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「上野の吉野桜②~花咲か爺さんのお話」 ー田中利典著述集290417

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「上野の吉野桜②~花咲か爺さんのお話」 ー田中利典著述集290417

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

今朝、私が贈った上野公園の山桜のお話を書きましたが、その桜の苗木を育て、そして各地へ送ってくれたのは、吉野山で個人的に桜守りをされていた椿原純司さんでした。7年前になりますが、その椿原さんが亡くなったときに書いた文章を転記します。

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「上野の吉野桜②~花咲か爺さんのお話」

ひとりの桜守りの老人が亡くなった。老人は桜守りが本職ではない。長年近鉄に勤務して最後は吉野の駅長を務めた後、退職後、金峯山寺で事務に従事されたT氏である。最近は金峯山寺もやめて悠々自適の毎日だったが、時々顔を出してくれていた。昨年末に肺炎で急逝されたのだが、惜しい人を亡くした。

そのTさん。桜守りは趣味でやっておられた。それも蔵王堂前の、四本桜の一番の古木を大事にされていた。この桜は故五條順教管長猊下も吉野山の桜の中で最も気に入られていたもので、毎年、翁はその古木桜の種を拾っては自分の畑に播いて育成されておられたのである。

Tさんとは金峯山寺の勤務を通じて、親しくしていただくようになった。そのご縁で、実はTさんから、四本桜の苗木を分けていただき、吉野とご縁のある名刹寺院などに何度となく送ることとなった。

一番最初は源義経の奥州潜行800年記念の年に、平泉の毛越寺に若木を贈った。義経と吉野の縁によるものである。数年前には上野の寛永寺にも贈った。ある席でご一緒した寛永寺の執事長との間で桜が話題になり、上野の桜は元々天海僧正の時代に、金峯山寺初代管領となった天海さんの命で、吉野山の山桜が寛永寺に植えられたのが始まりだったこと。当初の山桜はその後絶えてしまい今はソメイヨシノばかりになっていること…などなどを話すうち、本家吉野山の桜をお贈りしようということになったのである。

また今月初めには、浅草寺と、天海さんの出身寺である川越の喜多院にも贈った。翁の生前中に約束をしていた桜である。浅草寺では義経千本桜とのご縁で歌舞伎の市川團十郎の碑の側に植えられることになっている。このほか、吉野山同様に後醍醐天皇縁の笠置・金胎寺をはじめ、岡山のハンセン氏病支援施設愛生園や、私の自坊林南院
にも送っていただいている。

実は老人は亡くなる一ヶ月ほど前に事務所を訪ねてきてくれて私と歓談した。そのとき、「Tさんが亡くなっても、Tさんの育てた桜は全国の吉野ゆかりの名刹寺院でたくさんの花を咲かせるからねえ…」といったら、とてもはにかんでうれしそうにされていたのを今でも思い出す。時を置かず言ったとおりになったのだが、平成の御代に老人が丹精を込めた四本桜の古木が全国の人々に愛でられることを思うと、大きな供養になるなあとねひとり思いを巡らせている。四本桜の古木は残念なことに昨年枯れて今は植え替えられてしまい、残念ながらもう本家の吉野山にはないが、毛越寺や寛永寺や浅草寺などで、いづれ大きな大きな花を咲せてくれることだろう。

ー「金峯山時報2010年4月号所収、蔵王清風」より

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今朝も書いた通り、まだ私自身は上野公園も寛永寺も、贈った桜の実物はみていないが、翁のことを思い出して、一度、ちゃんと見に行って、翁に報告しなくちゃと思っている。
ちなみに翁の葬儀には、寛永寺や毛越寺から弔電が届いた。ご親族を含め、地元の人はさぞ、驚いたことだったと思う。

*写真は満開の今年の吉野山蔵王堂境内の四本桜。ただ翁が種を拾って育てた名木の四本桜はいまはない。

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