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「この国の希望」ー田中利典著述集290314

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「この国の希望」ー田中利典著述集290314

金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」で書いた駄文を折に触れて転記しているが、今日は5年前の文章。

原子力発電所の案件についてはさまざまな意見がある。そのひとつの意見として書いたもの。批判は受け付けません(笑)

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「この国の希望」

日本の国土は地球上の陸地の四百分の一にすぎない。そこに世界の五分の一という震度六以上の地震が起きる。まさに日本は地震列島だ。また台風にも毎年のように襲われる。昨年は吉野南部や熊野地域でも台風によって大きな被害がもたらされた。日本人は常にそういった自然の猛威とともに暮らしてきたのである。一方で、日本には温泉があり、四季が豊かで美しい。これらは自然の恵みである。つまり日本人は常に自然の猛威と恵みの中で、暮らしてきたのだ。

そんな日本人は、自然を飼いならすことなどできないことを知っていたはずだ。それを近代以降の歴史の中で間違ってしまい、原子力発電所のような一度事故を起こすと止めようもなく自然を汚し続けるものに手を染めてしまった。昨年の東日本大震災による、福島第一原発事故によって、福島周辺の美しいあの海、あの山、あの川や里は今も汚染され続けている。私たちはあそこに住まう神に、そして生きとしある全てのものに、どう謝罪したらいいというのか。

物質文明社会の豊かさを享受しようとすれば資源が必要である。しかし、自然を壊してまで手にしたものが本当に私たちを幸せにするかのどうか、考えるべき時に来ているように思う。万一である。もし昨年のような大きな地震や津波に襲われ、日本にある原発が次々に事故を起こしていったならば、日本はもうどこにも住めなくなってしまう。そんなことをしていいのだろうか。

作家の村上龍さんが、大震災直後、『ニューヨークタイムズ』紙にある文章を載せた。そこには、震災後の日本社会の危機的状況を述べ、その最後は「だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく」と文章で結んでいる。大震災の悲惨な映像に心が砕けかけていた私はこの文章に大きな救いをもらったが、では何が希望というのか。

日本人は畏敬の念をもって国土を大切に守ってきた。その国土を失うようなこと、二度と取り戻せないようなことを繰り返してはいけない。人間は帰属するものがないと生きていくことはできない。是非、帰属すべき自分たちの風土や文化を見直すところから始めるべきではないか。単なる原発反対ではない、根源的な問いが必要とされている。それがこの国の希望に繋がるのだと私は思っている。

ー「金峯山時報平成24年3月号所収、蔵王清風」より

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写真は自坊から直線で20数㌔しか離れていない大飯の原子力発電所。

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