「日本葬式仏教、非仏教説?」
「日本葬式仏教、非仏教説?」
葬式の現場が大変革を起こしつつある。いろんな問題が原因である。
その話の流れは葬式仏教と化した日本の仏教はそもそも仏教ではないという論調まで、世間を覆っている感がある。私は葬式に直接関わらない修験僧だが、そういう状況には違和感を覚えるのである。
ついては私の盟友正木晃先生が金峯山寺の機関誌に連載中の「修験道の未来」の中で、いろんなお話を書いて下さっている。
以下、その中で注目する記事を掲載しておく。ご参考まで・・・。
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○宗報「金峯山」平成28年9月号掲載
「葬式仏教」は日本仏教だけの現象だという説は、真っ赤な嘘である。現在、仏教が広まっている地域では、どこでも僧侶が葬儀をいとなんでいる。スリランカもタイも、チベットもブータンも、みなそうである。
しかも、近年になって始まったのではなく、昔からそうだったことが明らかになっている。仏教の生まれ故郷、インドでは、かなり早い段階から、僧侶が葬儀をいとなんでいた。
考えてみれば、仏教における葬儀の第一号は、ブッダ自身の荼毘にほかならない。従来はブッダの荼毘は火葬を職業とする人々が担当し、仏弟子たちは葬儀にいっさいかかわらなかったと言われてきたが、最近ではブッダの荼毘にのぞんで、仏弟子たちが積極的にかかわったことが指摘されている。
その後、ブッダが涅槃に入られてまもない段階では、僧侶がいとなめる葬儀は仲間内の場合だけ、つまり僧院内で僧侶が亡くなった場合だけだったようだが、しばらくすると、在家信者の葬儀も僧侶がいとなむようになっていったという。五世紀ころになると、僧院には在家信者の葬儀をもっぱら担当する役割の僧侶すらいた事実が判明している。
○宗報「金峯山」平成24年1月号掲載
先祖供養の起源
もし仮に、「お迎え」が親をはじめとする近親者が深くかかわっているとすれば、先祖供養が注目されることになる。ご存じのとおり、日本仏教では、先祖供養が重要な位置を占めてきた。しかし、その反面で、先祖供養などは、本来なら仏教とは無縁で、たんなる習俗あるいは慣習にすぎないという見解もよく耳にする。はたして、それは本当なのだろうか。
初期仏教にまつわる文献の研究からすると、ブッダ自身は先祖供養とは無縁だった。しかし、ブッダの入滅後、そう遠くない段階で、仏教が先祖供養に舵を切ったようである。
では、仏教における先祖供養の起源はどこにもとめられるのか。有力な説の一つは、死後、忉利天(三十三天)に再生した摩耶夫人のために、ブッダが誰にも告げず、雨安居の三か月のあいだ、この天にのぼり、母のために説法し、サンカーシャというところに降りてきた(三道宝階降下)という伝承である。
この伝承は、いわゆる原始仏典の『増一阿含経』巻二八「聴法品」などに出てくる。したがって、ブッダの入滅後、遅くとも二〇〇~三〇〇年以内に成立した可能性が高いと考えられている。
その『増一阿含経』巻二八「聴法品」三六には、ブッダが「五事」を説いたと書かれている。「五事」とは、以下のことがらだ。
①法輪を転ずべし
②父母を度すべし
③信なき人を信地に立て
④いまだ菩薩の心を発せざる者にして菩薩の意を発せしめ
⑤その中間においてまさに仏の決を受くべし
さらに、アショヴァゴーシャ(一〇〇年ころ 馬鳴)による仏伝として有名な『ブッダ・チャリタ(仏所行讃)』には、「母のために法を説かんがゆえに、すなわ忉利天に昇れり。三月天宮に処り、善く諸天人を化せり。母を度して報恩畢り、安居の時過ぎて還れり」と書かれている。したがって、「五事」の「父母を度すべし」が、亡き父母に対する「特別の孝養」を意味していることになる。
さまざまな文献から推測すると、紀元前三世紀ころの、アショーカ王の時代には、この伝承が民衆のあいだに流布し、民衆にも、いま現に生きている父母はもとより、すでに亡くなってこの世には存在しない父母に対する報恩の行もまた、推奨されていたことがうかがえる。
もちろん、すでに述べたとおり、歴史上のブッダは、生きているうちに、父母をはじめ、かかわりのある人々に対して孝養を尽くすことは奨励しても、祖先供養や追善供養に対しては、否定的だった。出家僧の行動規範をしるす律蔵に、生母摩耶夫人説法の伝承が見当たらない理由は、そのためらしい。
しかし、民衆のあいだでは、先祖供養や追善供養が待望され、仏教教団としても、それを無礙に否定できなかった。三道宝階降下の伝承は、そう示唆している。
ちなみに、インドで仏教と対抗関係にあったヒンドゥー教は先祖供養をしない。また、仏教では盛んな遺骨崇拝もしない。この二つの歴史的な事実を知る人はごく少ないようだが、仏教の本質を考える上では、ぜひとも覚えておく必要がある。
ようするに、遺骨崇拝も先祖供養も、仏教の原点あるいは原点近くに起源があった。これはまぎれもない事実だ。そして、この二つが日本人の感性と合致して、「日本仏教」の原型をつくりあげたのである。
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