「日本の歴史と文化を取り戻す?」ー田中利典著述集290805
過去に掲載した機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。
ここしばらくおやすみしていて、久しぶりの今日は、もう12年も前に書いた文章です。吉野大峯の世界遺産登録を契機として、たくさんの講演会やシンポジュウムに呼ばれることになります。そういう最中に書いたものです。...
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「日本の歴史と文化を取り戻す?」
昨年の世界遺産登録を受けて、相変わらず講演依頼が後を絶たない。有り難いことである。
一月も某女子大での集中講義を含め、四度の講演機会を得た。今回の世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は表題の紀伊山地というネーミングのせいもあってか、ややもすると熊野にばかり目がいき、吉野大峯の世界遺産登録は印象が薄れがちであるが、内容をみるなら決してそんなことはなく、登録指定の意義の大きさはこちら(吉野大峯)の方が重要なくらい。講演ではそのことを声を大にしてのべている。

といって実は私の講演は吉野大峯のことばかりを話すのではなく、吉野大峯を語ることで、日本の歴史と文化の見直しをテーマとしている。
「宮参りをし、初詣に行き、彼岸や盆には墓参りをする。結婚式は神式やキリスト教の教会で挙げ、クリスマスにはお祝いをし、死んだら僧侶を呼んで葬式をする…」
「日本人の多くはこんなに宗教的な民族であるのにどうしてみなさんは自分たちのことを平気で、無宗教だの無信心だのと卑下するのですか。」
「そういう多様な宗教心情を持つ日本人は、一神教の人たちから見ると、たしかに無節操で無宗教に見えるだけで、この多様性が日本人の宗教心の基層の部分なんですよ」。
…こう話すと大方の人たちは目から鱗が取れたが如く合点していただく。
さて、件の話に合点がいく間は、日本は、明治以降、キリスト教社会が生んだ近代文明原理の呪縛から解き放たれ、日本人の心の拠り所を取り戻せる可能性があるのではないかと私は思っている。
連日殺伐たる事件が繰り返され、日本社会の日常は日に日に壊れつつあることを自覚する昨今であるが、私たちに残された時間はそう多くないのかも知れない。講演会を通じて多くの人々と向き合う中、そんな思いを実感している。
いづれにしても、吉野大峯の世界遺産登録が、そんな日本に多くの意義を果たせる場所になりえるよう、今後も働き続けたいと念願する。明治以降、神仏分離によって失われた日本文化の心を取り戻す場所は、修験道という日本古来の信仰形態と、神仏習合の精神文化が生き続ける吉野大峯の地をおいて他にはないと自負しているのである。
ー「金峯山時報平成17年2月号所収、蔵王清風」より
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あの頃は本当にそういう、大まじめに、背負った気持ちで毎日を過ごしていたのが、本文から、手に取るように浮かんできますね。まだまだ若かったのです。
もちろん、今だって・・・
よろしければ、感想をレスしてくださいまし。
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こんばんは。
長年、自分を無宗教だと言ってきた者としての感想になります。
無宗教と主張するのは、対外的に差し障りなく、かつ望まない宗教勧誘を断る理由になるからです。信仰とは別の問題です。
地域性もあるかもしれませんが、宗教と改めて主張するものは新興宗教が大多数を占め、問題行動を起こしているので良い印象を抱く人は少ないです。
もし自分が発言したら、周りは障らぬ神に祟りなしで、静かに距離を置くでしょう。
接触してくるのが近所の人間であったり、職場の人間だったりすると、断り方次第で後をひくので、無宗教で通すのは角のたたない自己防衛でもあります。
個人的には、神仏や御先祖、英霊には崇敬の念を持って日々の感謝を申し上げ手を合わせています。
昔からの御寺や氏神さんは、代々付き合って当たり前、拝んで当たり前の世界ですから、「宗教」と改めていうのは違和感を感じますし、排他的かつ攻撃的な宗教と一括りにしたくないのです。
無宗教と言ってしまうのは、争いごとは避けたい日本人の気質かもしれませんが、相手に配慮のなく自己主義を貫く人間を神仏が好まれるとは思えません。
主張しないからといって、その人の信仰心の篤さも、はかれるものではありません。
信仰とは他人に示すものでなく、神と自分との間でわかっていれば良いことではないでしょうか。
海外の国々で日本の宗教観が馬鹿にされるのは日本の寺社の方々の行動にも問題があります。
私は香港の人に「こちらの御坊様は清貧を貫くのに、日本の誰もが知ってる有名な御寺の御坊さん達は贅沢三昧、何でもありで驚いた。あれでいいのか?」と質問され、日本人として恥ずかしく思いました。
有名な寺社とバレてるのは名乗っておられるのでしょうが、海外だからと羽目を外すのは日本の宗教レベルを貶め生臭坊主と世界に拡散することなので、遊びたい方は還俗なさっていただきたいと感じました。
宗教を悪用する人間が多すぎる。
投稿: すぎ | 2017年8月 8日 (火) 11時42分
拝復 コメントありがとうございます。
このブログへのコメントはもう何年ぶりかなあという感じで、ありがたいです。
「無宗教」の意味にはそういう側面があるというのは思い浮かびませんでした。
新宗教の勧誘とかされたことがないので、わからなかったのですが、たしかに
うなづけるところもあります。
また宗教人については国の内外をとわず、重々心しないといけないと思います。
無宗教の背中を押しているようなことになっていますよね。
り拝。
投稿: 吉野山人 | 2017年8月 8日 (火) 11時59分
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投稿: Votabami | 2017年8月10日 (木) 13時55分
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少し日本史レベルが高いので難しいでしょうが歴史好きの方に尋ねるなどすれば理解が進むでしょう。
今秋、東博では「運慶展」が開催されるが、出陳品の無著・世親像を収蔵するのが興福寺・北円堂である。
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投稿: 大町阿礼 | 2017年8月28日 (月) 22時11分