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「大先達レクイエム2」

「大先達レクイエム2」

北海道のくま先生のレクイエム2。

日高ー千歳ー伊丹ー自宅への帰途の道すがら、車のカーステから流れた「地上の星」。先生の大きさを思い出して、なぜか、泣いてしまいました。

先生は、残念ながらあんなにたくさんの信者さん、そしてたくさんの弟子を育成しながら、かんじんの後継には恵まれませんでした。ちょうど、私がお世話になっていた頃は、長男で私と同じ年の達治さん、そして先生が一番愛しくてたまらない風だった一人娘の智恵美ちゃんがいて、どちらかにあとを任せたいなあと思っていると、先生から聞いたことがありました。でも二人とも先生より早く亡くなり、後年はその智恵美ちゃんの忘れ形見の幼子の良子ちゃんを育てながらの人生でした。

でも最晩年、病院生活が続いた先生に寄り添ったのは奥様とともに、この良子ちゃんと、その良子ちゃんの子供達。・・・良子ちゃんとの、先生の幸せそうな写真をみるたびに、胸が痛くなります。

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走り続ける車のカーステの、「地上の星」のあとから流れてきたのは「ヘッドライト・テールライト」。この歌は「地上の星」とともに、NHK総合テレビ『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で主題歌として使われた歌です。

本人歌唱の歌がないので、カバーで・・・
https://www.youtube.com/watch?v=OEdExyOt2t4

先生のいきざまに接し、人生の儚さを思い知ると共に、私に、私の人生はまだ終わらないと、歌は歌っていました・・・。そして先生の孫達の人生も、です。

人が生きると言うことは、そういうことなのだと、この歌が教えてくれてました。

今夜はこの歌を聴きながら、おやすみなさい。

「大先達レクイエム…1」

「大先達レクイエム…1」

北海道のくま先生として、往時は、宗門の誰も知らない人のいなかった馬頭観音寺住職山口順昭大和尚が27日に91歳を一期として逝去された。その悲報に接し、私と管長猊下の兄弟二人で、29日より、先生の下にはせ参じ、通夜前のお参り、そして通夜と葬儀の参列、葬儀での弔辞奉読、またご自坊での還骨法要執行と、ずっとそばに寄り添って、見送りのおつとめをさせていただいてきた。

その、日高ー千歳ー伊丹ー自宅への帰途の道すがら、先生との思い出をいくつもいくつもたどり、生前の懐かしい顔がなんどもなんども脳裏に甦るのだった。

...

私が先生の自坊、北海道新冠町の馬頭観音寺でお世話になったのは25歳の頃。叡山学院を卒業して、本山に奉職するまえの半年間であった。

先生は父と懇意で、宗会議長だった父がとてもかわいがった議員さんだった。そんな関係から、実は本山勤務前の「法違い」で、北海道でお世話になることになる。叡山学院のある大津から吉野に入るのは、その年回りは不具合で、まず北海道へ行き、そこから本山に入るととてもよい、いわゆる「三大吉方」という父の指導による術で、先生の下でお世話にることになった。いまから思うと先生はよく預かっていただいたなあと思う。弟もその10年後、やはり「法違い」で2ヶ月余、先生を頼ることになるのである。

先生との北海道生活は実に抱腹絶後にして、楽しく、そしてある意味過酷で、忙しい毎日であった。当時の馬頭観音寺は昼夜を問わず信者様が出入りされ、また競走馬生産牧場の馬屋のお祓いは半年で百数十ヶ所を回らせてもらった。そういういわゆる里山伏の修行だけではなく、当時、東南院の大峯奥駈修行の総奉行だった先生のもとに、北海道からはじめて私は奥駈修行に参加したのだった。また東北の羽黒山や帯広の剣山登拝修行をはじめ、火生三昧・火渡り式を道内各地で毎月のように修行した。

また少し時間が出来ると、日高や大雪山の山奥深く、山菜採りにも出かけたし、ビックリしたのは朝5時に起こされて遠く襟裳半島近くまで、アイヌの隠し埋蔵金探しに、真顔で出かけたことも、一度や二度ではなかったのである。根室標津の信者さまのお宅へも数度出かけ、国後島の国境沿いまで、魚釣りに出かけたこともあった。ともかく、それはそれは驚くような半年を過ごしたのであった。

豪放磊落、抱腹絶後の先生、いろんな思い出がよみがえります。そんな先生のことを思いながら、高速道路で、自宅への道を走らせる車のカーステから、中島みゆきの「地上の星」が不意に流れ出し、泣いてしまった。なぜか、先生へのレクイエムとして、心に刺さってきたのだった。

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「地上の星」
https://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE

大きな人大きなでした。私の人間としての幅を広げていただいた、かけがえのないお一人です。ご冥福をお祈りします。

「北の巨星、堕つ」

「北の巨星、堕つ」

北海道の新冠在住のY先生。本宗内では知らない人のいない名物先生でした。私も若い頃から大変お世話になり、また行者としても、大きな影響を受けた巨星でした。
佐藤愛子さんの小編小説「ヨシのキツネ」やひろさちやさんの「マンガ仏教全集」修験道の部で出てくる山伏など、先生が題材となった作品がいくつも世に出るほど、比類なき大山伏さんでした。

奇しくも、62歳の誕生日にその悲報を受けました。私にとって、思いの深い一日となりました。先生の威徳を偲んで、一文を認めます。

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Y先生ー。北海道のくま先生といえば、金峯山寺ではしらない人のいない大行者でした。東南院の大峯奥駈修行では未だに伝説の名物奉行であります。法力、行力に勝れるばかりではなく、人を蕩かす話術とその人徳は、多くの方々に慕われ、先生の周りはつねに大きな笑い声で満ちあふれていました。

ここ日高の地で馬頭観音寺を開き、あまたの信徒を教化されるなか、私たち兄弟も20代の若き日、先生の下で、数ヶ月にわたり、随身修行のご縁を得ました。その間、数百数千の信者さま宅や馬屋のお祓いにお手伝いさせていただきました。懐かしい先生との生活でしたが、いまにしておもえば、先生から受けたこの法恩が、宗務総長としての私の実績や、弟良知管長の今日の活動の糧になっているのは申すまでもありません。いただいた大きな恩徳に対して、なにもお礼らしいことがなせぬまま、お別れの時を迎えたことは後悔の念に耐えませんが、伏してここに御礼を申し上げる次第です。

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馬頭観音寺住職としての活動、大峯行者としての活動、そして長きにわたっておつとめいただいた本宗宗議会議員・宗機顧問としての活動をはじめ、公私にわたるご交情を思うと、話が尽きぬ楽しい思い出の数々がよみがえりますが、91歳を一期として、大往生を遂げられた先生の霊前に「今生の大仕事、本当にご苦労様でした」「ありがとうございました」と申し上げて、今生惜別の一言と致します。

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お通夜は明日、本葬は明後日と決まっています。ここ2年あまり先生は病床にあり、昨年には兄弟二人でお見舞いにも来させていただきましたが、再度の見舞いが叶わぬままとなっていました。最後のお別れに、二人して参列をさせていただきたいと思います。

*写真は奥駈修行のイメージ写真です。

『聖の社会学』(イースト新書)読破!

『聖の社会学』(イースト新書)読破!

勝桂子さんの著書『聖の社会学』が手元に来て、9日がかりでようやく読み終えました。

いいわけなのですが、私はすんごい遅読です。それは読むのが遅い、というより、読みかけのままで、次々に新しい本を手にしてを読み出すという癖があり、つねに20冊くらいは併読をしています。それで、ついつい、1冊を読み終えるのに、時間を要してしまうのです。勝さんの本も、ものすごく読むほどに面白いと思いながら、9日も掛かってしまいました。

で、先にお詫びをしなくてはいけないです。

この「聖の社会学」を読み始めての感想をFBにアップしましたが、はしがきのところだけを読んで、インサイダー、アウトサイダーという違和感について綴りました。これは大きな間違いだと読み終えて、思っています。

最初に論評したFBでは、ひろさちやさんの評論無責任主義をアウトサイダーという、過去に行ったシンポジュウムでの批評を加えて、ひろさんのスタンスになぞらえている部分がありましたが、大きな誤りでした。ようは内外関係なく、いまの日本人の宗教事情についての。勝さんの憂いと提言が本書には満ちていることに気づきました。はしがきの印象だけで書いてしまったことをお詫びします。

本の中でも書いておられますが、内と外の間で、僧侶と一般の方の通訳をなさっているようなお立場に終始した著述でした。

それゆえに、読み進むなかで、「そうそう、そうなんだよ、その通りその通り」と思うことがたくさんありました。

とはいえ、「え・・・」とか、「うーん」とか「これは違うなあ」と思うこともありましたが、それと同じくらい、「凄いなあ」と思うことがたくさんあって、かなりジェットコースターにのっているような気持ちで読んだのでした。(笑)

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山折哲雄先生や小川英爾和尚や高橋卓志さん、井之上昭代さん、はたまた加藤悦子さんなど、本書に出てくる人間関係は私と重なり合うことも多く、出会うべくして出会った本だったと思いました。

昭和10年代から団塊の世代にかけての、敗戦の災禍がもたらしたあの時代人の精神文化の退廃も含めて、いまの「墓じまい」「寺院消滅」を推し進める流れは、もう何年も前から私もいろんな講演会などで警鐘を鳴らしてきていたので、本書の意図はよーくよくわかります。・・・ま、寺院消滅は言い過ぎで、淘汰されるだけでなくなりはしないでしょうし、たくさんの立派なお坊さんが黙っていませんから改革されて、消滅せずに見事に生き残るお寺はたくさんあるはずです。

もしかすると、それより心配なのは宗派消滅なのではないかと私は思っています。

ともかく大いに賛同することばかりでした。そりゃあ、いまの現状をみれば誰だってそうおもいますよね。

私のことをいうと、多くの方がご存じのとおり、奈良県吉野の総本山金峯山寺を中心とする修験教団「金峯山修験本宗」で45歳から60歳まで、あしかけ15年間は宗務総長という教団の重職を務めました。その間たくさんの教団改革を試みました。もともとうちはお檀家を抱える檀那寺が末寺には少なく、いわゆる祈祷寺や個人で活動をする行者さんの修験教団なのですが、それでも戦後の歩みの中で、いろいろ硬直化していることも多く、幸い若くして管長様から宗務総長を任じられたおかげで思い切りチャレンジ出来ました。60や70になってから教団のトップをやっても、なんにもしませんからねえ。

そういう身の上故に、なお、あえて言うなら、この本に書かれている内容を僧侶自身、宗門自身が声高に言わない現実を、ときには腹立たしく、ときには憂いを感じながら、読み終えたのが正直な気持ちです。

是非、なにはさておき、前線で活躍するお坊様方に読んでいただきたいと思いました。

「たなかりてんのとれたてワイド763」の放送日

「たなかりてんのとれたてワイド763」に出演

今日はお昼から地元綾部のFMいかる「たなかりてんのとれたてワイド763」に出演します。なかなか安静生活にならないのですが・・・(笑)

番組のメインコーナは先週のならどっとFMに出演して収録しました「りてんさんの知人友人探訪」漢方医桜井竜生先生編(写真)。午後1時頃の予定です。まだまだ肺炎でダウンして以来、完治はしていませんが、まあまあ声は出ていますので、ガンバリマス。。

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もうひとつのメインのコーナーは新企画の「ここから始める綾部学」の5回目。今回は平野正明綾部市観光協会会長様です。12時半頃からの放送です。

番組MCはいつもの光枝明日香ちゃん。楽しく放送出来ればと思います。歌のコーナーは、拓郎さんの曲を2曲がけます。1曲目は大好きな「Voice」。そして2曲目は「いくつになってもhappy birthday 」。明後日は僕の誕生日ですからね。

それと、エンディング前にやっている「神と仏のオープンカレッジ」というコーナーが一番、力をいれてはじめたのですが、これがなかなか、無反応で・・・。(^_^;)  今日は満を持して、「葬式仏教」の話です。。

放送時間は正午から午後2時半まで。生放送でーす。よろしければ、お聞きください。

放送は http://www.jcbasimul.com/?radio=fmikaru ←こちらでリアルタイムにに聴くことが出来ます。

今年もやります「紀伊山地三霊場フォーラム」!!

今年もやります「紀伊山地三霊場フォーラム」!!

今年は熊野那智大社御創建1700年、那智山青岸渡寺西国三十三所草創1300年の節目の年にあたり、遠い過去の時代から現在へ受け継がれた信仰の魅力を聞いて感じていただきます。
 
本フォーラムでは、「悠久の那智」を熊野那智大社と観音信仰の立場から読み解き、パネルディスカッションでは、今なお人びとの心に生きる熊野・那智信仰の魅力について幅広いお話を伺います。

私も出ます!!

日時:10月23日(月)14:00~16:45
表題:紀伊山地三霊場会議フォーラム「悠久の那智ーその魅力」
会場:大阪あべのハルカス大会議場

募集が始まっています。
詳しくは↓
http://www.rekishikaido.gr.jp/2017sanreijo/

「悠久の聖地~吉野へのいざない」

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「悠久の聖地~吉野へのいざない」      

明日から実はドトウの日々。

17日 大阪 信貴山管長祝賀会...
18日 奈良 ならどっとFM生番組
19日 自坊ー東京 朝から脳天護摩供、そして上京
20日 東京・浅草寺誇り塾研修
21日 舞鶴 月参り法要
22日 大津 東南寺説法随喜
23日 東京 まほろば館講座「悠久の聖地~吉野へのいざない」  
       +東京in吉野の集い

というような毎日となります。病み上がりの身なので、重々用心しながら過ごします。

で、今日のうちには東京での講座のパワポを制作しておかないとやばいので、昨日から頑張っていました。ようやくできました。
今回は過去に講演会では使ったことのない秘蔵の映像もご紹介します。

乞う、ご期待ですが、残念ながら、すでに半月前から受講は満席です。ありがたいことです。

「日本の歴史と文化を取り戻す?」

「日本の歴史と文化を取り戻す?」ー田中利典著述集290805 
過去に掲載した機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。

ここしばらくおやすみしていて、久しぶりの今日は、もう12年も前に書いた文章です。吉野大峯の世界遺産登録を契機として、たくさんの講演会やシンポジュウムに呼ばれることになります。そういう最中に書いたものです。...

*************

「日本の歴史と文化を取り戻す?」

昨年の世界遺産登録を受けて、相変わらず講演依頼が後を絶たない。有り難いことである。

一月も某女子大での集中講義を含め、四度の講演機会を得た。今回の世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は表題の紀伊山地というネーミングのせいもあってか、ややもすると熊野にばかり目がいき、吉野大峯の世界遺産登録は印象が薄れがちであるが、内容をみるなら決してそんなことはなく、登録指定の意義の大きさはこちら(吉野大峯)の方が重要なくらい。講演ではそのことを声を大にしてのべている。

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といって実は私の講演は吉野大峯のことばかりを話すのではなく、吉野大峯を語ることで、日本の歴史と文化の見直しをテーマとしている。

「宮参りをし、初詣に行き、彼岸や盆には墓参りをする。結婚式は神式やキリスト教の教会で挙げ、クリスマスにはお祝いをし、死んだら僧侶を呼んで葬式をする…」

「日本人の多くはこんなに宗教的な民族であるのにどうしてみなさんは自分たちのことを平気で、無宗教だの無信心だのと卑下するのですか。」

「そういう多様な宗教心情を持つ日本人は、一神教の人たちから見ると、たしかに無節操で無宗教に見えるだけで、この多様性が日本人の宗教心の基層の部分なんですよ」。

…こう話すと大方の人たちは目から鱗が取れたが如く合点していただく。

さて、件の話に合点がいく間は、日本は、明治以降、キリスト教社会が生んだ近代文明原理の呪縛から解き放たれ、日本人の心の拠り所を取り戻せる可能性があるのではないかと私は思っている。

連日殺伐たる事件が繰り返され、日本社会の日常は日に日に壊れつつあることを自覚する昨今であるが、私たちに残された時間はそう多くないのかも知れない。講演会を通じて多くの人々と向き合う中、そんな思いを実感している。

いづれにしても、吉野大峯の世界遺産登録が、そんな日本に多くの意義を果たせる場所になりえるよう、今後も働き続けたいと念願する。明治以降、神仏分離によって失われた日本文化の心を取り戻す場所は、修験道という日本古来の信仰形態と、神仏習合の精神文化が生き続ける吉野大峯の地をおいて他にはないと自負しているのである。

ー「金峯山時報平成17年2月号所収、蔵王清風」より

*****************

あの頃は本当にそういう、大まじめに、背負った気持ちで毎日を過ごしていたのが、本文から、手に取るように浮かんできますね。まだまだ若かったのです。

もちろん、今だって・・・

よろしければ、感想をレスしてくださいまし。

「今日3日は自坊林南院の定例護摩供!!」

「今日3日は自坊林南院の定例護摩供!!」

自坊林南院の護摩は、毎月3日(月並祭)と19日(脳天祭)に行っています。

ですので、今日も午後1時から、月例護摩供を修法します。今日も暑いですねえ。
一年中で一番暑い護摩が8月3日、今日の月例護摩供です。
綾部は今日も猛暑日・・・護摩供というより、護摩苦かも(笑)
世界平和、邦国安寧、五穀豊穣、風雨順時、国土安穏…そして参拝施主各位の所願成就をお祈りします。ガンバリマス。

もし、よろしければおでかけください。12時半過ぎにおいでいただければ、護摩木祈願(1本:300円)も書いていただけます・・・。護摩のあと、脳天堂でお勤めをして、ひとりひとりに加持をします。

終わって、時間があれば茶話会などもありますので・・・。よろしく。

*大容山林南院:京都府綾部市渕垣町林ノ下21番地
  ↓
https://map.yahoo.co.jp/maps?p=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E7%B6%BE%E9%83%A8%E5%B8%82%E6%B8%95%E5%9E%A3%E7%94%BA&lat=35.3269357&lon=135.2937564&ei=utf-8&datum=wgs&lnm=%E6%9E%97%E5%8D%97%E9%99%A2&v=2&sc=3&uid=bb3af8e04c7b4155424b61637762987b2e0b9758&fa=ids

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「暑い綾部の水無月さん」

「暑い綾部の水無月さん」

私はこう見えて(…どう見えるのか、しらんけど)、人前でお話をするより、シコシコと部屋に籠もって、文章を書いていたいタイプなのです。金峯山寺在中時代は毎月、「蔵王清風」というコラムを担当し、足かけ33年間、執筆していました。ところが最近は定期的に書くということがなくなって、いささか寂しい思いをしています。

で、先週、朝から急にそういう欲求が生まれてきて、綾部の花火大会に行ったことを書いてみたくなりました。人生訓もなにもない、ただただ花火に行ったというだけお話なんですが…。

わずか30分足らずで書きあがりましたが、出来ると、日記じゃなのですから、誰かに読んでもらいたくなります。それで、地元の市民新聞には過去に何度か投稿をしているので、担当記者にメールで「書いたよ」と送ってみたら、早速、今日の紙面に載りました。本稿でも紹介します。

ほんとにですね、人生訓とか、法話の類いとか、そういう味わいはなにもない、ただ、花火に行ったという、日記のような文章です。よろしければご笑覧ください。

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***********

 「暑い綾部の水無月さん」

暑い綾部の、水無月まつりの夜。今年も花火大会に寄せていただいた。

暑い綾部というが、綾部は本当に暑いと思う。

綾部には気象観測所がないので、実測されたデータが出ないが、ひと夏の間にはきっと日本で一番暑い日があるに違いないと私はにらんでいる。

豊岡と舞鶴には観測所があるので、データが表示される。両地域とも、ときどき近畿で一番の記録を刻むことがある。そんな日の綾部は、きっともっと暑いはずだ。豊岡も舞鶴も海を近くに抱えているが、綾部は盆地である。とんでもない暑さをこの盆地は記録しているに違いないのだ。

そんな暑い綾部の、夏の納涼祭が、「水無月さん」である。子どもの頃から、夜市、灯籠流し、花火大会など、この夜はとても楽しみだった。

西町商店街が様変わりし、よさこい踊りが新しく始まるなど、子どもの頃の水無月さんとは、大きく様がわりしているとはいえ、由良川のほとりで行われる灯籠流しに花火大会は、昔さながらのたいへんな活気を呈している。

近隣の福知山花火大会が不幸な大惨事事故のために中止となり、その分、綾部の花火大会は人が増えているような状況でもあるが、もしかすると一年中で綾部が一番賑わうのがこの花火大会の夜なのだろう。綾部人、自慢の夏の祭典である。

今年も午後八時、熊野神社の祭礼に引き続き、号砲一発、約四十五分にわたる素晴らしい花火の競演がはじまった、

真っ黒な闇の大空に、色とりどりの花火が次々と打ち上げられ、花火師の高度な技が競われる。

まさに夏の暑さをひととき忘れさせてくれる豪華で幽玄な夜を過ごすことが出来たのだった。

今年もこんな素敵な夜を用意してくださって、水無月祭り実行委員会のみなさまをはじめ、花火の打ち上げに関わってくださった多くの企業や関係者、スタッフに御礼を申し上げたい。

来年も楽しみにしてますよ。

ーあやべ市民新聞第4976号(H29.8.2)風声欄掲載

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