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「卒業式に思う」・・・田中利典著述集290221

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「卒業式に思う」・・・田中利典著述集290221

そろそろ卒業式のシーズンとなってきました。センターを試験と受けた高校生諸君はまだまだ大変な時期だとは思いますが。

今日の文章は今から11年まえの、我が子たちの卒業式に書いたもの。今年、一番下の3男が小学校を卒業するが、その卒業式に添えるために学校に提出する文章を書きながら、11年前を思い出して、古い文章を転記してみました。

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「卒業式に思う」

先日、高校を卒業する長女と中学校を出る長男の卒業式に出席した。単身赴任中の私はここ数年、仕事第一で過ごしてきたため、子ども達の学校行事にはほとんど参加していない。せめてもの罪滅ぼしという思いを込めて、出席したのであった。

今の子どもは大変だと私は思っている。確かにその時代時代でそれぞれ大変なのだろうが、今の子ども達の大変さはかつてこの国が経験したことのない、不確かな大変さである。

食えない時代は食うことが第一であった。食うことで幸せ感や生き甲斐を見出すことが出来た。私の育った時代は食うことはなんとか出来るようになってはいたが、まだまだ各家庭は貧困で、テレビや洗濯機が徐々に家庭にもたらされるだけで、少しずつ幸せになれたように思う。

そういう意味では今時の子ども達は食うことも、身の回りの贅沢もかなりのレベルで維持されて育てられた世代である。食えることとか、ものを持つことは当たり前で、感謝する心さえ、育みにくい環境の中、そういった物質的な幸せが当然のようにして大きくなった。

その分、今まで日本人が大事にしてきた情緒とか、和合とか、思いやりとか、もったいないとか、そういう美しい感情が置き去りにされ、ある意味、とんでもない時代に生きているのである。でも子どもの世代がそれを置き去りにしたのではない。その大人たちの世代が置き去りにして、経済発展ばかりを目指したから、親の背中をみて育った子ども達にそれが如実に現れているだけなのである。

そんな子どもの教育に当たる学校の先生は大変である。卒業式で居並ぶ先生方をみるにつけ、そんな思いを抱いていた。そしてそんな危うい子どもを持つ親もまた大変でなのある。

でも、それでも一番大変なのはやっぱり当事者である子どもたち自身であろう。幸いうちの子どもはそれぞれ普通の学校を普通に卒業してくれた。

今の時代、普通に過ごすことはそうたやすいことではない。加えてほとんど家にいない父を持つ我が子たちはよく頑張ってくれたものだと改めて思ったりした。家内も含めて彼らを支えてくれた家人みんなに感謝し、進学して更に成長しつづける子ども達の未来に、大きな祝福が待つことを密かに念じるのみである。

ー平成18年3月あやべ市民新聞「風声」欄への寄稿

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文中に「ある意味、とんでもない時代に生きているのである」と書いたが、そういう状況は改善されるどころかますますひどい方向にきているような危惧を覚えますね。大人たちがしっかりしなければ子供達の未来はいよいよ危ういのです。

それにしても単身赴任22年であった私は、人に教育論を語れるほど親をやってきていないので、面目ないです。

写真はこの春綾部市の展覧会で入賞したウチの三男の自画像?。。

*よろしければ皆さんのご感想や卒業式の思い出などをお教えください。

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