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「天使のいる図書館」

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「天使のいる図書館」

すでに2年前に告知しているが、「茜色の約束」(2012年作品)という映画を制作した塩崎祥平監督を中心に、奈良・葛城の里を舞台にした「かぞくわり」という映画づくりに私は参画している。

実は今日、観賞した「天使のいる図書館」の制作の話が出る前から、「かぞくわり」の映画作りはスタートしたのであるが、文化庁の補助事業で制作された「天使のいる図書館」の方が後発であるにもかかわらず、国の資金が動いただけに、先を超されて出来てしまったのである。

「かぞくわり」はこの春先にはクランクインする予定であるが、ふたつの映画はともに同じ葛城地方周辺が舞台となっている。そんなわけで、今日、「天使のいる図書館」を観賞してきた。

さて感想である。
さすがに地域創世をメインにしているだけに、葛城地方一帯の市町村が網羅的に紹介されており、牧歌的な風景が随所に広がり、ストーリーもなかなかよくねられていて、文科省の事業らしい佳作といったところであろうか。主演の小芝風花さんも好演している。
私の評価は70点。☆3つというところかなあ。

ただあえていうなれば、全体的に葛城地域に対する愛情が希薄だったように感じた。地域創世で観光振興が目的とされているなら、よけい、あふれるようなふるさと愛が全面に出ないと嘘くさい話になる。

いや、ストリー自体も地元愛が大きなテーマでもあったはずだから、なおのこと、そう感じた。物語のキーワードとなる森本レオの田中さん役が嘘くさかったのもそういうバックボーンを感じさせてくれなかったのが一因だろう。

せっかく竹取物語伝説やあの地域ならではの古社寺が扱われていながら、「愛」を感じられないところが☆3つで、4つ、5つにならない弱点とも思えた。

「かぞくわり」の映画制作に、是非、これを反省点として活かせれば・・・などと思いながら、エンドロールをみていたのであった。

吉野町から感謝状を頂きました・・・

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吉野町から感謝状を頂きました・・・

先日東京で開催された「吉野大峯の魅力」フォーラムの席上、吉野町から感謝状をいただきました。

昨年の11月3日に吉野町町制80年記念に吉野町に関わりのあった皆さんに感謝状が贈られたそうですが、わたしは自坊の秋季大祭で参加できなかったため、この日にお渡しいただきました。

...

何でこの日やねんという、受講者アンケートではクレームもありましたけど・・・。まあ、たくさんの人の前でお渡し頂き、大変光栄でした。

実は私は寺内を含め、あまりこういう感謝状をいただくような機会は過去になく、人に出したことはありましたが、貰ったのはほぼ初めて。ありがたい感謝状でした・・・。身内の評価が低い人ですからね(^_^;)

惜しむらくは、私の功績は、吉野大峯の世界遺産登録を企画して、奔走したことが一番なので、地域に意識を喚起・広報をしたというのは私的には少々??ですが、まあ、吉野町の事情もあるのでしょうね。

ありがたく頂戴しました。

「BOSS4月号登場!」

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「BOSS4月号登場!」
 
盟友の宗教学者正木晃先生が月刊BOSSに連載をされているシリーズ「僧に訊く」の最終回に私が選ばれ、先日、取材を受けたが、今月のBOSSに掲載されました。
 
月刊BOSSとは
・・・多くのメ ディアが氾濫し、情報が溢れる現代において、「月刊BOSS 」が目指すものは、徹底的に「人」にフォーカスした平成のサクセスマガジンです。
 
どのようなジャンルであれ、それを実際に動かしているのは「人」です。 「月刊BOSS 」では、経済人はもとより、政治家、学者、文化人、スポーツ選手、歴史上の人物など、幅広いジャンルの第一人者やリーダー達の人間像に迫り、彼らのサクセ スへと至る道のりを余すことなく描き出すことによって、等身大の人物ストーリーを展開し、全国の志とチャレンジ・スピリットに溢れたビジネスマンにとって の羅針盤的な役割を果たす雑誌を目指しております。
 
・・・とあるように、大変光栄な取材を受けることと成りました。
 
いつものように正木先生一流の「ほめごろし」記事的ありがたい表現で、ほんとに恐縮です。
 
よろしければお読みください。
 
月刊BOSS https://boss-online.net/
 

「メール当世事情…愚痴かもしれませんが(^_^;)」

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「メール当世事情…愚痴かもしれませんが(^_^;)」

私はウインドウズ以前、まだDS-DOSの時代(たぶん昭和63年頃くらい)からパソコンに触れているので、パソコン暦は相当長い。

機械いじりは大嫌いなので、ハード面はからきしであるが、ソフト面というか、まあ使うということについては、その間いろんなことを経験してきたので、なんとか最近まではリアルタイムにパソコン関連の事象にはついてきた。

パソコン通信からはじまったネットの幕開け期も過ぎ超してきたし、SNSの時代もなんとか応対して、電子メール、ミクシイ、ブログ、ツイッター、フェイスブック、そしてラインと今も使いこなしている…、つもりである。

そんな中で思うことがあるので、つれづれに書きたいと思うのが、メールに関してである。

メールはもう当たり前のツールで、電話以上に情報交換や経済・商業取引、そして人とのつきあいでは重きをなしているのだが、そんな中で、業者や講演依頼の時や部下やお弟子さん達の内で、メールを書いても、なかなか返事をよこさない人がいる。

まあ、誤解を生むかむしれないのであえて書くが、この書き込みを読む人の中では、「え、私のことを言ってるの!」ってどきっとする人がいるかもしれない。しかし、これを読んでいる人たちは全く想定していない。実は、ほとんどはこういうものも読まないし、もしくは私とFB上で直接の「お友達」にはなっていない人を、想定して書いているので、ご安心を!!!。

…というよりこれを読んで気を悪くしたり、嫌いにならないでね。

もちろん私も4,5日の出張などが重なるとパソコン環境がわるくて、しばらく返事が遅れることがあるし、返事をするには逡巡するような場合、返事が遅れることはままある。だからその辺は重々承知をして上でのことなのだが、全く返事をよこさなかったり、催促しないとこなかったり、忘れた頃にしか返事がなかったりする輩がいて、正直、むっとするわけなのである。

JKの人たちが、ラインの返事をすぐしないと人間関係が悪くなるという恐怖観念が働くというような話を聞いたことがあるが、そういうレスポンスを強要するような話ではなく、せめて2,3日内には、返事は欲しいという程度の、ささやかな常識の範囲での話なのである。

「このかたは大先生なのだから、仕方がない」と思うような人は、実はだいたい丁寧に応対していただいてきた。たとえていえば松長有慶前金剛峯寺座主猊下などは88歳という高齢の大僧正であるにもかかわらず、ちゃんと返事を返していただいている。

どういうことかというと、物品の注文や、依頼された講演の資料を送っても受け取った確認の返事がなかったり、自坊の法要出欠の案内をしても催促しないと返事がなかったりする、というようなことである。

私は電話嫌いである。ときどーき、酔っ払って電話魔になることは年に1,2度あることもあるが、ふだん電話は急ぎの用とか、相手のアドレスをしらなかったりした場合以外は、おおかた、電話ではなく、メールでことを済ませたいタイプなのである。

家族とのやりとりさえ、メールの方が多いくらいである。

そういう私のようなタイプとは真逆で、メール嫌いで、なんでも電話で済ませたいという人がいるというのも、よーく理解をしている。

でも、貰ったメールの返事くらいはちゃちゃっとして貰いたいものである。以上。

愚痴に聞こえるかも知れないけれど、メールが必然となったこの世の中での、ささやかな提言である(笑)

「宗教人類学者植島啓司先生登場!」

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「宗教人類学者植島啓司先生登場!」

今日もお昼の地元綾部FMいかる「とれたてワイド763」に出演します。

放送時間は正午から午後2時半までの生放送です。よろしければ、お聞きください。

今日は先日、ならどっとFMで収録した「りてんさんの知人友人探訪」=あの、宗教人類学者植島啓司先生編です。盟友と自他共に認め合う大先生が気軽においでいただきました。先生とはもう10数回のトークセッションと重ね、共著「熊野ー神と仏」(原書房刊)を出すなど、ほんとうに親しくして貰っています。久しぶりにおであいして愉しいトークが出来ました。お互いにシンパシーがあるので、トークを大いにご期待ください。

午後1時半過ぎからは「りてんさんの今日の1曲」です。今日は吉田拓郎の名曲「人間なんで」を予定しています。

ラジオ放送は

https://t.co/L4W7W6zSNO

↑ こちらで全国どこでも、リアルタイムにに聴くことが出来ます。

奈良での放送を聞き逃した方も是非!!

*写真は植島先生との収録時のツーショットです。

「卒業式に思う」・・・田中利典著述集290221

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「卒業式に思う」・・・田中利典著述集290221

そろそろ卒業式のシーズンとなってきました。センターを試験と受けた高校生諸君はまだまだ大変な時期だとは思いますが。

今日の文章は今から11年まえの、我が子たちの卒業式に書いたもの。今年、一番下の3男が小学校を卒業するが、その卒業式に添えるために学校に提出する文章を書きながら、11年前を思い出して、古い文章を転記してみました。

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「卒業式に思う」

先日、高校を卒業する長女と中学校を出る長男の卒業式に出席した。単身赴任中の私はここ数年、仕事第一で過ごしてきたため、子ども達の学校行事にはほとんど参加していない。せめてもの罪滅ぼしという思いを込めて、出席したのであった。

今の子どもは大変だと私は思っている。確かにその時代時代でそれぞれ大変なのだろうが、今の子ども達の大変さはかつてこの国が経験したことのない、不確かな大変さである。

食えない時代は食うことが第一であった。食うことで幸せ感や生き甲斐を見出すことが出来た。私の育った時代は食うことはなんとか出来るようになってはいたが、まだまだ各家庭は貧困で、テレビや洗濯機が徐々に家庭にもたらされるだけで、少しずつ幸せになれたように思う。

そういう意味では今時の子ども達は食うことも、身の回りの贅沢もかなりのレベルで維持されて育てられた世代である。食えることとか、ものを持つことは当たり前で、感謝する心さえ、育みにくい環境の中、そういった物質的な幸せが当然のようにして大きくなった。

その分、今まで日本人が大事にしてきた情緒とか、和合とか、思いやりとか、もったいないとか、そういう美しい感情が置き去りにされ、ある意味、とんでもない時代に生きているのである。でも子どもの世代がそれを置き去りにしたのではない。その大人たちの世代が置き去りにして、経済発展ばかりを目指したから、親の背中をみて育った子ども達にそれが如実に現れているだけなのである。

そんな子どもの教育に当たる学校の先生は大変である。卒業式で居並ぶ先生方をみるにつけ、そんな思いを抱いていた。そしてそんな危うい子どもを持つ親もまた大変でなのある。

でも、それでも一番大変なのはやっぱり当事者である子どもたち自身であろう。幸いうちの子どもはそれぞれ普通の学校を普通に卒業してくれた。

今の時代、普通に過ごすことはそうたやすいことではない。加えてほとんど家にいない父を持つ我が子たちはよく頑張ってくれたものだと改めて思ったりした。家内も含めて彼らを支えてくれた家人みんなに感謝し、進学して更に成長しつづける子ども達の未来に、大きな祝福が待つことを密かに念じるのみである。

ー平成18年3月あやべ市民新聞「風声」欄への寄稿

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文中に「ある意味、とんでもない時代に生きているのである」と書いたが、そういう状況は改善されるどころかますますひどい方向にきているような危惧を覚えますね。大人たちがしっかりしなければ子供達の未来はいよいよ危ういのです。

それにしても単身赴任22年であった私は、人に教育論を語れるほど親をやってきていないので、面目ないです。

写真はこの春綾部市の展覧会で入賞したウチの三男の自画像?。。

*よろしければ皆さんのご感想や卒業式の思い出などをお教えください。

今年もやります「りてんさんといく蔵王堂夜間拝観と修験講座」

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今年もやります「りてんさんといく蔵王堂夜間拝観と修験講座」
・・・是非、ご参加下さい。

4月22日~23日にかけて、吉野山/金峯山寺蔵王堂・秘仏蔵王権現夜間拝観に参観し、田中利典金峯山寺長臈の修験講座や法話会を聞くツアーを募集します!30名限定ですので、ご希望の方はお急ぎ下さい。

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本講座は田中利典長臈が関東のみなさんを中心に、広く一般の方々に呼びかけして、蔵王権現さまとのご縁を結んでいただこうということで開催されます。関西からの参加も大歓迎です。

内容は本年4月1日から開扉されている秘仏蔵王権現さまの夜間特別拝観に参加するほか、田中利典長臈の修験講座「蔵王権現入門」や本地堂特別法話会への受講、宿坊東南院での宿泊と研修ほか、3度の食事会と懇親会など、もりだくさんの日程で行われます。

*現地吉野山集合、現地吉野山解散。
*参加費は23000円(研修受講費、宿泊代・食事代3回・夜間拝観/日中拝観料、税込み)
*申し込み問い合わせは 
 Eメール yosino32@nifty.com

詳しくは直接田中利典までお問い合わせ下さい。(Facebookのメッセージでも可)
*最小催行人数(10名)に満たない場合は中止することがあります。

主催 東京行者講
協力 「なら縁巡プロジェクト」実行委員会

「8分間修験道入門」ー田中利典著述集290216

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「8分間修験道入門」ー田中利典著述集290216

4年前の2月14日に、東日本大震災復興支援の企画(奈良県・観光庁共同)で、東大寺、薬師寺、法隆寺、興福寺、唐招提寺、西大寺をはじめ、春日大社、石上神宮など、奈良県を代表する寺社のみなさんとともに、当時金峯山寺の執行長だった私は、福島県郡山市での「祈りの回廊フォーラム」(会場:郡山市郡山公会堂)での講演に臨んだ。

そのとき私に与えられた命題は、修験道1300年の歴史をわずか8分でしゃべれと言うミッション。そのときに生まれたのが「8分間修験道入門」。

その講話草稿を、今日はアップします。

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「8分間修験道入門」

○プロローグ

長いこと生きていると、ときどき、とんでもない無理難題に遭遇するものです。今日の講座では8分で修験道1300年の概要をわかりやすくお話ししなさいという命令を、奈良県さんと観光庁さんに命じられました(笑)。えらいことです。どう考えてもほぼ無理ですが・・・ともかく頑張ります。

○神と仏はほぼ同じ

神と仏というと、現代人は、どうしても別々に分けて考えてしまいがちです。しかし、私たちのご先祖は、神と仏を分けて考えたりはしませんでした。両者の距離は、現代人では想像もできないくらい、近かったのです。

日本に「仏」が、正式なルート(仏教公伝)で入ってきたのは六世紀半ばと言われています。今から1470年くらい前のことです。このとき日本人は、仏を神の一種として受け入れました。今まで拝んできた自分たちの神にたいし、外国から新しく入ってきた神という認識です。それは仏を「蕃神(あだしくにのかみ)」と呼んだ事実からよくわかります。

もちろん、争いが全然なかったわけではありません。教科書にあるように、排仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏が戦いました。しかし、戦いはこれっきりでした。崇仏派が勝利した後、1300年間はさしてもめることなく、仲良くやってきました。人間関係にたとえれば、蜜月状態といっていいでしょう。その原因は、仏教が急速に日本化したことにあります。

たとえば、伝来当初につくられた木製の仏像の多くは、クスノキを素材にしています。なぜクスノキかというと、クスノキが神の木としてあがめられていたからです。いわゆる霊木信仰です。このように、仏教は日本に入ってきた最初の段階から、もともとこの国にあった神信仰をとり入れ、神信仰と融合していくのです。

これに対して神信仰もまた、おおいに仏教の影響を受けました。そもそも日本の神信仰は、難しい教理的な操作とはあまり縁がありませんでした。宗教を哲学的に構築したり説明したりするために欠かせない教義も、ほとんどありませんでした。ですから、この領域における仏教の影響は絶大でした。神信仰に教義という発想を導入し、神信仰を体系的に整えさせたのです。その結果、誕生したのが神道です。造形面での影響も甚大でした。神社建築も神像造立も、大きく仏教の影響を受けています。

神と仏の仲むつまじい関係は、日本の宗教に、決定的な足跡をのこしてきました。神と仏が、争わず、互いを敬い祀りあう関係こそ、日本の宗教の特質と言っていいのです。

私の課題「修験道」というのは、その神の祈りと仏の祈りを併せ持った、そういう日本の宗教の土着的な特質の上に成立する信仰で、開祖の役行者以来、神と仏を分け隔てなく尊び、その結果、権現信仰のような神と仏を融合させたものさえ生んだ日本独特の民俗宗教なのです。

○修験道とは?

ではその修験道とは何かということになるのですが、私は三つの視点で説明をしています。

①まず第一は「山の宗教」―いわゆる「山伏の宗教」ということです。山に伏し野に伏して修行するから山伏というわけです。

その山伏はどこで修行するかと言いますと、これは山林であります。つまり大自然が道場なのです。

我々山伏修行では少々の雨、風があっても、決められた所をひたすら歩いて行きます。一日に約十~十三時間にもわたり歩くこともあります。それもただ歩くのではなくて、まさに木を拝み、岩を拝み、お日様を拝み、大自然そのものを拝みながら、祈りながら行ずるのです。自然というのは、山伏にとっては神、仏が在ます世界です。まさに神、仏がおられることを前提に修行を行います。

②二つ目は、宗派を超えた実践宗教であるということです。

実際に自分の身を使って行ずるのです。山林抖數の山修行だけでなく、滝に打たれることもありますし、托鉢や座禅をすることもあります。とにかく自分の体を使って行う実践的な宗教というわけです。しかも修験道というのは「道」ですから、あまり宗派宗義には拘らない。

実際、我々の山修行にはいろいろな宗派の方がお出でになります。禅宗の方もお出でになることもあるし、天台宗や真言宗の方が参加されることもある。神官さんも参加しています。このように宗派を超えて実践していく宗教が修験道と言うことができます。修験道とは実修実験、修行得験の道とも言われています。

③三つ目は、神と仏はほぼ同じで述べたように、神仏習合を基盤とする極めて日本的で、多神教的な宗教であるということです。

八百万の神々と八万四千の法門から生ずる仏達を分け隔てなく祀ってきたのが修験道なのです。

この東北の地では羽黒山に羽黒権現様がおられますが、本地(元の姿は)は観音菩薩。仏が羽黒の神となって祀られたのが羽黒権現なのです。吉野は蔵王権現、熊野は熊野権現、白山では白山権現、石鎚山は石鎚権現という風に、日本人は全国のあらゆる土地、霊山に神と仏の融合した権現神(仏が権化して現れた神)を祈り、祀ってきました。神も仏も祀るという多神教的で、しかも仏教と神道が融合し、まるで仲むつまじい夫婦が生んだ子供のような存在が権現信仰であり、修験道であると言うことができるでしょう。

○まとめ

明治に行われた神仏分離、修験道廃止の施策以降、わずか140年ほどで、儀礼の上でも信仰の上でも、神と仏の関係は多くが失われてしまった感があります。

しかし。吉野から勧請して山の名前が蔵王となった山形と宮城に渡る蔵王で行われる花笠音頭のように、まだまだ土着の信仰や多くの民俗行事の中に、権現信仰や、神と仏が融合した形がとどめられているです。

8分で全部をご理解いただくのは無理なのではありますが、私は時間通りに終わるという信条があり、ちょうど時間となりましたので、これで終わりたいと思います。ありがとうございました。 (了)

ー2013年4月14日、福島県郡山市「祈りの回廊フォーラム」基調講演から

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このとき、8分間で、修験道1300年を語ったので、これ以後、少々の無理難題を強要されても、わずかな時間で修験道論がこなせるようになりました。(笑)

*当時の「祈りの回廊フォーラム」でのイベントの写真。

「17万人の山伏消滅」ー田中利典著述集290213

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「17万人の山伏消滅」ー田中利典著述集290213

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

今日は17万人の山伏消滅の話です。4年前に書いた文章。よろしければお読みください。

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「17万人の山伏消滅」

明治初期の神仏分離、修験道廃止の時代に、職を失った山伏の数はなんと十七万人がいた…という話を講演会などでするようになって随分経つが、この十七万人という数、最近一人歩きし始めている。

実は十七万人は私が調べた数字ではない。友人である日枝神社宮司三輪隆裕氏の「国家神道の成立とその背景」という論文が出典で、それをもとに紹介しているのである。

それにしても十七万人とはすごい数字だ。現在の日本において、伝統仏教諸教団および新興の仏教系の教団を含めて、僧籍を持った者(僧侶)の数は約二十二万人と言われている。

「なんだ、(当時の修験者の総数である)十七万人よりも、現在の僧侶の数のほうが多いじゃないか」と思うかもしれないが、現在の日本の人口が一億二千六百万人余。それにに対し、明治初期の総人口はたった三千二~三百万人。つまり、約四分の一の人口の時代に、十七万人もの山伏がいたということになるのだ。現在の人口に換算するなら、六十数万人もの山伏がいることになる。いかに途方もない数字であることがわかるだろう。

修験道は明治に大法難に遭うが、その凄まじさを実感させてくれる数字が十七万人なのである。私が紹介をするようになって、よそでもときどき見かけるようになった。明治の法難の中で、修験自体の勢力が損なわれ、また研究者からも、単なる猥雑な迷信信仰の如き扱いを受けたせいもあり、修験道全体が正しく把握されていないのが実情であるが、それだからこそ、十七万人という数のインパクトは大きいのだろう。

修験信仰は決して日本人にとってマイナーな信仰ではない。日本という環境・風土そのものが生んだ日本土着の信仰であり、日本的な精神文化の象徴でもある。それは、神と仏を分け隔て無く尊んできた日本人の心そのものえお伝えているとも言えるであろう。是非、そういう視点をきちんと持って、蔵王権現信仰を歩んでいきたいものである。そう、十七万人の末裔の一人として…。

ー「金峯山時報2013年2月号所収、蔵王清風」より

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*写真は大峯を行く山伏たち。

「師の教え」・・・田中利典著述集290212

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「師の教え」・・・田中利典著述集290212

昨日の続きです。

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「師の教え」

私は15で得度を受けて僧侶になりました。ですから前の管長様には15の時からお仕えしました。

管長さんはあんまりいろんなことを細かくは教えたりはされなかったんですが、一番最初に言われたことが「志を大きく持ちなさい」という言葉でした。 

で、その後こうしていろんなことをさせていただくようにはなるんですけれども、最初に管長様にそう教えられたことが私の大きな支えになっています。

金峯山寺は平成16年に〈世界文化遺産〉に登録をされましたが、この時も金峯山寺を世界遺産に登録出来ないかということで、ちょうど平成11年の12月25日、…金峯山寺は昔からなぜか12月25日が一山の納会(忘年会)なんですね。

で、この忘年会の席で管長様に「金峯山寺の世界遺産登録の運動を始めたいのですが」と申し上げたら「やってみろ」ということになりましてね。そこから始めるのですけれども、それも「志を大きく仕事をしなさい」っていうことをずっと言われていたので、ほんとはなるかどうか分からないけれどもともかくやってみようということで始めたのでした。

まあ、ほんとはなかなかそんなに簡単にいかないはずなんですが、ところが結構簡単にいったんですよ。

平成11年の秋頃から私の中では思いついて、平成12年の11月には文化審議会で答申されました。もっと前から高野山、熊野は世界遺産の登録運動を始めておられたのですが、私はそれを知らなかったんですね。

ところが、私(吉野)が手を上げることで、紀伊半島全体で、吉野と熊野と高野がつながった。金峯山寺というお寺と金峯山寺が行っている吉野から熊野まで修行する〈大峯奥駈修行〉というのがあるんですが、このお寺と道の両方で世界遺産登録を目指したのです。

その奥駈の道がつながることで吉野と熊野がつながった。で、熊野には「熊野古道」という、高野とも大阪ともお伊勢さんともつながる道があった。紀伊半島全体が道でつながって、しかも吉野は修験道の聖地、高野は真言密教の聖地、熊野は神道の聖地。それぞれ違う宗教が道でつながることになりました。

日本人のいわゆる、神さんも仏さんも等しく拝んできたその日本独特の宗教文化・精神文化が、長年にわたって紀伊半島の大きな自然の中で育まれてきたという文化的景観がキーワードになって、あっという間に登録をされるんです。

でも地元は初め「世界遺産になんか簡単になるかい?」という、そんなような空気もあったんですね。

奈良県も最初は「もうすでに奈良市の寺社と、斑鳩の法隆寺と二つもあるから仕事が増えるだけやし、動き回るのはやめてほしいなぁ」という消極的な感じだったのですが、県庁の中には応援をしてくれる人もあって、正式な登録活動をはじめてからわずか4年、平成16年7月8日に正式登録されたのでした。

ほんとにあっという間に、実現したのです。私は「世界最速」と言ってるんですよ(笑)。

今は全国各地そこらじゅうで世界遺産登録の運動が始まってますが、高野にしろ熊野にしろ吉野にしろ、地元から推進して世界遺産登録が実現した事例の始まりのような形になりました。地域全体で、その地域が守ってきたいろんな資産を守っていこうという活動です。

その後、今度は登録が叶っただけではなくてそのことを始まりとして、世界遺産は自然と文化を二つながら保護・保全していこうというのが本来の目的ですから、熊野と高野にお声掛けして「紀伊山地三霊場会議」という、登録資産を持っている者同士の連絡協議会をつくりました。

紀伊山地の三霊場というのは道も登録されていますし、三つの霊場が大変広く、1万3千ヘクタールという日本で一番広大な広がりがあります。その分、いろんなことが起こるじゃないですか。

ですからやはり皆で考えていこう、次の世代に伝えられるように、守っていくためには単に文化振興とか、観光振興とかではなくて、守っていくための手立ても考えようという取り組みです。

現在(当時)は高野山の松長有慶座主猊下に総裁を務めていただいて、年に一回守るための会議を開催しています。そういう大きな活動を進めて来られたのも、若い頃に管長猊下に「志を大きく持ってお坊さんになりなさい」という教えをいただいたお陰と思っています。

38年間お務めして、先年管長様はお亡くなりにはなるのですけれども、今でも管長様の墓前に行くと、自分に「志を大きく行動しているか。これで間違いがないか」と、自問自答しています。

ほんとにあまり細かいことはおっしゃらなかったのですが、最初にそういうことを言うていただいたことが、後々の自分をつくっていくのに大きな力になった、と思っています。大変、私にとってありがたいことですね。

そういう意味では単に世界遺産になったことをゴールとせずに、なったことから始めるということで次の世代につなげていく、そういう志を継ぐ人をお寺の中に、あるいは地元の人の中につくっていくことも、管長様の「志を大きく持ちなさい」とお教えていただいたことを、若い人たちにつなげていくことになるのではないかなと思っているところです。 (平成14年12月30日 放送)

ー『ちょっといい話』第11集(平成25年8月/新風書房刊)より

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本文は昨日につづき、朝日放送ラジオで今も放送されている一心寺提供「ちょっといい話」に出演した内容が書籍になって出た文章の転記ですが、放送内容自体は毎回、全然違うものなので、話も別です。

局から出演に際して、2つ話を用意してくださいと言われていて、順教猊下のことを紹介しました。半分、私の自慢話みたいになってしまいましたが・・・。

*写真は、『ちょっといい話』第11集(平成25年8月/新風書房刊)です。

 本書は以下で買えます。
    ↓
http://www.shimpu.co.jp/bookstore/item/itemreco/1549/

「一生懸命にお祈りをすることの意味」・・・田中利典著述集290211

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「一生懸命にお祈りをすることの意味」・・・田中利典著述集290211

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「一生懸命にお祈りをすることの意味」

宮村 金峯山寺と言いますと〈世界遺産〉でございますよね。そして今ちょうど「秘仏本尊特別ご開帳」が行われているということで、今日はどんなお話になるんでしょうか?

田中 はい。ご本尊のお話とご本尊にお祈りをすることで少しいい話がありましたので、そんなお話を・・・。

実は蔵王堂のご本尊は普段は前に〈戸帳〉という幕が下りていて拝めないんですが、今は12月9日まで特別ご開帳ということで幕を開けまして、皆さんにお参りをしていただいています。

このご本尊は普通の仏さんと違って「蔵王権現」と呼ばれる、修験道という山伏の宗教独特のご本尊なんです。

役行者という方が祈りだしたと言われるご本尊なんですが、〈悪魔降魔の尊〉、つまり悪魔を〈降伏〉する大変恐ろしいお姿をなさっています。

悪魔降伏ですから、悪魔を懲らしめるというお姿の中にはさまざまな意味があるのですけれども、左足でドカッと大地を踏みしめる意味は、大地の揺らぎを鎮めるということなんですね。

昨年の3月11日に東日本で大きな地震があって、大きな津波がありました。その翌日から私たちは大地の揺らぎを権現さまの足で鎮めていただけるように、何とかこれ以上この日本の大地が揺るがないようにということで、お祈りを続けてるんですね。今も続けてるのですけれども。

震災が起こってから1ヶ月ちょっとぐらい経った時に、お勤めを終わって本堂を出ますと、知らない人から声をかけられたんです。その人は私のことをよく知ってて、東京方面で年に1~2回講演をしたりするので、その講演においでになったことのある方のようで、

「実は私は東北出身ですが、今回の震災で身内も友人も実家も誰も大きな被害に遭わなかった。それを思った時に誰かにお礼を言いたい、感謝の心を捧げたい、とそういう気持ちになって思わず新幹線に飛び乗っていた。で、気がついたらこの吉野の蔵王堂に来てお参りをしていた。
お参りをしていると、この蔵王堂で東北の震災のこれ以上地震が起こらないように、また亡くなったたくさんの方々の御霊が鎮められるように、というお祈りを毎日していただいてることにたまたま遭遇して、とても感動した。
で、これは帰って実家の東北の人たちに、遠い吉野でも私たちのことを毎日お願いをしていただいてる、お祈りをしていただいてるということを伝えたい」

ということをおっしゃっていただいた。

震災については救援活動とかいろんな支援の仕方があると思いますが、我々はまずご本尊に日々お祈りをして、そのお祈りを通じて何か出来ることはないだろうかという気持ちを持っていたのですが、お祈りをすること自体がこんなに人々を力づけることになってるんだ、ということを、その方を通じて教えていただいて、改めて「一生懸命にお祈りをすることの意味」を感じたんですね。

実は日本というのは、金峯山寺だけではなくて日本中の寺社で、例えば東大寺さまでも、春日大社さまでも、大阪ですと四天王寺さまでも、日々、〈天下泰平〉〈風雨順次〉それから人々の安穏がずっと願い続けられている、そういうお祈りが続けられた一日が今日という一日なんだ、ということを私たちも自信をもって思わなければいけない。

そういうことが、出会ったその人を通じて、ご本尊に教えられたような、そんな気持ちにさせていただいたことがあるんですね。

蔵王堂のご本尊は、お顔の色が青黒色という大変鮮やかな色をしておられます。こんなに色鮮やかな仏さまってあまり無いんですよね。

顔は大変こわいのですが、その奥には仏さまの慈悲が込められている。そのこわいお姿の奥にある仏さまの慈悲はお肌の色に表れている。仏教では「青黒は慈悲を表す」といいます。仏さまの慈悲があの青い色。我々はこれを〈恕の心〉と呼んでいます。「女」扁に「口」を書いて「心」。これは「お互いを許し、認め合い、慈しむ」ということなんですね。

権現さまのお姿はただこわいだけではない。悪魔を降伏するような大きな力がある。大地の揺らぎを抑えるような大変な力がある。でもその奥には人々を受けとめて、そして人々の安らぎを慈しんでやろうという、そういう大きな慈悲が感じられるのです。

日々のお勤めを通じて、いろんな出来事があるたびに、我々にとって大事なことは何なのかということをご本尊から教えられるようなことでした。普段は幕が掛ってて拝めないんですけども、この12月まで開いてますのでぜひこの機会にたくさんの方においでいただいて、慈悲の心、お互いを認め、許し合うような、そういう大きな力のあるお祈りを感じていただけたらと思います。

宮村 そうですね。実際に写真で見るよりも、もっともっと実物はすごいって話はうかがってますので。

田中 はい。三体おられるんですが、中央は高さ7.3メートル。両側が6.1メートルと5.9メートル。写真で見る以上に圧倒的な大きさなんです。

大きいことによって悪魔降伏の力を全身で感じられるし、そしてその大きな慈悲も全身で受けとめられる。そういう大きい姿に接することで非常な力をきっと誰でも感じていただけると思っています。 (平成24年11月25日 放送)

ー『ちょっといい話』第11集(平成25年8月/新風書房刊)より
 

**************

本文は朝日放送ラジオで今も放送されている一心寺提供「ちょっといい話」に出演した内容が書籍になって出た文章の転記です。もう5年も前になります。

今年もご開帳はあります。今期は4月1日から5月7日まで。是非、お越し下さい。

*写真はご開帳時に蔵王堂でお導師を務めていた頃の私の写真です。

なお、『ちょっといい話』第11集(平成25年8月/新風書房刊)は以下で買えます。
    ↓
http://www.shimpu.co.jp/bookstore/item/itemreco/1549/

追伸 「ちょっといい話」は2回取りです。明日もこの続きをご紹介します。

今日は「神仏霊場会」の教学委員会

今日は「神仏霊場会」の教学委員会。霊場会の事務局がある京都の泉涌寺で行われる。

実は今期から、私はこの委員会の委員長を預かっている。大それたことになっているのである。

神仏霊場会は平成20年に伊勢神宮を中心に西国の大寺大神社などが加盟して発足した日本最大の巡礼の会。来年には10周年を迎える。

...

発足当時の私のブログ
http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2008/…/post_d428.html

ポスターチラシのたぐいもなく、大々的な宣伝もずーーと行われないまま、ここ9年ですでに1000名を越える152寺社の巡礼満願者があり、その熱意には圧倒されるものがある。

加盟寺社が多いため、さまざまな問題や意見もあるが、そろそろ多くの皆さんに、大々的な告知活動を展開していければと思っている。その第一歩となるかもしれない・・・今日の会議である。さてさて・・・。

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