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「花は吉野の山桜」」ー田中利典著述集290409

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「花は吉野の山桜」」ー田中利典著述集290409

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

どうやら例年より少し遅いながら、ようやく吉野山の桜も咲き始めたようですので、4年前の文章から、吉野の桜に思いを馳せました。よろしければお読みください。

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「花は吉野の山桜」

待ち遠しかった桜花爛漫の春が来た。ご開帳が始まった蔵王堂の蔵王権現様にお供えをするかの如く、権現さまのご神木である山桜に全山が染め上げられいる。

その吉野の桜を巡っては数々の歴史絵巻が彩られてきたが、とりわけ有名なのは太閤秀吉の大花見の宴。一五九四(文禄三)年、太閤秀吉は関白秀次、徳川家康、伊達正宗、宇喜多秀家、前田利家といった戦国大名の勝ち残り全員と公家、茶人、連歌師などを含め総勢五千人というもの凄い人数を引き連れて吉野で一大観桜会を催したのである。

現在の蔵王堂は一五九二(天正二十)年頃の再建と伝えられているから、まさに新築になったばかりの蔵王堂に秀吉は参詣したのであった。しかも、五千人もの人がやってきて、何日も泊まったのだから、それはもう大変なことだっただろう。

秀吉の来山は旧暦二月二十七日という。今の暦では四月十七日に吉野山へ着き、吉水神社に本陣を置いた。吉水神社は明治の神仏分離令までは、金峯山寺を代表する塔頭のひとつで吉水院という寺だった。当院は源義経が弁慶とともに身を潜め、南北朝期には後醍醐天皇の皇居にもなった由緒ある寺院だから、秀吉の本陣としてはもっともふさわしかったのであろう。

実はこの秀吉一行が着いた日から四日間雨に降られたようで、花見が出来ず、歌会やお茶会を催している。このとき秀吉は〈花のねがひ〉と題し、次の歌を詠んだ。

「年月を心にかけし吉野山花の盛りを今日見つるかな」。

また、一年後に秀吉の命で自刃することになる秀次は「いつかはと思ひ入りにしみ吉野の吉野の花を今日こそは見れ」と詠んだのであった。

このときの親子二人、憧れていた吉野へ来た喜びにあふれた歌をともに詠んだが、しかしながら、栄華の極みにあった吉野の花見から四年後には、秀吉自身もこの世を去っている。

吉野の桜はそういう歴史の著名な人物の上でも深い色合いを感じさせてくれる、日本一の名にふさわしいゆかしき花でもある。儚い花ゆえに、権現様への信仰とともに、その佇まいが多くの人を魅了するのであろう。

ー「金峯山時報平成26年4月号所収、蔵王清風」より

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私も明日の夜には吉野山に帰山します。11日、12日は桜のお祭りともいえる「金峯山寺花供懺法会」。もちろん今年も両日出仕します。

*写真は満開の吉野山。今年の満開ももうすぐです。

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