくづく「諸行は無常」だなあと感じている。

「諸行無常」とはこの世の理。…この世に存在するすべてのものは、同じ状態を保つことなく移り変わっていき、永久不変なものなどないという『涅槃経』等に説かれる仏教の真理であるが、わかっていても切なくて儚いモノである。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」・・・という平家物語の一節が思わず心に浮かんでいる。

「祇園精舎の鐘の音は、世の中に不変はないと言っているように聞こえる。沙羅双樹の花の色は、盛んな者は必ず衰えることを表している」というような意味であるが、国民的グループもまたその理からは免れることがないのだ。

そういうことを学んだ1年だったと言えるのではないだろうか。

いや、ひとりのファンとしては歳衰えた醜態を見せず、解散をする美学をたたえてあげたいと思う。

「菩薩の詩」

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「菩薩の詩」ー田中利典著述集281222

10月末からはじめた金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」で書いた駄文を折に触れて転記しています。

今回は3年前の文章。マザー・テレサの名言として知られる詩であるが、本当はマザー自身の作ではないらしい。でも、心に沁みる詩である。とりわけ、これを書いたときは本当にひどい目にあったときだったので、身に沁みて応えた詩だった。
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菩薩の教えは世界共通なのだ。そう思ったのはかの修道女マザーテレサが残したある言葉に出会ったときだった。キリスト教も仏教も修験道の、聖者の目指すところ、願うところは同じなんだと思ったのである。

その言葉を少々長いが以下引用する。

 人は不合理、非論理、 利己的です。
 気にすることなく、 人を愛しなさい。

 あなたが善を行うと、
 利己的な目的でそれ をしたと言われるで しょう。
 気にすることなく、 善を行いなさい。

 目的を達しようとす るとき、
 邪魔立てする人に出 会うでしょう。
 気にすることなく、 やり遂げなさい。

 善い行いをしても、
 おそらく次の日には 忘れられるでしょう
 気にすることなくし 善を行い続けなさい。

 あなたの正直さと誠 実さとが、
 あなたを傷つけるで しょう。
 気にすることなく
 正直で誠実であり続 けないさい。

 助けた相手から
 恩知らずの仕打ちを 受けるでしょう。
 気にすることなく助 け続けなさい。

 あなたの中の最良の ものを
 世に与え続けなさい。
 けり返されるかもし れません。

 気にすることなく、
 最良のものを与え続 けなさい。
 気にすることなく、
 最良のものを与え続 けなさい…。

実はこの言葉に出会ったとき、私は思わず泣いていた。マザーの慈悲に泣いたのである。菩薩の心に泣いたのである。人はときどきどうしても立ち止まらないといけないときがある。立ち止まって、菩薩の心を見つめ直してみるときがいるのだ。私はマザーの言葉に泣きながら、自分の中にある本当の菩薩の心を確かめさせていただいていた。

ー「金峯山時報平成25年5月号所収、蔵王清風」より

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今でも、いろいろ心に痛い言葉です・・・

*写真はマザー・テレサ。

「生に習う・・・」

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「生に習う・・・」ー田中利典著述集281221

10月末からはじめた金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」で書いた駄文を折に触れて転記しています。

今回は4年前の文章である。ここ1ヶ月、隠居の身としてはかなり忙しい日々の中に生きていて、あぁ、4年前はずっとこんな生活をしていたのだなあと、妙に懐かしくなりました。よろしければ読んでください。

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「生に習う・・・」

「先生、いつも、お忙しいですね」っていうと、必ず「いえ、大丈夫です。忙しがっているだけですから…」と答える先輩がいる。「忙しがっている」って、けだし、名言だと思う。そうなんだ、自分で忙しがっているだけで、ホントはそんなに忙しくないんだ…って思うと、その通りだと思える。

ここ数年、正直、傍目に見ても私には忙しい日々が続いてきた。怒濤の日々、などと自分で言ったりする。でも確かに忙しかったのは間違いないが、まあ、忙しがっていたのだといわれると、そうとも思える。どうしてもしなくてはならないことに追われいたというより、自分でやりたいことを次々始めては忙しくしてきただけで、忙しがって生きてきたのが事実なのかもしれない…とも思える。

先日、遺伝子工学の世界的権威者である村上和雄師の講演を聴いた。師曰く「地球は48億年前に生まれ、40億年前に一個の生命細胞が誕生した。その一個の生命細胞から、その後全ての地球上の生命が生み出された。人間もまたその一個の細胞から始まっている。そしてその最初の細胞から今に至るまでの全記憶データはあらゆる生命に全て受け継がれているのだ。つまり人の命というのは厳密に言うと、40億才プラス実年齢となる。よって、5才の子どもも、80才の老人もそう大した変わりはない。40億+5と40億+80の違いを考えるとね…」というようなお話だった。

この村上先生のお話を聞いて、私は「やっぱり忙しがって生きなければならない」とまた思い直した。「私」という今生の命は、40億の継続の中で生まれたのだけれど、私でいられる時というのはまさに40億の上に立つ、数十年ってことである。大事に大事に、生きないことには、自分に至るまでのあらゆる命に申し訳ない。しかも、限られた時間を「私」として無駄にしないように。

修験道には「死に習う」という教えがある。常に自分の死を念頭において、今日の命を精一杯生きなさいということであるが、逆に「生に習う」ということも言えるような気がする。自分の命の連続性を思うほどに、今の命を大事に生きなければならないのだ。となれば、忙しがって生きるのもそう悪くはないってことになる…などと思ったりしている今年の年末、雑感である。

ー「金峯山時報平成24年12月号所収、蔵王清風」より

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今日は夕方まで暇。ホテルでゆっくりしながら、こんなものを書いています。ほんとはしなくちゃいけないこともあるのですが・・・。

*写真はイメージです。

「権現とご神木の山桜」ー田中利典著述集2801215

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「権現とご神木の山桜」ー田中利典著述集2801215

久しぶりに、著述集から紐解きました。まあ、なんどもお伝えしてきたことですが、よろしければご覧ください。

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「権現とご神木の山桜」

日本では仏教が伝来してきて、最初少し蘇我氏と物部氏との争いがありますが、基本的に神様と仏さまは仲良くやって参りました。

日本人は元々仏さまを神様として受け入れたんです。それは『日本書紀』を読むと、外来から来た仏さまのことを「アダシクニノカミ」、「蕃神(ばんしん)」と書いています。元々、仏さまと神様を分けていなかった。仏ではなく新しく外国から来た神様なのです。そして元々いる神様と外国から来た神様で仲良くなっていくわけであります。

で、仲良くなっていって「本地垂迹」という日本独特の考え方が、ここで生まれてくるわけであります。月の光が湖や沼や水たまりに映るような、この場合本体の月が「本地」=仏さんであるとすると、その池に映った月というのは「垂迹」つまり神様。神様と仏さまは、実はそういう関係にあって、同じものである、そういう考え方です。

吉野には釈迦観音弥勒の権化である蔵王権現、熊野には熊野三所権現。本宮の家都御子神(けつみこのかみ)様が阿弥陀如来。ですから本宮は阿弥陀浄土ということで、時宗の一遍上人がそこでお悟りを開かれたといわれます。それから、新宮速玉の神様は薬師如来。那智の夫須美の神様は千手観音、というような権現といいますか、神様と仏さまを融合させた信仰が生まれた。

羽黒は、羽黒権現は、これは観音さんの本地。白山は、白山妙理権現、これは十一面観音尊が本地。富士山は浅間(せんげん)大菩薩、これは大日如来が本地。京都には愛宕神社、愛宕権現というのは、これは地蔵菩薩の権化。江戸は徳川家康が死んで、東照大権現になった。これは薬師如来の権化というような、神様と仏さまを融合させたそういう信仰。それが権現信仰です。

ですから権現というのは、神でもあり仏でもある。その権現様を役行者は祈りだした時に山桜の木に刻んでお祀りしたところから、吉野では山桜は蔵王権現の御神木として、千年単位に人々が大切に守ってきまして。

そして、山を埋め、谷を埋め、千本桜ー花の名所になっていったわけでありますが、先ほど申し上げましたように、江戸の八代将軍吉宗の時に始まった庶民の花見より、はるかに以前に信仰の形で吉野では花がたくさん植えられてきて、それを人々が見るようになってきた。権現信仰あるいは金峯山寺というお寺の関係と、この山桜、吉野の桜というのは、大変深い関係があるわけであります。         )

 ー連続講演「伝えたい世界遺産『吉野』の魅力」(第6回)平成26年11月22日/奈良まほろぼ館講座「吉野と嵐山の縁(えにし)~後嵯峨/亀山上皇と吉野と嵐山~」より

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*写真は2016年、世界遺産登録記念展覧会「祈りの道」展で大阪市立美術館に出陳されたときの、旧安禅寺本尊蔵王権現像(金峯山寺所蔵)です。

「師走です・・・・」

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「師走です・・・・」

このところ、ずっとのんびり生きていたが、さすがに師走である。ちょっと追い込まれてきた。

で、ふと気づくと、今月は講演やトークショーが目白押しである。

12/4  「躍る旅人・能楽師津村禮次郎の肖像」上映会トークショー(スミ)
12/6  種智院大学「寺院運営論・修験道講義②」(スミ)
12/9  「弘法大師の道~トークセッション~ 田中利典vs横山峰弘」
12/10~11 「The Next Decade Program知命社中」吉野山研修
12/14 なら食と農の魅力創造国際大学校「奈良学入門・修験道に学ぶ」
12/18 誇り塾講話会「利典さんの仏教講座1 仏教とはなんぞや?」

この中、トークショーのたぐいはまあ出たとこ勝負なのだが、あとの4講座はそれぞれパワポの制作から準備をしなくてはいけない。昨日、なんとか種智院大の講義を終えたが、あとの講座はまだなにも準備が出来ていないから、さあ大変だ。

その間、ラジオ出演や大槻文蔵先生の祝賀会、某役員会議、末寺の落慶法要2件に加えて、公私こもごもの忘年会など、なんやかんや、まあこれから3週間はドトウの日々を迎えているのである。

あいかわらず自坊の法務は暇であるが、いろいろと声掛けをしていただけるのはありがたいことである。ともかく、しこしこと講座のパワポ作りに邁進している夜明けの私である。

そんな風に、ばたばたと忙しがりながら、2016年も暮れていこうとしている。

*写真は昨日無事に終えた種智院大学「寺院運営論・修験道講義②」のパワポ画面。

「今夜の一言特集・10月11月編」

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「今夜の一言特集・10月11月編」

ツイッターやフェイスブックで書き綴ってきた「今夜の一言」。これってその日、その夜、つれづれに自分の心に浮かんが言葉を吐露したもので、まあ、人前に出せるほどのものではないですが、オリジナル言葉(迷言かなあ…)です。

最近、それをとりまとめています。今日は10月11月編をどうぞ・・・。

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●2810~
今夜の一言「生きるとは夢を見ること、壊すこと、そして夢に帰ること」 ~真田丸を見ながら。

今夜の一言「捨てる神あれば拾う神あり。まだまだ人生、捨てたものでもないわいな」

今夜の一言「さよならと出会いの真ん中で生きてる私。皆さまのおかげです」

今夜の一言「猿間、犬間、鳥間、魚間という言葉はない。人は人の間で生きるから楽しいし、そうやって生きている。だから人間と言うのかも知れない」

今夜の一言「否定をしようと肯定をしようと、事実しかないのが、人生の軌跡。感謝できるわが軌跡にただ合掌です。」

今夜の一言「ワクワクして死にたい」 ~by明石家さんま

今夜の一言「文句を言うな、感謝しろ!と、人に言うより自分に問うてみて、合掌」

今夜の一言「天命を知るとは己を知ること、いや、己を捨てることと覚えたり」

今夜の一言「与えられた時間をどう生きようか?与えられた命をどう活かそうか?与えられたものだということをついつい忘れて、無為過ごす自分を反省する一日です」

今夜の一言「生きることに流されず、生かされていることを抱きしめたい」

今夜の一言「今の自分に不満があるときは、世の中や他人のせいせず、自分自身の有り様を問うてみましょう」

今夜の一言「言葉は真実を表現出来ないのに、言葉で現実は動かされる」

今夜の一言「終わらない日常の中に私の行がある。何かを断つのではなく、何かを行う前向きな行者でありたい」

今夜の一言「善人と悪人の真ん中で生きるから人間。神と悪魔の真ん中でもある」

今夜の一言「正直、アホらしいと思うことにもたくさんの意味がある」

今夜の一言「自分にしか歩けない道がある。そう思って、暗闇も突き進もう❗」

今夜の一言「失敗を繰り返してもなお成長出来ない人間を凡人という」

今夜の一言「人のためにしてあげたことは忘れた方がいい。けれど人にしてもらったことは忘れてはならぬ。」

今夜の一言「人間だけが永遠という概念を持っていて、懊悩する」

今夜の一言「腐るな、めげるな、愚痴いうな。運も希望も君次第」

今夜の一言「休息は大切である。ただし、怠惰であってはいけない」~最近、怠惰です。

●2811~

今夜の一言「人の温もりに人は集う。人の集いには喜びがある。喜びがまた、温もりを作るのである」

今夜の一言「祭りのあとのさみしさは…楽しかった大きさに反比例する夜を迎えること」

今夜の一言「報われる努力と報われない努力。そりゃあ、報われる方がいいに決まっていると思うけど、そうでもないと思っておいた方がいいのが人生。結果は死んでからでも遅くない」

今夜の一言「世の中はなにかと大変だ。でもこの世のことはこの世でなんとかなると、思って生きよう!」 ~トランプ大統領騒動に一言。

今夜の一言「人生という航海は後悔の海に浮かぶようなもの。後悔先に立たずという荒波を漕ぎ分けていくしかないのだ」 ーおそまつ(笑)。

今夜の一言「去る者追わず、来る者こばまず‥というが、望むと望まざるに関わらず、人生は非情に去り、非情に来るものである」

今夜の一言「穏やかに生きることも悪くはない。たとえ時代の風にわすれさられたとしても」

今夜の一言「不機嫌な態度は徳をなくし、和顔愛語は徳を積む」 ~常に人は慎むべし

今夜の一言「思い通りにならないことにイライラするのは愚かなことだ。じっと笑って見過ごそう。なるようにしかならないものはなるようになるからね」

今夜の一言「人はなにかをなした方をすごいと言うが、なにもなさなくても生き抜くだけですごいのだと思う」 ~薬師寺も大伽藍に囲まれた圧倒的にすごい境内に佇んで。

今夜の一言2「なんでこんなこともできひんのやろと思うあんたが間違っている世の中に生きてます」

今夜の一言「人を羨むことは自分を貶めること。わかっていそうでわかってないよな」

今夜の一言「独りよがりの寂しさは己の気付きの始まりかな」

今夜の一言「努力は報われなくても、神さまは知っている」

今夜の一言「愚痴と他人の悪口は自分の値打ちを下げるだけなのに、人は常に自分を貶めることに熱心である」

今夜の一言「人は常に過去・現在・未来を生きている。過去に執らわれ過ぎたり、未来を懊悩し過ぎるのは愚かなことである」

今月の月例護摩、終了。

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今月の月例護摩、終了。

今月はいつものみなさんのほかに、先日の紀伊山地三霊場巡拝でご一緒した方が4人お参りいただきました。

少し増えて、嬉しいです。

いい天気の一日で、いいお参りをしていただけました。

ひさしぶりに作法をとちりましたけど・・・。(^_^;)

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