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「生に習う・・・」

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「生に習う・・・」ー田中利典著述集281221

10月末からはじめた金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」で書いた駄文を折に触れて転記しています。

今回は4年前の文章である。ここ1ヶ月、隠居の身としてはかなり忙しい日々の中に生きていて、あぁ、4年前はずっとこんな生活をしていたのだなあと、妙に懐かしくなりました。よろしければ読んでください。

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「生に習う・・・」

「先生、いつも、お忙しいですね」っていうと、必ず「いえ、大丈夫です。忙しがっているだけですから…」と答える先輩がいる。「忙しがっている」って、けだし、名言だと思う。そうなんだ、自分で忙しがっているだけで、ホントはそんなに忙しくないんだ…って思うと、その通りだと思える。

ここ数年、正直、傍目に見ても私には忙しい日々が続いてきた。怒濤の日々、などと自分で言ったりする。でも確かに忙しかったのは間違いないが、まあ、忙しがっていたのだといわれると、そうとも思える。どうしてもしなくてはならないことに追われいたというより、自分でやりたいことを次々始めては忙しくしてきただけで、忙しがって生きてきたのが事実なのかもしれない…とも思える。

先日、遺伝子工学の世界的権威者である村上和雄師の講演を聴いた。師曰く「地球は48億年前に生まれ、40億年前に一個の生命細胞が誕生した。その一個の生命細胞から、その後全ての地球上の生命が生み出された。人間もまたその一個の細胞から始まっている。そしてその最初の細胞から今に至るまでの全記憶データはあらゆる生命に全て受け継がれているのだ。つまり人の命というのは厳密に言うと、40億才プラス実年齢となる。よって、5才の子どもも、80才の老人もそう大した変わりはない。40億+5と40億+80の違いを考えるとね…」というようなお話だった。

この村上先生のお話を聞いて、私は「やっぱり忙しがって生きなければならない」とまた思い直した。「私」という今生の命は、40億の継続の中で生まれたのだけれど、私でいられる時というのはまさに40億の上に立つ、数十年ってことである。大事に大事に、生きないことには、自分に至るまでのあらゆる命に申し訳ない。しかも、限られた時間を「私」として無駄にしないように。

修験道には「死に習う」という教えがある。常に自分の死を念頭において、今日の命を精一杯生きなさいということであるが、逆に「生に習う」ということも言えるような気がする。自分の命の連続性を思うほどに、今の命を大事に生きなければならないのだ。となれば、忙しがって生きるのもそう悪くはないってことになる…などと思ったりしている今年の年末、雑感である。

ー「金峯山時報平成24年12月号所収、蔵王清風」より

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今日は夕方まで暇。ホテルでゆっくりしながら、こんなものを書いています。ほんとはしなくちゃいけないこともあるのですが・・・。

*写真はイメージです。

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