「師の教え」ー田中利典著述集290524
今日も昨日に引き続き、5年前、朝日放送ラジオの「ちょっといい話」という番組に出演したお話の続き。番組は2本録りでしたから。そこからの転用です。
今回は師お話です。
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「師の教え」
私は15で得度を受けて僧侶になりました。ですから前の管長様(五條順教猊下)には15の時からお仕えしました。
管長さんはあんまりいろんなことを細かくは教えていただかなかったんですが、一番最初に言われたことが「志を大きく持ちなさい」という言葉でした。
で、その後こうしていろんなことをさせていただくようにはなるんですけれども、最初に管長様にそう教えられたことが私の大きな支えになっています。
金峯山寺は平成16年に〈世界文化遺産〉に登録をされましたが、この時も金峯山寺を世界遺産に登録出来ないかということで、ちょうど平成11年の12月25日、…金峯山寺は昔からなぜか12月25日のクリスマスが一山の納会(忘年会)なんですね。
で、この忘年会の日に管長様に「金峯山寺の世界遺産登録の運動を始めたいのですが」と申し上げたら「やってみろ」ということになりましてね。そこから始めるのですけれども、それも「志を大きく仕事をしなさい」っていうことをずっと言われていたので、ほんとはなるかどうか分からないけれどもともかくやってみようということで始めたのでした。
まあ、本来ならなかなかそんなに簡単にいかないはずなんですが、ところが結構簡単にいったんですよ。
平成11年の秋頃から思いついて、平成12年の春から本格的な活動をはじめて、なんとその年の11月には国の文化審議会で答申されました。もっと前から高野山、熊野は世界遺産の登録運動を始めておられたのですが、私はそれを知らなかったんですね。
ところが、吉野が手を上げることで、紀伊半島全体で、吉野と熊野と高野がつながった。金峯山寺というお寺と、金峯山寺が行っている吉野から熊野まで修行する〈大峯奥駈修行〉というのがあるんですが、このお寺と道の両方で世界遺産登録を目指したのです。
その奥駈の道がつながることで、吉野と熊野がつながった。で、熊野には「熊野古道」という、高野とも大阪ともお伊勢さんともつながる道があった。高野にも町石道という古道があった。紀伊半島全体が道でつながって、しかも吉野は修験道の聖地、高野は真言密教の聖地、熊野は神道の聖地。それぞれ違う宗教が道でつながることになりました。
日本人のいわゆる、神さんも仏さんも等しく拝んできたその日本独特の宗教文化・精神文化が、紀伊半島の大きな自然の中で千年以上の単位で育まれてきたという文化的景観がキーワードになって、あっという間に登録をされるんです。
でも地元は初め「世界遺産になんか簡単になるかい?」という、そんなような空気もあったんですね。
奈良県も最初は「もうすでに奈良市の寺社と法隆寺と二つもあるから仕事が増えるだけやし、動き回るのはやめてほしいなぁ」という消極的な感じだったのですが、県庁の中には応援をしてくれる人もあって、正式な登録活動をはじめてからわずか5年、平成16年7月8日に正式登録されたのでした。
ほんとにあっという間に、実現したのです。私は世界最速と言ってるんですよ(笑)。
今は全国各地そこらじゅうで世界遺産登録の運動が始まってますが、高野にしろ熊野にしろ吉野にしろ、地元から推進して世界遺産登録が実現した事例の始まりのような形になりました。地域全体で、その地域が守ってきたいろんな資産を守っていこうという活動です。
その後、今度は登録が叶っただけではなくてそのことを始まりとして、世界遺産は自然と文化を二つながら保護・保全していこうというのが本来の目的ですから、熊野と高野にお声掛けして「紀伊山地三霊場会議」という、登録資産を持っている者同士の保護保全のための、連絡協議会をつくりました。
紀伊山地の三霊場というのは道も登録されていますし、三つの霊場が大変広く、1万3千ヘクタールという日本で一番広大な広がりがあります。その分、いろんなことが起こるじゃないですか。
ですからやはり皆で考えていこう、次の世代に伝えられるように、守っていくためには単に文化振興とか、観光振興とかではなくて、守っていくための手立ても考えようという取り組みです。
現在は高野山の松長有慶座主猊下に総裁を務めていただいて、年に一回守るための会議を開催しています。そういう大きな活動を進めて来られたのも、若い頃に管長猊下に「志を大きく持ってお坊さんになりなさい」という教えをいただいたお陰と思っています。
38年間お仕えして、先年管長様はお亡くなりにはなるのですけれども、今でも管長様の墓前に行くと、自分に「志を大きく行動しているか。これで間違いがないか」と、いつも自問自答しています。
ほんとにあまり細かいことはおっしゃらなかったのですが、最初にそういうことを言うていただいたことが、後々の自分をつくっていくのに大きな力になった、と思っています。大変、私にとってありがたいことですね。
そういう意味では単に世界遺産になったことをゴールとせずに、なったことから始めるということで次の世代につなげていく、そういう志を継ぐ人をお寺の中に、あるいは地元の人の中につくっていくことも、管長様の「志を大きく持ちなさい」とお教えていただいたことを、若い人たちにつなげていくことになるのではないかなと思っているところです。 (平成24年12月30日 放送)
ー『ちょっといい話』第11集(新風書房刊)より
http://www.shimpu.co.jp/bookstore/item/itemreco/1549/
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「師の教え」と題していますが、草場の陰ではしかめっつらでおられるかも知れません。晩年動き回り過ぎる私はいささか煙たがられたときもありましたから…。
でも臨終直前に枕元に呼ばれて「あとは利典君やみんなに頼む」とお声がけいただいたときに、なにかしら報われる気持ちになりました。あれを聞いたので、いまでも「志を大きく持ちなさい」というお言葉が私の中では大きく息づいています。
*写真は順教猊下亡き後、猊下の御遺言として出版した語録集です。私からの報恩の証でした。
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