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「徳を積む」

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「徳を積む」

一昨夜、父の代から長年にわたりお参りいただいた信者様がお亡くなりになった。昨年秋、大腸に癌が見つかり、摘出の手術をされたが、順調に回復されていると聞いていたので驚いている。どうやら手術後の体調はよかったにもかかわらず、先々週に転倒をして大腿骨を骨折され、その術後の容態が急変して、急逝されたらしい。齢94の大往生であった。

ご主人が熱心は御岳の行者さんだった。そのご主人に導かれて、たまに自坊においでになるようになった。近江の安曇川町で雑貨食料の商店をご夫婦で営まれていて、ご主人は毎月、遠路をお参りいただいたが、お店はやすめなので、店番の奥さんは大祭くらいにしか、おいで頂けなかったのだ。

ところが、もう9年ほど前に、ご主人が亡くなられてからは、ご主人に代わって、毎月ほぼお見えになるようになった。お店も以前ほどは手広くされなくなったことも要因かもしれない。

とにかくこぎれいなひとで、心根がホントに優しいおばあちゃんだった。病気一つしたことがないと自負されるほど、90歳を越えても元気溌剌で、きっと100歳まではこのまま健やかに過ごされるに違いないと思っていた。そういう、なにかしら徳を積んだ人という感じの方だった。

あまり愚痴らしい愚痴も聞いたことがなく、ありがたい、ありがたいが口癖で、お参りされても、こちらが幸せにしていただく、常にそんな風だったのである。

徳を積むとは、別段、すごい修行をするとか、悟りを目指すとか、というのではなく、日々の中で、真摯につましく、穏やかな心根で、誠実に生きることなんだと改めて感じさせてもらえる、お日様のようなおばあちゃんだった。

愚息がしばらくご自宅に下宿したこともあり、一信者様というよりは、親戚のような気持ちでお付き合いをいただいた人だっただけに、急逝の報に接して、がく然としている。

昨日の朝、病院から自宅に帰られたので、お見舞いに行ってきた方から連絡があった。「今にも笑い出すかの如く、それはそえれは穏やかなお顔でした。権現様のおかげかと思われます」と連絡のファックスに一文が添えられていた。その笑顔はきっと権現様のおかげでもあり、ご本人のお徳でもあるにちがいない。

今夜、お通夜なので、最後のお別れに行かせていただこうと思う。そのお徳に感謝を込めて・・・。

*写真は安曇川町の道沿いに咲く花。

「一陣の風のような人でした…」ー田中利典著述集290429

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「一陣の風のような人でした…」ー田中利典著述集290429

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

今回も昨日同様にかなり古い文章。18年前のものです。今年5月ではや19回忌になる、わが法友の大峯行者のお話。彼の葬儀に弔辞として読み上げた文章を元に「蔵王清風」に起こしたものからの転載です。昨日、大峯回峰のことを書いた文章を転記して、なんだか、急に彼を懐かしく思い出しました。

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「一陣の風のような人でした…」

一陣の風のような人でした。

平成六年に金峯山寺に四十七歳で入山し、そして平成十一年六月、五十三歳でのお別れ。金峯山寺で過ごした年月はわずか五年。その僅かな間に、多くのものを僕達に残し、誰も出来ないような大きなことをあなたはやり遂げました。岩室院貫道さん、あなたは本当に一陣の風のような人でした。

そしてなぜあなたがそんなにまで急ぐのか僕達はずーっと理解できませんでした。

平成八年、あなたが大峯百日回峰行に入る直前、突然「わしは裸足で行がしたいのに本山は許してくれへん」とあなたは泣き出しました。「何言うとるねん。そんな無理なこと許可できるはずがないやないか」となだめる僕達と夜遅くまで言い合いましたね。

不承不承でしたが、その時は地下足袋を履いて、修行されました。翌平成九年は笙ノ窟での二百日参籠修行。そのときは周囲の反対を押し切り、見事に裸足での山上ヶ岳日参行をやり遂げました。僕達はそんなあなたを驚愕の思いで見つめるのみでした。

そして昨年の「大峯奥駈一期三十三度修行」というとてつもない修行の満行。僕達が九日をかけて行ずる吉野から熊野までの行程を、なんと三日で歩き、続いて三日で戻ってくるというとんでもない修行です。その、まさに前人未踏の大修行を、五月から九月の間に、なんと三十三度もやり遂げられました。本当に役行者の再来かと思えるような大修行でした。修行を終えて、「去年の修行で、大峯を裸足で歩いていたから、今年、歩き通せることが出来たんだ」と誇らしげにあなたは僕らに語ってくれましたね。

平成十一年五月、たまたまその日金峯山寺の宿直をしていた僕はあなたの弟さんから「兄が末期の癌です。よくもって三ヶ月だと診断されました」という驚きの電話を受け取りました。声にならないほどのショックでした。

実は、あなたが体調不良のため、今年の修行と決めていた御岳百日修行を断念して、名古屋の病院に入院される前、「もう過酷な修行はええんちゃうの。とにかく今は身体を治して、これからは僕たちと一緒に金峯山寺の中で、多くの人の修行を導く指導をしてくれへんか」と話し合ったことがありました。その時「やります。やらしてもらいます」と堅く握手をして、約束してくれました。そんなあなたが癌だったとは…。本当に哀しくて口惜しく、残念で仕方がありませんでした。

でもようやく僕たちはわかったのです。なぜあんなにも急いで、過酷な修行を次々とあなたがこなしてきたのか。

あなたが愛したものはたぶん長年移り住んだ下呂の町と、美味しいお蕎麦と、そしてこのお山での修行だったと思います。その下呂の生活を捨て、吉野での修行に入ったあなたは、正にこの五年間を修行三昧で過ごされました。あなたにとって今生で残されていたのが五年間で、その最後の五年を惜しみなく使って、修行に没頭されたのですね。

今生をのんべんだらりと生きるのではなく、真剣に、命がけで、あなたは修行されたのです。だから急がねばならなかったんですね。貫道さん、あなたは本当に悔いのない今生での生き様を通されたんだと思います。

「僕達と一緒に人々を導く修行をしよう」という下化衆生の約束は反故になりましたが、きっと来世往生の上求菩提の修行は満行されての今生だったと思います。

でも必ず来世では一緒に下化衆生の修行をやりたいものです。約束ですよ。

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今もこの文章を読み返すと、彼を思い出して、涙ぐんでしまう。いい行者さんでした。行者の鏡といってもいいくらいの人物でした。合掌。

*写真は彼が終生愛した下呂温泉の町並み。さんざん、下呂の自慢を聞かされました。それももう遠い思い出です。

新番組「たなかりてんのとれたてワイド763」

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新番組「たなかりてんのとれたてワイド763」

今日はお昼から、地元綾部FMいかる「たなかりてんのとれたてワイド763」に出演します。昨年4月からはじめました毎週水曜日のコメンテーターを卒業して、新年度からは月一回(毎月第4金曜日に固定)のパーソナリティとして、この番組をやらせていただくことになりました。

お相手は光枝明日香さん(光枝さんが休みの時は三嶋久美さん…前期と同じお二人です)。放送は今まで同様に、正午から午後2時半までの生放送です。よろしければ、お聞きください。

新番組からメインのコーナーが二つになり、ひとつは新企画の「ここから始める綾部学」。今回は元綾部市長の四方八洲男さんとお迎えしています。午後12時25分頃からの放送です。

また、以前から続けている、ならどっとFMとの共同企画「りてんさんの知人友人探訪」にはあのカンヌ映画祭グランプリ監督河瀬直美さんをお迎えします(すでに収録済み)。お楽しみにしてください。放送は午後1時過ぎの予定。

また午後1時半過ぎからは「りてんさんの今日のメロディ」で、あいかわらず吉田拓郎さんの歌をかけます。時間があれば演歌などもかけたいと思います。今日の拓郎は「元気です」ほか。

ラジオ放送は http://www.jcbasimul.com/?radio=fmikaru ←こちらで全国どこでも、リアルタイムにに聴くことが出来ます。

*写真は「りてんさんの知人友人探訪」河瀬監督編収録の様子。

 「修行をしてもなんにもならん」ー田中利典著述集290428

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「修行をしてもなんにもならん」ー田中利典著述集290428

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

今回は昨日と打って変わって、ずいぶん大昔の文章です。もう20年も前になります。でも「行」の本質は変わりません。

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「修行をしてもなんにもならん」

道元禅師の有名な言葉に「仏道をならうというは自己をならうなり」(『正法眼蔵』)というのがある。簡単に言うなら、「仏道を学ぶということは自己を学ぶということである」というほどの意味であるが、その真理は深い。

「修行はすればするほど悟りから遠ざかる」と言った叡岳の千日回峰行者がおられるが、同じようなことを、金峯山の千日行者成就院師からも聞いたことがある。千日回峰という過酷な難行を通して、徹底的に自己を学んだ上での、謙虚な心境の吐露なのだろう。

先年、筆者も一千座護摩供という112日にわたる不断護摩のお行を修行させていただいた。その修行中、満行が近づくにつれて感じたことは、修行をしてもなんにもならんかったなあという正直な気持ちであった。自分自身、これにはちょっとショックで、もう少し何か得るものがあるはずだと思っていただけに、修行達成の喜びとは裏腹に、どんどんと落ち込んでいった。満行式を終えてもそれは変わらなかった。

それで思いあぐねて、満行式に臨席いただいた順教管長猊下にそのことを告げると、「苦しい修行をしてもなんにもならんという、それがわかっただけでいいんだ」と教誡いただいた。この言葉は本当に有り難かった。これで初めて、満行を実感させていただくことができたのであった。

修行をして、仏道をならって、つまらん自分を実感する、それが仏道修行の始まりなのではないだろうか。「仏道をならうというは自己をならうなり」という言葉の真意のひとつはその辺にあるのだと理解している。

今、金峯山は二人目の千日行者が生まれようとしている。平成三年に入行以来、今年で数えて七五四日を達成し、平成十一年には満願を迎える。是非、仏道に自己をならい、金峯山の修行者に相応しい謙虚で神々しい、千日行者になってほしいものである。   

ー「金峯山時報平成9年9月号所収、蔵王清風」より

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金峯山寺の回峰行はいまも続いていて、今年もまたこの5月から新たな回峰行者が修行に入る。千日行者は本編の塩沼行者(平成11年満行)以来なかなか出ないが、百日回峰行は、ほぼ毎年成満者が出ていて、それぞれ個性豊かな行者たちの顔が思い浮かぶ。今年も魔事なく、無事満行を念じてやまない。

*写真は平成5年に行じた一千座護摩供修行時の筆者(撮影藤田庄市氏)。

「人はかならず死ぬ」 ー田中利典著述集290426

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「人はかならず死ぬ」  ー田中利典著述集290426

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

今回は葬儀に関わるお話です。

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「人はかならず死ぬ」

ここしばらくの間に友人、知人が次々を亡くなった。先月には親しかった九州の本宗教師Sさん。大酒のみの、豪快な女傑・・・大らかさがなんとも大好きでしたね。年明けには吉野町の観光参事だったKさん。いろいろお世話になりました。そして奈良県庁の職員で、奈良県と金峯山寺が事業連携を始めた頃からの友人だったTさん。洒脱でひょうひょうとした人なつっこい愛すべき変人だった。参事のKさんは老境だったが、あとの二人は六十代と五十前半と、思いもよらぬ早い別れとなった。

「人は生まれて来て、必ず死にます。人類はじまって以来、未だ死ななかった人はひとりもいません。その死に方もいろいろです。生まれてすぐ死ぬ人、十歳で死ぬ人、四十歳で死ぬ人、六十歳で死ぬ人、百歳まで生きる人…。その時、人は、たとえば十歳や四十歳で亡くなると、まだまだやりたいことや、し残したことがあったろうに、可哀相だと思うものです。でも何歳で死んでも、仏さまは『いろいろあったろうが、お前のこの世でやるべき事は全て終えたのだよ』…といっておられると私は信じます。残された家族にとって辛い事かも知れませんが、あとは生きている人たちの宿題です。亡くなった方は仏様にもういいんだよ、と言ってもらっていると思って、心残さず、送ってあげて下さい」と、ご遺体を前にして、私は葬儀の席では家族の皆さんにそんなお話をするようにしている。

もちろん、自分が遺族の立場になったら、そうは思えないかもしれないし、哀切の情に取り乱すこともあるかもしれないが、自分のときのことはさておいても、人に対して、亡者に対して、臨終時の僧侶の役目とはそういうものなのだと思っている。

私の話は実は遺族に対しての部分より、死者そのものへの語りかけに思いがある。「魂は実在する」と私は思っている。死んだ当初、死者によっては自分の死そのものをまだ受け止めかねている人もいるだろう。肉体から魂が抜け出して、遺体のそばで不思議そうに自分の体を天井あたりから見ている、そんな感じを持っているのである。

死んですぐ大きな光に導かれて、今生をあとにする霊魂もあるだろうが、大体はしばらく自分の遺体のそばで、じっとみているものなのだそうだ。もちろん死んだことがないので、証明など出来ないが、そういう思いで遺体と接するのである。

このところ惜別の情に悲しむ日々が続いているが、亡くなった人の思い出をたどるとともに、彼らの死を通して、僧侶としての役割を改めて自覚させていただいている。

ー「金峯山時報平成27年2月号所収、蔵王清風」より

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ご存じの方もあるが、昨年から縁があって、真夏に東京ビッグサイトで開催されている「エンディング産業展」のイベントに招かれている。お檀家を持たない、いわゆる葬式専業ではない僧侶なので、めったに葬儀は関わらないだけに、こういう催しにふさわしいのかどうか、はなはだ怪しい。でもまあ、頼まれた仕事は基本的に断らない主義の私は、のこのこと出かけているのである。

昨年はあの壇蜜さんとのトークセッションだった。今年も予定をしておいてほしいと言われていて、8月23日は東京ビッグサイトに行く予定である。対談の女優さんはまだ未定らしい。納棺師に関わる来年公開の新作映画の主演女優さんが候補だと当初は聞いていたけれど、予定が変わったようで、まだ誰かはわからない。

直葬、家族葬、樹木葬、散骨などと葬儀をとりまく環境が激変している現代社会。無縁社会などとわけのわからない言葉が流行り、人心が惑い続けているだけに、きちんと「死」に向き合うことは大切だ!、と思っているのは私だけではあるまい。

*写真は昨年のエンディング産業展の様子。

「今日のならどっとFMタイム784に河瀬直美監督が登場です!」

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「今日のならどっとFMタイム784に河瀬直美監督が登場です!」

昨年より、奈良と地元綾部のコミュニティラジオで生番組のレギュラーをつとめていますが、今年から両方とも月一回での出演になりました。

奈良=ならどっとFM 毎月第3金曜日午後3時~4時「タイム784」
綾部=FMいかる 毎月第4金曜日正午~2時半「たなかりてんのとれたてワイド763」

今日はそのならどっとFMの生放送の日。ゲストに、最新作「光」の公開直前で忙しい中、世界の河瀬直美監督が出てくれます。

私も久しぶりにお会いしますが、さてさてトークは・・・。ご期待ください。

サイマルラジオで、どこでもリアルに聴けます
奈良→http://www.jcbasimul.com/?radio=narafm 

また順次、YouTubeに過去の番組をアップしています。こちらもご期待ください。
第1回 高野山大学名誉教授 村上保壽師編
→https://www.youtube.com/watch?v=HGGj9xpXAmM

第2回 倉田宇山 NPO空援隊事務局長
→https://www.youtube.com/watch?v=5e0QsJ3lmBs&t=1177s

第3回 聖護院門跡 宮城泰年猊下編
→https://www.youtube.com/watch?v=3Lb8HdMhdwM&feature=youtu.be

*写真は過去にご一緒したときの河瀬監督と私のツーショット。

みなさん、甲斐性があるなあ・・・。

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今日は奈良で、友人の新宅の地鎭祭でした。天気もよくて助かりました。

いわば林南院式ともいえるうちの地鎭祭は父が、とても丁寧におつとめをしてきたので、用意の段階からエライ手間がかかります。ちょっとあの手間のかけ方はイマドキ風ではないので、宗務総長時代は忙しさにかまけて、ほとんど請け負いませんでした。ただ、最近は少しずつ林南院の法務にせいをだしていて、積極的に請け負うようにしており、ここ2ヶ月で、今日は3軒目の地鎭祭となりました。

それにしても施主のみなさん、私より若い方ばかりなので、甲斐性があるなあと感心をしております。...

家を建てるなどと言う、そういう経済的な甲斐性がほんまに欠落してんなあ、私は。。(>_<) きっと生涯で一度も建物を建てないで終わりそう。

*写真は先月に行った地鎭祭の会場。

「りてんさんの知人友人探訪に河瀬直美監督が登場です!」

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「りてんさんの知人友人探訪に河瀬直美監督が登場です!」

昨年より、奈良と地元綾部のコミュニティラジオで生番組のレギュラーをつとめていますが、今年から両方とも月一回での出演になりました。

奈良=ならどっとFM 毎月第3金曜日午後3時~4時「タイム784」
綾部=FMいかる 毎月第4金曜日正午~2時半「たなかりてんのとれたてワイド763」
サイマルラジオで、どこでもリアルに聴けます
奈良→http://www.jcbasimul.com/?radio=narafm 
綾部→http://www.jcbasimul.com/?radio=fmikaru

番組の中では著名人を招いて「りてんさんの知人友人探訪」を放送中です。このコーナーは奈良局での生放送の番組でやっていて、この部分だけを綾部に持ち帰って、翌週に番組内で放送しています。

4月22日は奈良で生放送、28日は綾部での収録分の放送ですが、今月はあのカンヌ映画祭グランプリ監督の河瀬直美さんをお迎えします。5月には新作映画「光」のロードショーも決まっていますので、その辺のお話も詳しくお聞き出来ればと思っています。ご期待ください。

それから、今後も続々と大物のご友人をお招きする予定です。

現在決まっているのが・・・
5月19日 は奈良で、東大寺別当筒井寛秀長老をお迎えします。綾部は26日放送。
6月は調整中。
7月21日は奈良で、淺田正博龍谷大学名誉教授ー私の恩師です。綾部は28日放送。
8月は調整中。
9月15日は奈良で平岡宏一清風高校校長をお迎えする予定。綾部は22日の放送です。そのほか、まだまだたくさんの知人友人に出ていただく予定ですので、ご期待ください。

また順次、YouTubeに過去の番組をアップしています。こちらもご期待ください。
第1回 高野山大学名誉教授 村上保壽師編
→https://www.youtube.com/watch?v=HGGj9xpXAmM

第2回 倉田宇山 NPO空援隊事務局長
→https://www.youtube.com/watch?v=5e0QsJ3lmBs&t=1177s

第3回 聖護院門跡 宮城泰年猊下編
→https://www.youtube.com/watch?v=3Lb8HdMhdwM&feature=youtu.be

*写真は大笑いしている河瀬監督と私の貴重なツーショット。

「上野の吉野桜②~花咲か爺さんのお話」 ー田中利典著述集290417

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「上野の吉野桜②~花咲か爺さんのお話」 ー田中利典著述集290417

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

今朝、私が贈った上野公園の山桜のお話を書きましたが、その桜の苗木を育て、そして各地へ送ってくれたのは、吉野山で個人的に桜守りをされていた椿原純司さんでした。7年前になりますが、その椿原さんが亡くなったときに書いた文章を転記します。

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「上野の吉野桜②~花咲か爺さんのお話」

ひとりの桜守りの老人が亡くなった。老人は桜守りが本職ではない。長年近鉄に勤務して最後は吉野の駅長を務めた後、退職後、金峯山寺で事務に従事されたT氏である。最近は金峯山寺もやめて悠々自適の毎日だったが、時々顔を出してくれていた。昨年末に肺炎で急逝されたのだが、惜しい人を亡くした。

そのTさん。桜守りは趣味でやっておられた。それも蔵王堂前の、四本桜の一番の古木を大事にされていた。この桜は故五條順教管長猊下も吉野山の桜の中で最も気に入られていたもので、毎年、翁はその古木桜の種を拾っては自分の畑に播いて育成されておられたのである。

Tさんとは金峯山寺の勤務を通じて、親しくしていただくようになった。そのご縁で、実はTさんから、四本桜の苗木を分けていただき、吉野とご縁のある名刹寺院などに何度となく送ることとなった。

一番最初は源義経の奥州潜行800年記念の年に、平泉の毛越寺に若木を贈った。義経と吉野の縁によるものである。数年前には上野の寛永寺にも贈った。ある席でご一緒した寛永寺の執事長との間で桜が話題になり、上野の桜は元々天海僧正の時代に、金峯山寺初代管領となった天海さんの命で、吉野山の山桜が寛永寺に植えられたのが始まりだったこと。当初の山桜はその後絶えてしまい今はソメイヨシノばかりになっていること…などなどを話すうち、本家吉野山の桜をお贈りしようということになったのである。

また今月初めには、浅草寺と、天海さんの出身寺である川越の喜多院にも贈った。翁の生前中に約束をしていた桜である。浅草寺では義経千本桜とのご縁で歌舞伎の市川團十郎の碑の側に植えられることになっている。このほか、吉野山同様に後醍醐天皇縁の笠置・金胎寺をはじめ、岡山のハンセン氏病支援施設愛生園や、私の自坊林南院
にも送っていただいている。

実は老人は亡くなる一ヶ月ほど前に事務所を訪ねてきてくれて私と歓談した。そのとき、「Tさんが亡くなっても、Tさんの育てた桜は全国の吉野ゆかりの名刹寺院でたくさんの花を咲かせるからねえ…」といったら、とてもはにかんでうれしそうにされていたのを今でも思い出す。時を置かず言ったとおりになったのだが、平成の御代に老人が丹精を込めた四本桜の古木が全国の人々に愛でられることを思うと、大きな供養になるなあとねひとり思いを巡らせている。四本桜の古木は残念なことに昨年枯れて今は植え替えられてしまい、残念ながらもう本家の吉野山にはないが、毛越寺や寛永寺や浅草寺などで、いづれ大きな大きな花を咲せてくれることだろう。

ー「金峯山時報2010年4月号所収、蔵王清風」より

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今朝も書いた通り、まだ私自身は上野公園も寛永寺も、贈った桜の実物はみていないが、翁のことを思い出して、一度、ちゃんと見に行って、翁に報告しなくちゃと思っている。
ちなみに翁の葬儀には、寛永寺や毛越寺から弔電が届いた。ご親族を含め、地元の人はさぞ、驚いたことだったと思う。

*写真は満開の今年の吉野山蔵王堂境内の四本桜。ただ翁が種を拾って育てた名木の四本桜はいまはない。

「上野の吉野桜」

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「上野の吉野桜」

昨日は誇り塾の懇親会で上野公園を散策しました。実は上野公園には私が10数年前に贈った吉野の山桜があります。蔵王堂の正面の四本桜のタネを拾って育てた苗木を、当時の寛永寺の執事長涌井正明さんに贈ったのです。上野の桜はもともと江戸のはじめに天海僧正が吉野の山桜を移植したのが始まり。その山桜はもう1本もなく、いまはソメイヨシノばかり・・・という話を聞いて、ホンマ物の吉野桜をプレゼントしたのです。

実はその桜、まだ実物をみたことがないのです。

...

その桜が近年ようやく上野公園と寛永寺にデビューして、花もつけかけたと聞いています。このところ、東京で開いている私塾「誇り塾」は東博に隣接した黒田記念館を会場としているので、今年の春こそは見つけなければと思っていましたが、今回もとうとう見にいけなかった。残念・・・。

ところが、運良く、何も知らない弟子の佳由さんがその写真を撮ってきてくれたので、アップしておきます。思いの外、大仰に披露されているので少々驚いた次第です。ちょっと嬉しい。

ところで、この涌井さんと私のとやりとりは涌井さんがインタビュー記事の中で話をされていて、以下に載っています。よろしければ併せてお読み下さい。

http://uenogasuki.tokyo/…/special-interview-%E3%80%8C%E5%AF…

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「人はいつか死ぬ・・・」ー田中利典著述集290414

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「人はいつか死ぬ・・・」ー田中利典著述集290414

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

齢還暦を超えて、私もそろそろいろんなことに思いを致す年齢です。「死」を思うことは「生」と向き合うことだと実感しています。

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「人はいつか死ぬ・・・」

人はいつか死ぬものです。人類史上未だかつて、死ななかった人はなく、お釈迦さまも孔子もイエス・キリストも、みなさん、死んだのです…と、冗談のように法話でよく言うのですが、そういうわけですから、私だけが死なないなどということはありえないです。

そんなことは誰でも知っているはずですよね。まして、いつ死ぬのか、どこでどうやって死ぬのか、それは神のみぞ知るところで、私たちのあずかり知らぬことなのです。

ま、どこでどうやって死のうと、何歳で、何が原因で死のうと、そういう要因には関係なく、はっきりとしているのは、死んだ瞬間にこの世での貴方の命は終わったのです。ただここで思っておかないいけない肝心なことがあります。

どこでどう死のうと、なにが原因で死のうと死んだその瞬間に、仏さまに、神さまに「それでいいんだよ」って言ってもらっている、そういうふうに死を受け入れることが幸せなんだ、ということです。実は信仰を持って、神さま仏さまと一緒に生きているって言うことは、そういうことなんだと私は思っています。

概ね人は幼くして亡くなったり、あるいは幼い子どもをおいて壮年期に亡くなったり、交通事故や大きな飛行機事故など奇禍に遭って亡くなったりしたとき、「可哀想に。まだまだこの世に未練があったろうに…」と思うものですが、でも仏さまや神さまは、貴方の命が尽きた瞬間に「この世での貴方の役割は終わったのだよ。いろいろ失敗もしたろうし、やり残したこともあるだろうが、貴方の人生はこれでおわりなのだから、それでいいんだよ。次はまた失敗を繰り返さないように頑張ろうね…」と言って貰っていると思えるなら、その人は救われるわけです。

そう思えないと死んでも救われないことになってしまいます。残された人の思いは別にしても、死者にとっての、死んで救われるというのは究極そういうことだと私は思うのです。

所詮私たち人間は生きている限り失敗や後悔の繰り返しなのですから、死んだ後まで、取り返しのつかないことに懊悩させられるのでは堪ったものではありません。神さまや仏さまに死んだ後くらいは大きく受け止めていただいていると思える、そういう信仰心を日頃から培っていたいものだと思っています。

ー「金峯山時報平成22年5月号所収、蔵王清風」より

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閑話休題。昨年から夏に開催される東京ビッグサイトでのエンディング産業展にご縁が出来て、イベント会場であの壇蜜さんとトークセッションをさせていただきました。
どうやら今年も壇蜜さん以上の大物女優さんとのセッションがあるかもしれません。可否の詳細は後日になりますが、自分の「死」に向き合うことは誰にとっても他人事とではないだけに、様々な人と一緒に、深く考えて行きたいと思います。

*写真は壇蜜vs田中利典。

世界遺産「吉野・大峯」の魅力ー田中利典著述集290410

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世界遺産「吉野・大峯」の魅力ー田中利典著述集290410

過去に執筆した文章を折に触れて本稿で転記していますが、今日は平成18年に上梓された永坂嘉光先生の写真集に寄せた文章です。山折哲雄先生と並んで、解説を担当させていただくという、光栄なご依頼でした。その文章から末尾の一部を転載します。

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世界遺産「吉野・大峯」の魅力

「吉野・大峯」と大峯奥駈道が、『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録され、山岳信仰や修験道の歴史と文化が新たな意義を見いだすきっかけとなった。この地が国際的にも評価されたのはなぜであろうか。

政治や文学の上でも沢山の足跡が残された史跡の宝庫、吉野。その魅力は多岐にわたって尽きないが、とりわけ注目されるべきは日本独自の宗教である修験道を育んできた多神教的風土と、それに関わるこの地が持つ歴史性、唯一性であろう。

明治期の神仏分離政策は修験道に打撃を与えただけではなく、有史以来、神も仏も分け隔てなく尊ぶという多神教的世界観の崩壊と、それを中核とする日本固有の精神文化の変容をも招くことになった。

われわれの先祖は、山や大自然からもたらされる豊かな恵みの中で、自然と共に生きる知恵を育み、多神教的風土の歴史を築いてきた。それゆえ、日本人一般の信仰は、元をたどれば、日本古来の神祇(じんぎ)も外国から来た諸仏も分け隔てなく、敬い拝むという大らかさに根ざしていたはずだった。

ところが、このような精神文化が、明治の欧米化・近代化政策以降、徐々に顧みられなくなってしまった。昨今の殺伐とした社会様相の中でますます人々の心が荒廃する原因もまた、日本人がこうした民族の歴史とその唯一性を忘れていった結果なのではなかろうか。

紀伊山地一帯、特に「吉野・大峯」こそは、日本固有の多神教的営みを育んできた修験道という希有の宗教文化をもっとも色濃く今日に伝える貴重な宝物である。「世界遺産」として認められる魅力も、ここにある。

「吉野・大峯には日本の心がある」とするなら、それは、忿怒の形相を湛える蔵王権現像や、大峯奥駈修行など修験者たちの修行や信仰を通して、近代化以前の豊かで美しい、神仏が同居する自然観が、この地に保たれ続けているからだと私は確信する。

吉野の四季は美しい。満開に咲き競った春の桜や、匂い萌え立つ初夏の新緑、紅色に染め上げられた桜紅葉の秋、そして白雪舞う冬景色。ただ吉野は四季折々にみせる山容の美しさを愛でるだけではわかりえない。この地の霊気と、その中で営まれた千古の祈りと歴史・文化に感応してこそ、ようやく知り得る美しさであろう。

ー永坂嘉光写真集『天界の道』(小学館刊、2006/10/23)所収解説、田中利典述「今に生きる修験道~吉野・大峯」より

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思えば金峯山寺時代はたくさんの仕事をさせていただいたものだと、改めて思います。ここ2年ほどはゆっくりさせていただきましたが、そろそろ過去の栄光ばかりを追わずに、前向きに仕事しなくちゃって、思います。
*写真は写真集『天界の道』。

「花は吉野の山桜」」ー田中利典著述集290409

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「花は吉野の山桜」」ー田中利典著述集290409

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

どうやら例年より少し遅いながら、ようやく吉野山の桜も咲き始めたようですので、4年前の文章から、吉野の桜に思いを馳せました。よろしければお読みください。

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「花は吉野の山桜」

待ち遠しかった桜花爛漫の春が来た。ご開帳が始まった蔵王堂の蔵王権現様にお供えをするかの如く、権現さまのご神木である山桜に全山が染め上げられいる。

その吉野の桜を巡っては数々の歴史絵巻が彩られてきたが、とりわけ有名なのは太閤秀吉の大花見の宴。一五九四(文禄三)年、太閤秀吉は関白秀次、徳川家康、伊達正宗、宇喜多秀家、前田利家といった戦国大名の勝ち残り全員と公家、茶人、連歌師などを含め総勢五千人というもの凄い人数を引き連れて吉野で一大観桜会を催したのである。

現在の蔵王堂は一五九二(天正二十)年頃の再建と伝えられているから、まさに新築になったばかりの蔵王堂に秀吉は参詣したのであった。しかも、五千人もの人がやってきて、何日も泊まったのだから、それはもう大変なことだっただろう。

秀吉の来山は旧暦二月二十七日という。今の暦では四月十七日に吉野山へ着き、吉水神社に本陣を置いた。吉水神社は明治の神仏分離令までは、金峯山寺を代表する塔頭のひとつで吉水院という寺だった。当院は源義経が弁慶とともに身を潜め、南北朝期には後醍醐天皇の皇居にもなった由緒ある寺院だから、秀吉の本陣としてはもっともふさわしかったのであろう。

実はこの秀吉一行が着いた日から四日間雨に降られたようで、花見が出来ず、歌会やお茶会を催している。このとき秀吉は〈花のねがひ〉と題し、次の歌を詠んだ。

「年月を心にかけし吉野山花の盛りを今日見つるかな」。

また、一年後に秀吉の命で自刃することになる秀次は「いつかはと思ひ入りにしみ吉野の吉野の花を今日こそは見れ」と詠んだのであった。

このときの親子二人、憧れていた吉野へ来た喜びにあふれた歌をともに詠んだが、しかしながら、栄華の極みにあった吉野の花見から四年後には、秀吉自身もこの世を去っている。

吉野の桜はそういう歴史の著名な人物の上でも深い色合いを感じさせてくれる、日本一の名にふさわしいゆかしき花でもある。儚い花ゆえに、権現様への信仰とともに、その佇まいが多くの人を魅了するのであろう。

ー「金峯山時報平成26年4月号所収、蔵王清風」より

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私も明日の夜には吉野山に帰山します。11日、12日は桜のお祭りともいえる「金峯山寺花供懺法会」。もちろん今年も両日出仕します。

*写真は満開の吉野山。今年の満開ももうすぐです。

「群青・・・」

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「群青・・・」

母が亡くなって足かけ7年。いまでも亡くなった日の朝のことを思い出す歌があります。

そのとき、私は母の訃報を受けて、吉野から自宅へ車を急いでいました。

...

実は前日、本山行事の合間を縫って、死の床にある母を見舞い、病院を訪ねたのでしたが、翌日は早朝4時半には自宅を出て、吉野に向かっていました。伝法灌頂という5年に一度の大きな法会を控え、どうしても帰らないといけない状況にあったので、後ろ髪を引かれながらの吉野行でした。

そして朝、吉野に着くかいなかで、母の訃報が家人から届いたのでした。

そのあとのことはあまりちゃんとは覚えていません。4日後に控えた伝法灌頂会の手配と、母の葬儀の段取りを金峯山寺のスタッフに告げて、ともかく自宅へと急ぎました。

その道中、カーステから流れてきたのが谷村新司の「群青」・・・。

「老いた足どりで 想いを巡らせ 海に向いて
 一人立たずめば 我より先に逝く 不幸は許せど
 残りて哀しみを 抱く身のつらさよ」
と、その歌詞が心に刺さり、

「君を背おい 歩いた日の ぬくもり背中に 
 消えかけて 泣けと如く群青の海に降る雪
 砂に腹這いて 海の声を聞く 
 待っていておくれ もうすぐ還るよ・・・」
 と来たとき、もう前が見えないくらい、涙があふれてきたのでした。

あのときのことは、この歌を聞くたびに昨日のことのように思い出します。母のとの別れの悲しさを抱きしめた歌だったのです。

「待っていておくれ もうすぐ還るよ・・・」と何度も何度も繰り返しながら、車を走らせた悲しみがよみがえるのです。

         ー谷村新司45周年番組を見ながら。

河瀬直美監督最新作「光」試写会に行ってきました

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河瀬直美監督最新作「光」・・・

今日、河瀬直美監督最新作「光」の試写会に行ってきました。

「美しき日本」の取材を通じて河瀬直美監督と出会って以来、もう10年余になります。なんどか二人でトークセッションも行い、自宅にお邪魔したこともあり、親しくしていただいています。

とはいえ、私のを知っている彼女は、彼女のホンの一部分でしかないわけで、私にとっては、その可憐さも含めて、不可思議な部分がたくさんある人です。

今回の映画、そういう意味では、私が知っている河瀬直美そのものを感じた映画でした。もちろん私の誤解も含めてですが・・・。

実は、「殯の森」、「二つめの窓」、「あん」といった長編と、「アセンブオブホームズフィルムズ」などいくつかの短編映画を、知り合ってから今まで、折に触れてみさせていただいてきました。

で、今回はどんな映画なのかなと思いながら、期待して見に行ったのでした。結論を先に言うと、期待以上に、しみじみと、よい映画だと思います。

奄美大島を舞台に撮った「二つ目の窓」より、こちらの方が私的にはお薦めです。もちろん前作の「あん」は、なんといっても主役の樹木希林さんのキャラクターが、ハンセン病という重いテーマの映画を見事にエンターティンメントに替えていて、内外で素晴らしい評価を得るところとなったのですが、その「あん」チームの雰囲気を継承しつつ、ヒロインの水崎綾女さんの好演も得て、とてもいい映画になっていたと思います。水崎さん、いいですよ。

主題が目の光をなくした写真家の話だったので、河瀬さん風の、さぞや重たいストーリーかなあと思っていただけに、私にとっては思いの外、さわやかな印象でした。

映画は総合芸術と言われます。いろんな意味で、エンターティンメントと芸術性が混在した世界が映画なのでしょう。それ故、エンターティンメントに振った作品と、あくまでも映像芸術や、芸術的な深い思索を重点とするものの二通りがあるように、シロウトながら感じますが、間違いなく、河瀬作品は後者に位置するものでしょう。普段見慣れたハリウッド映画とは全く違う映画なのです。

まあ、私のようなドシロウトが、映画の評論をしようというのは厚顔無恥も甚だしいわけで滅相もないことです。ですから、あくまで評論ではなく、私なりの感想を正直にいま、述べさせて頂いています。ご容赦下さいませ。

私の持論ですが、芸術というのは「神の世界に近づく手立てだ」と思っています。世の東西を問わず、芸術作品といわれるものには神の手、神の意志を感じさせるなにかがあるものばかりだと私は思うのです。

前前作「二つ目の窓」では映画を通して、神の声を鑑賞者ともに聞こうとする河瀬さんの意図を感じましたが、今回の作品は人間の業と、それを包む神そのものが描かれたように思ったのでした。作品の表題でもあり、テーマとなった「光」とは神そのものでしょう。

以上、私が今日の試写会で感じた、そのままをお伝えしました。誤解があるかもしれませんし、私の独りよがりであることは間違いありません。どうぞお許し下さい。そしてご自分の目で、確かめていただければと思います。ロードショーは5月27日からです。

実はすでにお知らせしたように4月22日に「ならどっとFM/タイム784」(毎月第3金曜日午後3時~4時放送)」で、河瀬さんと対談することになっています。あまりべらべらと知った風なことばかりを書き連ねていると、そのとき、怒られちゃうかもしれません。ちょっと怖いです(^_^;)

直美ちゃん、ごめん

第1回、第2回のFMいかる「知人友人探訪」をアップ

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昨日の「FMいかる/知人友人探訪」第3回聖護院宮城泰年門主猊下編につづき、第2回の空援隊専務理事倉田宇山さんの回がYouTubeにアップされました。

第1回高野山大学名誉教授村上保壽先生編と併せて、ご案内します。
よろしければお聞き下さい。どの回も約25分ほどです。

...

第2回 倉田宇山氏 https://youtu.be/5e0QsJ3lmBs
第1回 村上保壽氏 https://www.youtube.com/watch?v=HGGj9xpXAmM

YouTubeに「知人友人探訪/京都聖護院の宮城泰年猊下編」登場!

昨年から地元綾部と奈良のコミュニティラジオで生番組に出ていますが、今期も引き続きレギュラーをつとめます。今期からはパーソナリティとして出演します。

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奈良は「ならどっとFM」で、毎月第3金曜日午後3時~4時「タイム784」。
綾部は「FMいかる」で、毎月第4金曜日正午~2時半「たなかりてんのとれたてワイド763」です。

インターネットのサイマルラジオで、全国どこでもリアルに聴けます。以下です。
奈良→http://www.jcbasimul.com/?radio=narafm 
綾部→http://www.jcbasimul.com/?radio=fmikaru

その番組の中では著名人をお招きして「りてんさんの知人友人探訪」を放送しています。
次回の4月22日(奈良)、28日(綾部)の放送では、あのカンヌ映画祭グランプリ監督の河瀬直美さんをお迎えします。

また。田中利典公式サイトをはじめました。FMいかるの「知人友人探訪」もアップ中!

なお、YouTubeに第3回の収録、京都聖護院の宮城泰年猊下に登場頂いた分がアップされました。是非、お聞き下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=3Lb8HdMhdwM&feature=youtu.be

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