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「人間が生きるということ」 ー田中利典著述集290909

「旅の終わりに~人間が生きるということ」 ー田中利典著述集290909

久しぶりの著述集です。今回は今日たまたフェイスブックから届いた過去の記事で、13年前にブログに綴った「チベット紀行」を読み返し、そのまとめの文章がなかなかイケているので、そこだけを転載します。

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「旅の終わりに~人間が生きるということ」

私は旅行に出るといつも思うことがある。旅先で出会う多くの人々をみていると、「人間はなにかをして生きているんだなあ」と漠然と思うのである。人間はなにかをして生きている…至極当然のことなのだが、日常の生活を離れて、非日常の外国旅行へ行くと、そういう思いがいつも私に迫ってくるのである。

今回のチベット行きでもそうだった。秘境といわれる国だけに、今までよりよけい強くそういう思いを抱くことになった。

商売をしている人、畑を耕している人、食事の世話をしている人、巡礼をしている人、昼間から寝そべってる人、物乞いをしている人…千差万別に多くの人々に出会ったのである。
考えれば、「あんなことを達成した、こんなことも成し遂げた」といったところで、所詮私も、家庭と仕事を行き来しながら、なにかをして生きているだけの存在である。誰もが生まれた以上は死ぬまで、なにかをして、生きるだけのことなのである。

その生きる過程で成し遂げたことの価値など、大いなる宇宙の営みから見たら芥子粒にも満たないものである。それでも私たちはああだこうだと右往左往しているのだ。ホントに愚かな話である。

釈尊は世間虚仮と看破された。是真仏法とも説かれておられる。チベットの大地で這いずり廻りながら、仏教の教えのみを信じて生きている人々にたくさん出会って、私は仏教者としてもう一度、人が生きるとはなんなのかという問いかけを続けていたのであった。

柔和な仏像とおどろおどろしい曼荼羅画の狭間で、生きることの複雑さや猥雑さを感じながら…。

ー「吉野山人のあるがままに/2006年8月21日~9月17日連載文より」

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「チベット紀行文」そのものに興味のある方は以下から、追いかけてください。私のブログに全10話、書いています。少し探さないと10話までたどり着けませんけど。
 ↓
http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_934b.html

*写真はチベット紀行のときのもの。

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