「権現とご神木の山桜」ー田中利典著述集2801215
「権現とご神木の山桜」ー田中利典著述集2801215
久しぶりに、著述集から紐解きました。まあ、なんどもお伝えしてきたことですが、よろしければご覧ください。
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「権現とご神木の山桜」
日本では仏教が伝来してきて、最初少し蘇我氏と物部氏との争いがありますが、基本的に神様と仏さまは仲良くやって参りました。
日本人は元々仏さまを神様として受け入れたんです。それは『日本書紀』を読むと、外来から来た仏さまのことを「アダシクニノカミ」、「蕃神(ばんしん)」と書いています。元々、仏さまと神様を分けていなかった。仏ではなく新しく外国から来た神様なのです。そして元々いる神様と外国から来た神様で仲良くなっていくわけであります。
で、仲良くなっていって「本地垂迹」という日本独特の考え方が、ここで生まれてくるわけであります。月の光が湖や沼や水たまりに映るような、この場合本体の月が「本地」=仏さんであるとすると、その池に映った月というのは「垂迹」つまり神様。神様と仏さまは、実はそういう関係にあって、同じものである、そういう考え方です。
吉野には釈迦観音弥勒の権化である蔵王権現、熊野には熊野三所権現。本宮の家都御子神(けつみこのかみ)様が阿弥陀如来。ですから本宮は阿弥陀浄土ということで、時宗の一遍上人がそこでお悟りを開かれたといわれます。それから、新宮速玉の神様は薬師如来。那智の夫須美の神様は千手観音、というような権現といいますか、神様と仏さまを融合させた信仰が生まれた。
羽黒は、羽黒権現は、これは観音さんの本地。白山は、白山妙理権現、これは十一面観音尊が本地。富士山は浅間(せんげん)大菩薩、これは大日如来が本地。京都には愛宕神社、愛宕権現というのは、これは地蔵菩薩の権化。江戸は徳川家康が死んで、東照大権現になった。これは薬師如来の権化というような、神様と仏さまを融合させたそういう信仰。それが権現信仰です。
ですから権現というのは、神でもあり仏でもある。その権現様を役行者は祈りだした時に山桜の木に刻んでお祀りしたところから、吉野では山桜は蔵王権現の御神木として、千年単位に人々が大切に守ってきまして。
そして、山を埋め、谷を埋め、千本桜ー花の名所になっていったわけでありますが、先ほど申し上げましたように、江戸の八代将軍吉宗の時に始まった庶民の花見より、はるかに以前に信仰の形で吉野では花がたくさん植えられてきて、それを人々が見るようになってきた。権現信仰あるいは金峯山寺というお寺の関係と、この山桜、吉野の桜というのは、大変深い関係があるわけであります。 )
ー連続講演「伝えたい世界遺産『吉野』の魅力」(第6回)平成26年11月22日/奈良まほろぼ館講座「吉野と嵐山の縁(えにし)~後嵯峨/亀山上皇と吉野と嵐山~」より
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*写真は2016年、世界遺産登録記念展覧会「祈りの道」展で大阪市立美術館に出陳されたときの、旧安禅寺本尊蔵王権現像(金峯山寺所蔵)です。
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