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「弘法大師高野開創の道再興修行」ー田中利典著述集290514

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「弘法大師高野開創の道再興修行」ー田中利典著述集290514

過去に掲載した機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。

今回は3年前の記事。吉野と高野を結ぶという、なかなか歴史的な意義あるプロジェクトとなりました。

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「弘法大師高野開創の道再興修行」

去る五月二十八日から二泊三日をかけて、吉野金峯山寺から、高野山金剛峯寺への、弘法大師高野開創の道再興開闢修行を行じてきた。私を含む金峯山寺の修験僧と、金剛峯寺の若い僧侶たちの合同で行われたこの山行は、両山の歴史を新たに刻むメモリアルな行事となったのである。

話の発端は、私と同郷人である金剛峯寺の村上執行との出会いである。五年前のことになるが、那智勝浦町で開催された世界遺産シンポで、偶然、ご一緒した。歳は十数年違うが、同じ綾部の出身だということで意気投合した私は、当時、村上執行が着手されていた、「高野山開創の道調査」の助勢を依頼されたのであった。

「高野山開創の道」とは、高野山を開かれた弘法大師空海が、最初、吉野から大峯に入り、高野の地に至られたという伝説の道である。『性霊集』など弘法大師に関わる幾つかの文書に「空海、少年の日、吉野から南に一日、西に二日行きて、幽玄の地に至る。名付けて高野という」と大師自身の手で記されているが、その高野へと導かれた道を探そうというのが開創の道の企画であった。

高野山から天辻峠までの和歌山県側は調査を終えたが、そこから先は奈良県なので、「お前、手伝え」と同郷の大先輩から命じられたのである。そこで私は、即座に奈良県庁の友人に連絡をして、奈良県挙げての事業として取り組んでもらうこととしたのであった。

あれから五年。何度かの調査踏破を重ねて、ようやくこの五月に、吉野ー高野を結ぶ弘法大師高野山開創の道を再興するところとなった。

吉野と高野の聖地を結ぶ道は、来年に開創千二百年を迎える高野山の慶祝プロジェクトであるとともに、平成の御代に新たな意味をもって、吉野と高野の聖地同士を繋ぐ壮大な事業である。それは世界遺産登録十周年を迎えた「紀伊山地の霊場と参詣道」の内、唯一繋がってなかった吉野と高野の間を結ぶことで紀伊山地の世界遺産霊場の一体化が果たされることでもある。

六月末にはトレイルランナーが、正式レース「KOBOTRAIL2014」としてこの道を駆け抜けた。これも新しい試みである。なぜなら、道は人が通ってこそ道になるのである。高野開創の道は弘法大師が千二百年前に踏破されて以来、実は忘れられた道であった。それを再興したのが我々の開闢修行であったが、更にトレイルランナーが駈けることでこの道は更に道となる。平成の御代に、新しい試みによって、二つの聖地を結ぶ道が再興されるところに現代的な意味が生まれるのに違いないと私は思っている。  (宝)

ー「金峯山時報平成26年7月号所収、蔵王清風」より

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実はこの吉野ー高野の道は、ある大きな意義を持つことに、このプロジェクトに関わりながら気づきました。なにかといいますと、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は吉野と熊野は大峯奥駈道で、高野と熊野は熊野古道中辺路で繋がっているのですが、吉野と高野の道は繋がっていませんでした。それが、すでの1200年前に、弘法大師によって開かれていたということがわかり、再興されたことで、吉野・熊野・高野の三霊場が名実ともに道で繋がったということなのです。

今年も「KOBOTRAIL2017」として、この吉野ー高野の道をつかってのトレイルランニングの正式レースが、来週の21日に執り行われます。道は人が歩いてこそ、道になるわけですから、途切れずに今後も継承されていくことを念じてやみません。

*写真は弘法大師さま。

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